第21話 須田統貴はお好きですか? 1
八谷と赤石とが駅で別れた数日後、またいつものように学校が始まった。
「お~し、お前ら席着け~。朝のホームルーム始めるぞ~」
赤石たちの担任である神奈が、やる気なく教室へと入り、いつものように何も変わらない一日が始まった。
八谷は自分の席に座るも、そわそわと落ち着きなく赤石を瞥見していた。
赤石は例によって朝から誰とも話さず古文の単語帳をめくっており、八谷は声をかけるタイミングを失った。
「何よあいつ…………」
ぽつりと、小声で八谷は呟く。
八谷は、赤石に対して苛立ちと不安とを募らせていた。
神奈による朝のホームルームも終了し、一限目の授業が始まろうとしていた。
「じゃあ今日のホームルームはこれで終わりだ~。今日は一限目から英語だからこのまま続けるぞ~、英語の教科書準備しろ~。今日も一日面倒な授業一緒に終わらそうぜ~」
「生徒を堕落させるようなこと言うなよ美穂姉! 仮にも先生だろ!」
「おい聡助~、学校で美穂姉は止めろ~」
「そんなこと言うからだろ!」
神奈のやる気のない一言に、櫻井が声を張り上げて返答する。
教科書を出す音などの雑音しかなかった教室の中に、俄かに声が伝播する。
「畜生…………なんで櫻井だけあんなに綺麗な女の子ばっかりと知り合いなんだよ!」
「神奈先生まで知り合いとか何なんだよそれ……なんであいつだけ!」
「くぅーーー!」
櫻井と神奈との距離が離れていることもあってか、櫻井の声は教室中に響き渡っていた。
クラスメイトは、櫻井が艶麗な女性たちと何らかの関係があることを羨み、僻んだ声を漏らす。
だが、赤石は白い目でその光景を見ていた。
今、神奈の発言を訂正する意味はあったのか、と。
櫻井は神奈の立つ教壇からは離れた席であり、必然的に、そこから声を発するとなると教室内の殆どの人間がその会話を聞くことになる。
そのことをも見越して、櫻井は必要性のない会話をしたのではないか。
クラスの男たちに、自分と神奈とが美穂姉と聡助と呼び合うほどの仲である、ということを知らしめるために。
真実は、分からない。
だが、赤石にはそのようにしか解釈することが出来なかった。
キーンコーンカーンコーン。
今日もまた、ベルは鳴る。
毎日毎日何度も聞く鐘の音を意識の埒外にやりながら、赤石は八谷と櫻井の方向に目をやった。
四限目の授業が終わり、昼休みとなった。
昼休みの時間は五〇分。この休憩時間中は、生徒たちの間でも弛緩した空気が流れる。
「聡助、聡助! 私今日は聡助の為にお弁当作って来たのよ! 食べなさい!」
「え…………えぇ、お前が弁当作ったのかよ……。まずかったりするんじゃねぇのか?」
「な……何言ってるのよ! 美味しいに決まってるじゃない! 食べなさいよ!」
八谷とその他取り巻きは櫻井の下に集結し、櫻井の親友である霧島を含めて、男が二人に対して女が五人のグループが出来ていた。
教室の一角で近くの生徒の席を拝借し、七人の男女がそこで一堂に会していた。
櫻井の為に弁当を作って来たという八谷の言葉を聞き、高梨は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「あら、八谷さん。あなた本妻である私を差し置いていい度胸してるわね」
「いや、別に聡助に付き合ってる人なんていないじゃない」
高梨の発言をたわ言と受け取り、八谷は笑う。
「え~、恭子っちお弁当なんて作れんの~⁉ 見せて見せて~、うわ~、可愛い~!」
「そ……そんなことないわよ! 新井さんのお弁当も素敵よ!」
「私のはそんなことないよ~」
新井は八谷の弁当箱の中身を覗き、露骨にアピールする。
赤石はそんな展開を繰り広げる八谷たちを、漫然と見ていた。
八谷は櫻井のことは聡助と呼ぶのに新井と高梨のことは新井さんと高梨さんなんだな、と気付く。
前日八谷と喧嘩別れのような別れ方をしたが、赤石は八谷の趨勢が気になり、気取られないように静かに観察していた。
「いいから食べなさいよそ・う・す・け!」
「ちょっ、止めろ止めろ! 食べるから! 食べるから箸を持ってこないでくれ!」
八谷は生姜焼きを掴み、櫻井の肩を持ち強引に食べさせようとする。
櫻井は自分の箸を持ち、八谷の弁当箱から生姜焼きを取った。
「あ…………」
突然に櫻井が弁当箱の中身を取ったことで、八谷は赤面する。
櫻井は生姜焼きをよく味わい、嚥下すると、
「お! 本当だぞ、恭子の弁当普通に美味い! お前こんな才能あったのか! 一人で弁当作るなんてすげぇじゃねぇか!」
「え…………そうかな~、えへへへ……」
八谷の料理は櫻井の口に合ったらしく、弁当を褒めた。
八谷は耳まで真っ赤にし、くねくねと上体を捩らせる。
一人で作ったわけじゃないけどな、と赤石は内心で突っ込む。
「え、本当に美味しいの~、私にも食べさせてよ!」
「私も食べてみたいものね、そんなに美味しいなら」
「え~、恭子ちゃん私も食べてみたい。食べて良い?」
「もっ……勿論よ!」
櫻井が八谷と話したことを皮切りに、八谷と櫻井とを二人きりで話させてたまるか、とでもいうかのように、続々と取り巻き達が割って入った。
どうやらラブコメ大作戦は上手くいったようだな、と赤石は八谷の勇姿を見届け、弁当を持って教室を出た。
八谷は櫻井と姦しく会話をしながらも、教室を出ていく赤石の背中を瞥見した。
櫻井は、そんな八谷の様子を半眼で睥睨していた。
「お~い、おっせぇよ悠。昼休み終わっちまうじゃねぇか!」
「悪い悪い。ちょっと花でも愛でてたらこんな時間になったわ」
「はっ…………花を? ぷっ、お前がそんなタチかよ!」
二学年の二組に属している赤石は、四組の親友の下に、やって来ていた。
日に焼け肌は褐色で、健康児という概念がそのまま服を着て歩いているかのような男、須田統貴。
水泳部で体は引き締まり、その体躯の所々に筋肉がバランスよく付いていることが分かる。背は高く髪は短髪でどこか人懐っこさのある精悍な青年で、赤石の友達としては、何もかもが出来た人間だった。
いわゆるイケメンというのにまずふさわしい、水泳部のエースである。
「じゃあ今日もいつものとこ行っか!」
「そうだな」
赤石は須田と共に階段を駆け下りる。
「おいこら悠てめぇ、早歩きすんじゃねぇよ! 今日は俺の弁当汁物入ってんだよ! 俺は早く歩けねぇ!」
「水泳部の技術を活かして汁物をこぼさずに早く動く訓練だ! どうやらその技術においては俺の方が勝ってるようだな!」
「てめぇ、待ちやがれ!」
赤石と須田とは、共に笑い合いながら階段を駆け下りる。
二人は幼稚園からずっと一緒にいる、幼馴染であった。
昇降口に辿り着き、靴に履き替え、桜の木のある庭にやって来た。
「四月は桜が咲くなぁ~」
「何を当たり前な事を」
桜の木の近くにある全ての椅子が他の生徒たちによって占拠されていたため、座れそうな場所を探して適当に座る。
四月は桜が咲き、花見遊山の気分で生徒たちがこのスポットに集まる。
赤石と須田とは一学年の頃からこのスポットで二人一緒にご飯を食べており、暑い日は木の木陰で食べ、寒い日はカイロを手にご飯を食べていた。
実際、赤石が須田の教室で共に食べる選択肢もあったが、他の教室に堂々と居座るほどの胆力は、赤石にはなかった。
7話で出てきた須田の名前を変えておきました。




