第185話 プールはお好きですか? 4
「お~い悠、日本新記録出たぞ~」
「だとしたら力の使いどころを間違ってる」
須田がプールからあがり、赤石の下へとやってくる。遅れて、三矢、山本、三千路の三人もやってきた。
「アカ、あかんわこいつ。一人でめっちゃ目立っとるわ。こんなやつとおったら気が休まらんわ」
「拙者も疲れたでござるよ」
「統が泳いでるところなんかうるさくてすごい怖かったわよ」
三矢、山本、三千路の三人は口々に愚痴を言う。
「あ、ところで誰、悠の横の人?」
「ほんまやないか、誰やねんアカ、そいつ」
三矢たちは船頭に視線を集めた。
船頭は赤石を見、しばらくして名乗り出た。
「船頭ゆかりでーーっす!」
そして先ほどと同様の挨拶をした。
「え、悠こんな感じの友達いたの……?」
「悠の交友関係の裾が広がるなあ」
「アカ、お前いつのまにそんなに社交心手に入れたんや。お前そんなぺらぺら喋るタイプとちゃうかったやろ」
「うるさいな、たまたまだ」
口々に言われる驚きの声に、赤石は適当に返す。
「いや、どっちかって言うと驚いてるのはこっちの方なんだけど……」
船頭は驚いた顔で赤石を見る。
「悠にこんなにまともな友達がいると思ってなかった」
「まとも一号通りま~す」
「まとも二号通りま~す」
「……」
「……」
須田と三千路が不格好にひょこひょこ赤石の前を通るが、三矢と山本は細い目で二人を見るだけだった。
「やれよ!」
「やらんわ」
三矢は須田の頭をはたく。
「今日は特別なんだよ。高梨が特別に連れてきた、色んなやつだ。普段だったらこんなことにはなってない。俺も今までプライベートで、こんなに色んな人間とどこかを訪れたのは初めてだ」
「?」
船頭が須田たちに視線を向けると、深くうなずいた。
「それに、この二人だけ妙にテンション悠と違うくない?」
須田と三千路は頭をかく。
「腐れ縁ってやつだ。昔たまたま一緒にいたからその延長線上で今もたまたま一緒にいるだけだ。ビジネスパートナーだよ」
「違うから! ビジネスパートナーじゃないから! だよね、統!」
「あ、ああ! ビジネスパートナーじゃないぞ! えっと……上手いこと言えねぇけど違うからな!」
「ぐだぐだか」
赤石は笑った。
「じゃあ悠もちょっと泳ぐか!」
「俺は見てる」
「おっけ! 俺の泳ぎを見てろ!」
須田は一目散に、プールへと歩き始めた。
「いやあ、僕も泳ぎたい気分だなあ!」
霧島は須田を見て歓声をあげる女性集団の中へと、颯爽と消えていった。
「本当に何をしているんだ、あいつは」
「ある意味うらやましい生き方やわ。じゃあ俺らも泳ぎ行くか!」
「分かったでござる」
「私も行くぜ! 悠、見てなさい!」
「はいはい」
三千路たちは須田の邪魔にならないところで、ぱちゃぱちゃと水遊びをし始めた。
「悠は行かない?」
「俺はいい。競泳用のプールは少し苦手だ。後で入る」
「じゃあ私もちょっとだけ行ってくる!」
「そうか」
船頭も、須田たちの下へと向かった。
赤石は一人、プールサイドで須田たちを見て、満足そうに微笑んでいた。
「悠、見てるか~!」
「親の気分だよ」
「どうやこの俺の泳ぎ!」
「お前らは水遊びだろ」
「プール最高~!」
「良かったな」
須田、三矢、船頭に合いの手を入れる。
一生関わらなかったであろう相手とこうやってプールに来れているという縁が、赤石は不思議でならなかった。
「あ、かいし……?」
「……ああ」
そして、その縁はまだ続いていた。
「何してるのよ、こんなところで」
サングラスで前髪をあげた八谷が、そこにいた。
「ちょっとお出かけ」
「ちょっとお出かけのレベルじゃないわよ、本当に!」
八谷は赤石の隣に座った。
「……」
「……」
無言。
「あ、かいし! ど、どうよこれ!」
八谷は額のサングラスを指さし、唐突に尋ねた。
「いいんじゃないか」
「お洒落でしょ!」
「ああ」
八谷は薄桃色で花柄のビキニを着用しており、野性的な容姿にひけをとらず、体つきも野性的で引き締まっており、スレンダーだった。
「櫻井の連れで来たのか?」
「う、うん……」
八谷はその場で体育座りをし、膝を抱いた。
「赤石は、本当は?」
「あいつらと来たんだよ」
赤石は泳ぐ須田たちを見た。
「須田君……?」
「ああ」
八谷は控えめに問う。
「あ、ああ、そうなんだ! 私てっきり高梨さんとかと来たのかと――」
「誘われたのは高梨だよ」
八谷はそこで言葉を止めた。
「ちょっと意味が分からない」
「今、別々に行動してんだよ。ここにいるのはあそこで黄色い歓声を浴びてる須田と、その近くで泳いでいるギャルの船頭と、あそこでぱちゃぱちゃ水遊びをしてる三矢、山本、三千路だよ」
「ほ、他には?」
「暮石、志藤、鳥飼はどこかに消えた。高梨、神奈先生、上麦はフードコートで日に焼けてる。あ、あと霧島が女探しに行った」
「な、何人いるのよ!」
「十人はいるだろうな」
赤石は指折り数えた。
「そっちは?」
「そ、聡助と、私と、新井さんと、葉月さんと水城さん」
いつものメンバーだな、と思った。
「櫻井に誘われたのか?」
「え、たしか霧島君がセッティングしたって言ってた」
「あいつ……」
やはり霧島か、と思った。
あるいは櫻井とかち合わせたのも霧島の思惑かもしれない、と思った。
「そうか。邪魔したな、俺のことは気にしないでくれ」
「い、いや、気にするわよ! 折角こんなところであったんだからもう少し喋りなさいよ!」
「別にこんなところで会ったんだからいちいち喋らなくてもいいだろ。喋るくらいならどこでも出来るだろ」
「あんた考え方逆よ!」
八谷はぱし、と赤石の肩を叩く。
「そ、そうよ、これしてみなさいよ! 私の眼鏡!」
「サングラスだろ」
八谷はサングラスを外した。サングラスで止めていた前髪がぱさり、と八谷の額に落ちる。八谷は赤石に近づき、
「自分でやる」
「私がやってあげるわよ! 遠慮しすぎよ!」
「遠慮でもない」
その手で強引に赤石にサングラスをかけた。
「…………」
「あははははははははははは!」
八谷はお腹を抱えて、笑った。赤石は強引にサングラスをかけられたことで傾いて着用させられたが、そのまま無言で前を見ていた。
「お前はこんなことで笑えて人生楽しそうだな。俺は全く笑えねぇよ」
「それはあんたが普段全然笑わないからよ」
赤石はサングラスを八谷に返した。
「正直眼鏡つけてても全然変わらなかったわね。そもそもあんまり赤石表情変わらないし」
「そんなことはない。毎日万感の思いで生きている俺にとって、幾千もの表情が表れているはずだ」
「今の気持ちは?」
「愛くるしい気持ちだ」
「どこがよ! あははははははははははは!」
眉一つ動かさずそう言い切る赤石に、八谷は笑いを隠せない。
「やっぱり赤石って変ね」
「お前だよ」
涙を人差し指でぬぐう八谷に、赤石は言う。
「……」
「……」
赤石と八谷は二人で須田たちを見ていた。
「もうすぐ夏休み終わるわね」
「そうだな」
「……」
「……」
「夏休み終わったらまた毎日会うことになるわね」
「そうだな」
「夏休みあんまり会わなかったわね」
「そうだな」
「……」
「……私も、こっちに来たら良かったのかな」
「自分で考えろ」
赤石と八谷は、互いに前を見たまま言葉を交わしていた。
「高梨さんってもしかしてまだ夏休みに何かするの?」
「国政をひっくり返すって言ってた」
「なんで夏休みでそんなことするのよ」
「バーベキューするって言ってたな。多分メンツは今と同じだろう」
「そっか……」
「……」
「……」
「……」
八谷はもじもじと膝を動かした。
ちらちらと赤石を見る。
「俺に言っても無駄かもしれないぞ」
「赤石なら何とかしてくれるでしょ」
「今まで何かを何とかした覚えはない」
「何とかできなくても私のためなら何とかしてくれるはずよ」
「自分への評価が高すぎる」
「あはははは」
八谷はぎこちなく、笑う。
「…………私も行きたい」
八谷は、言った。
「俺は連れて行きたくない」
「なんでよ!」
立ち上がり、八谷が声をはり上げた。
周りの一部の人間から注目を浴び、八谷は静かに座った。
「なんでよ」
「お前を連れてくると櫻井がついてくる。俺は櫻井と楽しい時間を過ごせる自信がないし、櫻井が来るなら俺は行かない」
「なんでよ」
「なんでって……」
赤石は櫻井から送信されたカオフの内容を思い出した。
「……」
が、言わなかった。
櫻井から送られてきたカオフの内容で八谷を巻き込みたくなかった。
あるいは、それはただの保身かもしれない。ただ、赤石は自分が受けた誰かからの悪意を誰かに共有することを、ひどく恐れていた。
人を信じられない、より被害が広まる、そんな合理的思考の裏にも、そもそも保身を意味するものがあったのかもしれない。
「櫻井とは気が合わないからだよ」
そして赤石は、適当な言葉でお茶を濁した。
「じゃあ一人で行く」
八谷はむくれた顔で、言った。
「なら高梨に聞いてくれ。高梨も多分、櫻井が来ることは望んでいない」
「……赤石もついてきてくれる?」
八谷は丸い目で、赤石を見つめた。
「……あまり高梨が嫌がるかもしれないことに肩入れしたくないな」
「……私と高梨さん、どっちが大事なのよ」
「……」
また、赤石は黙る。
「どっちもだよ。だからお前はそんなことを言うな。人を試すようなことをするな」
「あ……ご、ごめんなさい。もうしないから」
「そうした方が良い」
八谷は顔を青くして、うつむいた。
「高梨はきっと許可してくれるだろうが、高梨が嫌がることはあまりしたくない。前も言っただろ、櫻井の誕生日会に俺を呼ばないでくれ、って。俺は俺が大切にしてる人の嫌がることをしたくないんだよ」
「どうしたらいい?」
八谷はうつむいたまま言った。
「分からない」
本当に、分からなかった。
「まあ、聞く前からそういう風に推測するのも良くないのかもしれないな。後で一緒に行ってやるよ。高梨が嫌そうなら無理かもしれないけど、そこは了承してくれ」
「……ありがと」
八谷は顔を上げた。
「…………ああ」
赤石は、複雑な気持ちだった。




