第172話 水族館デートはお好きですか? 1
『八谷、今度空いてるか?』
「……赤石!?」
夏休みが始まって数日、八谷のカオフに赤石から連絡がやって来た。
八谷は連絡を見るや否や飛び起きる。
「赤石が誘ってきたわけ!?」
咄嗟の事態に、八谷は狼狽した。
「なんで赤石が!? なんで!?」
大慌てで返信しようとする。が。
「…………」
手を止めた。
「ここはもうちょっと焦らした方が良いかもしれないわね」
八谷は久しぶりの赤石との連絡に、策を弄そうとした。
「まあ、別に、赤石が行きたいって言うなら行ってあげてもいいけど? どういう風に返信するのが良いのよ」
八谷はうんうんと呻りながら赤石への返信の内容を考えていた。
「行きたい! は何か違うわよね。行かせて? 行ってあげてもいいわよ? なんで? あなた私が好き……これは違うわね」
数分、考えていた。
そう考えているうちに、赤石の連絡は取り消されていた。
「えぇ!? 取り消されてる!?」
赤石の連絡は既に削除された。ここで行ってあげても良いわよ、などと上から目線な返信をすれば、いちいち連絡が来ていたことを知っていたにもかかわらず返信を考え抜いていた哀れな女になり下がる。
だが、何も言わなければ赤石と遊ぶ予定はぽしゃる。
「ここは無難に……」
現状一つしかない選択肢を、八谷はゆっくりと打ち始めた。
『あんた何送って来たのよ? 気になるじゃない』
出来るだけ下手に出ないようにする返信は、これしかなかった。連絡を見ていたということは伝えられない。連絡を見ていなかったということにするしかない。
赤石からの返信が来る。
『よく分かったな。返信を取り消した時は通知がいかないようになってるはずだが。俺との会話でも見直してたのか?』
「えええええぇぇぇぇぇっ!?」
八谷は顔を真っ赤に染める。
結果的に、連絡を見たにも係わらず返信を考えていた、と思われるようなことよりも恥ずかしいことになってしまった、と八谷はあわあわと慌てる。
『違!たまたま!全然違う!知らないそんなの!』
慌てて返信する。手が震えていた。赤石から返信が返って来る。
『冗談だぞ。送信を取り消しても通知は行く。小賢しいことをするな。行くのか行かないのか教えてくれ。あと既読を付けた状態で返信に悩むな』
「…………」
八谷はぽかん、と口を開ける。
「こっの!!」
足元のボールを蹴り、ボールは部屋をぽよんぽよんと跳ねた。
八谷はデジタル機器に弱い。今まで謀計を巡らせたことがなかったが故に、上手くいかない。
結果として八谷の思惑は全て相手にバレ、猶更恥ずかしい思いをすることになった。
「あーーーかーーーいーーしーーーーーー……!」
八谷は顔を真っ赤にして怒っていた。
『行くわよ!行く!黙っときなさいよ!水族館に行くわよ!』
八谷はそう返事をするので精いっぱいだった。
『大海浜水族館の前に明日の9時だ』
『分かったわよ!』
八谷は羞恥と喜びと怒りとがない交ぜになった心中で、スマホを閉じた。
そして予定当日。
「遅かったわね、赤石!」
「……ああ」
赤石と八谷は近隣の水族館へと来ていた。
八谷は赤石と出会うや否や、肩を四、五発殴る。
「止めろ。何すんだお前」
「仕返しよ!」
「何のだよ。痛い」
八谷は赤石を殴る。
「カオフよ、カオフ! 何よあんたあんな人をハメるようなことして!」
「どうせお前は俺をハメようとしてたんだから良いだろ、ハメ女が」
「ちょっと止めてよ、その言葉の組み合わせ。不健全な感じに聞こえるでしょ」
八谷は周りの人目を気にし、辺りを見渡す。
「小賢しいことをするな。返信するなら思ってることを返信しろ。いつか誰かに誠意が伝わらなくなるぞ」
「はいはい分かったわよはいはいはいはい! 次からはそうするわよ!」
誰でも彼でもあんなたみたいに思ってること言えるわけじゃないんだから、と心中で思う。
赤石は軽く伸びをした。
「じゃあ行くか、競馬場」
「え? なんでよ、水族館でしょ。私水族館が良いって言ったわよね? ていうかここ水族館入り口よ?」
「俺は水族館の入り口を待ち合わせに、と言ったが、水族館に行くとは言ってない」
「なんでそんな一休さんみたいなことするのよ。普通に水族館めぐるわよ! 早くしなさい!」
「競馬には?」
「行きません!」
八谷は赤石の腕を引き、階上に入って行った。
「赤石! ペンギン! ペンギン!」
「ペンギンって漢字で人の鳥って書くらしいぞ。なんでだろうな」
益体もないやり取りを交わす。
「さっきあのペンギン私に手振ってたわよ!」
「まあ中に小さいおっさん入ってるからな」
「ちょっと止めなさいよ! 雰囲気台無しじゃない!」
「人に鳥でペンギンって言うぐらいだからな。そういうこともあるんだろう。ファンタジーだな」
「あんた自分の言葉良い風に言うの天才的ね」
八谷は隣の赤石に溜め息を吐く。
「楽しい」
「………………そうか」
八谷は小声で、そう言った。
「でも、なんで今日はあんたから誘ってくれたのよ?」
「ああ」
赤石は今回八谷を誘った理由の本題に入る。
「俺、お前らのことが知りたくてな」
「えぇっ!?」
八谷は驚きで飛びのき、周りの客が八谷に注目する。お前ら、をお前と聞き違える。
「止めろお前馬鹿。櫻井みたいなことするな。次やったら置いて行くぞ」
「ご、ごめんなさい……」
赤石が軽く小突き、八谷はしゅんとする。八谷の奇行は、すぐさま客の興味を失した。
「暗い部屋展ってのがあるぞ。あっち行ってみるか」
「……うん」
八谷は赤石の言葉と雰囲気とに流され、どきどきと心臓が早鐘のように鳴るのを感じていた。
「赤石、私今日楽しい」
「分かった。良かったな」
薄青い光の当たった魚を見ながら、八谷はうっとりとする。
「これ何の魚?」
「なんだろうな。俺は別に魚に詳しい訳じゃない。知らない」
「まあ何でもいいわ」
赤石と八谷はゆっくりとした歩調で、水族館を進む。
「なあ八谷」
「?」
赤石は八谷を見た。
「ちょっと早いけど、昼食でも行かないか?」
「え? うん」
赤石は水族館に併設されたフードコートに向かって歩き始めた。
「赤石、さっきの言葉って……」
八谷は赤石の言葉の心意がまた、同じように、取り消されそうな気がしたのか、赤石に訊く。
「ああ。教えてくれ。俺の知らない、空白の期間を」
「…………うん」
赤石は八谷を先導する形で、フードコートへと向かっていた。
赤石の櫻井への復讐に、八谷を利用することは、決まっていた。




