第163話 高梨の事情はお好きですか? 3
「そういえば俺はお前がいなくなったことを神奈先生から聞いたんだが、なんで神奈先生がお前の家出を知ってたんだ?」
高梨が会話を止めた後、赤石は自ら話を切り出した。赤石にはまだ、知らない情報が多すぎた。
「そうね、神奈先生も名家の娘だからよ。私も神奈先生も、名家の娘としてつながりがあるのよ」
「なるほど」
高梨が神奈の家を知っていたのはそのためか、と納得する。
「お父様とお母様が私を探すために手当たり次第に連絡した結果ね、きっと。名家の出で私たちの先生でもある神奈先生に連絡がいくのは道理に思えるわね」
「そうだな」
「あなた私のこと何も知らないのね」
「そう……だな」
批判の意味合いで言った言葉ではない。ただの事実を指摘されただけだ。赤石はそう、思う。思い込む。
「なあ高梨」
「何かしら」
「なんで櫻井なんだ?」
二度目となる、質問。話がいつの間にかすり替わり、はぐらかされた質問。赤石はその禁忌に、再び踏み込んだ。
「なんで櫻井と結婚したいんだ? 櫻井が好きなわけじゃないんだろ? なんでよりにもよって櫻井なんだ?」
「……」
高梨は沈黙した。赤石の方を向いていた高梨が、赤石に背を向ける。
「そうね、あなたは櫻井君が嫌いだから当り前の質問かもしれないわね」
「櫻井が嫌い……」
高梨の言葉に、次は赤石が沈黙する。
「私は確かに櫻井君のことが好きなわけじゃないわ」
「ああ」
「でも私は昔、子供の頃に櫻井君と結婚の約束をしたのよ」
「大人になったら結婚しようね、ってやつか……」
またラブコメ的な展開だな、と思う。
「そうよ。私と櫻井君は大人になったら一つに結ばれることを約束した仲よ」
「でも、そんなものはもう反故になってるんじゃないか? 櫻井にこだわる必要があるのか? 別に櫻井じゃなくても、お前なら櫻井以上の人間なんていくらでも落とせるだろうし、引く手も数多だろう。櫻井である必要があるのか?」
「あるわ」
高梨はそう、言い切った。
「そもそも櫻井は名家だとか金持ちだとか、そんな話は聞いたことがないぞ」
「そうね、あなたは知らないかもしれないわね。櫻井君は今妹さんと二人暮らしなのよ」
「そう……なのか」
ラブコメの主人公様様だな、と思う。
「櫻井君も、中々に良いお家柄なのよ。豪奢な家に住んで妹さんと二人で楽しく慎ましく暮らしてるわ。櫻井君のお母様はやり手の実業家で、今も全国を飛び回っているわ。櫻井君のお父様も代表取締役を務めてるのよ」
「なんでこの近辺は金持ちばっかなんだよ……」
どいつもこいつもラブコメの登場人物みたいなスペックしやがって、と思う。
「高校生の息子娘を差し置いても全国を飛び回らないといけない、というのはそれはそれでかなりの素封家よ。私ほどではないにしても、私の婚約者となることをぎりぎり許可してもらえるほどの家柄なのよ」
「そうなのか。お前ら金持ちネットワークみたいなのがあるみたいだな」
「それは言い得て妙よ、赤石君」
「左様ですか」
はあ、と息を吐く。
「でもそれでも櫻井に固執する理由が見当たらないぞ? さっきも言ったが、お前はなんでも出来るだろ。絵も描けるし運動も出来る。金持ちの娘でお金には困らない上にその美貌を持ってるなら、別に櫻井じゃなくても……」
「そういうの、私嫌いなのよ」
「……え?」
強い語気で、高梨から言葉が発せられた。高梨が赤石に向き直り、赤石もうすらと見える高梨と目を合わせる。
「あ……ごめんなさい、赤石君。赤石君に言ったわけじゃないわ」
「いや、俺はそういうので判断する側の人間だから俺に言ったわけで大正解だと思うぞ」
「あなたはそう、言うだけでしょ。あなたが人を見た目だとか身の上だとかで判断しないと私は買っているつもりよ」
「おい高梨、俺今金ねえんだわ。一万円くれよ」
「やめて赤石君、恥ずかしくなったらすぐに茶化すのはあなたの悪い癖よ。直しなさい」
「はい」
褒められたのに怒られた、と複雑な気分になる。
「私の能力で好きになってもらえるのならまだいいわ。でも、私の身の上だとか家柄だとか美貌だとかで判断されて、好きになられるのは嫌なのよ。顔で判断されるのが、嫌なの。心底」
「なんでだ?」
それは赤石にとっては全く理解の及ばない境地だった。
「だってそれは、私であって私でない」
「……?」
赤石は小首をかしげる。
「それは私であって私でないのよ。確かに持って生まれた美貌だとかスタイルの良さだとかを活かしている人は沢山いるわ。それも鬼のように、ね。でも私は違うの。だって、家柄も美貌も、私が手に入れたものじゃないじゃない。元からあったものじゃない。私が努力して手に入れたものじゃないわ」
「なる……ほど」
遅まきながら、理解した。
高梨は、自分を見てもらいたい。父親と母親からの度重なる結婚へのプレッシャーが及ぼした影響なのか、高梨は自分の美貌や家柄を嫌っているように思えた。
「絵を描くのも運動が出来るのも、それは私が後天的に手に入れた、努力のたまものよ。それを褒められるのは嬉しいわ。ありがとう、赤石君」
「いや……」
取って付けたようなお礼を、と思う。
高梨は外面ではなく、内面を見て欲しい。
それは赤石と霧島がしていた推測の一部。異性に好かれるために、内面は関係ない。いくらどす黒く、昏い内面を、したたかな下心をもっていたとしても、外面さえ取り繕っておけば異性からはモテる。
その外面でモテるという状況を、高梨は否定したがっているように見えた。
「私は私の性格で、努力で、気持ちで好きになって欲しいの。そういう私の外にあるものを見て好きになられるのは、嫌なのよ。心底、嫌いなの」
家柄と美貌を武器に使うということを忌避しているように見えた。
それは八谷がしているそれと対極にある考えな気がした。
「私の中身を見て欲しいの。何、綺麗って? 何、お嬢様って? 知らないわよ。そんなもの、私が持って生まれたものであって、私が手に入れたものじゃないわ。そんなもので寄って来られるのは正直に言って、迷惑よ」
「そうなのか」
そう言うことしか、出来なかった。
「だから、私は櫻井君を選んだの。物心つく前に櫻井君と私は婚約したわ。結婚すると約束したわ。それは私が自分で選んだ道よ。お父様に選ばされたわけでもお母様に推薦されたわけでもないわ。私が、私の手で選んだ人が、櫻井君なのよ」
「歪んでる……」
小声でそう、呟いた。呟いてしまった。
「確かにそうかもしれないわね。赤石君の目から見たら私はそう見えるのかもしれないわ。でもね、それしかないのよ。私が選んだ人ももう、櫻井君しか受け入れられないの。私が自発的に選んだ、私の好きな人。それが、櫻井君よ」
それは、ある種の自己洗脳に近い。自分で自分が櫻井を選んだと、そう思い込む。櫻井のことを好きではないと言いながら櫻井に固執する姿は余りにも、恐ろしく見えた。
「櫻井は子供の頃の約束を覚えてたのか?」
「覚えてたわよ、もちろん。そこから私たちの関係が深まっていったのよ」
「高一の時の話……か?」
「そうよ」
赤石の知らない、空白の一年。
赤石が櫻井たちと出会ったのは高校二年生からであった。
いわゆるラブコメの導入部にあたる高校一年の一年間は全く感知の外にあったってことか、と赤石は気付く。
「紆余曲折あってこんなことになったのか」
「イエス」
「はあ……」
思わず、ため息が出た。
「でも櫻井の後に出会った人は駄目だったのか?」
「駄目ね。物心ついた時から訳の分からない社交パーティーみたいなのに出席させられて、お父様がおよそ許可してくれるような人は皆私の家柄や美貌に飛びつくばかりの愚図よ。誰も私の内面を見てくれようとはしてくれないわ」
高梨の父親が結婚の許可を出すことが出来、高梨の家柄を知らない時期に仲を深めた人。確かにそれは、櫻井しかいないのかもしれない。
「もう私の美貌も家柄も、その筋の人たちには完全に敷衍してしまってるわ。写真を見ただけで私に求婚してくるような人が何人も何人も沸いては出てきて、キリがないわ。仮にそうじゃなかったとしても、そういうフリをしているのかしていないのか、私には判断できないわ」
「そういう……ことか」
赤石は天を仰いだ。
櫻井しかいないというのは、そういうことか。
赤石は無言で目をくれるしかなかった。




