第161話 高梨の事情はお好きですか? 1
「母さん、ただいま」
「ああ、案外早かったなぁ」
先と同様に顔だけ出した母親は、
「あ!?」
大声をあげた。
「さっきの!?」
「お邪魔致します、お母様」
高梨は傘を赤石に手渡し、両手を添え、滑らかにお辞儀をした。
「え、え、やっぱりもしかして!?」
母親は赤石と高梨を何度も交互に見る。
「あんた彼女さん!?」
「はい、左様です」
高梨が代わりに返事をする。
「違う。お前は黙れ」
「ちょっとぉ~、お父さん! 悠人が~!」
「だから違うって。こいつ明日まで俺の部屋泊めるから、今日はむやみやたらに入ってこないでくれ」
「はいはい。分かってるわよ」
母親は若干芝居がかった声で、奥へ引っ込んだ。
「はあ……行こう、高梨」
「愉快なお母様ね」
「本当だよ」
赤石は階段を上がり、部屋を開ける。高梨もそっと、赤石の部屋に入った。
「男の人の家にあがるのは初めてだわ」
「俺も女を招くのは初めてだよ」
「嘘おっしゃい。あなた脚本作る時に私を通したわよ」
「それが適用されるならまずお前の嘘からカウントされるべきだぞ」
赤石は荷物を降ろし、部屋の隅にまとめた。
「小奇麗にしてるわね」
「綺麗にしてるわね、でいいだろ。なんかちょっと汚いみたいだろうが」
「汚いからそう言ってるのよ。あら」
高梨が赤石の机の上の玩具を見つけた。
「これ、何かしら?」
「玩具」
「前来た時はなかったわよ?」
「たまたま見逃してたんだろ」
「嘘ね。私は前ここに来た時、本の配置からゴミの量まですべて覚えてるわ」
「怖えよ。そうだよ、前はお前らが来るから物どかしてたんだよ」
赤石はどか、とベッドの上に座った。高梨には座布団を差し出す。
「その玩具は、俺が熱引いた時に統がいつも持って来るから勝手にたまった」
「神奈先生の時は気付かなかったわ」
「お前すぐ出て行ったもんな」
どうでもいいような話をしているな、と思う。探り探り、高梨の事情を雑談から聞き出す。
「さて、赤石君」
「なんだ」
「今日は話があります」
座布団できっちり正座をしたまま、高梨は改まった。
「……」
何を言われるのか、赤石は期待と緊張、そして不安がない交ぜになった状態で高梨と相対する。
「高梨……」
「何かしら」
「それ、もうちょっと後にしね?」
「……そう、ね」
高梨は姿勢を崩した。依然として凛としているが先の威圧はなくなった。何を言われるのかは分からなかったが、高梨の話を聞くには、まだ心の準備が出来ていなかった。
「お前夜ご飯は?」
「食べてないわ」
「いつ外に出たんだ?」
「さあ。時間はあまり覚えてないわ」
「腹減ってないか?」
「減ってるわよ。もうちょっと気を利かして」
「泊めてもらう奴の言い分じゃねぇぞ。待ってろ」
赤石は扉を開けた。
「あ、お前絶対物色するなよ。本当に物色するなよ。物色したような形跡があったら本気でお前を追い出す」
「怖いわね」
「人間は信用できない」
「はいはい、分かったわよ。それとも縄で私でも縛るかしら」
「あったら絶対やってる」
「新しい趣味に目覚めるわよ」
「目覚めねえよ。俺は何もかも、凡人だ」
せめて動かなかったことの証左に、と鞄を高梨の膝の上に置き、階下へ降りた。
「悠人、あんな別嬪な彼女捉まえて、本当どうしたのよ?」
「うっせえな」
階下で暇をつぶしていた母親に問い掛けられる。
「母さん心配よ。ルックスが見合ってないもの」
「実の息子に言うセリフじゃない」
赤石は冷蔵庫の中を適当に物色しながら、言う。
「あんた何探しるのよ」
「食い物。あいつ夜ご飯食べてないんだって」
「あんたの分の残り物があるけどそれじゃ申し訳ないわね……」
母親もまた、おろおろとしだす。
「ああ、これでいい、これでいい。ありがと」
赤石が食べるはずだった残り物を温め、部屋へと戻った。
「帰ったぞ」
「おかえりなさい」
高梨は依然として凛とした姿勢で、赤石を待っていた。動いたような形跡はなかった。
「よし、動いていいぞ」
「犬みたいに扱わないで」
「お前は友達だが、人間は信用できない」
赤石は高梨の前に料理を置いた。階下で着替えも終えた赤石はベッドに潜り、くつろぐ。
「いただきます」
高梨は手を合わせ、赤石の母の料理を食べ始めた。
「……」
高梨は一口食べ、目を見開く。
「あなたこれ、とても美味しいわよ」
「そうかよ。本人に言ってやれ」
赤石はスマホに目を向けたまま、言う。
「嫁に行けるレベルよ」
「もう行ってんだよ」
ふふ、と高梨は笑った。
それから暫くの時間が経ったが、赤石は高梨と距離を詰めることが出来なかった。何の役にも立たない雑談で話を引き延ばし、自分自身高梨の事情から遠ざかっているような気がした。
そして、夜が来た。
「あなた、お風呂に入らないの?」
「お前がいるからいい。お前も入らないで良い」
「欲情するからかしら」
「有り体に言えばな」
「気持ち悪い……」
「ふざけんな。追い出すぞ」
赤石は高梨が寝るため、布団を敷いた。
「あなた、この私に雑魚寝させようとしているのかしら」
「そうだ」
「あなたのベッドを貸しなさいよ。あなたが床で寝なさい」
「なんでだよ。俺が毎日使ってるベッドでお前を寝かせる意味が分からない」
「私が帰った後にベッドにもぐりこんで、さっきまで八宵が入ってた布団だ……だとか空想にふけいるんでしょ、気持ち悪い」
「被害妄想が酷い」
もう消すぞ、と赤石は電気を消した。
「おやすみなさい」
「ん」
「……」
「……」
輾転反側。何度も寝返りを打ち、空に視線をさまよわせる。
赤石は、寝れなかった。
結局、高梨から何も聞くことが出来なかった。
何も引き出せず、恐らくは高梨は明日家を出るだろう。こうして自分は高梨の事情に首を突っ込むこともなく、何か重大な事案に関わることもなく、平凡に、何もなく、そうして今後もモブを続けていく。
「……」
そんなことは、赤石自身が許さなかった。高梨の事情を知りたいという気持ちが、勝った。
「高梨、起きてるか?」
「ずずず」
「ご快眠だこと」
「ぐーぐーぐー」
赤石は高梨の方向へ寝返りを打った。暗闇の中、高梨の顔はうっすらとしか見えない。顔が見えないことが、むしろ赤石に安堵をもたらした。
「高梨」
「うるさいわね。心地よく寝れないじゃない。ただでさえ固い床で寝てるのよ」
「文句ばっかり言うな。高梨」
「何?」
「……」
一拍。気後れする。
「お前、櫻井は好きか?」
「……」
返事は、ない。赤石は高梨が櫻井に対して好意があるかどうか、ずっと懐疑的だった。何より、合わない。高梨と櫻井は水と油のような、まるで真反対の性格だと、思っていた。
あるいは恋愛関係が互いの足りない所を補い合うような、真反対であることがお互いを強く結びつけるというのならともかくも、そういう空気を感じたことがなかった。
高梨はどうして、櫻井に固執しているのだろうか。
そんな疑念にも似た感情を抱いていたからこそ、高梨に対して態度を一貫できたのかもしれなかった。
高梨は自分が櫻井を憎んでいることを知っていた。あるいは櫻井に対して悪意を持っていること自体を指弾されもしたが、櫻井を擁護するそれとは違っていた。
何より、櫻井は高梨が自分に告白する、と言っていた。
高梨の言葉はちぐはぐだった。
何もかも。
その奥に何があるのか、何を隠しているのか。
「高梨」
「私は……」
高梨がゆっくりと、口を開いた。
「私は、櫻井君が好きなわけじゃないわ」
「じゃあ……」
「でも!」
途端、強い言葉で否定される。
「私には、櫻井君しかいないのよ」
「…………何言ってんだよ」
高梨の言葉は、赤石には到底理解できなかった。




