第156話 夏祭りはお好きですか? 2
「あれ……すうじゃね?」
「ん」
須田が夏祭り会場の入り口で、三千路の存在に気が付いた。
「見えねえ」
「いや、ほらあそこあそこ」
須田が指さすが、須田より身長が小さい赤石は視認できない。
「いや、お前でかいから見えんだろ。俺でかくねぇから見えねぇんだよ」
「いや、なんだよでかいって! 高いって言ってくれよ! でかいって本当になんかでかいイメージつくじゃん!」
「誰にだよ。で、どこって?」
「あっち」
「だから見えないって言ってるだろ」
人混みの中で赤石と須田が押し問答を繰り返す。
「仕方ないな、肩車してやろう、俺が」
「いや止めてくれよ肩車とか。お前肩車してる高校生見たことあるか?」
「まあ見たことはあるけど」
「言っててなんだが、確かに肩車してる高校生って条件だけだと確かにいないこともないな」
「まあ夏祭りで肩車してる高校生は見たことないけどな」
「なんだよ。ゴールがあるならさっさと入れろや。何ゴール前で無駄なドリブルしてんだよ」
「いや、サッカーで例えるの止めてくれよ。全然イメージ湧かねぇ」
「……」
「無視して行くな!」
赤石は須田の指さす方向へと歩いて行った。
「え……」
人混みを掻き分け進んだ先に、三千路がいた。
櫻井に足を見られている三千路が、そこにいた。
「あれ、すう誰かと一緒だな。誰だ?」
「櫻井……だ」
隣で、日を遮るように手ひさしをする須田に言う。
「櫻井って悠と同じクラスの? あぁ、そう言えばどこかで見たこともあるなあ」
「……」
赤石が最も懸念していたこと。それは、須田と三千路が櫻井と懇意の中になること。自分の最も親しい人間が櫻井と親しくなる。自分の最も厭悪している人間と仲良くなる。それだけは、どうしても避けたかった。
或いはその結果を知りたくないから意図的に接触しないように今まで立ち回ってきた面も多々あった。
須田は持ち前の人の良さを生かして、櫻井とすぐに仲が良くなるのかもしれない。
三千路は持ち前の明るさと人付き合いの良さから、あるいは水城や八谷と同様に、櫻井に惚れてしまうかもしれない。
そうなってしまえば、赤石に道はない。
「……」
赤石は黙り込む。どうするのが最善か。知らないふりをして三千路を連れ出すか。そもそもその行為はいわば櫻井への敗北宣言なのではないか。
赤石は高速で頭を回しながら、ふと、霧島に言われた台詞を思い出していた。
『悠人君、僕たちは仲良くなれるという確信があったんだよ』
『なんでだよ』
夏休みに入る前、クラスで霧島と話す機会があった。
『バランス理論って言葉があってね』
『また心理学か』
例によって心理学を引き合いに出す霧島に辟易する。
『なんだい悠人君、きみは心理学が嫌いかい? 好きだと思ってたけどね』
『別に嫌いだとは言ってないだろ。ただ、なんでもかんでも人間の感情がその一定規則に定まってると思われるのは少し癪だ』
『ああ。全く君はヒネてるね。まあそれに当てはまる人間が多いから心理学なのさ。で、バランス理論なんだけど』
『ああ』
『バランス理論と言うのは、対人関係で三人以上の存在がある時、その三人の人間関係のバランスを保とうすることだよ』
『……?』
自慢顔で言う霧島に疑問符が浮かぶ。
『簡単に言うと、A君B君Cちゃんがいる時にA君がB君を嫌いでCちゃんがA君のことを好きな時、B君はCちゃんを好きになれない、みたいなことさ』
『へえ……』
三者の関係を男二人と女一人にしたことに霧島の意図を感じる。
A君のことを好きなCちゃんのことを好きになれない。それは簡単で、当然で、確かに誰にでも当てはまりそうなことだった。
『だから僕と君は仲良くなれるはずなのさ。お互い聡助嫌いとしてね』
『どうだか』
胡乱な霧島に、突き放すように言う。
『でもそういう何かしらの障害って言うか、弊害みたいなものを乗り越えて人間上手くやっていくんじゃないか?』
『まあ、そう上手くいくといいけどね……』
霧島はぽつりと、そう呟いた。
心理学だとか人の内面だとか、そういう小難しい話ではなかった。
好きなものが一致するよりも、嫌いなものが一致した方が結束感が強まりやすい。敵の敵は味方。そんな当たり前で、あまりにも卑近な出来事。
赤石にとってそれは身近で、いつ起こってもおかしくない出来事の一つだった。
「悠」
「……」
「悠?」
「あ、ああ」
霧島に言われた言葉を思い出しながら歩いていた赤石は、肩を強くつかまれることで現下に意識を割いた。
「悠、すうが呼んでる」
「は?」
櫻井に手当てされる三千路が、赤石たちを手招きしていた。
「……」
三千路に夢中で、櫻井はまだ赤石たちの存在に気付いていない。
「お~い、すう~」
「統貴~、悠人~」
三千路の声に反応し、櫻井が三千路の視界の先を見た。
「……」
「……」
赤石と目が合う。櫻井はその場で動きを止め、固まった。
「すう、何してんだよこんな所で」
「いや、あんたら待ってたんじゃん」
須田が三千路の肩を軽く殴る。
「で、そこの……」
「ああ、櫻井君って言うんだって。あんたらと同じ高校って聞いてびっくりしたわ」
「どうも……」
櫻井は手当てをしていた三千路から離れ、須田に向き直った。
「悠、同じクラスだけど……」
「……」
須田の問いにも、赤石は答えない。
「ああ、赤石。俺と赤石仲良いからなあ! 前も一緒に打ち上げ行ったよな! お前本当自分っていうか、そういう芯みたいなの持ってるよな!」
「……」
てらいのないような笑顔でそういう櫻井に、赤石は何も答えない。
相も変わらず、他人の前では仲良しだ、とアピールし、喧伝する。赤石の本質を突いたようなことを言い、あたかも蜜月かのように振舞う。
『お前本当自分って言うか、そういう芯みたいなの持ってるよな』
分かった様な顔して言ってんじゃねぇよ。何も知らねぇくせに知った様な口きいてんじゃねぇよ。
偽善者が。
赤石は何も言わない。
「で、櫻井……? こいつと何話してたんだ?」
「あ、ああ、鈴ちゃんが足痛めてたみたいだから」
鈴ちゃんってなんだよ。
「そうなんだ~、下駄履いてたら足痛くなっちゃって~」
「おいおい~、すうもうちょっと考えろよ~」
「あははは」
三千路は頭をかく。
「あ」
櫻井が急に思い出したかのように、言う。
「そう言えば俺今待ち合わせしてんだけど、良かったら鈴ちゃんたちも一緒に行く?」
「え?」
櫻井が三千路に、そう打診した。
そんなことになれば帰る。間違いなく、絶対に帰る。赤石はそう決心した。
「ほら、まだ足とか痛そうだしさ。あ、良かったら俺がおぶってやろうか? こういう時ってやっぱり助け合いだろ? それに高校は違うけどやっぱり俺ら友達だからさ、一緒にいた方が楽しいだろ? 一緒に行動しね?」
櫻井と共に行動した後のことは、考えるまでもなく予想できた。
何かしらのトラブルを装い櫻井が三千路を連れ出し、結局赤石と須田の下に三千路は二度と帰って来ない。その予感が、いや、あるいは確信に近いものがあった。
赤石は半ば祈りに似た気持ちで、三千路を見る。
「あ~、高校合同夏祭りみたいな?」
気分上々に、三千路が言う。
止めろ。
「確かに面白そうかも」
そうなってしまえば、もう俺はお前を友達としては見れない。
「面白いこと考えるね~」
面白くなんて、ない。何も面白くなんて、ない。
「でも」
三千路は手元のうちわで口を隠した。
「やっぱいいわ~。私らは私らで行動しとく」
「……そっか」
櫻井は少しはかなげな表情で、そう言った。
「じゃあ統、悠、行こ?」
「おう、行くか」
「……」
三千路は赤石と須田の腕を持ち、引っ張った。
「ほら、早く! 行くぞ!」
「ちょ、待てよすう」
「……」
何気なく、赤石は後ろを振り返った。
「……」
「……っ」
今にも赤石に殴りかかって来そうな、真顔で赤石を睨みつける櫻井が、そこにいた。
櫻井は、自分が見下している赤石が女と行動することを、許さない。
櫻井は、自分が見下している赤石が自分よりもいい思いをすることを、許さない。
櫻井は、自分の思惑が上手くいかないことを、許さない。
だが、今回ばかりは何の脈略もなく三千路を強奪することは出来なかった。そして須田という、赤石にとって頼りになる人間がいたことが、櫻井を押しとどめた。
「すう」
ようやく赤石が、口を開いた。
「何? リンゴ飴食べたいとか?」
「や、じゃなくて」
軽口で対応する三千路とは対照的に、口が上手く回らない。
「あいつと一緒に行かなくて良かったのか?」
あいつと一緒に行かなくて、それは櫻井のことを好きになったんじゃないのか、と言外に示唆していた。一緒に回る、の一緒に、に俺たちは含まれていないんだろ、という皮肉でもあった。
「止めてよ悠、そういうこと言うの」
「……」
三千路は若干の怒気を含んだまま、言った。
「私があんたらより面白いやつ見つけるわけないじゃん?」
「……」
三千路はからからと笑う。
「それに櫻井? っていうの? あの人」
「ああ」
三千路が軽く赤石に向いた。
「あの人、いかにも悠が嫌いそうな人だし、それに私も好きじゃない。ちょっと気持ち悪いかな」
「そうかもなあ」
「…………そうか」
須田に続き、赤石は一言、そう呟いた。
「なんか俺たち最高なんだ、的な空気感止めてくれね?」
「はぁ!? ぶっ殺すぞてめぇ! 空気和ましたんだろうが!」
赤石は軽口を叩いた。
当たり前ながら、全ての女が櫻井を好きになる訳ではなかった。
赤石は最悪の状況を回避したことに、ほっと胸をなでおろした。




