第155話 夏祭りはお好きですか? 1
八月の上旬、日も傾き、空が赤く染まってきたころ、赤石は特に何をするわけでもなくベッドに寝転がっていた。
「もう、また悠はベッドで寝っ転がって!」
「ああ」
見下ろす須田を、一瞥した。
「今日は夏祭りの日だぞ!」
「そうだな」
「もう五時だぞ!」
「十七時か」
「そう! 七時じゃないぞ!」
「それくらい分かる」
赤石はいそいそと準備を始めた。
「悠って午後五時とかのこと十七時って言ったり、きちっとしてるよな」
「分かりづらいからな」
「花火二十時からだってよ」
「お前いきなり自分のスタイル崩すなよ」
外出する際に常に使用している鞄を、手に取った。
「悠っていっつも外出る時鞄持ってるよな」
「なんか落ち着かなくてな」
「分かるわ~」
須田は無手でぷらぷらと体を揺らす。
「お前何も持ってねぇじゃねえか」
「じゃあ俺も鞄持ってくか」
「それ俺のじゃねぇか!」
赤石の部屋の片隅に置いてあった鞄を、須田は片手で持ち上げた。
「なんかちっちゃくない?」
「お前がでかいんだよ」
「なるほどな!」
「そんな得心することでもねぇだろ」
赤石と須田は階段を下り始めた。
「すうもう会場着いたってな」
「ああ、俺もカオフ見たぞ」
「はやない?」
「どんだけあいつ夏祭り心待ちにしてたんだよ」
「元気だなあ、あいつは」
からからと、須田は男らしく笑う。
「夏祭り行くなんていつぶりだよ! なあ、悠!?」
「いや、丁度一年ぶりだろ。間違いなく一年ぶりだよ」
「今日雨って予報だったけど、なんとか晴れて良かったよなあ」
「ああ。でも夜から降るらしいぞ」
「夜ならまあ許す」
赤石と須田は靴を履き、階上へと向かった。
「でも俺ら今から歩いて行くんだよな? かなりすう待たせちゃわね?」
「まあ仕方ないな。あいつのことだから別に何もなくても何かしらで楽しんでるだろ」
「ってか、集合時間って十八時だよな? 別に俺ら全然遅くないよな?」
「いや、全くだな」
「俺らがすうん家まで迎えに行ったら良かったなあ」
「そうだな。まああいつの家遠いからな」
「そうだなあ……」
須田はからんころん、と下駄を鳴らしながら歩く。
「にしてもお前浴衣って、夏祭り満喫する気満々だな」
「悠はいつも通りジャージか」
「シルクハットでも被ってこればよかったな」
「夏祭りと合わなすぎでしょ」
大通りに入ったことで、赤石と須田の周りに、にわかに人が増えてくる。
「すげぇ人増えて来たな!」
「まあ夏祭りだからなあ」
「悠見てみろよ、周り」
赤石たちの周りを、男女や、友達同士だと思われる集団が徒党を組んで歩いていた。
「やっぱ夏祭りって恋人同士のイベント的なところあるんじゃないか」
「悠も絶対一人とかだと行かなさそうだしなあ」
「当り前だろ。俺は暑いのが嫌いなんだよ」
「俺は夏が好きだからなあ。良かったな! 好きなものが逆だとお互い補えるぜ!」
「お前滅茶苦茶ポジティブだな」
夏祭りの会場が近くなったことで、歩くのすら困難なほどの人の波に飲まれ始める。
「うわあああぁぁぁ! 悠、助けてくれええええぇ!」
「ちょっとちょっと、止めてくれよ、こんな公衆の面前で」
「公衆の面前じゃなかったら良いのか?」
「いや、それでも嫌だけど」
お互い人の波にもまれながら歩く。
「俺人多い所も嫌いなんだよな」
「それはなんとなく分かるわ。知らない人で押しつぶされる感じは嫌だよなあ」
「多分俺の嫌はお前の嫌とはちょっと違うと思うけど、まあそんなところだ」
「ちょ、たんま」
須田が片手をあげ、軽く立ち止まった。
「どうした、貧血か?」
「いや、ちょっと邪魔になるからあっち行こう」
人通りを避け、道の端に寄った。
「どうした、統」
「足が痛ぇ!」
須田は足をさすりながら言った。
「はぁ!?」
「いった! なにこれいった! めっちゃ親指と人差し指の間痛い!」
「下駄ってそういうもんだろ」
「ちょ! やべぇ! 誰か助けてくれ!」
「馬鹿だなあ、お前は」
はは、と赤石は笑いながら須田の回復を待った。
「お前、まえもブーツ履いて出かけたとき靴擦れした! とか言って諦めてたよな」
「歴史は繰り返す」
「いや、個人の人生で歴史を繰り返すなよ。学べよ」
「ブーツと下駄は違うだろぉ!」
「同じようなもんだろ……ったく」
赤石は鞄からサンダルを出した。
「ほら、これ使えよ」
「……!」
須田は輝いた目でサンダルを受け取る。
「さすが悠だぜ! なんでも出て来るな、その鞄!」
「薄々こうなると感づいてたからな」
「さっすが! 持つべきものは鞄だな!」
「いや、頼りになる俺だろ」
須田は受け取ったサンダルに履き替えた。
「でたらめに履きやすいぜ!」
「底抜けに馬鹿だなお前は」
赤石と須田はまた人の波に戻った。
「すうどこにいると思うよ?」
「さあ。人が密集してるところ来るとスマホ通じ辛くなるんだよな」
「あ~、分かる。通信状態悪くなるよな。電波やっぱ遮蔽されてんじゃね?」
「かもな」
赤石と須田は道の隅でスマホを触ってみるが、三千路からの返信はなかった。
「あいつ自分がどこいるかくらい言ってくれよな~」
「そうだな。まあ割と人目につくところにいるんじゃないか」
赤石と須田は三千路を探していた。
「あ~、あいつら遅すぎ!」
会場について数十分、三千路はいらいらと足を踏み鳴らしながら赤石たちを待っていた。
「本当遅い! 女待たせるってどんな神経してるわけ! 腹立つ腹空くちょこみるく!」
だんだんと足を踏み鳴らし、いらいらと呪詛を吐く。
十七時三四分。浴衣を着てめかしこんで来たにも関わらず待ちぼうけさせられているため、不安と苛立ちが同時に襲って来ていた。
「せっかくこんな訳分からん靴も履いてきたのに」
靴底の高い和柄の下駄をはいた三千路は、足元に目を向けた。数十分待ち続けたことで、足にもほんのわずかながら痛みがあった。
「こんななるんだったらあいつらの家で待ち合わせしたらよかった。あ~、腹立つ」
スマホに目を向けるが、電波の状況が悪く、ネットに繋がらない。
「やることね~」
三千路は屋台の方角へ目を向けた。夏祭り会場の入り口から少し外れた所にいるため、三千路が赤石たちを見つけ次第駆け寄る予定だった。
「……」
ネットに繋がることも期待して、三千路はスマホをいじり始めた。写真を漫然と見る。ネットに繋がらないことで赤石たちと落ち合えなくなるという恐怖が、ないこともなかった。
「……」
がさごそと、物音がした。少し気になり瞥見すると、一人の男が同じように人を待っていた。特に気にも留めずスマホに視線を落とす。ちょっと早く着きすぎちまったな……という独り言ちが聞こえる。
「……?」
男が、三千路に近づいてきた。自分に用があるとも思わず、若干後ずさりをしながら距離を測る。
「えっと……」
男が、三千路に話しかけた。視線をすぐさま向ける。
「大丈夫か?」
「……?」
男は、三千路の足を指さした。
普段履きなれない下駄をはいているため、足の親指と人差し指の間が赤く腫れていた。
「いや、夏祭りなんでまあ多少は……」
三千路はどもりながら、そう答えた。
「でも指腫れてるぞ?」
「ま、まあ……」
「痛くないのか?」
「ちょっと痛い……かも」
男が屈み、泥の上に膝をついた。
「汚れちゃうよ?」
「女の子が困ってるのに、汚れることなんて気にしてる場合じゃないだろ?」
にか、と男は三千路に笑いかけた。
「足、大丈夫か? おぶった方が良いか? あ、鼻緒が切れたり……」
櫻井その人が、真剣な眼差しで三千路の足元に目を向けていた。




