第144話 復讐はお好きですか? 1
夏休み前日――
「やあやあ悠人君、昨日はよく眠れたかな?」
「まあ」
朝早くに登校した赤石は霧島に絡まれていた。
「いやあ、明日から夏休みだねえ、赤石君。どうだい気分は?」
「上々」
「そいつはよかった」
ぱちぱち、と霧島は拍手をする。その後、赤石の耳元で囁いた。
「ところで悠人君、モテる理由はあれで合っていると思うかい?」
「……」
こくり、と頷いた。
モテ方が一つ限りという訳では絶対にない。だが、櫻井がモテている原因はそれで間違いないと、そう赤石は理解した。
「いやあ、そうかいそうかい。じゃあこれで僕も赤石君もモテることが出来るというわけだね!」
「……理論上は」
言う。
「ちょっと一人にさせてくれ」
「いいともいいとも」
霧島に断りを入れると、赤石は教室を出た。
当初、赤石が櫻井を見ている理由は櫻井がモテている理由を探るためだった。
どうしてあんな人間がモテているのか。モテている理由が分からない。そういう理由で、櫻井を見ていた。
だが、今は違う。どうしてあんな人間がモテているのか。その前提からして違った。あんな人間だからモテるのだ。
答えは、見つかった。櫻井がモテる理由も理解した。
もう赤石は櫻井に執着する理由はなかった。完全に消滅した。
だが。
胸の奥からどす黒い、風船のように膨れ上がった澱がぼこぼこと湧き上がって来る。
だが、それでいいのか。これでもう櫻井から距離を置くだけで良いのか。
ぼこぼこと、嫌な音を立てながら澱が膨らんでいく。
櫻井は自分の目の届かない所で、『ツウィーク』で自分を扱き下ろしていた。
櫻井から気持ちの悪い『カオフ』が長文で届いた。
櫻井はただひたすらに赤石を利用し、見下し、扱き下ろし続けて来た。自分がモテるための道具として赤石を利用し続けた。
こんなものはおかしい。クズほどモテるなんておかしい。自分がそのおかしさを、理不尽を正してやる。
そんな気概は、赤石にはさらさらない。
ただ単純に、道具として扱われ、扱き下ろされ、見下されたことに対する苛立ち。その嫌悪感は拭っても拭っても拭いきれない。櫻井に対する敵愾心はもはや無視できるようなレベルのものではない。
外を見る。
獰悪な顔をした赤石が、窓に映った。
復讐してやる。
血走った剣呑な目で、赤石は嗤った。
今までお前が俺にしてきたことをそのまま返してやる。お前がやって来たことを全てばらして、お前を解体して、お前らをバラバラにしてやる。そんな決意のこもった顔で、にたりと嗤った。
「俺は」
赤石は。
「櫻井のハーレムを解体してやる」
櫻井のハーレムを崩壊させることを誓った。
否。それだけではない。
それは、櫻井への復讐ですらないのかもしれない。
高梨をコケにし、完全に隅へと追いやった櫻井への復讐。そのせいか、登校する頻度も減った高梨のための、いわば弔い合戦か。
否。まだ違う。
もっとより深くにある。
復讐でもなんでもない、ただの私怨に基づく何か。
八谷が櫻井を慕っているというこの状況。自分を扱き下ろし、軽蔑している櫻井を八谷が好きだというイレギュラー。理解できない感情の渦。どうすることも出来ない自身の醜い感情。今まで沸き上がったことのない、理不尽への怒り。
お前の好きな櫻井はこんな人間なんだよ、良かったな、お前の大好きな櫻井がこんな人間で。良かったな、櫻井はお前のことをこんなにも思ってくれているよ。
そんなどうしようもない、赤石の中の悪。偽悪。私怨。怨恨。嫉妬。傲慢。
八谷にも分かって欲しい。そして。
全ての人間に櫻井の悪事をバラす。
俺は。
櫻井のハーレムを崩壊させる。
赤石は櫻井のハーレムを崩壊させることを強く誓った。
「じゃあ明日から夏休みだけどお前らハメ外すなよ~」
「「「「おーーーーーーーい!」」」」
「じゃあ解散! お前ら散れーーー!」
「「「「おっしゃあーーーーーーー!」」」」
夏休み前最後の授業が終わり、生徒たちはてんでんばらばらに走り出した。
「こらーーー! てめぇら言ったそばから走ってんじゃねぇ!」
神奈が生徒を叱咤する。
「明日から夏休みか……」
赤石もまた、ゆっくりと帰り始めた。
明日から夏休み。実感が全くわかなかった。特にこれといった予定もないな、と考え込む。
「赤石!」
八谷の声だった。赤石は振り向いた。
「赤石、今日一緒に帰るわよ」
「部活は?」
「ある」
「じゃあ無理じゃねぇか」
「夏休みの最後くらい待ってくれてもいいでしょ」
「……わかった。待つ」
赤石は八谷と帰ることを即断した。
「いや、あんたちょっとくらい考えて……え?」
「待つって」
「え、いいの?」
「ああ」
「あ、ありがと。じゃあ十七時くらいに終わると思うわ」
「分かった」
赤石は自席に鞄を降ろし、勉強道具を出した。
「じゃ、待ってるのよ」
「帰らねぇよ」
じゃあ、と言うと、八谷は教室を出た。
赤石自身、八谷への感情は複雑だった。八谷に対して好意を持つと同時に、櫻井を慕っている女だという嫌悪も持っていた。
自分自身どうすれば良いか分からない感情でいっぱいいっぱいだった。考えるようなスキすらも、全くなかった。
いまや、櫻井から完全に決別した高梨だけが、赤石にとって最も付き合いやすい人間になっていた。
須田はまだ櫻井とまともに話したことがない。
もし仮に統が櫻井と親友なんて間柄になれば……。
ブルブル、と体が震える。想像もしたくなかった。
自分の親友が嫌いな人間と仲良くして欲しくない。それはひどく自己中心的なものなのかもしれない。だが、赤石はその恐怖に打ち勝つことが出来なかった。自分を貶める櫻井と仲良くする人間と昵懇の付き合いを出来るほどの器は、赤石にはなかった。
十七時――
八谷が教室に入って来た。
「赤石~」
だが、そこには誰もいなかった。
「……」
辺りを見渡すが、鞄一つなかった。
「……そうよね」
はは、とため息を吐く。櫻井と赤石は仲が悪い。そんな櫻井のことを慕っていると放言した自分と仲良くする義理もないわよね、と八谷は自分を貶める。
八谷自身、自身の感情に区切りをつけることが出来なくなっていた。櫻井を好きだという気持ちと赤石とも一緒にいたいという気持ち。だが、櫻井が好きだという気持ちは本当なのか。赤石といたいという気持ちは本当なのか。櫻井の近くにいると辛いことが多い。どうしてなのか。
何も分からない。八谷には、何も分からない。
「……」
八谷も、どうすればいいのかもわからなくなっていた。好きな人に思いを寄せる女は沢山いる。それでも好きだという感情は動かせない。そして赤石というイレギュラー。
「いっぱいいっぱい……」
そう呟くと、とぼとぼと帰りだした。




