第133話 体育はお好きですか? 1
「おにぃーーーーーーーー!」
朝早く、櫻井の自宅で菜摘の騒がしい声が響いた。
「助けておにぃ、あれが! あれがいる!」
「なんだよ菜摘ぃ、俺今飯作ってんだから後にしてくれよ~」
フライパンを持ったまま、振り向くことなく櫻井は言う。
「ちょっと今はどうでもいいんだってご飯は! 料理馬鹿兄ぃ!」
「おいおい、なんて言い方だよ!」
櫻井はフライパンを置いた。
「おにぃ、あれが…………朝っぱらから私の嫌いなあれがいたの……。私もう怖くて……」
しくしくえーん、といかにも芝居がかった様子で菜摘は泣き真似をする。
「ああ、あれか。一人で何とかしてくれ~」
納得した櫻井は再びフライパンを取った。
「ちょっ、ちょっとおにぃ何興味なくしてんのさ! 母さんも父さんも二人で頑張って暮らしなさい、って言ってたじゃん!」
櫻井の家に住んでいるのは、櫻井と菜摘だけだった。
櫻井の母親はやり手の実業家で、世界中を旅しているため、滅多に家には帰ってこられない。父親も同じく名の知れた企業の代表取締役であり、櫻井は昔から妹と二人で暮らしてきた。
「ちょっと本当無理だから! 蜘蛛とか名前を口に出すのも嫌だし!」
「言ってんじゃねぇか!」
「やっちゃったああぁぁ! と、とにかくおにぃなんとかしてって!」
菜摘は櫻井の腕を掴み、引きずるようにして連れ出した。はぁ、と櫻井はまた笑いながらため息をついていた。
菜摘の問題を解決した櫻井は、軽く走りながら登校していた。
「恭子――!」
「え……なに?」
櫻井は前方にいる八谷に声をかけた。何故か速足で歩いている八谷の肩を掴んだ。
「はぁ、はぁ、恭子速ぇよ……やっぱ恭子脚長ぇから捕まえるの一苦労だったぞ」
「あ、あははははは、悪かったわね」
八谷は歩調を著しく落とし、櫻井に合わせた。その瞬間を見計らったように、続々と櫻井の取り巻きが集まって来る。
「聡助、好きーーー!」
「櫻井君、おはよう」
水城と新井が櫻井に近づき、新井が櫻井に背後から抱きつく。八谷はそんな三人と同様に櫻井の取り巻きをこなしながら、遥かな前方を見ていた。
「おっす、おら須田!」
「知ってる」
櫻井のハーレムが展開されている前方で、赤石が須田と登校していた。
「登校中に赤石悠人を見つけて驚いていたんだ! まさかこんなところで出くわすなんて……!」
「あるあるだろ」
「それに、あいつ大変なことを隠してたんだ……まさかあいつが……」
「何も隠してないぞ」
「次回、赤石の秘められたる能力! 来週もお楽しみに!」
「アニメの次回予告風なの止めろ」
自転車を押して歩く須田と並んで、赤石は半眼で見た。
「いやぁ、今日も絶好調ですな、赤石先生」
「そうか」
赤石は須田を適当にいなす。
「おっす、おら須田!」
「また始まった」
「…………」
「……?」
須田は真剣な眼差しで、赤石を見た。
「悠、なんか今日元気ないな?」
「ん」
赤石はほんの少し目を見開く。
「そうか。普通なつもりだったんだけどな」
「いや、俺には分かるね。かれこれ七日間の付き合いだしな」
「付き合いの短さが蝉の生涯」
「どういう言い方だよ!」
須田は赤石を軽く叩く。
「で、どうしたよ、悠」
「いや……」
また真剣な顔をして、須田は赤石に訊く。
「昨日カニ食べてたんだけど食べてる時間より殻むいてる時間の方が長くてな。お前どんだけ食わせる気ねぇんだよ! ……って……」
「…………夏にカニ?」
「……まあ」
言葉の最中で、赤石は急にしおらしくする。
「そうか、そうか」
分かったように須田はにこりと笑った。
「まあ、言いたくなったら言えや」
「…………ああ」
赤石の気持ちを察したようにして、背中を叩く。
「ところで悠、今日の髪の毛すげぇはねてんぞ」
「そうか。まあどうでもいいだろ」
赤石はぴょこぴょことはねている髪を軽くつまんでみた。
「いや、良くないね! 年頃の高校生がそんなの駄目よ!」
「急なお母さん感」
「誰がお母さんじゃ、っしゃんだらぁ!」
「突然のぶちぎれ」
忙しくする須田をいつものように見る。
「わしゃぁこういうのが一番許せんのじゃ」
「ちょっとなんだよ、さっきからその広島弁っぽいの」
「高校生なら髪くらいちゃんとせえ!」
「いや、面倒くさかったし……」
「だから悠君はモテないのよ!」
「確かに。まあ、毛先遊ばせてるってことで」
「オッケー!」
「突然の理解の良さ」
ポンポンと進むやり取りを楽しみながら、赤石は教室に辿り着いた。
「じゃあ悠、また…………五年後に成長して会おうな!」
教室の前で須田は拳を出した。
「いや、勇者パーティーの解散みたいなの止めろ」
赤石はぺちぺちと須田の拳を叩き、挨拶代わりに手をあげ、教室に入った。教室ではいつものように生徒たちが談笑していた。
赤石を見ても何か反応を示す人間はいない。
打ち上げを境に、赤石に嫌悪感を示す人間と、好感的に見る人間とで二分された。櫻井に好意を示す人間に多くは赤石に対して敵意を持っていた。
以前のように赤石が極度に避けられる様子は、教室の中では残っていなかった。
「あーかーいーしーくん!」
とんとん、と楽し気なリズムで霧島が赤石の席の前にやって来た。椅子を適当に引っ張り出し、座る。
「誰だよ」
「いやひどいなぁ、赤石君は。僕だよ、僕。きーりーしーま!」
「思い出した」
「え、これ毎回言われる感じ?」
霧島は一つ頷いた。
「ところで鹿脛君は」
「いや、だから誰だよ鹿脛は。高梨がたまに言うやつだろ」
「はあ……」
赤石の肩に手をやり、やれやれ、という風に霧島は首を振る。
「…………ふっ」
「なんかうざ」
赤石を見ると、霧島は鼻で笑った。
「まあそんな取り留めもない談義に華を咲かせに来たわけじゃあないんだよ、僕は」
霧島は本題を切り出した。
「赤石君、モテたくないかい?」
「…………?」
赤石は小首をかしげる。
「僕たち、非モテ同盟を築こうじゃないか」
霧島は声高々に、そう言った。




