第132話 日常はお好きですか? 7
「疲れた」
自室に戻って来た赤石は荷物を降ろし、どさ、とその場に倒れこんだ。
「……」
無言でスマホを見る。櫻井と楽し気に笑う八谷を置いて、一人で帰って来た。櫻井と一緒に帰るくらいなら一人で帰った方がましだと思い、八谷を置いてきた。心残りは、一切なかった。
スマホの電源を付ける。
「……?」
カオフの通知が、五件あった。カオフを開き、見てみる。
八谷からか、と思いアプリを立ち上げると――
「うわっ…………!」
カオフを開いた赤石が最初に見た五件の通知は、全て櫻井からのものだった。
今まで一度とて連絡を交わしたことがない櫻井から突然の五件の通知。
連絡先を交換していないことから、赤石の属しているクラスグループからアカウントを見つけ出してきたんだろうな、と推測できる。
戦々恐々、中を見てみると――
『赤石、お前のことで話がある。
お前今日恭子と一緒に来て一人で帰ったらしいな。用件だけ伝える。お前は速攻恭子から手を引け。
俺は恭子のこととお前のことを思って言ってる。お前自身が自分で悪いと思ってちゃんと自分の身を正せ。ちゃんと人に胸張って生きれるような生活がして欲しくて言ってる。
お前最近随分恭子と仲良くしてるな。恭子がお前のこと思ってやってるってちゃんと知ってんのかよ。お前恭子に負担ばっかかけて勝手にして、恥ずかしくないのかよ。お前が俺のことをどう思っててもいいよ。でもな、恭子だけは困らせるな。お前は自分のしてることちゃんと分かってんのかよ。恭子の優しさにつけこんで恭子を困らせて、傷つけて、お前本当ふざけんなよ。恭子の気持ち考えたことあんのかよ。いつもいつもお前は自分勝手なことばっかしてんなよ。
お前がどう思っててもいいけどな、ちゃんと最後まで読めよ。
今のお前の状況、他の皆から見たらどういう風に見えてるか分かるか? 他人に優しい恭子がお前みたいなクズに捕まって嫌がらせ受けてるって状態だぞ。お前自分自身でもちょっとは自覚あるんじゃねぇのか? 文化祭の時だってそうだっただろ。お前は人の言う事も聞かねぇでいつも自分勝手なんだよ。ちょっとは皆のことを考えよう、とか人の為になることをしよう、とか恭子を困らせないようにしよう、とか思えよ。だからお前は駄目なんだよ。俺は絶対に恭子に嫌な思いなんてさせねぇ。俺なら恭子のこと絶対守ってやれる。
聞いたよお前、一緒に今日来たって。それも恭子が全然好きじゃない本屋ばっか回ってたらしいじゃねぇか。ちょっとは恭子が行きたい所も行けよ。何自分が行きたい所ばっかり行ってんだよ。恭子がお前なんかと一緒に行ってやってんだぞ。お前はもうちょっと恭子の喜ぶところに行ってやろう、とかねぇのかよ。お前恭子に失礼なことだって分かってんのか? あいつのこと何だと思ってんだよ。お前にとってただ都合の良いだけの女じゃねぇんだぞ。女の子なんだぞ。男が守ってやるのが女の子だろうが。ふざけんなよお前、恭子のことないがしろにしやがって。お前恭子のこと洗脳してるらしいな? 道理で最近おかしいと思ったんだよ。恭子が平田にいじめられてたのもお前の差し金だろ? 俺聞いたんだよ、お前があれを引き起こしたってな。俺はお前がどうなっても別にどうでもいいけどな、恭子がお前のせいでどうにかなっちまうことだけはどうしても我慢なんねぇんだよ。お前のせいで恭子がおかしくなったんだろ。おかしいと思ったんだよ。お前のせいでどんどん恭子が落ち込んでんだよ。分かってんのか? 分かってやってんだろ。だから今日みたいなひどいこと出来るんだよな、お前。恭子以外の誰と何してようが俺には何も関係ないけどな、恭子は俺の大切な仲間で皆もそう思ってんだよ。
お前見たか、恭子の表情。あんな恭子の嫌がってる表情見たことねぇよ。俺なら恭子にあんな顔絶対させねぇ。まあお前は勝手に一人で帰ったから何も見てねぇだろうけどな。
お前に関わるようになってから恭子はロクな目に遭ってねぇよ。てめぇの自己中な理由で恭子を洗脳してぇんなら金で女でも買っとけよ。ただお前なんか誰も愛さねぇだろうけどな。恭子にも同じようなことして洗脳したんだろ? 俺は絶対にお前を許さねぇ。てめぇのやってることは外道、クズだ。今すぐ恭子を解放しろ。
俺は絶対に諦めねぇ、恭子が解放されるまで死んだって死にきれねぇ。
用件だけ簡単に伝える。お前はもう二度と恭子と接触するな。話しかけることも許さねぇ。俺が恭子の洗脳を解く。俺がお前の洗脳を解いてやる。覚悟してろ。
今すぐお前が恭子から手を引くっていうんだったらクラスの中でのお前の立場も保障してやるよ。精々お前が生きれるくらいの環境は整えてやるよ。でもお前が恭子から手を引かねぇって言うなら俺だって容赦しねぇからな。全面的にお前に敵対する。お前と恭子の今の状況、本当に分かってるのか? 周りから見たお前らがどういう状態なのか、分かってんのか? 女を守るのが男の仕事だろうが。お前男らしくねぇんだよ。俺なら絶対にお前みたいなことはしない。俺は絶対に恭子のことを幸せにしてやれる。
恭子はお前とつるんでることが楽しいなんて言うやつじゃ絶対ないし、恭子がお前なんかに洗脳されてること自体おかしい。男なら女を守れるような人間になれよ。
恭子が皆からどんな目で見られてるのか分かってんのか? 分かってる訳ねぇよな。そりゃ当たり前だよな、お前が洗脳してんだから。俺たちは絶対に恭子を離さねぇ。恭子は皆から好かれてそんな恭子がお前みたいなクズの近くにいるのが許せねぇ。お前さっさと恭子から手を引けよ。
逃げんじゃねぇぞ。今なら手遅れじゃねぇ。恭子を解放しろ。
恭子を解放しねぇなら分かってるな。俺たちは皆恭子の仲間だ。お前みたいなやつに仲間なんていねぇんだよ。お前は等身大の生活送ってろ。二度と恭子にも俺たちにも関わるな。
俺はお前のためを思って言ってやってるんだからな。いわれのない理由でこんなこと言われてるとか思うなよ。』
「きも」
赤石は即座にカオフを閉じた。
狂いに狂った何かが、そこにはあった。
わざわざ五回にも分けて返信を送って来た辺りに、櫻井の悪辣さがにじみ出ているようだった。
「なんなんだよあいつ……気色悪い」
赤石はもう一度櫻井の文章を読み返すだけの気力がなかった。
読もうとするたびに、吐き気が催す。
赤石は余人に救いを求めない。何かを一人で解決しようとする心持ちで、他者に相談するような人間ではなかった。
それを見越したうえで櫻井はこんな気色の悪い長文メールを送って来た。即座に得心が言った。
誰にもその情報を漏らさない人間であることが第一の条件何だろうな、と赤石はうすらと思った。
あたかも赤石自身が八谷を洗脳したかのように決めつける。それも自分の耳で聞き、目で見たものでもなく、誰かの告げ口で。赤石の言葉を聞くこともなくその人間の言葉を受け入れ、糾弾する。
誰かしら第三者が赤石の行いを櫻井に耳打ちし、義憤にかられた櫻井が持ち前の正義心を発揮し、長文を送る。
その櫻井の行為が他者に漏れ出ることのないよう、誰かに相談しないであろう赤石を標的とし、最悪誰かにその真実が漏れ出たとしても八谷を守るためだった、俺は何も悪くない、というスタンスが取れるように、告げ口をしたであろう人間を盾に取る。
『お前が俺のことをどう思っててもいいよ。でもな、恭子だけは困らせるな』
文面を見るたびに、櫻井に心の奥底に潜むどす黒い気質が現れる。
「気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い」
俺はどれだけ傷ついても良い。でも恭子を傷つけることは許さない。
「正義のヒーロー気取りかよ」
自分が正しいと信じて取り合わない。自分がどれだけ傷ついても恭子だけは守る。まるで得体のしれない狂気が、櫻井にはあった。
赤石のためを思って言ってやってるという、あくまで自分は悪くない、という立場を貫こうとする言葉にも、赤石は酷く嫌悪した。
「頼んでねぇよ」
お前のためを思って言ってやってる。
「全部自分のためだろうが」
女を助ける俺は正義で、お前は絶対的に悪だ。お前はただ俺に膝をついてろ。
櫻井の心算が透けて見えた。
「いや……」
赤石は考える。
そんなものは何も関係なかったのかもしれない。
櫻井にとって櫻井の周りの女をかすめ取っていく男は等しく悪であり、ただ赤石を指弾出来るだけの材料が欲しかっただけなのかもしれない。
「クソが……」
呪詛を呟く。だが、赤石は今回の事態を誰にも相談する気はない。自分の身に起きた出来事なのだから自分で処理するしかないと、そう思った。
余人を巻き込むわけにはいかない。
俺は正義。お前は悪だ。
お前が悪だという証拠は揃っている。
お前が潔く俺に屈するならお前の地位だけは保障してやる。
今すぐ八谷を解放しろ。
咀嚼するだけで吐き気がする。
あたかも善人を気取って赤石を非難するその姿勢に。
赤石の言葉には耳も貸さず第三者の声にだけ耳を貸す自己中心さに。
「てめぇは八谷を助けるヒーローってわけかよ」
お前が八谷の何を知ってんだよ。
吐き捨てるように、そう言う。
お前は俺を非難できるくらい八谷のことを知ってんのかよ。八谷が何を考えてるのかお見通しってわけかよ。
調子に乗ってんじゃねぇよ。悪人はお前だろうが。
自分の義憤に酔って他者を扱き下ろしてんじゃねぇよ。
お前はいつも自分が正しいと思い込んで自分に反発する人間が間違いだと思い込んで。
そういう姿勢が。
「偽善者が」
一番嫌いなんだよ。
赤石は投げやりに返信した。
「知るか。八谷に聞けよ。お前は八谷の事なんでも知ってんだろ。ならお前が直接八谷に話せよ」
そう返した。
あくまで八谷に送る訳でもなく自分に送って来た。その卑怯な手段にも、うすら寒い嫌気がさす。
「クズが……」
櫻井から言葉は返ってこなかった。




