第128話 日常はお好きですか? 3
放課後――
授業内容の疑問点について先生に質問をしていた赤石は少しばかり帰宅が遅くなっていた。
トントン、と教科書を揃え、他に誰もいない教室を後にしようと席を立った。
「赤石!」
「……?」
直後、赤石に声がかけられた。
顔を向けると、牙をむくようにはあはあと肩で息をする八谷が、そこにいた。野生児の八谷とはこのことか、と八谷の通り名を懐かしく思いながら、歩き出した。
「何歩き出してんのよ、待ちなさいよ!」
「何も言ってないだろうが」
鞄を引っ張る八谷の膂力に負け、少したたらを踏む。赤石は八谷に向き直った。
「私も今から帰るのよ、待ちなさい」
「そうか」
八谷は教室を出ると、数分で戻って来た。赤石はまた自席に戻り、ぺらぺらと古文の単語帳をめくっていた。
「あんたいつも何か読んでるわね。何もしない時間があってもいいとか思わないわけ?」
「受験生なんだから仕方ないだろ」
単語帳を鞄に放り込み、赤石は立ち上がった。
「あ~あ、本当嫌ねそういう性格。無駄な時間を過ごしたくないんだ俺は、みたいなそういうすかした態度。本当あんた嫌な奴ね」
「お前よりましだよ」
「はぁ!?」
横目で睨みつける赤石をよそに、教室を出る。
「待ちなさいって!」
赤石と八谷は共に、学校を出た。
「そういえばお前放送部は」
校門を出た赤石は校舎を振り返りながら、言った。
「今日はもう終わったわよ」
こともなげに、八谷は言う。まだ校舎では部活動に勤しむ生徒たちが多数いた。相も変わらず部活としての形を保っているのか謎だな、と心中で悪態をつく。と同時に、八谷が一人でいる状況を不審に思った。
「お前櫻井は?」
「聡助は先に帰ったわよ」
「なんでお前も帰らなかったんだよ」
「わ、私はちょっとやることがあったのよ! あんたには関係ないでしょ!」
威嚇するように、八谷は言う。それもそうだな、と肯定した赤石は興味を失った。
「そういえば赤石」
「……?」
道の小石を蹴りながら、なんともない風に、八谷が言った。
「あんた高梨さんに告白……された?」
小石をが川辺に落ちる。八谷は立ち止まった。
またこの話か、と赤石は少々辟易とした気持ちになった。
「されてるわけないだろ」
「そう……」
「なんでだよ」
赤石は半眼で八谷を問いただす。
「い、いや、何かそうじゃないかな、って思っただけよ!」
あははははは、と笑い飛ばし、小刻みに揺れながら八谷は速足で歩く。
嘘の下手な女だな、と思った。質問が直球すぎる。詮索されることすら考えていない、余りにも無法な質問。人の悪意に触れて来なかったんだろうか、と少々八谷の行く末を心配する。
「高梨が俺に告白しようとしてる、って話だろ」
「え……」
八谷は、立ち止まった。赤石は八谷の隣まで歩いて行く。
「聞いたよ、その話」
「どこから……まさかもう告白されて……」
「だからされてないって言ってるだろ」
青ざめた顔をする八谷に少々苛立つ。あまり自分らしくないな、と思いながら話を続ける。
「櫻井から聞いたんだよ、高梨が俺に告白しようとしてるって」
「聡助から……」
八谷は気まずい顔をし、目線を下げる。何もない空間を横目で見た。申し訳なさと不安の入り混じった感情。櫻井が好きだと言っておきながら櫻井に良い感情を抱いていないだろう自分と共に歩いている。友達と別の友達の仲が悪いかのような、漠然とした気まずさに似たものがあるんだろうな、と察しが付く。
「じゃ、じゃあ仮によ!」
話を変える意味もこめて、八谷は大声で言った。
「仮に高梨さんに告白されたらあんたどうするわけ?」
「……」
詰め寄って来た八谷の質問に、真剣に考えてみる。
高梨が仮に自分に告白してきたとしたら、どうするのか。
「……」
「な、何よ。早く言いなさいよ」
「…………」
考える。一体自分はどうするのだろうか。
「……」
「早く!」
「うるさい」
せかす八谷をよそに考える。
「……」
が、答えは導かれなかった。
「駄目だ、分からん。櫻井の正妻を名乗る高梨に告白される未来が遠すぎて想像できない」
「な、に、よ……」
赤石は少々複雑な気持ちを抱えたまま、言った。いつも自分はそうだ。いつもいつも高梨に対してはまともな結論を出せずにいる。放置放任保留。高梨に対してだけは自分の気持ちが定まらない。
「でも高梨さんがあんたに告白するかもしれないのは事実よね?」
「くどいな……」
高梨に話を執拗に訊いてくる八谷に嫌気がさす。何故だか、高梨の話をあまりフラれたくないという心地悪さがあった。
「あいつがそんなことするわけないだろ。どうせまたいつもの虚言癖だろ。高梨の言う事を全部真に受けてたら困ることになる」
「それもそう……よね」
八谷は納得したように、引き下がった。
「でも高梨さん、最近学校来てないわよね」
「…………そうだな」
二人は小声で呟いた。
高梨は文化祭を境に、段々と学校に来なくなっていた。
「病気……なのかしらね」
「どうだろうな。あいつ頭いいし受験だから学校の授業なんて受けてられねぇ、って思ってるのかも分からないけどな。いい大学行くのか或いはまた別の何かなのか……」
高梨を追想する。一体どういう理由で学校を休みがちになったのか。
「でも……」
赤石は口を開いた。
「お前らは高梨がいなくなっても高梨に何もしないんだな」
「…………何よ」
悪意のこもった口ぶりで、言った。
お前らは高梨がいなくなろうがどうなろうがどうでもいいんだな。どうせ仲が良い訳でもない仲良しごっこの集まりだもんな、という言外の意味をこめて。
「あんた、嫌な言い方するわね……」
「……」
八谷は俯いた。
赤石は八谷を見る。
「…………」
何も、言えなかった。
後悔はしていない。だが、いい気分にもならない。悪意を吐き出したのにもかかわらず、自分の心の奥で鉛のような、重い何かが渦巻いている。
「…………」
「…………」
二人は無言のまま、駅に着いた。




