第123話 霧島尚斗はお好きですか? 1
六月下旬――
夏休みまで、残すところ一ヶ月を切った。
「早く夏休み来ねぇかなぁ、本当さ~」
「分かる~。もう文化祭終わったしさっさと夏休みなって欲しいわ~」
「こら君たち、遊ぶことばかり考えていてはいけないぞ。受験生たるもの夏休みは勉強して一日を過ごすべきだ!」
「んなこと言ってお前結構成績下位じゃねぇか」
「な、そ、そんなことを言うのはやめたまえ君たち!」
赤石は廊下を歩きながら、和気あいあいと雑談に興じる生徒たちを見ていた。それぞれが楽しそうに笑い、来たるべき夏休みを楽しみに待っている。
夏休みは何をしようか、となんとなしに思考をめぐらせながら、自分のクラスに到着した。
「……」
ドアの前で立ち止まる。
「でさ~、告ったら、私アイキッスのユウトが好きだから付き合えないの、ごめん! って言われてさぁ。いや、そんな理由で断られんのかよ! って思っちまったわ~」
「マジか~、それは災難だったなあ。じゃあユウトっぽい髪形にしてみたらいんでね?」
「いや、この顔じゃああはならないだろ」
「「だよな~~~」」
「なんでだよ!」
廊下と同じく、教室の中でも話し合い、呵々大笑の声が聞こえる。
「なんか、あ~しちょっと前告白されてさぁ~」
「えぇマジ~、マジぱねぇんだけど」
「でもあ~しのタイプじゃなかったからフッてやったし」
「嘘マジ、クソウケるんだけど! トモ本当鬼ぃ~」
「まぁつり合いとか取れてなかったしぃ~」
赤石は意を決して、扉に手をかけた。
ガラガラガラ、と扉を開け、教室の中に入る。何か自分が注目されるようなことをした後にクラスに入るのはいつも嫌な気分だな、と苦虫をかみつぶしたような顔をする。
「……で、さぁ~アイキッスの~……」
「お、おぉ~……」
「あ~し、どう思う?」
「え、っと、そうだね」
「バナナとか……か……」
「足滑らせたり……?」
多少どもるクラスメイトもいたが、以前の時のように明確にクラスが静まり返ることは、なかった。
「超回復だなぁ~」
「本当それ」
ある一人のクラスメイトの呵々大笑を皮切りに、即座にクラスは先刻のにぎにぎしさを取り戻す。
赤石に向けられた視線は敵意や悪意の類ではなく、畏怖や無関心だった。
文化祭を期に、赤石に対する明確な敵意は減ったが、赤石に近づこうとする者は依然として少なかった。どこか距離を置き、それぞれが赤石をむやみやたらに刺激するようなことはなくなった。
先日の件は一体他のクラスメイトにはどう映っていたのだろうか。赤石は極端に静まり返ることのなかった状況に幾分か胸をなでおろし、自席についた。
教科書を取り出し、机の中に入れる。
「……」
ふと、高梨が視界の中に入った。斜向かいにいる高梨は一人で手帳を睨み、険しい顔をしていた。
高梨はもう櫻井の取り巻きには戻れないのかもしれないな。
一つになって固まっている取り巻きと一人で席についている高梨を見比べ、思う。櫻井はそこにおらず、例によって取り巻きたちはしん、と静まり返り、誰も口を開いていなかった。携帯をいじる新井、手鏡で前髪を整える葉月、もぞもぞとバツの悪そうな八谷。
相変わらず櫻井がいないあいつらは全く仲が良くないんだな、と漫然と思う。
赤石は立ち上がり、高梨の席に赴いた。
「高梨」
「あら、鹿脛くんじゃない」
「誰だよ」
赤石を認識した高梨は即座に手帳をしまい、楚々とした顔で赤石と向き合った。高梨の準備が出来た後、赤石は口を開いた。
「高梨、なんで昨日打ち上げ来なかったんだ?」
赤石は高梨が打ち上げに来なかったことに対して、疑問を持っていた。
「あら、あなたに関係あるのかしら」
「いや、全く」
存外つれない高梨の態度にいささか訝しいものを感じる。
「でも気になるだろ、なんで来なかったのか」
櫻井の取り巻きに戻れていないから来なかった。どうにも、そんな単純すぎる理由ではないような気がした。そもそも、そんなことで高梨が手を引くような人間だと思わなかった。
「別に……」
高梨は鞄の中をあさり、赤石から視線を離しながら言う。
「つれないな。もうちょっと親し気にしてくれてもいいだろ」
「何よあなた、突然」
「お前が前自発的に動けって言ってたんだろ」
自分から動け。
高梨の言葉。少しずつではあるが、赤石は自発的に行動しようと心がけていた。少なくとも高梨に話しかけたことも打ち上げに行ってみたことも、それを意識したものであると赤石は自認している。
もっとも、打ち上げは行かなくても良かったけどな、と思いながら。
「そう……ね」
高梨は遠くを見た。
「でも赤石君、私は難攻不落の完璧美少女よ。あなたに落とせるかしら」
「自分で言うな。落とす気なんてない」
ふふ、と高梨は苦笑する。
「で、どうしてなのか教えてくれよ」
「……」
再度尋ねてみるが、高梨は苦々しい顔をしただけだった。
「ごめんなさい、あまり思い出したくないの。これ以上訊かないでもらえると助かるわ」
「…………そうか」
高梨が切に願っているかのような表情をしたため、赤石は引き下がる。嫌そうな顔をする高梨をこれ以上追及するには、良心の呵責がありすぎた。
「悪かった。もう訊かない。じゃ」
赤石は高梨の席を離れ、廊下へと足を向けた。
「あら、そっちは廊下よ。赤石君、あなた頭がおかしくなったの?」
「なんでだよ。トイレ」
赤石は呆れた顔で高梨に返答する。
「じゃあ私の分もついでに済ましてきてちょうだい」
「分かった」
赤石は振り返らず適当に返事をし、トイレへと向かった。
「…………」
八谷は親し気に話す赤石と高梨を、見ていた。
口を尖らせ、渋面を隠さずに、見ていた。
「……」
赤石はトイレへと向かいながら、ふと視線を遠くにやった。
「……っ」
前方には、櫻井がいた。このまま行くと間違いなく櫻井とすれ違うな、と理解しながらも、足を止めなかった。
「……」
「……」
赤石と櫻井の距離は段々と縮まり、
「……」
「……」
すれ違った。
赤石も櫻井も無言で、挨拶をすることもなく、まるで他人同士であるかのように、すれ違った。赤石も櫻井も、互いに相手の顔に視線を向けないよう、意識的に無意識を演じた。
「……」
赤石と櫻井は、完全に決別した。




