第112話 文化祭はお好きですか? 6
「皆~、恭子見つかったぞ~!」
櫻井が大声で、体育館にいた二組の演劇班に声をかけた。
「ちょっと遅いよ聡助~、恭子っち~!」
「恭子ちゃん、何かあったの?」
「遅いよぉ、櫻井くぅん!」
櫻井の取り巻きが続々と集まり、八谷に声をかける。
「ちょっとね、トイレ行ってたりしてたのよ。ごめんね、皆。でもこれからはもう大丈夫よ! さ、早く演劇のリハーサルしましょ!」
「いやぁ、わりぃな皆! ごめん、俺も遅くなっちまって! じゃあ俺もリハーサルやるわ!」
櫻井は八谷の手を持ったまま、リハーサルに入り込んだ。櫻井に連れ込まれるようにして、八谷もリハーサルに入る。
「でも聡助の演技完璧だったし、そこまでやることないかな~」
「ほら、皆早くリハーサル再開しよ? もう時間ないよ! 恭子ちゃんも遅いよ!」
焦りながら、水城は櫻井たちの背中を押した。主演の水城と櫻井は早速、リハーサルに入った。
赤石は八谷を見送った後、教室に戻り、自席に座っていた。
「……」
英語の単語帳をぺらぺらと、無心でめくっていた。
赤石が八谷に声をかける大きな要因となったのが、演劇のリハーサルだった。
リハーサルがすぐ後に迫っているから。早く八谷と仲を戻さないと、リハーサルに支障が出てしまうから。話を終わらせないと八谷が動きそうにないから。
赤石が八谷と話をつけるため、最後に赤石の背中を押したのは、リハーサルという外的要因だった。
リハーサルが迫っているから仕方がない。自分の行為は八谷のためではなく、リハーサルのためである。そんな免罪符を、言い訳を自分で自分に言い聞かせながら。
「……」
仕方がなかった。ああすることしか、出来なかった。
赤石はそれでも、何かに背中を押される必要があった。
「いやぁ~、聡助の演技本当完璧だったし!」
「櫻井君、演技上手だったね」
「ふええぇぇぇ、私もヒロインやりたかったのにぃ!」
無心で英単語帳をめくり続けていた赤石の耳に、櫻井たちの声が飛び込んで来た。
「これだけリハーサル出来たら完璧だよね?」
「まぁ本番で緊張しなかったら大丈夫だろうなぁ~」
櫻井が生半な返事をしながら、ドアを開けた。
「あ」
「……」
櫻井と赤石の視線が交錯する。刹那、時間が止まったかのように櫻井と赤石が互いを見る。これから抗戦するかのように、相手を牽制するかのように。
何故お前がいるんだ。
そう言われているような、気がした。
「どうしたの、櫻井君?」
一瞬立ち止まった櫻井のわきから、水城がひょこ、と首を出した。
「あれ、赤石君?」
「あ……そうそう、赤石だな!」
水城の反応を皮切りに、櫻井は声を上げ、教室へと入って来た。続々と演劇班が教室に入って来る。
「あぁ~、緊張するし~!」
「うみゅう…………私ちゃんと出来るかなぁ、櫻井君?」
葉月が潤んだ瞳で櫻井を見上げ、体を寄せる。
「お前なら出来るって! 今までやってきた練習を信じろよ」
櫻井は目をすがめ、葉月の頭に手を置いた。
「大丈夫、冬華なら出来る。今まで頑張って来ただろ?」
「え……えへへぇ……」
葉月は緩んだ顔で、櫻井に身体を預けた。
「ちょ、ちょっととーか、聡助とくっつきすぎだし! 聡助もとーかに優しすぎだし!」
「ちょ、由紀! 止めろって教室なんかで!」
葉月と櫻井の間に新井が割って入り、櫻井に抱擁する。いつものハーレムが形成される。
赤石が脚本の変更用紙を届けに行った時は練習も全くしていなかったのにも関わらず、今まで頑張って来たとはなんとも櫻井らしい言葉だな、と赤石は櫻井の築くハーレムを見る。
女が喜ぶ言葉を知っている。
そう表現するにふさわしい一幕だった。
「赤石!」
櫻井の築くハーレムを横目で見ている中、八谷がハーレムの中からのしのしと歩いてきた。
「赤石、赤石、返事!」
「はい」
八谷は赤石の机にバンバンと手をついた。
「返事しなさいよ」
「そうだな」
「うん……」
まだぎくしゃくとした、元の関係に戻ったとは言い難い関係。それでも、八谷は赤石との仲を戻したと、そう考えた。
「今日は文化祭一日目ね、赤石」
「そうだな」
リハーサルより以前に自分と会っていたことは隠すべきなのか否か。
赤石は八谷とリハーサルの最中に会っていたことを第三者に知られたくなかった。何より櫻井に知られたときに何か痛いしっぺ返しが来るんじゃないかと、肝を冷やしていた。
「今日は文化祭一日目ね、赤石!」
「さっき聞いたぞ」
八谷は目を閉じたまま、くるくると宙で人差し指を旋回させる。何か話す話題がなかったのに話に来たんだな、と理解する。
また時間が空けば、また距離も空いてしまうんじゃないか。そんな気分は、赤石にもあった。
「おーーい、赤石!」
「あ、そうす……け」
八谷が話に来た直後、櫻井が赤石に向かって歩みを進めた。櫻井に付き従い、取り巻きもやって来る。
相も変わらず自分と女を二人きりで話させようとはしないやつだな、と半眼で睥睨する。
「おい赤石、お前今日は来るの早いな! 何かあったのか?」
「何か……」
「……」
赤石は八谷を見る。八谷もまた、赤石を見る。秘密にするべきか、公開するべきか。
「……」
生唾を飲み込む。八谷は何も、言わなかった。
公開するか否かは任せる、と言外に伝わった。
赤石は口を開いた。
「いや、今日は俺の友達が電車で来てたからだ。友達の展示が朝早くにあるから俺もついでに一緒に来ただけだ」
嘘ではないが、真実の全てではない返答。
「へぇ~、赤石にも友達がいたんだな~」
「……そうだな」
あはは、と櫻井は笑う。
ごく自然に、何の悪意も含まれていないかのように、嗤う。
赤石にも友達がいたんだな~。
常日頃、櫻井は自分のことを蔑み、下等な人間だと思っていたということか。
笑い話にして悪意がないかのように、からかっているかのように見えるが、そうではない。その実、櫻井の奥底に潜むものは、赤石への嫌悪感、軽蔑、優越感。
他者を蔑むことによって自身が力あるものかのように振るう愚かしさ。そのあくどいやり口を悟られないように、笑い、嗤い、都合の良いように自身の悪感情を隠蔽する。
赤石君をからかって、櫻井君はお茶目だなぁ。
櫻井の取り巻きには、そういう風に見えているんだろう。
今まで漠然と感じていた、櫻井への嫌悪感。自分は櫻井に馬鹿にされている。
その実感が、形を伴って顕現した気がした。
「赤石君、元気?」
「……まあ」
水城がひょこ、と赤石の机から顔を出した。
赤石君、元気?
長い間話をしていなかった人間に送る言葉。
大して自分に興味もないくせに櫻井がいるからついてきたんだろう、ということがありありと分かる一言。
「そういえば赤石、お前の作った映画見たけど、ロミオとジュリエットとは違ってあんな脚本書くんだな~、お前過去に何があったんだよ、あははは!」
何をへらへらと笑ってやがる。お前のことだ、ラブコメの主人公が。
内心で毒づくが、そうだな、と曖昧な返事をする。
キーンコーンカーンコーン。
そうして赤石が櫻井と他愛もない話をしている内に、鐘が鳴った。
「おらー、お前ら席つけー。今日は文化祭だぞー」
神奈が教室に入って来ると同時に、櫻井とその取り巻きは自席に戻る。
「今日は文化祭一日目だー。しっかりやってけー」
神奈はいつものように、やる気のない声音で一日の予定を話し始めた。




