第108話 文化祭はお好きですか? 2
「じゃあな、悠! 俺明日のお化け屋敷の準備しに行くわ~」
「そうか、俺も明日の映画放送ちゃんと出来るか軽く見てくる」
須田と赤石は別れ、各々の教室へと向かった。
「教室は……」
ドアに手をかける。ガチャ、と音がしただけで、扉は開かない。
「当たり前か」
文化祭一日目。演劇班は体育館で事前の準備をし、リハーサルを行っている。演劇班は赤石よりも早くに教室へと到着し、既に引き払っていた。
「鍵を」
赤石は教室の鍵を貰いに、職員室へと向かおうとした。
が、
「赤石っ!」
「…………」
呼び止められた。聞き馴染みのある、それでもここしばらくは聞くことのなかった声を、赤石は聞いた。
「……」
ゆっくりと、振り向く。
「赤石」
「……」
八谷が足を開き、睨みつけるような体勢で赤石と対峙していた。
「……」
「……」
カツカツ。
「……」
「……」
カツカツカツ、と八谷は足を早めながら、赤石に歩み寄る。赤石は八谷に合わせて、後方へと下がる。
「なんで逃げるのよ!」
無意識的に、八谷から離れようとする。
「何の用だよ」
「鍵!」
「……あ」
赤石は立ち止まった。
八谷が何か話が合って自分に話しかけて来たのではないのか。潜在的にその可能性にのみ言及し、その話題から離れようとしていた自分を嗤った。
ああ。そうか。鍵を渡しに来ただけか。それもそうか。
なんて。
当たり前の。起こるべくもない。
八谷は赤石の前まで距離を詰めた。
「はい」
「……どうも」
赤石は手を出し、八谷は乱暴に鍵を手の平に置く。
「じゃ」
「じゃ」
そして八谷は踵を返した。
「……」
馬鹿らしい。
自分を、嗤った。
行動したくても八谷が会話を続行しないから。八谷が嫌がっているから無理にでも話す必要はない。
そんなものは上辺だけの、取り繕った理由。
本当に拒絶されることを恐れた、赤石の弱さ。本気で向き合おうとしなかった赤石の弱さ。
向き合わない理由を相手の責任にしただけの、押しつけの理論。
「……はは」
乾いた嗤いが出る。なんだ。
やっぱり自分は変われたような気でいただけか。実際には何も変わっていなかったのか。高梨に言われた言葉も、偉そうに神奈に言った言葉も、全部全部全部ただの上辺だけの言葉だったのか。
情けない。
「…………」
いや。
違う。
変わった。それを実感した。
合理的でなくてもいい、人間的で、本能的な、それで嗤われても、いい。
「…………」
顔を上げる。
そう、決めた。
赤石は精いっぱいの勇気を振り絞り、
「やつ……」
「赤石!」
声をかけた途端、八谷が振り向き、もう一度赤石の名を呼んだ。
赤石の声が聞こえたことがその要因なのか、はたまた偶然か。
八谷は再度赤石に歩み寄った。
今度はより早く、より勇み足で、赤石に歩み寄る。
「来なさい」
八谷は赤石の襟を掴み、赤石を引っ張った。
「どこに……」
「下の階よ」
赤石は八谷に引っ張られながら、人気の少ない階下へと移動した。
文化祭一日目であることも相まって、普段人気の少ないそこは、いつにもまして人がいなかった。
「ん」
八谷は粗雑に掴んだ赤石の襟から手を離し、赤石と対面した。
「……」
「……」
互いに対面するが、言葉は出ない。
一度断られたからと、拒絶されることを恐れた赤石。
赤石が全面的に悪かったと臆断し、己の矜持からいつまでも赤石に話しかけることが出来なかった八谷。
「……」
「……」
互いが自分の非を認めつつも、それでも、対面した今、何も出来ないでいた。
「……」
「……」
静寂が、続く。
膠着状態のまま、静寂が続いていた。
「ああロミオ、あなたは本当にロミオなの?」
水城の玉音が体育館中に響いた。校内随一の美貌を持つ水城に、体育館中の男たちが目を奪われる。
「そうそう、そこでそこで聡助が膝をついて……」
「ああ、ジュリエット。君は僕の本当の名前を知ってくれたんだね。アカウント名から僕の本名を導き出すなんてジュリエット、君はなんて聡明なんだ!」
櫻井は膝をつき、水城に手を差し出した。
「ロミオ、でもあなたのアカウント名は少しダサくないかな。イカ釣り大戦車はちょっと意味が分からないかもしれないね」
「ジュリエット……」
「でもあなたのそんなユニークな所も好きだよ」
水城は櫻井に抱擁した。
「あああぁぁぁぁーーー!」
「水城さーーーーーん!」
「うおおおおおおぉぉ、どうして櫻井だけ……!」
「櫻井殺す……殺す……!」
「水城さん……可愛すぎる……」
阿鼻叫喚の嵐が轟く。男子生徒が羨まし気な目で櫻井を睨めつける。
「ちょっとちょっと、志緒っちハグ長すぎだし! 早く離れるし!」
水城と櫻井の間に新井が割って入り、二人の距離を空けた。
「……」
「……」
水城と櫻井は互いに顔を染め、頬をかく。
「で、今のシーンだけど、話の一番盛り上がる所だから真ん中で出来るようにした方がよくない?」
「そっ、そうだな、さっきのシーンに合わせて俺が水城に近づいて行けばいいんだよな!?」
慌てて、櫻井は話を逸らす。
「あ、ところで」
ふと、思いついたように櫻井が言った。
「恭子は?」
「恭子っちならさっき鍵返さないといけないでしょ、って鍵返しに行ったけど?」
櫻井に抱き着きながら、新井が顔を上げた。
「あれ……? 由紀、お前が鍵持ってたんじゃなかったのか?」
「いや、私が持ってたんだけど、突然恭子っちが返してくる、って走ってったけど」
「…………」
沈黙。
櫻井は暫時黙り込み、歩き出した。
「ちょっと俺恭子探してくるわ! ほら、なんか遅いだろ?」
「あ、じゃあ私も――」
新井が櫻井に助力を申し出るが、
「大丈夫大丈夫! 由紀はそこで水城とリハーサル続けててくれよ、俺すぐ探して帰って来るから! なんかあったら大変だしな!」
にかっ、と笑いかけ、櫻井は新井の頭を撫でた。
新井は顔を赤く染め、頬を両手で挟みながら、その場にくずおれる。
「そ、聡助の馬鹿! 私触られるのは慣れてないんだから!」
「し、知らねぇよそんなこと! じゃ、じゃあな!」
むうう、と口を尖らせながら抗弁する新井をよそに、櫻井は駆けだした。
「恭子…………っ!」
櫻井は強く、地を踏みしめた。




