紅紫の図書館(肆)
本当、ブックマークの付き方が予想外に良いです。ありがとうございます。
これで『紅紫の図書館』は終わりです。
女の子が行った後、妙な沈黙が残った。”テキトウに本読んでて良い”って言われてもどうすれば良いんだよ……
席から立ち上がる。周りには殆ど人がいない。いや、人数はそれなりにいるのだけど、それ以上に館内が広すぎるのだ。各階に二人か三人って感じでパラパラと人はいた。
蔵書は、この部屋だけで、俺が住んでいた市の図書館より多いだろう。本当に巨大な空間だ。それこそ聖堂か何かだと言われたほうが納得がいく。
そんな物が三つも四つもあるのだ。この図書館には世界のすべての書籍があるんじゃないか?
さて、本を探す前に試してみたいことがあった。
懐から携帯を出して、切っていた電源を入れる。
家じゃ圏外だったけど、ここなら、もしかしたら…… そんな思いから携帯を持ってきていた。
結局、それはいとも簡単に砕け散った。……ここでも圏外だった。
ああ、やっぱり…… とはいえ、キツいものはあるな。家とも警察とも連絡取れないか。でも、このまま家に帰っても、誰も俺だって分からないよな。
電池が勿体無い。電源は切っておこう。
携帯を懐に戻した。
本……ね。薬のことは勉強した方が良いんだろうな。つーか、受付とか検索機とかがこの部屋には無いのかよ。本は自力で探せ、と? そりゃないだろ。一体何日間探してれば良いんだよ!
とにかく部屋をぶらぶらと歩くことにした。図書館を鑑賞するだけでも十分時間潰しにはなる。
――大体20分くらい経つ。
女の子はまだ帰って来ない。薬については何も分からなかったけど、本については多少分かったことがある。
本は”漢文”か”日本語”で書かれていた。漢文の方は意味不明だ。所詮、俺が読めるのは高校レベル――それも中の上くらいの理系――の漢文だ。読める方がおかしい。日本語の方は、物語みたいなものを除いて、漢字と片仮名で書かれていた。それも歴史的仮名遣いってやつが殆どだ。とりあえず単語に古語は殆ど無い。そのおかげで、読みにくいが、なんとか流し読みができた。
本の全てのページの余白には”納本”という文字が刻まれていた。きっと、製本段階で付けられた物だろう。ここは、国会図書館みたいな所なのかな?
それから更に数分して、女の子が帰ってきた。そっちに行こうとしたら、彼女の方から寄って来た。
「待たせたかしら? 」
待たせたことを謝る気はさらさら無い、という言い方だった。
「んん、大丈夫。」
いや、割と待たされたんだけどな。
「そう。ちょっと持ってほしい物があるのよ。」
素っ気無く言う。それが人にものを頼む態度か? だけど、この子がいないと生活できないのは事実。強くは出れないか……
女の子は数10冊の本を俺に渡してくる。ずしりとくる。筋力も落ちたのか…… にしても俺は荷物係かよ!
女の子はフリーになった両手を組んで「んん~~!」と伸びをする。
「午後は店、開けるわよ。帰ったら、その薄いやつだけは読んでおきなさい。」
俺が持つ本の山から1冊の本を、ダルマ落としのように、器用に引き抜く。初級者向けの薬の本のようだった。
「で、この後どうするの? 昨日、教えたいことがあるって言ってたわよね? 」
俺が言うと、女の子はチラリと俺から目をそらした。
それから微妙な間をおいて、女の子は口を開く。
「……………………そうだったわね。」
女の子はため息を吐いた。
「――”教えたいこと”では語弊があったわね。”言いたいこと”とした方が正しかったかしら…… 付いてきなさい。」
「あ、ちょっと。」
予想外に速く歩く彼女に呆気に取られながら、追いかけた。
階段を上ったり、下ったり、廊下を歩いたり、部屋から部屋に移動したりを繰り返してたどり着いたのは、レストランのような所だった。そんなに大きい空間ではない。カフェという方が適切かもしれない。ご多分に漏れず、和と中華をあわせたような内装である。
彼女はその1席に着いた。
「本、机の上に置いといて良いから。」
言われなくてもそうするだろ。
「分かったわ。」
返事はしておいた。
本を机に置く。ドスッという低く鈍い音がした。
女の子は勝手に俺の分まで注文していた。聞かれても、何が良いか分からないし、今回に関しては良しとしよう。ただ、彼女がそこまで気を使ったのではないだろう。偶然だに違い無い。
少し経って、湯呑みと茶菓子が運ばれてきた。女の子がそれを俺に分ける。
「単刀直入に聞くわ。ミズキ、あなた、学校に行く気はあるの? 」
「は? 」
え、どういうこと? 何で責めるみたいに言うの? 今までは普通に学校通ってましたけど? ここに来てからは通う学校が無いだけですけど……
目の前に座るその子は、”分かってないわね~。”とでも言いたげな表情で首を振る。正直、その態度にはムカついた。
「私の言い方が悪かったかしら…… あなた、学校に行きたいとは思わない? 」
どうやら彼女に俺を嘲る気持ちは無いらしい。むしろ自虐だったのか? 紛らわしいな。
「ああ、そういうこと…… そうね。興味はあるわね。」
「それは良かったわ。」
女の子は1枚の紙と鉛筆を渡してきた。懐に入れていたのだろう。A4くらいの大きさのそれは三つ折りになっていた。
「――それ、解いてみてちょうだい。」
少し嬉しそうに彼女は言った。どうも、彼女の感情が変化するポイントが分からない。
紙には小中学校レベルの算数と数学。それと漢文の読解と思われる問題がつらつらと書かれていた。算数と数学は問題文の大半が漢文だったけど、問題は方程式を解けとか面積を求めろとかだから、雰囲気で解けた。読解の方は意味不明だ。
これ以上は無理だなってところで女の子にその紙を返した。算数と数学は完答。漢文は……”驚きの白さ!”だ。
「…………へえ、算術はできるんだ。漢文は……何をどうしたらこうなったのかしら? 」
「それはどういう意味で? 」
漢文と数学の難易度に差がありすぎるだろ。こんな漢文解けるって東大生か? まあ、それは言い過ぎか。確かに、理系とはいえ東大と京大を受けるような連中なら解けそうだけど…… 私立か国立かで悩む俺には無理だろ!
「さあ? 私にも分からないわ。どういう教育を受けたらこうなったのよ…… まあ、良いわ。取り敢えず、手続きはしといてあげるから。」
女の子は高飛車に言って、湯呑みの茶を飲み干した。
"教えたいこと"はこんなことだったのか? 聞いたときにあった変な間は何だったのだろうか。色々と疑問は残るが聞かないでおいた。何でもかんでも聞くのは良くないなんて、小学生でも分かる話だ。
俺は彼女に釣れられて、店兼家に帰った。
結局、図書館に行った意味もあったのか? それとも………… 席を立ってた時に何かあったの? ……それは考え過ぎか。そんなことを考え始めたら、全てを疑わなくちゃいけない。そんなの悪魔の証明じゃないか。
午後は、昨日と同じく、ひたすら店番だった。昨日に比べると客が少ない。女の子曰く、これでも多い方らしい。「これより少なくて大丈夫なの? 」って聞いたら、昨日の売上で1ヶ月は過ごせると言われた。
薬屋、儲かるんだな……
そして、同じこともあれば変わったこともある。
俺は、今、店番をしながら女の子が自作したという漢文の教科書を読んでいる。これが中々分かりやすい。学校の参考書なんかよりよっぽど分かりやすいのだ。
靴の中敷きと言い、教科書と言い、この女の子、準備が良すぎるんじゃないか? 実はものすごい洞察力の持ち主?
そんな多愛も無いことを思う。
今日は昨日より4刻(2時間)ほど早く店を閉じた。
「銭湯に行きましょう。」
店の扉に鍵を掛けながら女の子が言う。
「銭湯? そうね。確かに体は洗いたいわ。」
「ちょっと待ってて、準備してくるから。」
女の子は奥へと走っていった。しばらくしてトットットッと階段を上がる音が聞こえてきた。