紅紫の図書館(参)
土日は更新しない? 可能性が低いだけですよ。
それと、またブックマークが増えてました。こんな物を読んでくださりありがとうございます。
夜、ミズキはもう寝たのだろうか。そんなことを思って、襖をそろりと開ける。彼女は可愛らしく丸まって、寝台に寝ていた。
猫みたい。……なんてね。
ふと、胸が締め付けられるような、そう表現される感情に襲われた。
気がつけば涙が頬を伝っていた。
「何よ、もう。私らしくない。」
手のひらを目に押し付ける。
”明日、図書館に行かない? あなたに教えたい事があるの。”——何であんなこと言っちゃったのよ。馬鹿じゃないの、私。
でも、あの子になら…… ああ、もう。出会ったばっかりの”拾い物”を信用しちゃだめじゃない。
あの子が”落とし物”であることはおそらく間違いじゃない。けど、それだとしても。
――あの子がいた方が全体として儲かりそうだったから拾ったのよ。私は偽善者なの。そうじゃないといけないのよ。
その時、ミズキがもそりと動いた。
っと。危ない。ミズキを起こすところだったわ。
これ以上いても何も無いわね。それに、ミズキに泣き顔なんて見られるのも御免被りたいわね。
私は部屋を出て店の方に向かった。
ランプを置いて、売上を計算する。150ロッド近くある。差し引き75ロッドってところかしら。今月はこれだけでも十分そうな量じゃない。
あの子、かなり頑張ってくれたわね。お陰で私も大変だったわけだけど。
その金を家の奥にある金庫にしまって、ミズキがいる部屋の隣にある私の部屋に入る。
寝台で横になって、ランプの火を消す。部屋には月明かりだけが残されて、色の無い世界が広がった。廊下にかけている時計が刻む規則的な音だけが聞こえた。
暫く天井を見つめていた。眠くならない。ただ、ただ、昔のことを思い出していた。
朝、目が覚めたとき、外はまだ薄暗かった。東の空はほんのりと有彩色を帯びてきている。結局、昨日はいつ寝たのか覚えていない。
朝……ね。起きなきゃ。
マッチを擦る。消していたランプに火を入れた。菜種油が赤橙に燃えて、暖かい光が部屋を照らし出す。
今月の売上によるけれど発電機でも買おうかしら。
突拍子も無い事を考える。
庭の奥にある井戸に向かった。水瓶を一杯にするには5往復は必要だ。中々くたびれる。
それを終えたら、1階の雨戸を全部開けて、朝ご飯の支度に取り掛かった。
お粥とスープ、それと干し野菜で炒め物を作ろうかしら。
そんなことを考えながら、薪に火をつけて、水を沸かし始める。ご飯が大体できた頃、上から足音が聞こえた。
ミズキ、起きたわね。
私はさっさと配膳を済ませて、2階へ上がった。
「ミズキ、起きてるの? ご飯、できてるわよ。」
襖を開ける。
ミズキは、はだけた寝間着を戻しているところだった。小さい、平面に近い、まだ成長していない胸が顕になっている。上半身の皮膚がほぼ露出していた。白い、傷の無い、つるりとした綺麗な肌だ。少女という文字を体現したようである。
ミズキは恥ずかしがるような素振りは全く見せず、「え、ちょ…… 突然入って来るなよ! 」と大声を出した。反応は少女のそれというよりは男のそれだ。
「——で、どうしたのよ? 」
咳払い一つしてから彼女は続けた。
「ご飯、できたわよ。」
私は手短に要件を伝える。これ以上、彼女に感情移入する気は無い。
「それだけ? 」
「それだけよ。」
「分かった。じゃあ、後から行くわ。昨日の所でしょ? 先に行ってて。」
「はいはい、すぐ来るのよ。」
「わーった。(分かった。)」
ミズキは私を追い払うように手を振った。
私はそれに「はいはい。」とだけ答えて、1階に行った。
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ああ、もう、今日は朝から何なんだよ…… 裸、見られたし。
お母さんか! 思わず「ノックしろよ! 」って叫びになったぞ。結局、似たようなこと言っちゃったけど。
1階に降りて、また庭の見える部屋に向かう。食事は毎回ここ。居間ということなのかな? まあ、俺が来なければ一人で暮らしてたんだろうから、居間も何も無かったんだろうけど。
女の子は既に座っていた。食事に手を付けた気配は全くもって見当たらない。
「先に食べてて良かったのに。」
呆れが混じった声を出す。
「あら、そんなこと言うなら、明日はあなたの分も食べても良いのよ? 」
「何なのよ、その脅し文句は……」
”朝ごはんを作ってあげない”じゃなくて”食べちゃうから”って、少々新しすぎるじゃないか?
「あら、脅してるつもりは無いわよ。ただ事実を述べただけだから。」
「はいはい、待っててくれてありがとうございます。」
「よろしい。」
何がよろしいんだよ
「——食べましょう。」
そう言葉を口から出したと思ったら、女の子は既にお粥を口に入れていた。
食事が終わったら、女の子から服をもらう。昨日と同じやつだった。毎日洗濯はしないんだな。2,3日おきにやってるのだろうか。
女の子の方も昨日と同じ服だった。(俺の感覚では)服が似ている所為で、姉妹みたいに見えて気恥ずかしい。彼女はそれで良いのだろうか。
家から出る時、靴を渡された。黒いくて光沢がある靴だ。ローファーってやつに似ている。サイズは少し大きい気がした。それを女の子に言ったら、中敷きをくれた。準備が良すぎて、気持ちが悪い。
「ねえ、あなたのこと、いちいち説明するのが面倒だから、何かあったら私の妹、ということにしてくれない? 」
もう靴を履いて戸口に立つ彼女が言う。どうやら、彼女は、俺と姉妹に見られて良かったようである。
「良いわよ。」
板についてきた女言葉で答える。
「ありがと。」
彼女の口元がほんのりと綻んだ。
そんな表情が、俺のことを罵倒ばかりしていた女の子としては、珍しく感じて、妙に記憶に残った。時間帯的に、日差しが外から差し込んでいたこともあり、本当にキラキラとした、嬉しそうな微笑みに思えた。彼女は俺のことどう思っているのだろうか、小さな疑問が浮かんだ。
町は結構ごちゃごちゃとしている。汚いとか治安が悪いとかではない。坂道がところどころにあったり、川が流れていたり、道が不規則に分岐したりしていて、整然とした町並みとはいえない、という感じである。
その中に一際存在感を放つ建物があった。木と漆喰を基調とした、城みたいな建物だ。上方向だけじゃなくて、平面方向にもデカい。
中に入ったら、あの時と同じ光景が広がっていた。あの時は女の子に付いていくのに必死だったから外観には目が行ってなかった。改めて見ると、巨大である。
摩天楼の如くそびえ立つのは本、本、本。だけど、飾りと化している本は一冊も無い。すべての書架に足場が設置され、踏み台を使わなくても本を取ることができるようになっている。どういう風にこの本を管理しているのかは甚だ疑問ではあるが。
天井には直径5メートルはありそうな時計があった。針の後ろがガラス張りになっていて、中の機構が見える。カチ、カチ、と銅色の歯車が動いていた。スチームパンクつぽい雰囲気がある。
この前は個室だったけど、今回は天井が以上に高い——5階まで吹き抜けになっている——大きな部屋の中央にある机に座った。
「ちょっと待ってて。」
女の子は席を立った。
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ミズキを机に残して席を立った。
とりあえず、”あいつ”に会って来ないといけないわね。ああ、そうなると、かなり時間がかかるかしら。
「ミズキ、ちょっと時間かかるから、テキトウに本読んでて良いわよ。この部屋から出ないなら探せるし。」
「あ、うん、分かったわ。」
ミズキは頷いた。
そういえば、あの子って文字読めたのかしら? 昨日、会計できてたんだから大丈夫よね。
部屋をキョロキョロと見回しているミズキを尻目に、その部屋を出て、階段を登る。それは使う人が少ない階段で、北側の日当たりが悪い位置にある。人がすれ違うのがやっとぐらいの幅で、煙突の中を登っているような気分になる。
更に廊下を歩いたり、また階段を登ったり、今度は降りたりを繰り返して、目的の部屋にたどり着いた。その部屋までの行き方は私が通った道順しかない。知らなければその部屋に辿り着くことは不可能だろう。
そこは薄暗い廊下の最奥にある。襖からは金色に光が漏れ出して、廊下に一筋の線を描き出していた。
襖を開けると、そこは別世界となる。
黄金のその空間には、池があり、蓮が浮いている。天窓からは太陽光が差し込む。さっきまでの廊下が嘘みたいに明るい、キラキラとした世界が広がる。それでいて威圧的な雰囲気が全く無い。鳥のさえずりも聞こえた。天国と呼ばれる場所——どうせ無いとは思うけど——があるのであれば、きっとこんな所だろう。
目的の相手は、一際大きい机に本の山を作って、その裏に隠れているようだった。
「おや、誰かと思えば。」
「昨日ぶりね。」
本の山をずらして顔を見せるその男に言う。
若干長髪の髪を耳の上辺りの高さで結び、片眼鏡をはめている、灰色に近い髪色をした男。いつも通り、麻でできた黄褐色のマントを羽織っていた。
「ああ、そうだ。昨日は薬、助かった。」
「それは良かったわ。」
「で、今日はこんなところまでどうしたんだ? 」
「分かってるんでしょ? 」
「”拾い物”とやらのことか。」
「ええ。」
「俺には、そのことに口を出す権利は無いと思うが…… お前はどうしたいんだ? 」
「そうね。私は——」
——話した時間は10分程度だっだろう。私はそいつに別れを告げて、ミズキの元へ向かった。