燃ゆる空の中(下)
艦内の廊下に、金属と金属がぶつかる音が響く。それは武装した男が駆ける音であった。20人かそこらといったところである。彼らは、皆、竜騎士と呼ばれる兵士であった。
向かう先は竜舎である。そこは厩というには大きく、ただ縮尺を無視してみれば厩とも思える、そんな場所である。
彼らはそこに続々と入っていく。
そこには既に幾人かの人がいた。皆、女であった。そして、それぞれの女――竜医の傍らには大きな影がいくつかある。
その影の主は、2本の脚で床を踏みしめ、馬よりも遥かにも大きい鷲のような体に金属の様な光沢がある鱗を持ち、竜舎に入った騎士達にちらりと目をやった。
竜である。
騎士はその竜には目もくれず、竜医の前に向かった。そして、竜医から竜の手綱を預かり、竜に乗る。
竜舎にはもう一つの扉がある。その扉は人が通るにはやけに大きい。それがゆっくりと、ゆっくりと開いていく。扉の隙間から船外へと向かって風が吹く。その風が向かう先には薄暗い夕暮れが漂っている。
それが開き切れば、そこには、遠くに夕焼けの名残を僅かに残す黒にも近い青色の空が張り付いていた。
彼らはその扉へと竜を進める。
扉の下には雲海が広がっていた。そこに船の影がぼんやりと映る。それは波に揉まれ、刻一刻と形を変えながら力強く前へと進んでいた。
そこから一人、また一人と騎士達は空へと降り立っていく。自由落下とも取れる降下に続いて、竜は緩やかに上昇を始める。船と同じ高さまで昇った竜は、渡り鳥の群れにも似た組みながら飛行した。
隊の先頭を担う騎士が声を発する。
「先発隊はどうなった?」
それに一人の騎士が答える。
「竜との戦闘になっているとのことです。緊急性は低いものの、他の竜による強襲があり得るため後発隊には船周辺の警戒をお願いしたいとのことです。」
その騎士は細長い棒が突き出た箱を背中に背負っていた。
「了解した。」
先頭の騎士がそう言って、手を動かして合図を送る。
隊列はまるで1匹の鳥のように翼を翻し、進路を変え、船の周りをゆっくりと周り始める。空に船を点として捉えることができるか否か、という距離を保って。
それはおよそ1刻が過ぎたころのことである。
「竜! 竜です!」
1人の騎士が叫ぶ。隊の側面、その遠くの空にまばらな点が浮かんでいた。
「通信兵、直ちに船へ連絡を!」
それに続いて先頭の騎士が叫ぶ。
「了解!」
箱を背負った騎士が応答し、船に通信を試みる。
いつの間にか、その数個の点は竜としての形を成し、その数もしっかりと数え上げられるようになっていた。
23頭、それがその竜の数である。
先頭の騎士が目を見開く。
「多いな……」
そう呟いた。
そして、通信兵が叫んだ。
「隊の編成まで1刻! それまで食い止めろとのことです!」
「やはりそうなるか… 了解した。」
先頭の騎士がうめくように言葉を繋げる。それに被さるように再び通信兵が叫ぶ。
「先発隊より報告、竜に囲まれ壊滅。数はおよそ10。現在、撤退中。すでに対応を開始しているとのことです。」
「了解、その竜の相手までしないだけましと思うしかないな。 ……こっちが攻撃できる距離まできたら、戦闘始め。偶然この辺を飛行しているだけかもしれないからな、威嚇はするなよ!」
取ってつけたような冗談めかした最後の一文を加えて、先頭の騎士は隊に命令を出した。
それから程なくして戦闘が始まった。
騎士が乗った竜がそうでない竜の首筋に噛み付く。
その騎士をまた別の竜が掴み、その体を引き裂く。
連続した銃声とともに竜の体に、羽に無数の穴が開く。
竜が噴出した赤橙色の炎に騎士が焼かれる。
再び鳴り響く銃声。
騎士が投げいれる手榴弾が高い音を響かせ付近の竜を雲の下へと落とす。
竜から転落した騎士が1人、雲の海へと飲まれていく。
騎士が持つ長槍が竜の腹部に刺さる。
首が無い騎士の屍を乗せた竜が、戦線を離脱し、船へと戻っていく。
また銃声。
今度は爆発音。
吹き付ける炎。
銃声。
竜の断末魔。
爆発音。
――そんな戦闘が続いた。
そしてその戦闘はある1発の銃声で区切りがつくことになる。
ある騎士が叫んだ。
「友軍、友軍だ!」
またある騎士が叫ぶ。
「撤退! 撤退!」
その声の主が誰なのかどうか、それすら確認せずに騎士達は、次々と、乱戦と化した戦場から離れ、味方へと向かう。彼らはその隊の上に逃げ込むように飛んだ。
そして暫くしたときだった。
船から来た隊が一斉に機銃を撃った。
その弾は撤退していた隊の下を通り抜け、その隊を追う竜の群れへと吸い込まれる。それは竜の鱗に淡々と孔を穿つ。
――その弾が放たれなくなった後、そこに騎士が乗らない竜の姿は無かった。
既に日は沈み、夕焼けの痕跡はどこにもなくなっていた。空には星が、月が輝き、雲海は暗く静かにうねる。
船へ向かう騎士達の顔は暗かった。
「――了解した。」
船の1室、一人の老人が騎士の報告に重く頷いた。
戦闘を終え、隊が戻ってから1刻が経っている。その老人は被害状況の連絡を受けていた。
その部屋は1人のための部屋としては、大きく、本がずらりと並んだ扉付きの本棚が壁の大部分を占めている。執務机には報告書の山ができ、老人はそれを整理しながら腰かけていた。
騎士が退室するのを見届けて、老人は腰を上げた。
彼は本棚からある1冊を取り出す。それは古びた表紙を持つ、やや大きめな本であった。
それを机に置く。
彼が座りかけた時であった。部屋の戸が再び開かれた。
「入るわよ。」
1人の少女がそう言いながらずかずかと入ってくる。
「申し訳ありません、止めたのですが竜医が言うことを聞かず…」
その少女の後ろから入った男がおずおずと言う。
「構わん、下がって良い。」
「はっ!」
その老人は少女の姿を確認すると、若干の哀れみを込めて男に命じた。
その少女は男が退出すると間髪を容れずに口を開いた。
「何があったのかしら?」
それは高圧的とも馴れ馴れしいとも取れる言葉遣いであった。
「予想している通りじゃろう。」
老人は深刻な面持ちで答える。
「――ちょうど先程、報告があった。未確認の竜の巣じゃ。遺跡の方からきた竜も思われるらしい。どうやら遺跡の巣は相当大きくなっているようじゃな。」
「で、どうするつもり? 流石にこの状態で敢行するなんて言わないわよね。」
「それは当然じゃ。上に連絡をして、おそらく呉茂に行くことになるじゃろうな。遺跡の調査自体は行うことになるじゃろう。」
「まあ、そうなるわよね……」
少女はそう呟いて俯いた。
僅かな沈黙。そして老人が少女に問う。
「で、どう思うのじゃ?」
「戻ってきた竜を見る限り、巣にいる竜はまだ若いわ。新しい竜の巣と見て間違いは無いと思うわね。」
少女が続ける。
「――ただ、恐らくなのだけれど、あの子達、いえ、竜の状態からして、メスの竜は戦闘に出ていないわ。300頭近い巣を作っているかもしれないわ。」
「なんと、それはまた…… 報告では巣には100頭程度とのことじゃったが。」
「少なすぎるわ。さっきの戦闘をした竜の数だとそのくらいが推定されるのかもしれないけれど、メスがいないのよ。」
「なるほどのう。上にはそれで報告してみるとしよう。」
老人が関心したように言う。
――少女が再び老人を見据える。老人が頷いて応える。
少女何も言わずに踵を返し、軽く手を降って部屋を後にした。
部屋には老人だけがいた。そこは船の振動だけが低く重く鳴り響いていた。
「やはり、彼女を連れてきたのは正解じゃったかのぉ。」
老人が不安げにポツリ。その言葉を聞く者は誰もいない。