燃ゆる空の中(中)
目が覚める。低い機械音が小さく聞こえる。寝ている間に船は出港していたようだ。
きっと今頃、竜医達は自分が担当する竜の確認にでも行っているのだろう。鉢合わせるのは勘弁願う。外周の廊下をぶらぶらと歩くことにした。
私が乗っている旗艦以外にも、4隻の船がこの艦隊に属していると聞いている。窓の外にはそのうちの一隻と思わしき船が見えていた。ちょうど船の下半分くらいが雲の下に隠れて、川を渡る舟のようにも思える。大昔は海を船が運航していたなんて話を思い出した。
更に遠くに目をやってみる。雲が切らたところから地平線が垣間見えていた。緩く弧を描いているのが確認できる。
いつも通りなら、後1,2刻もすれば竜との戦闘が始まるだろう。このくらいの高度は竜と人との境界線、縄張り内の飛行物に敏感な竜のことだから、既に戦闘をしようと構えてるかもしれない。
暫く外の風景を眺めて、部屋に戻ろうとする。振り返えれば私から数歩離れた所に見知らぬ竜医がいた。私の方を見て突っ立っている。偶然通りかかったわけではないだろう。
「何かしら。」
できるだけ感情を込めず、受け取り方によっては機嫌が悪い様に聞こえるように言う。いや、むしろ、そう捉えてくれる方が都合が良い。他の竜医と関わってもろくなことは無い。
「あ、いえ、何でも無いんです。ただ――」
「ただ?」
「さっき、竜を見てたときに見かけなかった竜医さんだなって……」
見たところ鈍臭そうな奴である。私よりも少し身長が高くて、これといった特徴の無い――良く言えば整った――顔をしている。肩まて伸ばした焦げ茶色の髪を後ろで一つに結んでいた。
「そりゃ、まあ、いなかったから。」
何を当たり前のことを。やはり馬鹿は馬鹿なのだろうか。
「あ、そうなんですね。先輩達は他の流派とは関わるなーって言うんですけど、私としてはできれば他の流派の竜医さんとも仲良くしたいなーって思うんです。」
救いようの無い馬鹿であった。
「――なんですけど、皆、向こうから避けられちゃって中々お話できなかったんですよ。」
「ええ、それはそうでしょうね。」
「でもあなたはこうして話してくれてるじゃないですか。」
「あー……」
こういうとき馬鹿にはどう説明すれば良いのだろうか。竜の病ならまだしも馬鹿を治す方法は知らないのだ。
私が考え混んでいたら、馬鹿は首を傾げ始めた。始めは小首を傾げる程度だったのだけれど、今は直角近く曲がっている。この馬鹿は梟か何かだろうか。いや、この馬鹿が知性の象徴とされていたこともあるらしい梟であるはずがない。
どうやら馬鹿の首もそれ以上は曲がらないようで、今度は逆方向に曲げだした。一体、この馬鹿は何をしたいのだろう。首の体操だろうか。肩でも凝っているのかもしれない。
馬鹿の首がチラチラと目に入って気が散る。
「あの、さっきから何をしているのかしら。」
苛ついて思わず聞いてしまった。
「はい?」
どうやら無自覚のようだ。
「まー、あれね。あんまり私と関わっても良いこと無いわよ。」
考えるのが面倒臭くなって、私はそう言って手を振りながら彼女に踵を返して部屋に戻った。
再び釣床に横になった私は天井をぼんやりと眺めていた。やや低い天井には壁紙が貼られることもなく金属板が露出している。灰青色の塗装はところどころ剥がれていて、赤茶色の錆が見える。天井から吊り下げられた電球と呼ばれる明かりは船の振動に合わせてカタカタと震えていた。
「遅いわね。」
ふと呟いた。あの馬鹿に会ってから既に3刻は過ぎている。いつもなら竜の第1派に遭遇して戦闘をしているくらいの時刻だ。
なのに今日は警報の一つや鳴りやしない。
戦闘が無い分には構わないのだ。その方が楽だし命の危険だって少ない。私だってこんな仕事はしているけれど、死にたくてしているわけじゃないのだから。
何だか胸騒ぎがした。嫌な予感というやつだ。
私がそんな不安を覚え始めていたら、突然、放送がかかった。
「緊急会議を開く。竜医及び竜騎士並びに各大隊長は作戦会議室へ直ちに急行せよ。繰り返す――」
それは何度か繰り返し流れた。
上もこの事態の異常性に気がついたらしい。いや、気が付かない方がおかしい。特にあの爺さんが気が付かないなんて有り得ないだろう。
私は跳ね起きると、最低限の仕事道具を持って作戦会議に急ぐ。見れば先の馬鹿が私の後ろを他の竜医達と共に駆け足でこちらに向かってきていた。
会議室に飛び込むようにして入る。席は半分程埋まっていた。
「竜医達が来たようじゃな。君達はここへ座ってくれ。」
爺さんがそう言って机の端の方の一角を指す。
他の派閥と隣り合って座ることになった竜医達は一瞬不服そうな雰囲気を出したが直ぐに互いを牽制し合うように目配せをしながら席についていった。
それから竜騎士達が入ってきて席が埋まる。議題は当然、竜からの攻撃が無いことだ。流石にこの空間に「竜が出ないのに何をそんなに慌てているのだ。戦闘が無いのは良いことではないか。」などと言い出す馬鹿はいない。あの馬鹿竜医もそれは分かっているらしく真剣な面持ちであった。
私達竜医には今回の作戦行動に口を出す権限は無い。ただこの会議を聞いて竜医という立場から竜に関する意見を求められたら答える。それだけだ。
怒号が飛び交うといったことはなく淡々と会議は進んだ。今こうしている間にも竜の襲撃を受けるかもしれない。会議が進むにつれてその緊迫感が強まって行く。本当に異常なことなのだ。そして、一度だけ前例があることでもあるのだ。しかしその前例通りで行くならば、このあとこの艦隊は数百の竜に襲われ壊滅。生存者が一人でもいたら奇跡と言う他ないという状態になるだろう。
数刻に渡る会議の結果、一旦、西に進路を変更して呉茂の軍港を目指すことになった。このまま進んでも危険だと判断したのだ。
私は安堵の溜息を小さく漏らしつつ会議室を出る。そして、部屋に向って廊下を歩いている最中のことだった。
外に、一瞬、何かが見えた気がした。
気のせいだろうか。再び確認しようとしたその時である。
けたたましい警報が艦内に鳴り響いたのだ。
竜である。私はすぐさま竜舎に向って走る。館内がバタバタと騒がしくなる。放送器からは状況を伝える声が聞こえる。
竜は5頭。大丈夫だ。大群の襲撃ではない。
けれど既に日は沈み始めている。竜はともかく人間である竜騎士では夜目に限界がある。分が悪い戦いだ。
竜舎には数人の人影があった。全員女ということは皆竜医であろう。
私は彼女らの脇を通り過ぎ、自分の担当へと向かった。竜は私が来たということは何を意味するのか察したのだろう。いつでも戦闘できる、そんな意志を感じさせる。
今は私にすることは無い、か。竜の様子を見てそう判断する。竜騎士が来るまではここで待機していることにしましょう。
それから暫くして準備を終えた竜騎士が駆け込んで来る。先発隊はとっくのとうに出ているから、後発の本体だろう。
私のもとに4人の竜騎士が来る。彼らが今回のこの竜達の被害者か、などと仕様も無いことを考えつつ、竜を竜舎から出して見送った。あいつらも機嫌が良さそうだったからあの竜騎士もこの戦闘では殉職しないで済みそうだ。
それから、竜がいなくなった竜舎で駄弁り始める竜医達を他所に竜舎の片付けを始める。竜がいなくなることなんてそうそうないから、戦闘の頃合いで片付けておかないと、どんどん汚くなって竜の機嫌も悪くなる。おそらくあの竜医達はそういうことをしないだろうから、私がやるしかない。
気がつくと何故か私の作業を手伝っている竜医がいた。あの馬鹿そうな奴である。
「あのさ、態々そんなことしてくれなくても……」
「私がやりたいからやってるだけです。駄目ですか?」
「ああ、もう…… 良いわよ。勝手にしないさい。」
馬鹿には何を言っても無駄ただ。仕事が減るのは事実だし今は良いだろう。帰ってからこいつがいる派閥からの嫌がらせが悪化しそうだが。
一通り作業が終わった私達は竜舎の隅で休憩を取る。こういうときは馬鹿が一緒にいると和むから馬鹿もしてたものじゃないわね、などと思ってみる。
竜を洗うための水場から組んだ水を、薬を調合する時に使う薬缶に入れて温めて、効果が弱めの薬草を更に薄めて軽めに味をつけた、お茶と言えるかも怪しいお茶を飲みつつ、竜舎の壁に寄りかかる。当然お茶菓子なんて上等な物はない。
他の竜医がいなくなった竜舎は静かで、機械室からも離れているここは時々風で船が揺れる音がするくらいだ。
ふとあの馬鹿そうな竜医が口を開いた。
「何で、竜医ってこんなに派閥とか何とか言って仲が悪いんでしょうね。」
「さあ、世襲性っていうのも大きいんじゃないかしら? とにかく、私みたいなぽっと出には生きにくい世界ね。」
「やっぱり、そうだっんですね。」
「あら、気がついてたの?」
私は彼女の評価を馬鹿から感の良い馬鹿に引き上げることにした。
「見ていれば分かりますよ。私もそうですし。」
「あら、そうなの。お互い大変ね。」
「ま、私は今の流派に運良く潜り込めて何とかやっていけてますから。」
「一人は一人で楽よ。」
「そうですね。ただ、私にはちょっと難しそうです。」
彼女はそう言って恥ずかしげに微笑んだ。