君を忘れない(下)
あ、早速ブックマークが! ありがとうございます!
知らない天井…… お決まりのセリフである。
そもそも、知ってる天井なんて、たかが知れてるんだ。知らない天井の方が当たり前っちゃ当たり前である。
天井までの高さからして、ベッドに寝てるのかな?
そうだ…… 俺。
「無い! 」
もう触らずとも感覚で分かった。
「あなた、いつまでそんなことしてるのよ。」
さっきの女の子の声がした。そして俺の頬に冷たくて柔らかい何かがペチリと当たった。
横を向けば、おしぼりを片手に持ったその女の子がいた。割烹着のような物を着ている。髪はポニーテールにしては低い位置で結んでいる。いわゆる一つ結ってやつである。
その子は小さくため息を吐く。
「ああ、えーっと……」
何か話さなきゃ。そう思っても何も言葉が出てこない。
「で、あなた、どこから来たの? 面倒ごとには巻き込まないでちょうだい。」
そう言いながら彼女はおしぼりで俺の頬をはたいた。意味が分からない。とりあえず痛いのでやめてほしい。
「——面倒そうだったら、憲兵に突き出して終わりにするから。」
「じゃあ、多分、その面倒なやつですね。」
もう、この子と関わるくらいなら憲兵でも何でも公的な機関に行った方がましだ。
「自分から言うんだ。」
意外そうに言う。それから――
「まあ、とはいえ私にだって慈悲くらいはあるわ。戸籍の場所を言いなさい。憲兵にはそこに引き渡すように伝えておくわ。」
と続けた。
戸籍ね…… 住民票がある場所を言えば良いよね?
「えーっと、***の***市ですけど? 」
「どこの町よそれ。」
「いや、日本の——」
「日本? 何それ。」
さっき、俺の頭がいかれたかと思った。でも違った。この子の方がおかしい。一瞬でも、自分に非があると思った自分を責めたい。
「ジャパン? イアポニア? ジャポニ? ヤポニヤ? 」
思いつく限りの言語で言ってみた。良くこんなに覚えていたな、と自分でも感心した。さっきのが半ばふざけているのは認める。つか、この子、”日本”を知らないで、何で日本語を話しているんだよ。日本語は”孤立した言語”みたいなものだろ? お前、日本人じゃないのかよ。そんな感じである。
「はあ。」
女の子は、今度は大きなため息を吐く。納得してないことは明らか、か。
「——もうしばらく寝てた方が良さそうね。」
俺の顔におしぼりを投げつけてくる。
「っ…… え? 」
俺がどうこう言う間も無く、女の子は部屋の外へと出て行った。
ピシャリ——そう音がしそうな感じに襖が閉まった。
一人の部屋。窓の外は道なのだろうか。がやがやとしている。時計の針がチクチクと音を立てていた。
何だかなぁ。
暇だ……
ま、部屋から出なければ良いでしょ。
俺はベッド——むしろそれは寝台の持つニュアンスに近い——から起き上がる。浴衣のようなものを着ているようだった。
部屋には鏡の類は無い。
色々と確認したいことがあるんだけど、仕方無いか。
裾を捲り上げる。
「無いよな……」
予想通り、そこには何も無かった。
もうため息しか出てこない。そういえば、心なしか身長も低くなった気がする。
はだけた着物を戻し、寝台に腰掛ける。
床は板敷きで、斜め前にある箪笥は日本のそれに似ている。光源は窓から差し込む日差しのみ。窓にはガラスがはめられていて、その手前には障子がある。
することも無いし……な。
寝台に寝っ転がって布団をかぶった。敷布団はかなり固かった。
女の子が部屋を去ってから1時間強、彼女が戻ってきた。
「少しは、頭は冷めたかしら? 」
「はあ。」
冷めるも何も、端から熱くはなっていないのだが……
「まあ良いわ。その様子ならご飯は食べられるんでしょう? うちで死なれても困るからさっさと来なさい。」
そう言うが速いか、女の子は部屋から出ようとする。
おい、ちょっと待て。俺はこの家の間取りなんか知らないぞ。どうやってご飯までたどり着けって言うんだよ!
慌てて起き上がった。
女の子は今まさに襖を閉めんとしていた。
その襖を抑える。
「ちょっと待って。どこに行けば良いの? 」
「あら、言っていなかったかしら? 」
「聞いてない。」
この子、絶対、大丈夫じゃないって。
「そう…… じゃあ、付いてきなさい。」
女の子は言った。
部屋を出た先は廊下だった。その中間付近に階段がある。それを下った。
1階にあるその部屋は中庭に面していた。何も泳いでいない池と松の木が1本生えているだけの中庭だ。
部屋には、膳が二つ置いてあった。寝台があった部屋の中華っぽさに比べて、こちらはかなり和風である。
どちらに座ったものかな。
とりあえず、女の子が座るのを待った。それから、彼女が座らなかった方に座る。座布団は思いの外固くなかった。
食べている途中、女の子が突然話しかけてきた。
「あなた、戸籍無いのよね? 」
「あ、ああ…… そうなるのかな。」
うーん、一応あるんだけどな。でも、無いということになるのかな?
「はあ…… とりあえず、さっさと作っちゃいましょう。」
ため息混じりに言った。
「え、そんな、簡単にできるの!?」
女の子は、暫く、考えるようなポーズをする。
「孤児の類いは多いしね。」
「つまり、俺……いや、私も孤児扱いと? 」
「じゃなきゃ何なのよ? 親はいるの? 連絡は取れるの? 」
「連絡は……」
そこまで話して、気がついた。
「俺の携帯は!?」
「ケ・イ・タ・イ? ああ、あの、四角いやつ? 寝台の横に置いといたけど、気が付かなかった? 」
「ああ…… あるなら良いや。後で見とく。」
「そう。あれ、そんなに大切なものなの? 」
何となく、スマホ依存症、と指摘された気がした。
「いや、別にそこまで大切なわけでも……」
「なら、そんなに慌てる必要ないじゃない。何はともかく、これから市役所の方に行くわよ。服は…… 私の古いのが入りそうね。」
そう言われて、初めて、俺は女の子より背が低いことに気が付いた。我ながら鈍感である。
「ああ、分かった。」
「それとその口調、気持ち悪いからやめてちょうだい。」
「え? ああ……うん。」
そうは言われても、俺からしたら、女言葉のほうが気持ち悪いんだけどな。
女の子の古着は、やはり、着物とプリーツスカートをあわせた感じのものであった。それにストッキングなんて履こうものなら、完全にコスプレである。
うん、まあ、可愛いとは思うよ。でも、これで出歩くのは流石に……
なんて思っていたのだが…… 外に出てみたら、割りとそんな感じの人がいるようで、どうやら、この辺りではそれが普通のようだった。
言うなれば、商店街をスーツ姿で歩く人、くらいの割合ではいるのである。別に誰もその格好に疑問を持つことも無い。
市役所は…… 想像以上に近かった。ものの数分で着いてしまった。
こんなに近いのかよ!
この建物も、中華と和をあわせた感じだった。”欧米の人が考えた、ちょっと間違ったJapan”って感じである。忍ばない忍びがいそうである。
訳も分からず、とりあえず女の子について行ったら、手続きが終わってしまった。
これもまた、ものの数分である。
女の子はそれから俺の方を向く。
「ねえ、一つ、話したいことがあるのだけど? 」
「なによ。あらたまって。」
慣れない女言葉で返答する。やはり気持ち悪い。オネエな気分である。
「うちで働かない? 」
「バイト? 」
「バイト…… その単語は初めて聞いたから、答えかねるわね。」
そうなのか。バイトという単語が分からないのか。
俺は彼女の評価——おかしな子——に不思議ちゃんを追加した。
何もしないで女の子に世話になるというのも気が引ける……か。
「社会の風紀を乱すようなこととか、風俗とかで無いのなら…… あと…… 私を酷使しないのなら良いわよ。」
”ブラック”という表現が通じなさそうだったから、代わりの日本語を探してみた。正直なところ、違法なことじゃなければ風俗は仕様が無いかな、とは思ってる。
「そんなつもりは端から無いわ。うちはただの薬屋よ。」
「なら…… あれ? 免許はいらないの? 」
俺、医師免許は当然ながら薬剤師の資格なんて持ってないんだけど。
「免許? 何それ。そんなことより、働くなら、さっさと帰りましょう。あなたの所為で、今日は休業なのよ。その分の片は付けてもらうから。」
女の子は嬉しそうに微笑んだ。
実に可愛らしい、無邪気な、透き通るような、キラキラとした笑顔だった。
残念ながら、俺には、悪魔の微笑みにしか見えなかったが…… とんでもないブラック職場でないことを祈ろう。