少女の思い出
長らくお待たせしました。
皐月も下旬に入った。気が付けばあれから1週間が過ぎている。結局、私に姉なんてできなかった。どうやら私に人を騙す才は無いらしい。ミズキには申し訳ないとは思う。けれど、これ以上距離を詰めてしまってはいけないと確信しているのだ。過去というものは、炉に溜まった脂混じりの煤のようにべったりと私にへばりつき、離れようとはしない。それはゆっくりと、しかし確実に、私を蝕んでいるような気がした。
20日の朝、珍しく来客があった。イヴァンかと思って出てみれば、爺さんであった。
おかしい。イヴァンから聞いた話じゃ、戦闘がおきるのは早くて1カ月後って話だ。まさかあいつが見誤るとは思えない。だって、あいつはその手のことには達人的な予測能力を発揮するのだ。確かにあいつが嘘を言ったって可能性は十分ある。もともと利害が一致したから協力しているだけだ。私以上の人間が見つかれば、安々と切り捨てるだろう。けれど今はそんなことをする意味があるようには思えない。今は私からの信用を得たいはずだ。
いくらあいつとはいえ、”落とし物”を見つけるなんて何10年という単位で行うものだろう。みずきが死んだからといって、そう簡単に私を手放すなんてことはしないと思う。今はみずきでの失敗で失った信用をいかに取り戻すかが重大な問題のはずだ。
となると、これはそんなに大したことではないだろう。かと言って、爺さんが態々来るってことは、そんなに些細な問題でもないのだろう。
何かあったのかしら。
爺さんを家に上げて話を聞くことにした。
階段の脇を通って奥に向かう。いつも食事をしている部屋の隣にある部屋に入る。一応、客間ということにしている部屋だ。
爺さんが腰を下ろした。見た目の割に身のこなしは軽く、どすんといった音もさせず、静かに座る。
「お茶、飲むかしら? 」
答えは分かっているけれど聞くことにした。
「いや、長居するつもりはないのでな。」
思った通りである。
「そう。本来は社交辞令として入れるべきなのだろうけど、店の始業もあるし手短いにしたいから、お言葉に甘えさせてもらうわね。」
質問した時点で考えておいた返答。ここまでは雛形と言っても差し支えない。
爺さんがそんな雛形お見通しだ、と言わんばかりに微笑みを浮かべる。そして、咳払い一つして口を開ける。
「ああ、構わない。単刀直入に言おう。」
爺さんの声音が変わる。それには上官が部下に向かって命令を出すような威厳がある。私は爺さんの部下といっても強ち間違えじゃない。ただ、どちらかというと、普段の癖で、といったところだろう。
「――遺跡調査に同行してもらいたい。2週間後の今日、出発する。」
なるほど、第1軍団(調査軍団)としての任、というわけね。さすがに戦闘を始めるには早すぎるものね。
「そうね……」
分かった。そう言いそうになって、ミズキのことを思い出す。爺さんは様子を窺うように私を見ていた。
「ああ、あの子か。」
「ええ。」
爺さんはそれを察したのだろう。
「それなら、こちらの常駐隊に預ければ良いのではないかな。ついでに軍学校――」
「それは無いわ。来月中旬には尋常学校に入るから。」
「ほう。けれど、ここのは寮が無かったと記憶しているのじゃが。」
随分よく知ってるわね。どうせ、ミズキも軍に巻き込む気だったんでしょう? その気は無いからね。そう簡単に”落とし物”を手に入れられるとは思わないでちょうだい。
「いえ、夏口のよ。偶然、つてがあってね。」
「なるほど。だが、それでも1週間以上彼女を一人にしてしまうのではないかな。」
「仕事仲間に預けるわ。」
「なるほど。そうか。何の仕事かは聞かないが……」
「変なことはしてないわよ。薬屋の仲間よ。」
「ほう、そうか。まあ、そういうことにしておこうかの。」
爺さんは信用していない、ということをあからさまにして言う。
まあ、当然、薬屋仲間というのは嘘である。イヴァンは薬屋ではない。少なくとも表向きは図書館司書だ。けれど、あいつがヘマをするはずは無い。薬屋仲間という設定を教えておけば、それらしく振る舞うたろう。だから爺さんがイヴァンに気づくとは思えないし、今まで気づかれたことも無かった。爺さんは竜医仲間という可能性を疑っているに違い無い。軍としては竜医を抱え込みたいはずだ。そして、どの派閥にも属さない私と仲間の竜医といったら、それはとんでもない掘り出し物になるとでも思っているのかもしれない。
爺さんは持っていたカバンから幾枚かの資料を出す。
「遺跡の資料じゃ。」
話は直ぐに本題に戻った。私はそれを受け取る。
私が読み始めると、パラ、パラと紙を捲る音だけが時々するのみになる。爺さんは私が資料に目を通すのを眺めていた。
「ねえ。」
「なんじゃ? 」
「私以外にも竜医は来るのかしら? 」
「うむ。」
爺さんが別の紙を渡してくる。
持っていた資料を置いて、一旦、そっちの方を読んだ。竜医は10人近くいるようだ。旅団丸ごとの大移動である。
「へえ、随分と大所帯なのね。おじいさんのお守りは大変なのかしら? 」
できるだけ嫌味っぽく言った。
「はははは、わしとて現役じゃぞ。なぁに、今回の遺跡は少々特殊でな。」
そんな嫌味は意に返さず、爺さんは答えを促すように私に視線を送る。この爺さんは……とため息を吐きたいのをこらえて言う。
「竜の巣……かしら? 」
「そういうことじゃな。」
爺さんがうなずく。
”竜の巣”とは、文字通り竜の巣である。そこには人類の天敵である竜が巣を作っている。1頭でも厄介な竜がうじゃうじゃといるのだ。その竜に何で対抗するのか? それは竜である。人類は人類の力を持ってして竜に抗うことを諦めたのである。竜を持って竜を制す。正に毒をもって毒を制すといった感じだ。そして、その竜を扱うためには竜医が必須なのである。
ただ、相変わらず軍は馬鹿だ。竜医の仲がどれだけ悪いか分かっていない。派閥に始まり、学歴、出身地に家柄と竜医同士の軋轢は熾烈を極めている。軍の連中は竜医なんて皆同じだと思っているんだから溜まったもんじゃない。
私は大きくため息を吐いて、再び資料に戻った。実に面倒だ。けれど断れば生活が厳しくなるのは明白。ならばやるしかない。
その後、爺さんが帰ったら、ミズキに着替えが無いと言われた。ミズキの着替えを取りに行ったついでに、資料を部屋作業場に置く。ミズキが店に戻ったのを見計らって、資料を部屋に置いてきた。彼女にバレるわけにはいかない。できることなら彼女には竜医とか落とし物とかそういうものに縛られない人生を歩んでほしい。
義妹の顔が記憶の片隅から浮かび上がる。それは私が作り上げた偽りの記憶なのかもしれない。けれど、確かに彼女が生きた証はある。
私は隣の部屋とを隔てる壁に目を向ける。
あんなことはもう起させはない。
二人のみずきに私は誓った。
昼、手が空いた時に昼ご飯を買いに行く。作っても良いが、やはり面倒だ。それに私はそんなに料理は上手くない。今朝のことの所為で夜に出かける用事ができてしまったし、今日は多めに買った。
ミズキとは何も話さず、ただ食事をする。ここ半月は、良いか悪いかは別にして、実に激動であった。さすがは”落とし物”と言っただろうか。
饅頭を頬張るミズキが視界に入る。彼女は何を知り、何を知らないのだろうか。自らの運命をどれだけ知っているのだろうか。そんな疑問を思う。
ねえ、みずき。結局、”落とし物”を拾うのは”落とし物”みたいだわ。そういうものなのかしらね。
私は、今はもう、記憶の中にしかいない少女に語りかけた。答えなど返ってくるはずもなく、ただ静かにその少女は思い出の片隅に佇んでいた。答えなんて求めていない。ただ、納得したいのだ。それだけなのだ。