戦火の知らせ
ミズキが学校に行くことを伝えに、そして、一昨日の夜の話をしに私はイヴァンの元へと向かった。店は午後だけの予定だ。
図書館の中は曲がりくねり一見迷路のようであるが、実は規則性があって合理的な配置になっている。そんな中を私はイヴァンの部屋――司書室――に向かって歩く。
その部屋は図書館の中で最も美しい部屋かもしれない。そんな部屋に、私はノックをするや否や、反応など待たずにずかずかと入り込んだ。
「イヴァン、いるんでしょー? 」と私は言いながら、本が山を形成し見事に地層を成している机に向かう。案の定、その頂きの向こう側から「来たか。」というイヴァンの声が聞こえた。それからイヴァンが本の山を別の本の山の上に詰み、山の間から姿を現す。
相変わらずの惨状に呆れながら私は早速、本題に入る。こいつと長々と無意味な会話をする気は無い。むしろ関わりたいくないくらいだ。
とは言え――完全に無意味というわけではないが――一つ、本題に入る前に話すことにする。
「ミズキ、学校に行くそうよ。」
「そうか…… 分かった。」
なんとも歯切れの悪い返事である。
それもそうね。この後の話を考えたら、場合によっては、学校がどうのなんておちおち言ってられないもの。
イヴァンも、私がそう察していることは分かっている様子で、早く本題に入れと言わんばかりの雰囲気を纏っている。
お望み通り、本題に入るとしましょう。
「北が来るのね? 」
どうせそんなところでしょう。
「ああ。その通りだ。」
やっぱり。そんなこと、一々報告するなっての。こっちだって情報は入ってくるのよ。まあ、こいつからの方が情報が早いし信用できるし、有り難いっちゃ有り難いけど。
「それがどうかしたのかしら? 竜医についてはあなたの方がよっぽど詳しい気がするのだけれど。」
軍所属の竜医は命があれば戦場に行かねばならない。戦争が起きそうだ、と伝えられてもどうにもできないのはイヴァンも分かっているはずなのだけれど。
「ミズキの方はどうするつもりだ。あいつは竜医じゃないんだろ? 」
「そう……ね。その言い方だと預かってもらえるのかしら? 」
そうじゃなかったら承知しないから。そんな意味合いを込めて言った。イヴァンが呆れたように首を振る。
「お前はそれで良いのか? ミズキと離れることになるぞ。それに、あの竜は――」
「そんなの分かってるわよ! 」
イヴァンの説教じみた言い方に、つい声を荒げてしまった。
恥ずかしくなって俯く。イヴァンは暫くそんな私を無言で見つめた後、また口を開いた。
「悪いな。つい、でしゃばったことを言った。」
その言葉に悪びれる様子は無い。
「大丈夫よ。それより、態々そんなことを言うってことは何か策でもあるのでしょうね? 」
「ある。」
へえ、断言するんだ。
「――俺は北の人間であることは知っているだろう? 」
「ええ。それで、それなりの権限もあることもね。」
まさか、こいつ……
「だから北へ亡命させることならできる。竜医とその連れ、さらに本物の竜だ。待遇は悪いはずが無いだろう。」
「なるほどね。理解したわ。」
「じゃあ――」
「みずきの時に散々だった癖に良くもそんなことが言えたわね。それに今回は二人だけじゃなくて1頭が加わるのよ。確かに、あの時は手を打つのが遅かったとは思う。今回はかなり早く動いているのも事実。けれど、だからといって、私はあなたのことをそう簡単に信用するわけにもいかないわ。
それに、向こうに行ったらどうするの?
捕虜待遇?
冗談じゃない。こっちは竜医よ。今度は北に駆り出されるに決まってるわ。こっちには竜がいる。だけど、所詮1頭よ。たかが知れているわ。」
私は畳み掛ける。前に失敗した方法をまた使おうとするなんて愚策としか言えない。今回は前回とは状況が違うし、私も成功するようには思える。けれど、敵国の工作員を信用するというのも無理な話だ。
「そうか。分かった。この話しは無しということで構わない。」
「ええ、そうしてちょうだい。」
そう冷たく言って、私は部屋から出ようとする。
後ろからイヴァンの咳払いが聞こえた。まだ話すことでもあったかしら。
「それはそうと…… あの竜はどうするつもりだ? 今はまだ、それこそ猫みたいなものだが、いずれは手に負えなくなるぞ。」
なるほど、そのことね。
「分かってる。それまでには適当に引っ越すなり何なりするわ。その時はお願いできるかしら? 」
「君というやつは…… 分かった。こちらとしても君の信用を得たい。何かあれば、君に全面協力しよう。」
「ありがとう。その時は頼らせてもらうわね。じゃあ、また。」
今度こそ私は部屋から出た。
例え私が戦場に行くことになったとしても、ミズキ、あなたのことだけは絶対に守るから。……って、みずきもそう思っていたのかしらね。負の連鎖はいつまで続くのかしら。きっとこの世界が終わりでもしない限り無理なのでしょうね。
廊下を歩きながらミズキを思う。私しかいない廊下は足音が良く響き、薄暗く、奥へ奥へと続いていた。
少女が去った後の部屋、イヴァンは大きくため息を吐く。机に積み上げられた本と本の間から、1枚の紙を引き抜く。
「竜、ね……」
ある1枚の報告書であった。
彼女は自らについてどれだけ知っているのだろうか。もしかしたら全く知らないのかもしれいない。もしかしたらこんな報告書に書かれいないようなことまで知っているのかもしれない。
知らないであの態度なら、とんだ愚か者だ。知っててあの態度なら、とんだ策士だろう。
イヴァンはその報告書を片手に暖炉へと向かう。
その内容は読まずとも分かった。故に読む気は無かったのである。
イヴァンは暖炉の中へと投げ込み、火をつけた。一瞬で紙全体が真っ赤に燃え上がる。
5月下旬、火など入るはずのない暖炉の中には小さな火がしばらく揺れていた。