林苑に聞こゆ(肆)
更新、とんでもなく伸びてしまい、申し訳ありません。8月中旬まで、更新周期が不安定になりそうです。
ミズキと夕食に行って帰ってきたら、イヴァンがいた。ミズキから話を聞いていなければ、その場で立ち尽くしたかもしれない。こいつが、この時間に突然来るというのはそのくらい珍しいことなのだ。
――今思えば、昨日、私が家にいなかったのは、運が良かったわね。だって、まともな対応できるわけ無いもの。特にミズキがその場にいたら。
なぜ来たのか。それは想像がついた。これも話を聞いていたからだろう。
ミズキには感謝しないといけないかしら?
彼女に目をやる。大人しく立って、事の成り行きを見守るようだった。どうもこの子は、見た目の割に大人っぽい。
うーん、分かっていたとはいえ、やっぱり、家には上げたくないのよね、あ・い・つを。まあ、店の方なら良いかしら。できればそれもしたくないのだけれど…… 仕方が無い。予想はしていたこと。対策をしなかったのは私の問題。
ミズキに部屋へ行くように言って、イヴァンの方には外で待っているように言う。
家に入って、内側から店の戸を開けた。
片付けていた丸椅子を引っ張り出す。あくまで、ここは店であって応接室ではない。傍から見れば座談会だろう。ただ、今回に限っては、それも強ち間違いじゃない。
「お茶とかは出せないけど、良いわよね? 」
「ああ、構わない。もともと長居するつもりは無い。」
イヴァンが座って、フードを外した。
「一応聞いておくけど、どうしたのかしら? 」
私の予想と違ったら追い出してやろうかしら、などと考える。
「……ミズキの、学校のことだ。」
そいつは少し考えるようにしてから言った。
「ま、そうよね。」
私も腰掛ける。
一度、店と家を隔てる襖に目をやった。大丈夫、ミズキはいない。念のため、席を立って、襖を閉め直す。
ミズキを信用していないのかしら。いいえ、そんなことはないわ。それにもしかしたら――
その疑問を振り払うべく、話を続ける。
「で、どうなのかしら? 」
そう話しながら席に着く。
「できないことはない。」
やや無愛想な言い方をされた。
「”できないことはない”というと? 」
歯切れの悪い答えに若干イライラしながら聞く。とは言え、答えの想像は大体ついていた。
「ああ。確実に、となると、軍がやっている――」
やっぱり。そういうことよね。
言い終わるのを待たずに、重ねて言う。
「それは駄目よ。言ったでしょ。私はあの子を軍に関わらせる気は無いって。」
この前、図書館でした話しを覚えていないのかしら。
「分かっている。だが、そうなると、後半月はかかるぞ。それまで隠し通せるのか? 」
舌打ちをする。
「チッ…………やってやるわよ。」
「厳しいのは重々承知、というわけか。」
イヴァンがあからさまにため息を吐く。
「半月ならなんとかなるわ。」
「手続きを含めると、1ヶ月はかかるが? 」
「……他に手は無いんでしょ? 」
「まあ、な。」
「なら仕様が無いじゃない。船が出ていってしまえば、また暫くは大丈夫なのだし。まさか西と戦争が、なんてこともないでしょう? 」
「……分かった。なら、そうしよう。」
微妙な間を空けて言い、腰を上げた。
椅子を片付ける。イヴァンを見送ろうと、外に出た。
「ああ、そうだった。」
あいつが振り向きざまに言う。
「言い忘れでも? 」
と言いう私は、何を言いたいのか大体分かっていた。そもそも、本当に話したかったのは、ミズキの学校のことじゃないんでしょ? わざわざ言うまでもないとは思うけど。
「そうだ。」
「…………それは、また、今度で良いかしら? 図書館なんかで。」
学校のこと以上に、ミズキに聞かれるのは良くないと思う。私は予め用意していた回答をした。
「……それもそうだな。」
イヴァンが2階に目を向けた。どうやら私と同意見のようである。とりあえず、さっきの会話中にその話を出さなかったということは、認識はあいつとほぼ一致しているのだろう。
イヴァンの背中が見えなくなるのを、確実に確認して、店に入る。
「一雨、降りそうね。」
空には、星が全く見えなかった。湿っぽい、生ぬるい空気がねっとりと動いていた。
明日は曇り? それとも…… 夜のうちに止んでいれば良いんだけど。
その後、ミズキの部屋に様子を見に行く。ミズキは机に突っ伏して寝ていた。
「もう。」
ミズキを動かそうとする。しかし動かない。
「あら、意外と重いのね。」
ちょっと驚く。そしてすぐに突っ込みを入れる。いや、私の力が足りなすぎるのよ。毎日、座ってばっかりいるから、と。
「少しは運動した方が良いのかしら。」
……なんて言いつつ、そんなことをする気は更々無いのだが。
風邪、引くわよ。布団を寝台から取って、ミズキに掛けた。
「みずき……」
ミズキの髪を撫でる。私のとは違う綺麗な髪だ。
「ん……」
その少女は寝言と共に私の手を払い除けた。
「あらあら。竜医の手は臭いかしら。」
自嘲気味に呟くと、手を引いた。ランプの火を消して、部屋を出た。
朝、目が覚める。天気は曇だった。ギリギリ降らなかったという感じで、灰色の雲がどっしりと腰を据えている。
下から物音がした。
泥棒? まさか。
部屋を出て、ミズキの部屋を叩く。応答は無かった。
戸を開けば、そこは空室である。
やっぱり。
一旦、部屋に戻ってボサボサの髪を撫で付ける。
1階に下りて、店の戸を開けた。
「あら。」
驚いた雰囲気を出して言ってみる。その方が自然じゃないか、と思ったから。
「今日、早く起きちゃって。」
ミズキ言う。
それから、ミズキに水汲みの仕方を教えて、私は部屋に戻る。着替えて、髪を結んで、ミズキの着替えを用意した。
台所に行って、ミズキに着替えてくるように伝えた。そして、朝ご飯を作り始めることにする。
降らなくって良かったわ。
竈に火を入れながら思う。なにせ雨の日は客が半減するのだ。
ミズキとしては、勉強時間が減って残念かしら?
客のいない時間帯、ひたすら本を読むミズキを思い出す。
世間の子供はあんなに真面目じゃないわよね? あの子、そのうち体を壊すんじゃないの? 心配……しなくても大丈夫かしら。あの子、見た目の割に体力があるみたいだから。
そんな多愛も無いことを考えながら、料理をしていた。
ふと、背後で、戸が開く音がした。
あら、着替え終わったのね。今度は何を手伝ってもらおうかしら。
振り向こうとする。
その時、突然、声がした。
「姉さん、何か手伝う? 」
その言葉に、一瞬、頭が真っ白になった。
みずき……?
そんなはず……ない。
顔が冷たい。手が震える。
だって……もう……
持っていた包丁がカランと落ちる。
私は、正体の分からない恐怖と、バカバカしい期待を抱いて、硬直する体を動かす。
私の目はミズキを認識した。
ミズキだ。そう、ミズキだ。それ以外であるはずが無い。けれど、その声は……まるで。
何か言わないと。
「あ………… ミズキ、どうしたの? 」
そうして声になったのは、本当に本当に意味の無い言葉だった。
ミズキが何か言っている。けれども言葉が頭に入ってこない。
「いえ、大丈夫よ。」
とにかくそう言って、包丁を拾い上げる。まだ手が震えている。
消そうとしても、呪いみたいに、みずきの残像は無くならない。
「そうよね。私があなたの姉だって言ったのは、私自身だものね。」
自分に言い聞かせる。その残像を一刻も早く消し去りたかった。
結局、微妙な雰囲気のまま、その日の仕事に取り掛かる。
まさか、こんなに驚くなんて。まだあのことを引きずっているのかしら。あの子にはどこまでを伝えたら良いの?
いや、過去のことを態々あの子に言う必要は無い。
ミズキはミズキなのだ。
とはいえ…… せめて竜のことくらいは話した方が良いのかしら。
いや、でも、あの子はそれをどう思う? 侵略者である竜を私が――
暇があれば作業場で考え込んでしまう。ミズキはミズキで何か考え込んでいるようで、今日は私が書いた教科書もどきには手を付けていなかった。
――そんな感じのまま、その日は終わった。