黒崎 海
「ようやく昼だー…」
昼休みの鐘がなる。
最近はようやく慣れてきたが、女の子として過ごす学生生活はとても大変だった。
トイレだってそうだし、体育の時間の着替えなんて精神力がすり減らされるなんてもんじゃない。
今は女なのだから、堂々と女子更衣室に潜り込めるチャンスといえばチャンスだが、悪いことをしている気分が拭えずどうしても視線を彷徨わせてしまう。
初めはドキドキし過ぎて、鼻血すら出したほどだった。
「まどか。今日はどうする?」
昼休みはまどかや海と過ごすのが俺の日課で、何もなければ3人で机を寄せ合ってお昼を食べる。
まどかのしょうもない話で笑って、海に馬鹿にされて、とのどかな昼休みを過ごすのだ。
今日もそうしようと、斜め後ろのまどかを振り向くと、彼女はとても険しい顔をしていた。
「…どうしたんだ?」
「お昼休み、呼び出された」
まどかは険しい顔のまま、1枚の封筒を差し出した。何の飾り気もない、真っ白な封筒だ。
そこにはただ、『まどかさんへ』と書かれているだけなのだが、俺はすぐにぴんと来た。
伊達にモテ期を迎えているわけではない。
これは、いわゆるラブレター、だった。
「物好きもいるんだな。まどかにラブレターなんて」
「海!」
そのラブレターをひょいっと持ち上げて、海が笑う。
まどかの抗議の視線もなんのそので、海はすぐにラブレターを机に戻すと、良かったな、なんて茶化した。
そういえば、俺が莉子になってからというもの、…いや、そうなるより前の記憶を辿ってもまどかが告白されているところを見たことがない。
自分のことにいっぱいいっぱいで、今まで疑問にも思っていなかったけれど、こんなに可愛いまどかが男共からアピールを受けていなかったのは不思議だった。
「断ってくるから、待っててよ?」
「はいはい」
拗ねたように頬を膨らますまどかに、海が適当に相槌をうつ。
相手がどんな奴かは知らないが、断ることは前提のようだった。
そんな光景にふと違和感を感じる。
彼氏を作ることに関して、あんなに積極的な事を言っていたまどかなのに、何故相手のことを知る前から、断る前提なのだろうか、と。
「…まどか、断っちゃうの?」
「え?」
「告白されるの、珍しいんだろ?」
せっかくなんだから、少し考えればいいのに、と俺が言うとまどかが一瞬困ったような顔をした。
そして、そう言った俺自身、もやもやとした気持ちが広がってしまい、困ってしまった。
まどかが、遠くに行ってしまうような気持ちになる。
「…いいの。今は、3人でいたいから」
そんなもやもやを振り払うように、まどかはにこっと笑うと勢いよく立ち上がった。
ラブレターを手に引っ掴むと、じゃあ、行ってくるねと手を振って廊下へと姿を消す。
なんとなく、気まずい雰囲気になったような気がして俺は海の顔色を伺ったが、海は我関せずといった様子で机に腰をおろした。
「お昼食べないのか?」
「あいつ、先に食べると怒るから」
海は机の上にお昼ではなく手持ちの小説を広げた。
確かに、待っててと言われた以上は待ってないとへそを曲げそうだ。
俺も海に見習って、お昼ではなく自身の携帯を手にとった。
とはいえ、特にやることもなく、本を読む海をぼんやりと見つめるばかりである。
(こうしてみると、こいつ…本当イケメンだよな)
猫毛で柔らかそうな黒髪。
目元のほくろ。どこか中性的な顔立ちは下手すると女でも通ってしまうのではないかというくらい、綺麗だ。
男にしては華奢な体型も、筋肉がついてないというわけではなくて、ほどよくしなやかな筋肉がついている。
骨っぽく大きな手だが、指も綺麗だし、頭だって悪くない。
欠点なんて見当たらないくらい完璧な人間…の、ように見える。
まぁ、そんな完璧な人間じゃないことは幼馴染である俺がよく知っているのだけれど。
「見過ぎ」
そんなことをあれこれ考えていると、さすがに視線が気になったのか海が呆れたようにため息をついた。
本を片手に頬杖をつく、その姿がとても様になっていて、まるで美術館に展示されている彫刻のようだった。
そこにあるのが、当然と言わんばかりの悠然さである。
「何か用事?」
海は昔から誤解を受けやすい人間だった。
感情を表現するのが苦手で、嬉しいことも悲しいこともそうだと主張することが出来なかった。
それこそ、兄妹ように育った幼馴染のまどかが喜怒哀楽が激しい子供だったこともあり、海は昔から感情の波を感じにくい子供だったのだ。
それは高校に入ってからも変わらず、本人の意思に反して整っていく見た目とは裏腹に感情は常に内向きになってしまう傾向にあった。
笑うのも怒るのも苦手で、ついたあだ名が『歩くマネキン』。
何を考えているかわからない、と海を苦手にする人も少なくはなかった。
でも、本当はとても優しくて情にあふれた人なのだということを幼馴染である俺たちは知っている。
器用ではないけれど、控えめに口の端を持ち上げるあの笑い方が、優しいあの目がとても好きだった。
「海はさ、」
「うん?」
「彼女とか、作らないの?」
海のまわりの空気はいつも静かで、綺麗だ。
教室だろうが廊下だろうが、海がいればそこだけは別世界で、まるで海底で水面を見上げたような、そんな神秘的な気持ちにさせてくれる。
窓から入ってくる風に遊ばれる毛先を抑えて、海は珍しいものを見るような顔をした。
「急に何?」
「いや、モテるだろうなーって」
素直な感想を言えば、海が居心地悪そうな様子で視線をそらした。その耳が真っ赤に染まっているので、どうやら照れているのだと思う。
ある意味では、まどかよりわかりやすい反応だと思うのに、なんでみんなはわからないのだろう。
「じゃあ、莉子はなんで彼氏つくらないの?」
「へ?」
モテるだろうに、と海が付け加えた。
確かに、俺はモテる。
放課後ともなれば、知りもしない男子からの告白への対応に追われるのはいつものことで。
相手を選ぼうと思えば、選り取り見取りだ。
けれど、中身が男なのだから男と付き合うなんて選択肢がないのは仕方がないだろう。
「うーん、ほら、俺女の子好きだし…」
「じゃあ彼女つくればいいだろ」
なにより、今の状況を崩してしまうのが少し怖くもあった。
みんなとこうして過ごす新しい日常を、変えてしまいたくないっていう気持ちも確かにあるのだ。
海に彼女が出来て、まどかに彼氏が出来て、
俺たちは一緒にいられるのだろうか。
心が男の俺は、この世界で上手くやっていけるのだろうか。
俺は、自分を守ってくれるこの幼馴染たちが自分をおいていってしまうのではないかと不安なのかもしれない。
まどかのラブレターを見たときのもやもやは、そんな不安感かもしれなかった。
「…俺もさ、今はいいかなって思っちゃって」
子供みたいかもしれないけど、今はまだ友達同士で馬鹿やってる方が楽しいのだと思う。
大人になればなくなってしまう、このキラキラした時間を大切にしたいと思ってしまう。
それが、青春ごっこなのかもしれない、とどこかでは思っていたが、その青春ごっこから遠いところにいた俺にとっては憧れでもあった。
「子供だな」
そのときの海の顔が、優しくて少しだけ悲しそうで何故か胸が痛くなったのを覚えている。
聡い彼だけがわかっていたのかもしれない。
キラキラした時間は永遠ではないことを。




