臆病者の後悔
「ごめんなさいっ」
まどかが勢いよく頭を下げた。
席に腰を下ろしたままの俺の目の前には、まどかのつむじが見えて、柔らかそうな茶色の髪が重力に従ってふわりと流れる。
俺は何を言われたかすぐには理解出来ずに、ただ、瞬きをした。
「…私が悪いのは、分かってたんだけど」
どうしても素直になれなくて、と頭をさげたままのまどかに言われて、俺はようやく思い出したように言葉を吐き出した。
「ま、まどか…ここじゃ、ちょっと」
クラスのみんなの視線を集めている。
俺は、頭を下げたままのまどかを中庭へと促した。
告白に人気のこのスポットは、よく俺が呼び出されている、慣れ親しんだ場所だ。
春にしては少し強い日差しを避けて、校舎の影に隠れるようにしながらまどかと向き合うと、眉をハの字にしたまどかが再び謝罪した。
「莉子…ごめん。私の八つ当たりなのは、分かってたの」
「まどか…」
申し訳なさからか、俯き加減になったまどかのまつ毛が震える。
一瞬、泣いているのかと思って焦ったが、俺には何も出来なかった。
(…情けないな…女の子から…まどかから謝らせるなんて…)
謝りたくてもどうしていいかわからない、なんて言い訳をして何もしなかった自分を恥じる。
女の子のまどかが、勇気を出して謝ってくれたというのに…俺はこの数日何をしていたんだろう。
好意を見せてくれている貴之を利用して、甘えて、言い訳をして考えることをしなかった。
(まどかが謝ってくれなかったら、俺は…)
どうしたらいいかわからないのを言い訳に、前の俺の経験不足を言い訳に、まどかや海との関係を捨ててしまおうとしていたのではないか。
そう気付いて、俺は一気に冷や汗をかいた。
人との関係は、とても脆い。
些細なすれ違いで、ちょっとした怠慢で、家族のように育ってきた2人をなくしてしまうところだった。
2人と…まどかと、離れるのは、怖い。
「…あの、俺こそ…ごめん」
「莉子は何も悪くないの!」
まどかの顔には俺を責める色は少しもなくて、罪悪感と後悔だけが滲んでいた。
そうしてもらうだけの価値が俺にはないというのに。
謝ることが出来なければ、このまま適当にやり過ごそうと思っていたんじゃないか。
俺という薄情な人間のエゴの為に、こんな汚い打算の為に…まどかにこんな顔をさせているのかと思うと自己嫌悪しかなかった。
「実はね、ちょっと焦ったんだ」
そんな俺のもやもやには少しも気付かないで、まどかは照れたようなはにかんだような顔で笑った。
その表情は、とても可愛くて、俺は直前まで考えていたもやもやなんか忘れて少しときめいてしまう。
「堂本さんに海を取られちゃうのかも、って焦ってて…莉子が煽るようなこと言うから、やばいって思った」
「…ごめん」
正直、俺はあの時、何故あんな言葉を言ったのかよくわかっていない。
まどかと海との間に、その関係に俺が入れないんだと思ったら置いていかれたような寂しさと焦りが生まれてきたのだ。
(…取られるかも、って…思った)
取られてしまう。
ただ、そう思って、焦って…まどかが言うように「やばい」と思った。
だから、頭がいっぱいいっぱいになって気付いた時には言葉が口をついて出てきたのだ。
(…あれ?…これって…)
そこまで考えて、俺は疑問にぶち当たる。
取られるって…誰に?誰が?
俺は…何を焦ったのだろう。
「本当はね、この気持ちはずっと隠してくつもりだった」
「へ?」
「脈がないの、分かるから」
俺の思考は、まどかの言葉に遮られる。
明るく言い放ったまどかの顔は、笑ってはいたけど…どこか泣きそうに歪んでいた。
「脈がないって…そんなの、わかんないだろ」
自分でそう言って、俺は胸が締め付けられるような痛みを感じた。
その正体はよくわからなかったが、掘り下げてはいけないような気がして、あえて無視をする。
「 わかるよ。ずっと一緒にいたんだから」
「…」
「だけど、思い出したんだ。昔のこと」
まどかの瞳は、真っ直ぐで強い光が宿っていた。
…綺麗な、目だ。
「負けてられるかって、思ったの」
真っ直ぐな目で見つめられることに慣れてない俺は、すごくドキドキしてしまって…胸が苦しくなった。
見慣れてるまどかの姿が、なんだかいつもより眩しく見える。
…俺は、こんなに強く輝いたことは、ない。
すごく、羨ましい。
「駄目だって諦めないで…振り向かせてみせるって…これが私、なんだって思ったらすごく、楽になった」
「…そ、う」
「昔も、今も…莉子が背中を押してくれたの」
キラキラと、輝くような笑顔でお礼を言われて、俺は言葉が出てこなかった。
色々な思いが、もやもやが頭をいっぱいにして、言葉を奪っていく。
なんて、言ったらいいのだろう。
なんて答えたら…まどかに嫌われないだろう。
…まどかを、傷つけないのだろう。
「…お、俺っ!応援するよ…っ」
まどかに嫌われたくて、まどかに喜んで欲しくて…俺は考える暇もなく、そう口にしてしまった。
恋愛経験はゼロだし、応援なんていって何を出来るのかはわからなかったが、これが俺の精一杯だった。
まどかにしてやれる、俺の…精一杯、だった。
「本当?」
「…う、うん」
パッと顔を輝かせて喜ぶまどかに、俺は喜びやら安心やらが入り混じった複雑な気持ちになった。
俺の答えは、正解だったのだろうか。
「ありがとう、莉子」
「!」
本当に、嬉しそうな顔で笑ったまどかが俺をぎゅうぎゅうと抱きしめる。
テンションが上がった女の子特有のスキンシップだと、分かってはいたが…俺の心臓は破れそうなくらい高鳴った。
シャンプーのいい匂い。
ふんわりとまどかの髪が頬をくすぐって。
今まで感じたことのない、柔らかな感触が俺を包み込む。
(お、女の子って…こんなに柔らかいのか…っ!)
同じ人間であるというのに、男の体とは全く違う。
温かくて、柔らかくて、…俺は緊張で汗が止まらない。
そんな俺に気付いた様子もなく、まどかはただ無邪気に俺に抱きついたまま喜んでいた。
背中にまわされたまどかの手のひらの温かさに、頭がくらくらする。
恐る恐る、俺もまどかに手をまわそうとして…ふと、気付いた。
(…そうか、俺も…女の子、だ)
まどかにまわそうとした手は、まどかと同じく温かくて柔らかい、女の子の手だった。
急速に熱が引いていくような、胸がざわざやするような…そんな気持ちになる。
前の俺とは違う、女の子の手。
(俺は…)
俺は、初めて女の子になってしまったことを本気で後悔した。
…まどかの背中にまわすことが出来ないこの女の子の手を、後悔したーーー




