堂本 綾乃
「あれ、ない…?」
ごそごそ、と自身の机を漁り綾乃は青ざめた。
いつも持ち歩いているお気に入りのノートがない。
鞄にも、机にも入っていない。
最後に見たのはどこだろうかと記憶を辿れば、ちょっと前の移動教室が思いあたった。
(どうしよう、)
すぐにでも取りに行きたいのだが、生憎と今日はこれから委員会がある。
時計をちらりと見る。
ノートの中身は絶対に見られてはいけないが…、もう委員会に行かなくては。
綾乃は、ノートが誰にも見られていないことを神様に祈った。
「海」
夕焼け色をした日差しが、校舎を染める。
静寂が支配した世界の中で彼の声だけが、響く。
海の逃げ道を塞ぐように、貴之が壁に手をつけば海との体格差がより一層際立った。
「っ、先輩」
慌てたように声をあげる海を黙らせて、貴之はそっと顔を寄せた。
彼の生意気なところがどうしようもなく、気に入っている。
男だとか、女だとかそんなことは関係なくて。
貴之は、ただ純粋に海が欲しいと思った。
「…目、閉じろよ」
「嫌です」
目が潤んでいるくせに、とことんまで強がる海に笑みが浮かんだ。
強がる海を、崩していくのが楽しみだった。
貴之は、そのまま、すっと身を屈め…2人の影は重なった。
「わー、俺ってば大胆…」
貴之はノートをぺらぺらめくって、呆れ混じりの声をあげた。
中を覗くつもりはなかったのだが、偶然見えたページに自分の名前が書いてあれば気になってしまうもので。
興味本位で読み進めれば、予想してなかった相手とのラブロマンスだった。
小綺麗な字が並んでいるので、多分女の子のものだろう。
ここは空き教室の一室。
普段は移動教室で使われたりするのだが、放課後ともすれば近づくものもなく、絶好の穴場スポットとなる。
教師や女連中から逃れるために、貴之が時々利用する場所だった。
そこにぽつん、と置き忘れられていたノートをめくってみたのはほんの出来心、という奴でまさかこんなラブロマンスと出会えるとは思ってもみなかった。
「…あれ?海って男だよな?」
莉子ならともかく、何で相手が海なんだと思わないでもなかったが、貴之にとっては相手のことは何でも良かった。
こういう創作物に文句をつけるほど、心は狭くないつもりである。
ただ、これは他の人に見られたら不味い。
さすがの貴之でもそれだけはわかった。
貴之が読んだ部分はまだ浅い展開だが、どうやら後半になればなるほど過激な内容になっていくようである。
書いた本人もそうだが、海や貴之の名誉にかけても、これは誰にも見られたくないものだろう。
貴之は、昔アダルト雑誌をこっそり買って読んだ時の罪悪感にも似た気持ちを思い出しながら、ノートをそっと鞄にしまった。
「莉子ちゃん」
にこにこ、と嬉しそうな笑顔を浮かべて貴之がいつものようにやってきた。
最初こそ戸惑ったものの、今となっては大型犬に懐かれたような気持ちになって、俺は貴之に情がわいてしまっていた。
先輩に可愛がられる後輩、という関係は俺が密かに憧れた関係でもある。
漫画やアニメでしか見たことのなかった関係に自分も近づけていると思うと悪い気はしなかった。
「どうしたんだ?」
海がまた来やがった、といいたげな顔をしていたが、貴之にとってそれはいつもの挨拶のようなものだった。
慣れたように海の頭を抱え込んでヘッドロックを決める。
今まで海にそんな扱いをした人間がいなかっただけに、クラスメイト達は驚いたように目をぱちくりさせた。
「痛、もう、やめろって」
苦しそうな海の顔を見て満足したのか、貴之は上機嫌そうにそのまま海と無理矢理に肩を組んだ。
…なんだかんだで、海がお気に入りなのである。
「何しに来たんだよ…」
俺が2人のじゃれあいを一通り見守って、ため息まじりにそう聞くと貴之は珍しく困ったような顔をした。
「いや、落し物をどうしようかと」
そういえば、教室に入ってきた時から貴之の手にはノートの姿があった。
貴之のものではないことが一発でわかる、女の子らしいデザインである。
「名前書いてないのか?」
「うーん…名前は書いてない、と思うが」
貴之が煮え切らない様子で言葉を濁した。
海との肩組みを解除して、躊躇したような仕草で中をめくろうとする。
途端に、教室後方から悲鳴があがった。
「だめ!だめだめだめっ」
「ど、堂本さん?」
悲鳴とともにすごい勢いでとんできた綾乃が、貴之からノートをひったくった。
俺たちが呆気にとられていると、真っ赤な顔をした綾乃が中を確認し、言葉にならない悲鳴をあげる。
「な…中、見ました?」
綾乃は必死な形相で貴之に詰め寄った。
あまりの勢いに貴之も思わず仰け反ったが、綾乃は御構い無しのようだった。
こんなに必死になるなんて、ノートには一体何が書いてあるのだろう。
と、考えて俺はぴんと、きた。
綾乃は海のことが好きだ。
あの、ノートには彼女のその想いが綴られているのではないだろうか。
「3分の1くらい読んだかな」
「いやあああ…」
貴之が平然と頷くと、綾乃が絶望的な声をあげた。
堂本 綾乃は、いわゆる腐女子というやつだった。
出会いは中学生の時。
そもそも綾乃は恋愛漫画よりも、バトル漫画やスポーツ漫画といった友情物の方が好きだった。
当時とてもハマっていたスポーツ漫画の新刊を買いに行ったところ、アンソロジーと銘打たれた本を偶然見つけたのである。
タイトルは知ってる漫画のものではあったが、絵が女性向けの綺麗なものになっていて読みやすそうだった。
その内容がそうとも知らずに購入し、後々腐女子の沼へと転落していくのである。
(まさか、まさか…っ本人に見られるなんて…)
そのジャンルの漫画にハマってからは、二次創作というものに自らも手を出した。
漫画を描ける画力がなかったので、小説を書くようになったのである。
今時は携帯一つで簡単にホームページを作れるので、こっそり好きな漫画の二次創作物をネット上にアップして満足していた。
ところが、それに満足出来なくなって三次元にも手を出し始めたのはついこの前のことである。
(あの時、2人を見てなければ…、)
静かな、校舎裏。
そこだけ世界が切り離されたかのような、静謐な空気の中、2人の男子生徒の姿があった。
その日、図書室のゴミを捨てて戻る途中だった綾乃は話し声にふと足を止める。
「ねぇ聞いてんの海ちゃん」
「っ、」
聞こえてきた名前がクラスメイトの名前だったこともあって、綾乃は興味を持ってしまった。
喧嘩だったらどうしよう、という不安半分と面白そうだという野次馬根性半分だった。
(あ…)
そこから、言葉は出てこなかった。
漫画のワンシーンみたいな、その光景に心臓が破裂するんじゃないかと思うくらい高鳴った。
興奮を抑えてるのに、抑えきれなくてうっすらと涙が滲む。
「変な顔」
壁に肩を押し付けられている海。
そんな海を押し付けている本人が、心配そうな顔で海の顔を覗き込んでいた。
背の高い貴之が海の顔を覗き込むその姿は一見すると、暴力を振るわれているような体勢である。
けれど、珍しく海は子供のようにあどけなく笑った。
(こ、これだわっ)
その光景が胸をきゅうきゅう締め付けてくるのを感じながら、綾乃は悶えた。
二次元にしかない綺麗な世界。
それが、三次元にも存在する。
それを目の当たりにした瞬間だった。
「莉子ちゃんといい、なんか、上手くいかねぇな」
目の前の2人が、見た目にも優秀な人間達だったこともあって、少しも違和感や嫌悪感は感じなかった。
それどころか、自分でも抑えきれないくらいの情熱が燃え上がる。
ここにノートとペンがあったらすぐ、執筆をしたいと思うくらいだ。
「…誰かいるのか?」
「きゃ、」
「堂本?」
目の前の光景をどう表わそうかとあれこれ考えている内に、覗いているのがバレたらしく声をかけられた。
気が付けば、綾乃は2人に視線を向けられていて、焦る。
「ご、ごめんなさい!覗くつもりはなくてっ!」
今考えていたことまでバレるわけではないが、どうしようもない背徳感を感じた。
そんなこと知るよしもない2人は、続けて何事かを話しかけようとしていたが、綾乃はそれを確認する間も無く脱兎の如く逃げ出す。
「あの、あのっ、大丈夫です!秘密にします!」
「?…あ、うん、ありがとう」
「邪魔して、ごめんなさい!ごゆっくり!」
「わ、どうしたの」
教室にかけこんで、上がった息を整える。
偶然、そこにいたのは海の幼馴染の2人だった。
「好きになっちゃったかも、」
今まで、三次元なんて見れないと思ってた。
身近な男なんて、幼稚だし、二次元の世界と違って汚い。
(でも、違う…。あの2人なら、)
身近で、しかも動く素材。
漫画と違い声が付き、連載終了などという終わりもない。
ドキドキと胸が高鳴った。
好きになっちゃったかもしれない。
…三次元カップリング。




