武器を捨てろ
「工房長、臨安の宮廷から書状が届いておりますが……15通も」
「はぁ~、またかよ」
俺は盛大にため息をついた。
先月雇い入れた見習いが、両手に山ほどの巻き物を抱えているではないか。内容はどうせいつもと同じ、皇帝陛下からのご催促だろう。
「いいよチュウメイ。そのへん置いといてくれ、それ全部」
「は、はい工房長」
どさどさと大机に巻き物を並べると、見習いは俺に一礼して部屋を出て行った。
「やれやれ、一応目を通すか」
俺は火薬の調合計算をいったん中断し、巻き物の一本をほどく。思ったとおりだ。こまかい字でビッシリと書きこまれてやがる。
うんざりしながら斜め読みする。
「なになに……『シカ老師の容体や如何に』……父上は死にそうだと何度も言ってるだろ!」
「それから……『新しい火槍の開発は進んでいるか』……簡単に言ってくれるなあ」
「そんで……『蒙古』?」
「なんて読むんだこれ? もうこ? もんごる?」
「えー……チンギスハンなる蛮族頭が…… 『 ゲン 』?」
「『 元 』なる卑国を僭称し、我らが “ 宋 ”の領地を……」
たまらないな、まったく。
こっちはただの武器工房だぞ。前線がどうしただの、戦況がやばいだの言われてもどうしようもない。これ以上、生産量を増やせるものか。
俺は書簡を机に放り投げ、部屋の小窓に目を向けた。
俺の事務室は「火槍」と「大砲」の研磨室に隣接している。だから一日中、女工たちがシュッシュと砲身をヤスリがけする音が聞こえるのだ。
よく耳がおかしくならないな、と思われそうだがとんでもない。作業中の女工の声を聞くのは、工房長の俺にとってとても重要なことなのだ。
「あ、はあ、はあ、もう、くたくたぁ」
しゅっしゅっ。
「やだあ、まだ左のほうが厚いわぁ。もう堪忍してよう」
しゅっしゅっ。
「ううん。腕が回らなぁい。ねえ手伝ってぇ」
しゅっしゅっ。
重要なことなのだ。ぎひひひひ。
「失礼します、工房長。シカ老師がおよびです」
「うお!」
いきなり中堅職人のホウレンが部屋に入ってきたので、俺はびくりと飛び上がった。
「おおホウレンか、おどかすな。なに、父上が? 起きてこられたのか?」
「はい、しかしお体の具合がよろしくないようで……お食事も粥をふたさじほどすすられたのみでして……」
「……わかった、すぐに向かう」
ホウレンの沈痛した表情をみて、いよいよ父上の寿命が尽きようとしているのを悟った。
もっとも父上も72歳。25人兄弟の末弟の俺が生まれたときには、すでに51だったと聞くから大長命というべきだろう。
俺はホウレンに書簡の目通しを命じて、ぽつぽつと部屋を出た。中庭を抜け、離れにある邸宅へと足を運ぶ。
いくつもの巨大工房から、威勢のいい職人たちの声がする。機械や金属の音が、やかましいほど響いている。
俺が幼いころから、この工房の活気は変わらない。
「うむ。よくぞ一代でこれほどの工房を作られたものだ、父上は」
工房……というにはあまりに巨大な兵器廠だ。鋳造部門、調合部門、組み立て部門、そしていま俺が向かっている邸宅。
本来ならいずれも、一介の武器職人が手に入れられるような施設ではない。
だが父はちがう。
父を、そんじょそこらの武器職人と同じに考えてもらっては困る。
いち武器職人の父が、恐れ多くも皇帝陛下の全面援助を受けているのは、ひとえに父が天才だからだ。
鉄筒に火薬を詰めた「火槍」を発明した父は、次にその爆発力を持って鉄球を撃ち出す「大砲」を作り上げた。この2つは、たちまち戦争の歴史に大変革をもたらした。
だが、まだまだ最前線では弓矢が主流であることは言うまでもない。なにしろ製造スピードが違いすぎる。大砲ひとつを作っているあいだに、弓なら100丁は生産可能だ。
特に『 元 』とかいう新興国は、弓の名手ぞろいと聞く。悔しいかな、砂漠の果てから湧いた蛮族ごときに、我が宋の国は一進一退をせまられているのだ。
「父上、お呼びでございますか」
寝室の前にやってきた俺は、石の廊下に膝をついて扉越しに父を呼んだ。親子の間で仰々しいと思われるだろうが、父は俺にとって師匠でもある。朱子学の教えにならい、師に礼をつくすのは当然だ。だろ?
それに、25番目の子である俺を、工房長に推薦してくれたのも父だ。父が言うには、俺は父以上の天才らしい。だが俺にそんな才能があるのか、いまだに俺にはわからない。
「おお、来たか。入れ入れ」
「! …………失礼いたします」
あまりにかぼそい父の声に、俺は言葉が詰まった。あのハツラツとしていた父の声が、今は……
木戸を開けると、父はベッドに横たわったまま、俺に首を向けた。
「そばに寄れ、息子よ。近くに来るのじゃ、さあそこに座れ」
俺は言われた通り、椅子をベッドのそばまで引き寄せて腰かけた。
「息子よ、わしはもういかぬ。日暮れまでとても持つまいて、後を頼んだぞ……」
「……!! ……かしこまりました、父上。なにとぞご心配なきよう、なにとぞ……」
何を気弱なことを言われますか、と言えればどんなに楽だったか。
だが父の目は、すべてを受け入れているかのように穏やかだった。またその優しい笑みは、もはや気休めなど欲していないことは明らかだった。
「息子よ、わしはお前にどうしても伝えておかねばならぬ。我が一族の未来と、これからの戦争の変貌……いや、様変わりについてじゃ」
「様変わり、とおっしゃいますと……我が国に攻め入ろうとたくらむ『 元 』とかいう蛮国のことでございますか? どうということはありますまい。父上の考案なされた大砲が運用されれば、宋が敗北することなどありえませぬ」
「宋は負けるわい。これからは『 元 』の世となろう」
「父上!?」
俺は椅子から転げ落ちそうになった。
こんなことを官吏に聞かれたら、一族郎党、赤子まで死罪になってもおかしくない。
「ち、父上、なにを仰せになります……!」
俺は父の枕元に顔を近づけ、ひそひそと耳打ちをした。
「フン。どうせ皇帝陛下から、『もっとすごいものを作れ』と矢の催促なのじゃろう? どうじゃ?」
「は、はあ……おっしゃる通りです。ご存じだったのですか」
「召使いどもから聞いておる。敵の兵どもめ、騎馬を使った連携戦術を用いるそうじゃな」
父の声は、わずかに力が戻ったように感じられた。
「よいか息子よ、まだまだ戦争の主力は弓矢じゃ。いかに大砲の威力が上がろうとも、そこに機動力はまったくない。大きすぎるのじゃ。戦場の鉄則は速さよ……小憎らしい蛮族どもめ、戦のことをよく心得ているようじゃな」
「しかし父上! それでは……」
俺はあわてて口をつぐんだ。もう少しで、父に口答えをするところだった。だがそんな俺の様子を見て、父は笑って答えた。
「息子よ、言いたいことはわかる。大砲は役に立たんのか、じゃろう? そんなことはない。じつはな、わしが本当に作りたかったのはそれなのだ。なんとか大砲を小型化できないかと考えておったのだ。そう……片手で扱えるような小ささにのう」
「ち……!」
どさあ!
今度は本当に、イスから転げ落ちる俺。なんという……なんというメチャクチャを言われるのだ?
「息子よ、弓矢より軽い砲がそんなに意外か? 大砲の筒を細く、小さくするのだ。弾もそれに合わせて小さくすればよい。いや、もちろん現代の科学では無理じゃ。そんな小さな筒では、爆発の強さに耐えられん。だがそれを耐えうる強度の製鉄術があれば……」
父の発想に、俺は言葉を失った。話についていけない。
いや、まてよ?
もしそんな武器があったとして重大な欠点があるぞ。だがしかし、それを父に言ってよいものか……?
「息子よ、いつまで地べたに尻をつけておる。言いたいことがあるなら言ってみろ。これが最後の会話になるのじゃぞ。聞かせてくれ」
最後、と言われて俺は我に返った。
そうだ、そうだった。
伝えねばならぬ。
倒れた椅子を起こし、ギシと座りなおす。
「オホン……恐れながら父上、砲は1発づつしか撃てませぬ。ゆえにその効果範囲を広げるため、巨大化する進化しかありえませぬ。一方、弓は連射ができる代物。代替として使用するには無理がございます。いかが?」
まっすぐ父の目を見て、誤りを指摘する。
だが返ってきた答えは……
「混蛋(愚か者)!」
「!!」
びくり!
いまのが死にかけている人間の声か? あまりの大声に、こっちが死ぬかと思った。目を白黒させている俺を尻目に、父は往年のようなハツラツとした声で弁舌を始めた。
「よいか、わしが何度も教えたではないか! 必要である、理想とする。その情熱が、この世界に無い、新しいものを生むのだ。考えよ、さあ考えてみよ!」
父の剣幕に、俺は身じろぎした。
こうなったら父はだれにも止められない。どんなに的外れでもいい。答えない限り、ずっと相手をにらみ続ける。
そうら、やっぱりだ。ベッドに横たわったまま、俺をぎょろりと見据えている。考えろ、考えるんだ。
なぜ大砲は1発しか撃てないのだ?
決まってる。再度撃つためには、火薬と弾を詰めなおさなければならないからだ。
……だからなに?
それでいいじゃあないか。
仮に小型化に成功したら量産すればいい。1列目が撃ったら2列目が、次は3列目が、そのあいだに1列目は弾を再装填し、ふたたび撃てばいい。これをくり返せば……
いや、待てよ。
待て待て!
「父上!」
がたん、と俺は立ち上がった。
睨むのをやめて、フ、と口元をゆるめる父。
「言ってみろ」
「はい。私ならば火薬と弾をいっしょに、ちいさな箱のなかに……そ、そうですな……クルミの殻のような球体状の容器に詰めます。仮に「弾丸」と呼びましょう。これを筒に入れて破裂させます!」
「……続けよ。それで?」
「は、はい! すなわち、発射ごとに火薬を詰めるという作業を省く構想です。筒には、あらかじめ複数の弾丸を詰めておくのです。1つずつ火をつける機構があれば、連続して弾、いや弾丸を発射できるはずです」
1秒、3秒、沈黙がつづき―――
「うむ……うむ。よい、よいぞ。やはりお前を工房長に選んだのは正しかった」
おだやかな、おだやかに父は笑みを返してくれた。微笑みながら、うんうんと頷いてくれた。
父を失望させずにすんだ……俺の心に、誇りが満ちる。うれしい、父に認められることは、いくつになってもうれしい。
が、続けて父が言ったのは意外な言葉だった。
「だが甘いな、息子よ。まだまだ発想が甘い。火薬を詰める、で終わっておるのが甘い」
「甘い……と、仰せになりますと?」
俺はやっと立ちっぱなしだったことに気付いて、椅子に尻を落とした。
「うむ。何年前だったかな、うちの庭で山犬が死んでおったことがあったろう? ホレ、腹の中身がすっかり腐って、ぱんぱんに膨れ上がった山犬の死骸じゃよ」
「ええ、覚えております。父上」
忘れるものか。俺がまだ14、15のころだ。
2歳上のゼンショウ兄貴が、ほうら凄いぞ、と風船のように膨らんだ犬の死体を持ってきやがったんだ。ミンハイ姉さんは、見るなり気を失ってしまったんだ。
「うむ。あの犬の死体をな、ゼンショウが焚き火に放りこんだじゃろう? そうしたら犬の死骸め、ボカンと爆発して庭一面に飛び散りおった。チュンリィとベイケイと……ほかにもだれか吐いておったな。あれは誰だったかの?」
「いや私ですけど……あの、父上。それがいかがしましたか?」
「ふむ、あれはな。犬の腹のなかに腐った空気が充満し、それに火がついたのだ。わしはその腐った空気を、やはり筒に充填して飛ばせないかと考えたのだ。すなわち筒を用いて弾を飛ばすのではなく、筒そのものが敵陣に飛んでいく兵器じゃ」
「な、なるほど考えられましたな。筒の中にたっぷりと火薬を詰めこんで、着弾時に爆発するような仕掛けができれば……たしかに画期的な武器となりましょう」
父は満足そうに笑った。
「お前は本当に飲みこみが早い。そうじゃ、その通り。面白そうじゃろう?」
「は、はい、父上。その武器が作れれば、ゲンなどという新興国など……」
「無理じゃ、たわけ」
浮き立つ俺を、父はしかりつける。
「いま言った武器を作れるほどの技術ができるのは、おそらく数百年先になろう。どんな未来が来るにせよ、武器だけではなく、何もかもが様変わりしているに違いない。腐った空気がまさにそうじゃ。もしやすると、それを用いて人間が空を飛べる日が来るかもしれん」
「!」
ズル、と椅子から落ちそうになるのをこらえる。
ち、父上は本当にわからない。人間が空を飛ぶ? 空を飛べる発明?? もはや西遊記や封神演義のおとぎ話ではないか。
あきれ果てた。
もう、あきれ果てた。
「は、はは……まるで斉天大聖悟空の筋斗雲ですな。未来の戦争は、きっとそうなりましょう。大きな竹トンボに人が乗り、そこから小型化した砲や、腐った空気筒をぶっ放す! あいや、いやいやいや。やがては、その竹トンボを撃ち落とせる筒さえ発明されるやもしれませんぞ、父上…………父上? 父上!!」
父の目から、光が失われていくのがわかる。
呼吸が乱れ、だんだんと……
「父上!」
俺は父の手を握りしめた。
「……はぁ、はぁ……息子よ……ゆ、夕暮れまで、も、もたなかったのう……」
「父上……なにとぞ……!」
父はもはや俺の手を握り返す力もないらしい。いや、俺が見えていないらしい。
「む、息子よ……わ、わしが今日、お前に何を、い、言いたかったのか……わ、わかってくれたか?」
「はい……はい、父上。心得ましてございます! たとえ宋が滅びようとも、技術が革新しようとも、戦争は無くならない! 武器の需要は尽きることはない! そうですね父上!」
父に聞こえるよう、俺は、俺は、めちゃくちゃに叫んだ。
「武器について研究し続ける限り、我が一族は子々孫々まで安泰であると! 父上はそうおっしゃりたかったのですね? おまかせください。私が必ず、子に、またその子に、その子の子に! 父上のご意思を伝え続けてまいりますゆえ……」
「……混……蛋……! この、大馬鹿者め……問題は、そ、そこではないわ……」
「へ?」
固まる、俺。
消え入りそうな弱い声で、父は俺に馬鹿めと言った。
「よ、よいか? そういう問題ではないのだ……考えてもみろ。お前がいま、じ、自分で言った通りじゃ」
「そ……空を飛ぶ船が、は、発明されたとして、作るにいくらかかると思う……? 金貨10000枚か、20000枚か……?」
「それを、たかだか鉄の筒が、撃ち落とす……そんな時代が来るのじゃぞ……なにを意味するか、わ、分かるか?」
「戦争で稼げる人間が、変わるということじゃ……」
「これからの戦争は、ぶ、武器の性能ではない……数じゃ……数が支配する戦争になる。武器の数が、戦争の勝敗を左右する……す、すなわち……」
「すなわち、大量の武器を扱うために……大量の人員を戦場に送りこめる人間が……勝者となる」
「こ、高価な兵器も……高度な兵器も……安い大量生産の武器に、ほ、滅ぼされるじゃろう」
「む、息子よ。武器を捨てろ。武器職人の道を……捨てよ」
「こ……これから我が一族は……ど、奴隷商人として……生きるのだ……」
「男を買いあされ。お、女を買いあされ。買い集めた人間を、また売り払え……」
「か、かならず、世界はそうなる……1歩先をゆけ。よいな……頼んだぞ、我が一族の、し、子々孫々、まで……繁栄を……」