第十三話 誘惑
1
「カンパネラよ。その甕、断じて割ってはならんぞ」
エルはきびしい表情でそう告げた。
「……でもルキフェル様が困ったときに割るようにって……」
「だめじゃ!その甕にはなにやら禍々しいものを感じる。うまくは言えんが……とても不吉な予感がするのじゃ」
「……でも……」
すると傍らで見守っていたニンバスが口を開いた。
「カンパネラ。実は僕も嫌な予感がしているんだ。なぜだかは判らないけど……その甕からはとても嫌な感じを受けるんだ」
「うむ。ニンバスもこう言うておる。カンパネラよ。わしらの言うことを聞いてくれ。よいな?」
カンパネラは不承不承ながらもうなずいた。
「よし。よいなカンパネラよ。しつこいようだが決して割ることのないようにな?」
「……はい。エル様」
「ではその甕はどこかにしまっておくことにしよう。子供たちが誤って割ってしまうことのないようにな」
こうしてエルの指示により、甕は床下の物置き場に幾重もの布で包まれ、厳重に保管されることになったのだった。
2
「「いってきまーす!」」
カンパネラは背後からの元気な双子の声に驚き、反射的に勢い良く振り返って言った。
「ちょっと!どこへ行くの!?」
すると双子たちはおどけた感じで言った。
「ちょっとそこまでー」
「そうそう、ちょっとそこまでーよお母さん」
双子の態度に若干の苛立ちを覚えたのかカンパネラはさらにきつめに言った。
「それじゃ判らないでしょ!はっきり言いなさい!」
すると双子は観念したのか、お互いの顔を見合わせ肩をすぼめて言った。
「「すぐそこの滝まで」」
「あーあの滝ね。それならそうと早く言いなさい。判った?」
「「はーい」」
「はい。じゃあいってらっしゃい」
「「いってきまーす」」
双子は意気揚々と両手を大きく振りながら出て行った。
そこへエルが巨体を揺らして現れた。
「あやつら、今日は滝遊びか」
「ええ、そうみたいです」
「まああの滝は、滝とは名ばかりのわしの背丈くらいの落差しかない小さな滝じゃから安心じゃな」
「ええ。よく遊んでるみたいですよ。小さなお魚がいるみたいで」
「ふむ、では今日は魚料理かの?」
「小さすぎて食材になりませんよ」
「それは残念じゃな。魚料理はまたニンバスが遠出をした時の楽しみとするかの」
「エル様がご自分で獲ってくればいいのに……」
そんなカンパネラの言葉にエルは一切反応せず、無表情で無機質に言った。
「さて、それではもう一眠り……」
そう言うやエルは巨体をめぐらし、早々に自室へと戻っていった。
その後姿を眺めながら、カンパネラは先程双子たちがした仕草とそっくりに肩をすぼめて言った。
「……まだ太る気だ……」
3
「よし着いたぞ」
「そうね。とりあえずあの岩場から探ってみましょう?」
「よし。そうしよう」
鬱蒼と生い茂る巨木群の中に、人の背丈二人分くらいの川幅のささやかな小川が流れていた。
その小川の中腹にやはりささやかな落差の滝があり、小さな川魚が気持ちよさ気にすいすいと泳いでいた。
双子は小川のやわらかなせせらぎを聞きながら、せっせと魚獲りにいそしんでいた。
すると小川を取り囲む一本の巨木の影がゆらゆらと揺らめきだした。
影は次第にその振幅を大きくし、それが極限に達すると突然、縦に真っ二つに裂け目が走った。
するとその隙間から白く大きな物体がすーっと静かに姿を現した。
そしてその白く大きな物体は静かに、ゆっくりと双子たちに近づいていった。
のそり、のそりと。
すると双子たちは何かの気配に気付いたのか、ほぼ同時に後ろを振り返った。
そして……
「でっけー犬だなー」
「ほんと。ずいぶん大きな犬ね」
双子は巨大な白犬を目の前にしてもさして驚くことはなかった。
なぜならそれは日常的に巨大な猫と接していたからであった。
だが白犬にはそれが面白くはなかった。
「……つまらない子たちだね。まったく」
「おっ!しゃべった」
「あらほんと。ってことはエル様のお友達かしら?」
すると白犬は激烈に反応した。
「冗談じゃないわよ!だれが友達よ!あんな豚みたいな猫!」
「……知り合いではあるみたいだな?」
「……どうやらそのようね」
双子の呟きに威儀を正した白犬は、すっと首を高くもたげ、胸をそびやかして言った。
「我が名はファルス!犬の女王ファルス!」
するとファルスの名乗りを聞いた双子たちはこぞって言った。
「あー犬と猫だから……」
「……仲が悪いのね」
「うるさいわね。そんなことはどうだっていいのよ。まったくあの娘の子供ってだけあるわ。やりづらいったらないわね!」
「「お母さんも知ってるの?」」
「えー知ってるわよ。よーく……ね」
「「へー」」
「今日があんたたちのお母さんの誕生日だってことも知っているわよ」
「「おー」」
「ちょっとあんたたち、反応がずいぶん手抜きになっているわよ。でもまあいいわ。ところであんたたちプレゼントはなににするつもり?」
「「魚」」
「……だから手抜きに……まあいいわ。……魚ね。またずいぶんつまらないプレゼントね」
「なに!」
「悪かったわね!」
「だってこの辺の魚なんて小さくて食べられないじゃないの。観賞用?」
「ああ」
「そうよ」
「面倒なだけじゃない。どうせ最初のころはあんたたちが餌をやってても、次第にやらなくなって結局お母さんが自分でやるようになるんだし」
「「……」」
「どうやら図星ね。まあどうせそんなことだろうと思ったわよ」
「うるせー」
「じゃああなたは何がいいって言うのよ?」
すると、待ってましたとばかりにファルスは舌なめずりをした。
そして悪魔的な微笑を湛えながら言った。
「いいものがあるわ。ちょっと遠いところだけれど行ってみる?」