第十二話 贈り物
1
「カンパネラよ……お前、もしかして……少し身体が大きくなったか?」
洗濯をしようと部屋を出て行こうとするカンパネラの背に、エルが突然の問いを浴びせかけた。
カンパネラはエルに向かって振り返り、一瞬キョトンとした表情を浮かべたものの、すぐに相好を崩して朗らかに言った。
「そんなわけないじゃないですか~。カンパネラは最初から大人として生まれたんですから成長しませんよ~」
カンパネラのはじけるように明るい返答に、エルは気恥ずかしさを覚えたのか、なにやらきまりの悪そうな顔付きをして言った。
「それもそうじゃな。いやなに、ふとお前を見たらなにやら大きく見えてな。いやすまんすまん。どうやらこれはわしの見間違いのようじゃ」
エルはやわらかそうな肉球で自分のおでこを恥ずかしそうにさすりながら言った。
「ふふふ。おかしなエル様」
カンパネラはそよ風のようにさわやかな笑い声を残し、部屋を静かに出て行った。
残されたエルは、カンパネラの笑い声を心地良さそうに聞きながらも、胸中の奥深くから再び疑念が湧き上がってくるのを感じていた。
(……本当に見間違いか?……それなら良いが、もし見間違いでないとしたら……)
しかしそんなエルの思索は長くは続かなかった。
なぜならば、途轍もなくけたたましい音をたてて件の双子が転がり込んできたからであった。
「お前なにすんだ!」
「あんたが先に殴ってきたんじゃないの!」
「だからって棒を使って殴るのは反則だろ!?」
「そんなルール聞いたこともないわよ!」
「じゃあ今作る!今後一切武器の使用は禁止だ!」
「なに勝手に一人で決めてんのよ!わたしは知らないわよ!」
言うや妹は手に持ったモップを大上段に振りかざし、兄の顔面目がけて今にも振り下ろそうとしていた。
エルはいつものように深い溜息を一つ吐くややおら立ち上がり、目にも留まらぬ早業でモップを手刀で叩き落したかと思うと、返す刀で双子の延髄にも続けざまに軽く手刀を打ち下ろした。
双子はふらふらとゆれながら、同時に床へと崩れ落ちた。
エルは双子の将来を思い特別に深い溜息を吐いた。
そして先程まで抱いていたカンパネラに対する疑念をすっかりと忘れ去ってしまったのだった。
2
「この料理美味しいね」
ニンバスは満面の笑顔でカンパネラにそう告げた。
「本当?良かった~それ時間かかったんだよ」
カンパネラも弾けるような笑顔でニンバスに返す。
エルはそんな二人の幸せそうな様子をにこやかに見守っていた。
「うん!美味いな!」
「うん!美味しい!」
いつもは暴れん坊で手の付けられない双子もさすがに食事時はおとなしく食べていたが、それもあっという間に食べ終わり、二人同時に「「ごちそうさま!」」と言ったかと思うと凄い勢いで駆け出し、自分たちの部屋へと戻っていってしまった。
「まったく、いつものことながら嵐のようじゃわい」
そうエルがつぶやいた瞬間、その視線の先の空間が突如奇妙に揺らぎ始めた。
揺らぎは次第に大きなものとなり、その振幅が限界点を超えた瞬間、突如眩い光が発せられ部屋はその光で充満することとなった。
そして光が時間と共に収束し、見るとそこには、不敵な笑みを浮かべて立つルキフェルがいたのであった。
「ルキフェル様!お久しぶりでございます」
エルは突然のことに驚きながらも恭しく頭を垂れて言った。
カンパネラとニンバスもエルに倣い、深々と頭を下げた。
「ルキフェル様、本日はどのような御用でしょうか?」
エルはそのままの姿勢でルキフェルに問うた。
するとルキフェルは不敵な笑みを浮かべたまま言った。
「どうやら順調に育っているようですね。良いことです。いや、面白いことだと言うべきかな」
「は?……面白い……と仰られるのはどういう意味でございましょうか?」
「気にしなくていいよエル。それより今日はプレゼントを持ってきた」
「プレゼント……でございますか?」
「ああ。これだよ」
言うやルキフェルは両掌を開き、自らの胸の前に持ってきた。
するとルキフェルの両掌の間の空間がゆらゆらと揺らぎ始めた。
そして先程ルキフェルが現れたときのように眩い光が発せられたかと思うと、そこには翡翠色の大きく立派な意匠の甕が現れ出でていた。
エルはその甕を見るや、途轍もなく嫌な予感に襲われた。
「この甕は一体……」
だがそんなエルの問いをルキフェルは無視し、カンパネラに向き直って言った。
「カンパネラ。これは君への贈り物だよ」
「わたしに……ですか?」
カンパネラは戸惑いながらもルキフェルからその大きな甕を受け取った。
「この甕は一見すると何の変哲もない甕だが、もしも君になにか困ったことがあったらこの甕を割るといい。君の助けになるはずだよ」
「……ルキフェル様、どういう意味でしょうか?」
エルは先程無視されたことも忘れて二人の会話に割って入った。
するとルキフェルは、今度はエルの問いを無視せずに答えた。
「それは、その時割ってみれば判ることさ……」
ルキフェルの要領を得ない返答に、エルは再度の問いかけをしようとしたが、それより早くルキフェルが口を開いた。
「用は済んだ。それではな……」
エルは引きとめようと慌てて何かを口走ったものの、ルキフェルはそんなエルのことなど一向に意に介さず、瞬く間に虚空へと消え去ってしまった。
エルは機を逸したことを悔やみつつ、カンパネラが抱える翡翠色に輝く甕を睨みつけた。
そしてその甕から沸き上がる禍々しい何かを感じとり、暗澹たる思いを抱いたのだった。