第十一話 小さな幸せ
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大きく窓を開け放ち、雨上がりの匂いが立ち込める部屋の中央にどっかりと寝転んだエルは、暖かな日差しを浴びてうつらうつらと気持ち良さげに眠っていた。
(あっ!何すんだよ!それは俺んだぞ!)
(何言ってるのよ。これは別にあんただけの物じゃないでしょ)
(違う!これは俺んだ。返せよ)
(いやよ。これはわたしの物でもあるんだから。渡さないわよ)
(返せって!)
(いやよ!)
(返せ!)
(いや!)
エルは夢の中で、カンパネラとニンバスの間に生まれた双子の兄妹のおもちゃを巡る可愛らしいけんかを、ほほえましく眺めていた。
「か・え・せ!」
「い・や・よ!」
「か!え!せ!」
「い!や!よ!」
(やれやれ仕方がない。そろそろ仲裁するとするかのー)
エルはようやく重い腰を上げようと丸めた前足を前へ伸ばし、身体全体を使って大きく伸びをしながら一つ大きなあくびをした。
そしてやおら立ち上がろうと後ろ足を伸ばそうとしたその時、エルの背骨に激痛が走った。
瞬間、エルは日頃の怠惰による肥満のつけがついに回ってきたのだと思った。
だがそれはどうやら違うようであった。
なぜなら背中の激痛は内的要因によるものではなく外的要因、つまりは外部からの打撃による痛みであるという感触を感じたからであった。
エルはそこでようやく眠りから覚め、カッと大きく目を見開いた。
するとそこには、共に五歳くらいの男児と女児が、近くにある物を片っ端から投げつけ合ったり、互いの髪の毛を力一杯引っ張りあったりといった壮絶な取っ組み合いのけんかを繰り広げていたのだった。
「……美しい夢は終わった……」
エルの見た夢の中の可愛らしい双子の兄妹と顔かたちだけは同じだが、その圧倒的な凶暴さによって夢の中の二人とは大きく異なる暴れん坊兄妹を見てエルは一つ大きな溜息をつき、次いで大音声で二人を怒鳴りつけた。
「やめんか!!」
しかし双子はまったく意に介さず、互いの顔面目がけて握りこぶしをベリーハードに打ちつけあっていた。
エルはそんな二人を見下ろし、また一つ大きな溜息をついた。
そしておもむろに数歩前に歩を出して双子のすぐそばまで近づくと、身体を起こして後ろ足ですっくと立ち上がり、前足を横に大きく広げた。
そして次の瞬間、エルは相撲の横綱土俵入りの如く両前足を自分の胸の前でバチンと力を込めて素早く合わせた。
するとその両前足に挟まれた幼い双子は軽い脳震盪を起こして、ふらふらと床に崩れ落ちたのだった。
「やれやれ、まったく困ったものじゃ……」
そしてエルはこの日三度目の深く大きな溜息をついたのだった。
2
「二人とも!エル様にちゃんとあやまりなさい!」
カンパネラはとても厳しい顔つきで双子をこっぴどく叱りつけた。
その横でニンバスは心配そうにおろおろしながら様子を見守っている。
そしてエルは、というと先程出し抜けに受けた背中への攻撃による痛みのために、べたーっと四肢を投げ出して床にだらしなく寝そべっていた。
「「……ごめんなさい……」」
母親に怒られひどくしょげた様子で謝る双子に対し、エルは呆れと優しさの入り混じった返答をした。
「まあ、よい。元気があるのはいい事じゃわい。もっともありすぎるきらいはあるがの……」
エルたちが地上に降り立ってからすでに七年の月日が流れていた。
その間、カンパネラとニンバスは、エルが願ったとおりに互いに心を通わせ、めでたく夫婦となっていた。
そして五年前、二人の間から生れ落ちたのがこの双子たちであった。
「エル様ごめんなさい。後できつく言ってきかせますから許してあげて」
カンパネラはひどく申し訳なさそうにエルに対して頭を下げた。
「よいよい。たいした怪我じゃないわい。そもそもわしも長い間の運動不足で体をなまらせておったのも悪い。昔であればいくら寝くさっておっても無意識のうちに体が動いてかわしておったじゃろう。まったく情けないことじゃ」
そう言って首を振るエルであったが、内心ではこの小さな家庭の片隅で彼らと共に暮らす幸せを大いに噛み締めていた。
(ちと理想とは異なるが、これもまた良しじゃ……な)
だがこの小さな家庭の小さな幸せを脅かす大いなる災いが迫っていたことに、エルはまだ気付いてはいなかったのだった。