前編
また床屋の話かい?
ああ、よく知ってるよ。
あいつの親父さんがこの裏に
小さな店を構えて以来、
みんな贔屓にしていたからね。
こんなちっちゃな頃からずっと
あいつのことは見て来たものさ。
でも、まあなんというか、
ぱっとしない男だったよ。
感じが悪いというのではないけれど、
なにせ無口な男でね。
その代わりと言っていいのか、
聞き上手っていうのかね。
ハサミを器用に動かしながら、
あたしなんかの与太話を、
ふんふん黙って聞くもんだから、
噂話や仕事の愚痴を
よく話してやったっけねえ。
ま、口は堅い男だったね。
親父さんに似たんだろう、
腕は確かだったから
割と繁盛してたのさ。
そうは言ってもあの床屋がさ、
王様の床屋になるんだなんて、
初めは誰も信じなかったよ。
でもそんなに経たないうちに、
路地裏にある床屋の家に
毎朝早く、馬車が停まって
青ビロードの綺麗な服に、
黒光りする靴を履いて、
あの床屋が意気揚々と
乗るのを見たって奴が出て来た。
こりゃ噂は本当かもしれない、
とんだ出世もあったもんだ、
そう、みんな大騒ぎでね。
あたしもやっぱり気になったから、
それからしばらく経ったに頃にさ、
久方ぶりにやって来た、噂の床屋を捕まえて、
ことの真偽を聞いてみたんだ。
するとどうだい、
噂はやっぱり本当で、
王様の御髪を整えに、毎日お城へ行くんだってさ。
お城の中はどんなだとか、
宮廷人の格好だとかを
寄ってたかってみんなで聞いた。
床屋も顔を赤くして、嬉しそうに答えたもんだ。
そのとき誰かが聞いたんだ、
王様はどんな奴かってね。
そのとき床屋の顔色が変わるのを、
あたしはハッキリ見たんだよ。
急に気分が悪いと言って
逃げ出すみたいに帰っちまって
みんな呆気に取られたものさ。
それから床屋はいつの間にだか、
あの小汚い店をたたんで、
宮廷住まいを始めたよ。