1 手紙
城門と警備隊員ばかりがやけに目につく灰色の石畳の上を、王城クレアデスに向けて馬車が進んでいた。王城の背に、むくむくと広がる積乱雲と、フラッシュのように光る雷が夏の到来を告げていた。
俺は王都にある軍務省ビルの四階に執務室をもっていた。エアコンもない、風通しの悪いせいかどことなくカビ臭く感じる古い建物だった。隣の部屋には専属秘書のアリサという女性がいつもいるため、まるで監視でもされているようで落ち着かない。当然、ビルにはエレベーターなどついていないため、ハァハァと息と胸をはずませながら階段を上るしかなかった。
といっても、国王じきじきに参謀になるようにと王都に召喚された立場なので、苦情を言うわけにはいかなかった。どうせ、このボロ部屋を手配したのは、ここの環境と同じように陰湿でカビの生えたようなヤツに違いないのだ。そんなつまらないことで、せっかく好意で呼んでくれた国王の顔に泥を塗るわけにはいかない。
だが、王都でカゴの鳥になって時間を無駄に過ごすくらいなら、たとえ、リムウェア領の湖で優雅にヨットを浮かべてみんなと遊んでいたって同じことだった。
窓にかかるブラインドを上げて望む梅雨の空は、モノトーンで重々しかった。
窓ガラスに自分の姿が映る。全身から噴き出した汗でシャツが肌に張り付いて、薄く透けていた。街の女の子のシャツが透けていたら大問題だけど、自分のシャツが透けてブラが薄く見えていたって気にもならない。タイを緩めて、胸元までシャツのボタンを外して、裾も短いスカートの外に出していた。
キラキラ光る銀色の髪、宝石のような緑の瞳、ピンク色の唇。それに、軍務省のブレザーの夏服、黒いハイソックスとローファー。
――これじゃまるで、日本の女子校生ファッションだ。でも、ちょっと待ってくれ。俺はこの前までは、高校一年生、剣道部所属のれっきとした日本男児だったはずだ! それが何かのはずみで異世界ノエルスフィアに飛ばされたとたんにコレだ……。
「あぁーもうっ、いったい何をしたら、こうなるっていうのかしら」
俺は思わず桜色の頬を膨らませると、少女らしいかん高い声で叫んでいた。
熱暴走しそうな頭を冷やすため、窓を開け、窓枠にちょこんと首をのせるようにして、顔を少しだけ外に出してみた。しかし、銀色の髪が湿度の高い熱風に煽られただけだった。
「カナデさま、おはようございます。あの、何をされているのですか?」
隣の部屋から、秘書のアリサが微笑を浮かべながら入室してきた。
「おはよう。アリサはいつも元気ですね」
「ハイ! カナデさまの色気のあるお姿を拝見して、やる気がみなぎったところですから」
黒髪で切れ長の鋭い目、背の高いスラリとした美人秘書であるアリサは、まるで獲物を見つけた魔獣のように目を輝かせるとニッと笑った。
ドラゴン型魔獣に正面から睨まれた時は、確か、こんな感じだった……。
俺の背中にスーと冷たい風が吹いたようで、汗で濡れた銀髪がひんやりと冷たく感じた。俺はいそいそと、胸元のボタンをしっかりとめるとタイをキュッと締めなおし、服装を正した。
「さ、さて、今日も頑張りましょう。スケジュールはどうなっていますか?」
「まず、定例の王都視察です。それから、こちらが軍務省に提出する魔獣戦についての書類となりますね。文字数に制限がございますのでご注意を。決算書類と月末の会議に向けての報告書の準備もなさらないと」
「そんなにですか。もう少し、余裕をもって予定を組んでいただければ……」
「はあ、しかし、シリス殿下との王都視察を断るのは、難しいかと思われますが」
王都に来てからというもの、視察といってはシリスにあちこちへと連れまわされていた。時間がないのはやっぱりアイツのせいだった。いったい何を考えているんだろう。巨大な王城にダンジョンやゴーレム、王都を走る巡回軌道という、まるで電車のような乗り物に驚く様子を見て、楽しそうに笑っていたっけ。思い出すと、つい口元が緩んでしまう。
「仲睦まじくて羨ましいかぎりです。もう一度、事務ワークの処理と両立できるように、バランスを見直してスケジュールを組み直します」
「いつも助かります。でも、アリサのために言うから誤解しないでほしいのだけど、有能なあなたなら、私についているより、転属願いを出してもっと上を目指していいのですよ。この部屋を見れば、今の私の立場がわかるでしょう?」
「いいえ、そんなことはおっしゃらないでください。簡単に辞めたりしませんから、一緒に頑張りましょう! 部屋のことでしたら、庶務課をちょっと締め上げてやればいいんです。なんでしたら、私が今からいってまいります」
アリサは拳をぎゅっと握りしめていた。
しまった……。アリサの秘書課と庶務課は仲が悪かったんだっけ。俺は日本で見た昔のテレビドラマを思い出して慌てた。
「エッ、ちょっと待ってください、アリサ! たとえば、その、違う部屋にエアコンはあるのでしょうか?」
「エアコン――ですか? 初めて聞く言葉です。カナデさまのリムウェア領にあるものでしたら、すぐにお取り寄せいたしますが」
「いいえ、大丈夫ですから、忘れてください」
やはり、この世界にはエアコンは存在しないのか。だったら、どこの部屋に移っても同じことだ。この星は中世レベルの文明なのだからあたりまえだ。
「それから、カナデさまにお手紙が届いておりました。それでは、なにかご用の際はお呼びください」
アリサは姿勢を正して礼をすると、退室していった。
執務室の空気はよどんでいて、アリサのコロンの香りが薄く残っていたが、ポツポツと雨が降り出したので俺は窓を閉めた。
どうせ、熱風しか入ってこないのだ。何の違いもない。
タオルで顔と銀髪の汗をとり、気合を入れると自分の机についた。やらなければいけない仕事は山ほどあったが、なかなかはかどらなかった。
同じ書くのならば、まず、手紙の返事から書いた方がまだましだと思い、アリサが机に置いていった手紙の束に手を伸ばした。形式的な仕事関係の挨拶の手紙は脇へどけ、大事な意味のありそうな手紙と選り分けていく。
これは幼馴染の唯からの手紙だ。蝋で封印された教会の封筒が使われ、しっかりとしたきれいな字で書いてある。さすがに、教会で聖女と崇められているだけのことはありそうだ。
〈――カナデちゃんは、お金持ちのシリス殿下と仲良くなれて羨ましいかぎりです。たびたび、夜会が開かれているそうですね。なぜ、私に一声かけていただけないのでしょうか。異世界に飛ばされたといえ、私はまだ、結婚に夢を持っている女子なのです。カナデちゃんのコネで、素敵な彼氏を紹介していただけませんか。私の守備範囲は広いので、年下でも全然かまいません。高齢すぎても困りますが、財産があるなら話は別です。それから、将来、子供のためにも金髪で瞳の色は――〉
唯はいつも俺を助けてくれる姉みたいな女の子だ。でも――、悪いけど、夜会の大半は政治の場で、婚活のために来られても困るんだ。それにしても、教会でせっかく凄腕の銀気の治癒術まで身に着けたのに、スイーツ病には効かないのか……。
俺は手紙をそっとゴミ箱へ捨てた。
次は、優人からだ! あいつ、字が下手だなぁ。でも書けるようになったのか。
手紙はところどころ誤字脱字、文法の間違いなどがあったが、そんなことはどうでもよかった。冒険者として異世界をあちこち旅してまわって、楽しんでいる様子が伝わってきた。
さっそく俺は返事を書こうとして、住所がないことに気がついた。
そうか、旅の途中で投函したんだな。冒険者ギルドの私書箱宛に送るくらいなら、待っていても同じか。
俺は優人の手紙を封筒に戻すと、次の手紙を手に取った。
リムウェア家のメイドのユナからだった。ユナはいつもお屋敷の噂話などを聞かせてくれる、貴重な活きた情報源だ。
〈カナデさまへ。 大変なんです。リリアンナさまは、いつものようにこの話を止めていらっしゃることでしょう。
実は、侯爵さまの様子がおかしいのです。お部屋に閉じこもられることが多くなり、たまたまお部屋からお出になったお姿をお見かけしたのですが、すっかり痩せてやつれはてていらっしゃいました。あまり、食事がのどを通らないみたいなんです。一度、お医者さまのマコミッツ先生に診ていただいたのですが、身体にはどこにも異常はないとのことでした。でも、まるで何かに取りつかれてしまったかのようなのです。
……ここまでで終わるべきなのですが、カナデさまを信じているので書きます。
夜勤の時に、あたしは侯爵さまのお部屋の窓に、女性の姿を見てしまったのです。それが、信じられないことに、エリーセさまでした! きっと見間違いだと思いますが、そのことがずっと頭から離れません。一度、はやい時期にお屋敷にお戻りくださいませ。 ユナ〉
――エリーセ姉さまが? 絶対にありえない。なぜなら、俺がこの異世界に来る一カ月くらい前に既に亡くなられていたのだから。そして、異世界に飛ばされた時の影響からなのか、彼女と双子のようにうりふたつの少女になってしまった俺は、侯爵家の養子となることになったんだ。
「フフ……、エリーセ姉さまの幽霊は、本当は私のほうかもね」
フェルド騎士に連れられて、はじめて侯爵家のお屋敷を訪れた時の、みんなの驚く顔を思い出していた。
それにしても、ユナは相変わらず噂好きだ。彼女にかかればノラ猫が子猫を生んでも一大スキャンダルになる。俺は鼻で笑って次の手紙に手を伸ばした。サッサッと封筒を選り分けていく。そういえば、お父さまからの手紙が最近来ていない。ひところは毎日欠かさずきていて、返事を書く間もなく次の手紙が来ていたくらいなのに……。いや、普通に戻っただけだ。
でも――、エリーセ姉さまの専属メイドだったユナが、見間違えるだろうか? 俺は何度も手を止めて首を傾げた。リリアンナさんに聞くか? しかし、彼女とて王都にいるのだ。ユナより詳しい話が聞けるとは思えない。
まったく、お父さまの一大事に、こんな気分で王都でグズグズと迷っていても意味がない。もしも、お父さまに何かあってからでは遅いのだ。以前、黒騎士に襲われた事件を思い出した俺は、ゴミ箱から唯の手紙を拾うと丁寧にしまった。
隣室で控えている秘書のアリサを呼ぶ。
「シリスとの王都視察の件も含め、すべて予定をキャンセルします。実家に帰らせていただきますのでと伝えてください。至急、届けをあげてください」
「はい、すべてそのように手配いたします」
「アリサ、突然わがままを言って申し訳ないのですが……」
「いえ、お顔を拝見すれば大事が起こったことくらいわかります。カナデさまとしばらく離れるのはとても残念ですが、事後の処理はお任せください」
「私はちょっとリムウェア領の屋敷まで、父に会いに出かけますから、後を頼みます」
俺は、一緒に暮らしているシリスのご両親やメイド長のリリアンナさんから、噂話のことについていろいろ問い詰められるのを避けるために、言伝をアリサに頼んだ。
そして、届けが受理されると、王都の家には戻らずに、剣と小さなリュックをもってブーツに履き替えると、軍務省の制服姿のままで、リムウェア領行きの長距離馬車に乗るという行動にでた。
リリアンナさんは、俺に対してこの話を止めていた時点で、単なる噂と片付けてしまっているのだろうから、いい返事は望めるはずがなく、あてにするわけにはいかなかった。
ただ、ユナの噂話に振り回されただけならば、後でシリスにどんなに弄り回されるかわかったものではないのだが……。まぁ、本当は噂話で終わるのが一番いいのだから、それはかまわないさ。