お題『旅』 500文字短編
◆ ◇ ◆
今はまだ二十二時を回ったばかりだが、既に彼は布団の中で気持ち良さそうに寝息を発てていた。
疲れたのだろう――そう言えば、この京都旅行も今日でもう三日目になる。それでなくても、日中彼は鹿苑寺境内で迷子になり、私を探して一時間近くも走り回っていたのだ。無理もない。
そんな彼の寝顔を尻目に、私は旅館の客室冷蔵庫から缶ビールを手に取り、部屋の奥の広縁に備えられた椅子に腰掛けた。窓の向こうには静謐な日本庭園が広がっている。素晴らしい眺めに酔いしれながら、缶のプルタブをぐいと引き上げた――その直後、机の上に置いてあった私のスマホが、突然震え出した。
メールの受信。フォルダを開くと、差出人は彼だった。
『迷った…いま何処に居ますか…(泣)』
……恐らくこれは、彼が丁度迷子になっていた時に送ったメールだろう。電波か何かの影響でセンターで止まっていたのが今更、とか。しかしどうあれ、かなり前に送られたものなのは確かだった。本人は今そこでひっくり返っている。
「全く――しょうがないなあ」
ひとまず缶を机の上に置いて、メールの返信画面を開く。文字入力はすぐに終わった。
『そばにいますよ』
このメールが、数時間前の迷子の彼に届いたら面白いのにな――なんて、私は思った。