第二話 村の魔物
俺が侵入した村は、どうやらロケルナ村という集落だそうで、総人口三十余の小さな村だった。
どうやら外からは見えないような結界に似た魔法を張っていたそうだが、俺がここに子供がいる、という理由でこの空間の存在を確信したために、魔法が解けてしまったそうである。ちなみに、今はあの老婆が魔法を張りなおしたので、外からはまた見えないようになっているという。
村に入るためには、中にいる誰かが、外の人物を呼び寄せることで入ることができるのだという。村の出入りは極めて不便であることに加え、もう一つ重要な理由があるために、滅多な事でないと誰も出入りしなかったそうだ。だがちょうど今日、子供が皆の目を盗んで外に飛び出してしまったのだという。
――という説明を、俺は目の前の老婆から聞いた。
「うちの子供が、失礼をしましたそうで」
俺に武器を持って突っ込んできた男がそう言って頭を下げた。この男が子供の父親であるらしい。男はほかの村人にも頭を下げて回っている。何か、そんなに悪いことなのか?
ここまで態度が軟化したのは、俺が赤い実を要求したその瞬間からだった。子供が素直に返した赤い実を、幸せそうにほおばる俺を見て、敵意がそがれたらしい。
俺が赤い実を黙って食べている様子を見て、老婆が子供に事情を尋ねた。そして、子供が木の実を奪って逃走したこと、俺が走ってついてきたことを、子供は正直に老婆に話した。
そして、どういうわけだか村人は俺が人間であると確信したようだった。
「いやぁ、全裸で出歩く人なんていないから、つい、魔物が人に化けたのかと……」
そこか。そこなのか、人間かどうかの見分けポイント……。
俺は憮然とした表情でうなずく。痒いが、しかたあるまい。実際、ふつうに考えて服は着るだろう。
俺は親切な女性に服を手渡され、その場で着た。これで全裸ともおさらばだ。
この村では普通の、緑と茶色の麻のような質感の服だ。サイズは少し小さいが、別に問題はない。
赤い実も食べたし、服も手に入ったし、俺としては万々歳な結果だ。
用も済んだし、俺は早々に立ち去ったほうがいいか、と訊いたが、老婆が少し話がしたい、と言って俺を引きとめた。なんだ、外からの客が珍しいのか?
しばらく雑談に興じる。俺が何が好きなのかや、ここの村人が一日何をしているのか、とそういうことを話して聞かされた。
そして、一通り雑談も済んだところで、俺はさっきの、気になった単語を拾い上げた。
「それで……魔物とはなんだ?」
「は?」
外の客が珍しいのか、広場で老婆と話している俺の周りに集まったものがみんな、怪訝な顔をする。
「そこら中にいる。外を歩いてたなら、襲われてたっておかしくねえのに……知らんのか?」
俺は、気が付いたら記憶を失っており、湖で目覚めたこと。川沿いに歩いたが何も見つからず、崖の下で一晩明かしたこと。
なぜ湖で倒れているのかもわからず、自分の名前も思い出せず、何も食わずで歩いていたことを話した。そして偶然赤い実を見つけて、あとは子供の話と一緒なので割愛する。
「そりゃあ、すごい幸運だよ、アンタ」
俺の話を聞いていた誰かがそう言って みんなが同意を示すように頷いた。
この辺では魔物が多く出現するらしい。地面に絵を描いてもらったのだが、外見がオオカミのような魔物がとくに出現するという。
よく鼻が利き、狙った獲物をしつこく追いかけまわす魔物だそうだ。ほかにも何匹かいるが、おもに村人が恐れているのはオオカミ型の魔物なのだという。その魔物は匂いを辿り、村の中にまで入ってくることがあるという。そして結界を破られるとほかの魔物にも見つかるため、若い男たちがすぐに駆けつけて追い払うのだそうだ。
そのたびに、一人か二人、男が犠牲になるため、村は存亡の危機に瀕しているという。
村人が出入りをしない本当の理由が、こちらだ。
「なるほどな」
俺は魔物に関して一通りの話を聞き、納得した。確かに見渡してみれば、周りにいるのは女のほうが多い。男は、年老いた翁が一人、それから武器を持っていた若い者が十人。先ほど俺を取り囲んだのが、最大戦力だったようだ。ちなみに、子供は遠巻きから俺を眺めており、まだ小さい子が多いため男か女か微妙にわからん。
人数が少なくなるにつれ、撃退に時間と一人当たりの負担が増加し、被害も増える。そうするとさらに人数が減り、被害が大きくなる。こんな悪循環を繰り返して、村の人口は半分以下まで減ったそうだ。
「もしよかったら、アンタ、わしらの村にいるのはどうだ?」
「記憶を思い出すまででいい。家も、空き家がいくつかあるんだ」
なるほど。
おそらく、村人は先ほどの俺のハッタリを聞いて、俺を元武人か何かだと思ったのだろう。
そして、俺と子供、二人も村を出入りしたということは、近いうちに匂いを嗅ぎつけたオオカミの魔物の襲撃があってもおかしくはない。
退治するための人手が必要なのだろう。俺は村で生活にに必要な物資と情報を集め、村は俺に守ってもらう。これは交換条件だ。
用心棒か。魔物の強さがわからないことが心残りだが、他は悪くない。
「わかった。ではしばらく世話になる」
俺はまず、自身が使う武器を決めることから始めた。別に剣でも槍でも使い勝手は大きく変わらないため、質のよさそうな剣を選びそれを使う。片手剣だ。片手は何かと空いているほうが、とっさに何かあった時に対応しやすい。
軽く振ってみるが、思った以上に軽い。鉄の塊だからもっと苦労するかと思っていたが、俺の転生後のこの体もなかなかどうして能力が高い。
剣道の心得はあっても片手剣の心得はない。仕方なくレイピアの動きを参考に突き主体の攻撃を練習してみたが、どうにもしっくりこない。
武術に関しては徒手空拳が俺の基本であるため、あまり武器を使う経験がなかったのが災いした。こうなると素手のほうが強い、ということにもなりかねない。
魔物の強さがどの程度か判断できない以上、油断をするわけにもいかない。
俺は無駄な体力の消耗を抑えるために、その日はカポエイラとムエタイの練習を行って休むことにした。
そばで何人かの村人が見よう見まねで一緒に練習していたが、特に指導をしてほしいとは言われなかった。
結局、日のあるうちは何も起きなかった。
夜間の警戒はどうなっているのか聞いたところ、村人全員で夜間の不寝番をするらしい。大変結構なことである。
俺はいつから不寝番に参加するかを聞いたが、まだ決めてないので今日はそのまま寝てくれても構わん、と言われたのでそうする。
案内された空き家に上がり、少し埃っぽい布団を用意する。元の世界では羽毛などを詰めていたようだが、ここの布団は厚い布を一枚掛けるだけのようだ。家の中は別に寒くもないため、俺は村人に合わせて日が沈むと同時に眠りに就いた。
朝。
夜も特に何もなかったそうで、このまま魔物が来なければいいな、と村人が話し合っているのを朝食の席で聞く。
「いやぁそれにしても、旅人さんはすごいねぇ、体つきが」
「ありがとう」
一日経って徐々に俺に慣れたのか、昨日よりも多くの村人に声をかけられるようになった。旅人さん、とは俺のことである。元の世界の名前を持ち出してもよかったのだが、記憶喪失ということにしているので名乗るのはやめた。誰かが旅人さんというのはどうだろう、と提案し、今ではその呼び方が定着している。
ちなみに、話しかけてくれる人の中にはやたらと熱い視線を送ってくれる女性もおり、俺はわからないふりをするのに一苦労した。
正直なところ、この村に腰を落ち着ける気はない。
「ねぇ、旅人さん。私の家でお話ししない?」
他の村人が周りにいないのを見計らって、そう言って俺の耳元で囁く妙齢の女性。わざとであろうが、押しつけられた胸がすごいことになっている。
だが、俺は鉄の自制心を発揮した。非凡なる俺の唯一の弱点、それは女性経験があまりないことである。別に童貞ではないが、心が揺れるのは仕方がない。というか、皆さんそろって欲求不満のご様子。いや、それこそ仕方ないのだろう。村の男は全員伴侶がいるらしく、手出しができないのだ。もしかすると、いい年なのに経験がない女性がいないとも限らない。
この村の境遇を知れば何人の男が応援に駆け付けるのだろうか、と俺はわりと本気で考えていた。たぶん、腕に覚えのある男の一人身ならば来るぞ。
のらりくらいとピンク色の展開を回避しつつ、俺は村の隅で今日も片手剣を振る。慣れておくにこしたことはない。
「――はっ」
この剣がどの程度切れるのかも、俺は把握できていない。試し切りをしたいと朝の席で老婆に伝えてあったが、あいにくそういったものは村にはないのだそうだ。仕方なく今日も空を切って俺は剣が体になじむのを待つ。
あ、そうだ。
ふと思い出したが、村の男も俺と一緒に魔物と戦う予定だった。
彼らとの連携を行うべく、魔物出現時のシュミレーションをしておかなければならない。俺はそう考え、村の中央の広場に向かおうと練習を中断する。
と、振り返った視線の先、広場に向かう道で男たちがざわついているのが見えた。あわてた様子で周囲を警戒している。老婆が男を二人ほど連れて、以前魔法を張りなおした場所の方へ向かっていこうとしていた。
魔法を張りなおすってことは、魔法が破られた? つまり、来たのか?
その時、視界の隅に黒い影が。それは草むらに逃げ込む。村人が隠れる理由はない。状況と照らし合わせれば、こいつは、間違いない。
俺はそれをオオカミ型の魔物と仮定して、警戒を強める。
足の指ですぐ傍の小石を拾い、じりじりと距離をとる。一足飛びで何メートル飛びかかってくるかわからない以上、こちらが反応できる距離が必要だった。
ゆっくりと後退して、俺は小石を草むらに放り投げる。
放物線を引いて狙い通り茂みに跳びこむ小石を確認し、俺は身構える。
飛び出してきたところを、叩き斬る――!
「あ、旅人さーん」
背後からさきほどの妙齢の女性が俺に近づいてきた。くそ、タイミングが悪い!
俺の意識が背後に移った一瞬の隙を突いて、それは草むらから俺に向かって飛びかかってくる。二足歩行で小柄な少女――! 間違いない! こいつがオオカミの――
「って違うじゃねーかっ!」
書きためたぶんの最後になります。
……少しずつ執筆ペース遅くなるかも。