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第二十二話 忠臣バース

「ふはははははははは、ふはははははははっ!」

「わんわん! わん!」

「ふぁーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!!!」

「きゃん?! きゃんきゃん!!」


 ケルツィオ山岳の北部、背の低い山を常識では信じられない速度で踏破というか飛び越えるというか、とにかく驚異的な速度で山岳の中央に向かう存在があった。

 大音量の笑い声と怯えたような犬の鳴き声が木霊する。当然、万人を魅了するその威厳と力強さに裏打ちされた高笑いはこの非凡なる魔王兼勇者たる俺であり、情けない呻き声にも似た犬の声はライウルフとかいうオオカミの姿をした魔族、バースの鳴き声である。

 もっとも、俺の声もバースの声も、ほとんど風音に掻き消されて自分の耳には聞こえない。

 現在、俺は小柄なバースを左脇に抱え、邪魔な木をへし折りつつ山岳地帯の奥深くに向かっていた。ケルツィオ山岳地帯は名前の通り、山がいくつも集まっている土地である。いずれの山も大した高さはなく、一番高いものでも二千メートル。日本の富士山にも届かないものばかりだ。転生前ですら富士山どころかエベレストの登頂すら踏みしめた超一流の登山家であるこの俺からすれば、たかが二千メートルなど眠っていても踏破できる。加えて今は完全体となった魔王の肉体である。登山用の装備もいらなければ、事前の準備すら不要。

 登山ルートの確認不要、崖の迂回不要、落石・転落の心配無用!

 ここまで揃ったこの俺が、たかが二千メートルなどと話にもならないのは、もはや言うまでもないことではあるな。

 目の前に迫っていた大樹をドロップキックで吹き飛ばし、着地の勢いもそのままに登山を続ける。しばらくすれば木々の背丈も低くなっていき、山頂が近いことが分かった。

 そこで、高く跳躍。木々を軽く飛び越え、開けた土地を探す。ちょうど進行方向に草しか生えていない天然の広場を見つけ、俺は翼で微調整し落下地点を修正。そこに降り立った。

「ふふん。モスクルト伯爵だったか? そいつの居場所まではもう数分で辿り着きそうだな」

「く、苦しい……」

 酸欠だろうか。バースは舌で己の鼻先を湿らせつつ、何度も苦しそうに呼吸を繰り返した。

 まぁ、比較的麓で出会った魔物だし、たかが数千メートルとはいえ標高の高い場所にはちがいない。俺は何も感じないが。

 さきほどの跳躍で嫌なことを思い出したのか、少し気分が悪そうにしている。

「というか、お前は動いてないだろう」

「いや確かにそうだが……、緊張で脈が速くなるのだ」

「何を人間臭いことを言っているのだ。たかが酸欠がなんだ。お前も魔族ならシャキっとしてろ。恥ずかしい奴め」

「……うぅ……」

 理不尽なことを言われたとでも言いたげな顔で、バースはうつむく。

 ちなみに、こいつは伝言が済んだ後さっさと逃走を始めたため、捕獲した。簡単に言ったが、さすがにオオカミの獣か、山道での走行能力は高く、捕まえるのに三十秒もかかってしまった。バースは捕獲された後も暴れていたが、がっちり掴んだ尾を引き千切る覚悟がない限り、抜け出すのは不可能に近い。まぁ、ちぎっても三十秒以内には同じ運命が待っているので、そこまでの行為にはいたっていない。

 俺は悲壮感あふれる表情のバースを小脇に抱えたまま、右手で地図を開いた。そこにはバースから聞きだしたモスクルト伯爵の城の位置が、バースの肉球スタンプで押してある。

 バースは伯爵の位置を教えるのを嫌がっていたが、ほっそい胴体を抱えたまま跳び上がり、百メートルの自由落下を体験してもらったところ、素直に居場所をゲロった。

 ついでに、地面に足を付いた途端、バースはゲロった。情けない奴め。

 肉球スタンプは今俺がいる位置からもう少し南に五キロほど。山道であることを考えればまぁまぁの距離だが、あいにくクロスカントリーは俺の得意としている分野。たとえ人間の肉体でも、五キロ程度ならば鼻歌交じりにクリアして見せる自信がある。

 まぁ、数分ではさすがに無理だが。

 キョロキョロと周囲を見渡し、それっぽい建物がないか確認する。

 いくら魔族のものでも城と言うほどなのだから、それなりに目立つ外見をしているはずだろう。

 山の背に隠れていたりしない限り、五キロ程度の距離なら余裕で見えるはずだが……。

 見えない。

 探すのも手間だ。俺は抱えていたバースを片手で掴み、頭上に掲げる。

「さて。バース。この俺にふざけたことを抜かしやがる、命知らずなモスクルトとやらがいる場所はどこだ?」

「い、嫌だ……言わないぞ。これ以上は、領主の怒りを買うことに……」

 地図に押した肉球スタンプでは範囲が広すぎて、正確な位置まで分からない。

 バースは自身の生命の危機に瀕して居場所をゲロったが、詳細な位置までは今までごまかしていた。俺はどうせ近くに着たら見えるだろうと考えて放っておいたが、まさか全く見えないとは思わなかった。

「そうかそうか。お前の忠犬ぶりにはこの俺も感心だがな、しかし間違えるなよ? 怒りを買うかどうかの前に、生きてモスクルトに会えるかどうか、選択しなければならないのだ」

「このモスクルト伯爵の忠臣バース、命に代えてもそれだけは言えぬ!」

「そうか。さっきもそう言ってたな。その割にあっさり吐いたが」

「そ、それは……」

「また俺が背中を押してやろう。ほいっ」


「いやあああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 ドップラー効果を伴う悲鳴が天へ登り、またも地上百メートルほどの高度に達する。きっと今バースは、鳥の気分を味わっていることだろう。

 ――当然、その先は自由落下だが。

「そら、俺に聞いて欲しいことがあるならやるべき合図があるだろ? さっき教えたやつだ」

「きゃいいいいいいいんっ!」

 悲鳴を上げて落下してきたバースは、しかしなかなか合図を言わない。落下寸前でも言わなかったので、俺は若干落胆しつつも、円運動で勢いを殺しながらバースを受け止めた。

 腕の中でバースは、息も切れ切れ、目を回しているにも関わらず強情な姿勢を崩さない。

「ハァ、ハァ、ハ……、私は、絶対に……!」

「ふん。まぁいい。言うまでやるだけだ。ていっ」

「いやあああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 哀れバースは、この日数十回もの自由落下を経験することになる。

 ……だが、結局バースは居場所を吐かなかった。


 どころか。


「いやっっっふうううううぅぅ! 最高だっ! 次! 次に行こうかっ!」


 これまでの行為で俺が怪我なく受け止めることを確信しているのか、バースは俺の腕の中でわくわくと目を光らせている。風でバースの毛は好き放題に跳ねていて、もはや毛玉のようになっているにもかかわらず、その声は元気で満ちていた。

 空への冒険に夢中になってしまったようだった。

 これは……。

 俺は呆れつつ、あまりしたくなかった策を実行する。

「バース。ここまで俺の拷問に耐えたことを、敵ながら褒めてつかわす」

「え? あ、ああ。そうだったそうだった。私の口は堅い! まだまだ言うことはできんな。じゃ、元気よく次行こうか!」

「バース、バース。勇敢で哀れなバース。もう俺は受け止め疲れた。お前を投げてから、俺はもう自分で探すことにするよ」

「そうかそうか。……えっ?!」

 バースが、先ほどまでの興奮はどこへやら、青褪めた顔でこちらを素早く振り返る。まぁ、当然顔も毛で覆われているので青褪めたような雰囲気がするだけだが。俺はその目を見て、にっこりとほほ笑んでやった。

「では、お望みの高い高いだ。ラストの奮発大サービスしてやる。――逝ってこいっ!」


「いっやああああああああああああああああああああああああっっっつ!!!」


 バースは初回のような悲鳴を上げた。いっそ聞いてるこちらが清々しくなるほどの見事な悲鳴だ。今回は張り切って投げたので、三百か、四百には届いているだろう。山の上からそこまでの高さに投げれば、大地の広さもよく分かる。冥土の土産にはちょうど良い眺めだ。

 俺はバースの落下地点に背を向け、さっさと城を探すために歩きだす。

 落下中に立ち去る俺の姿を認めたのか、焦り交じりのバースの声が響いた。


「是非とも私の話を聞いてくださいニャンっっっ!!!!」


 振り返るそこには、耳に前足を当てて、言葉も身も猫のような振りをしたバースの姿が。しかも舌を可愛らしくチロっと出しているあたり、まったくこの俺の指示通りの合図だ。両目は死んだ魚のような濁った色をしており、滝のような涙を流してはいるが。

 恥も外聞もなく、己の命以外のすべてを捨てた魔族の姿が、そこにはあった。


「はぁーっはっはっはっはっはっはっは!!! 愉快なりっ! よく言ったっ!!」

 その痴態は正しく噴飯ものであるが、合図を正しくやったからには、必ず助ける。

 俺は瞬間移動にも等しい速さでバースの落下地点へと跳び、落ちてくるバースを受け止める構えを見せる。鼻水と涙と涎でぐしゃぐしゃになったバースは、俺の姿を確認するなり空中で気絶したようだった。

 物言わぬバースの体と首筋を支え、衝撃で体内をやられないように注意しつつ円運動に巻き込む。一本の棒を空中でくるくる回すように、小柄なオオカミは猛烈な勢いで宙を回転した。仮に起きていても、今ので気絶すること必至だろう。位置エネルギーを円運動で散らしたバースを受け止め、地面にそっと降ろしてやる。

 気絶の時間は意外にも短く、三十秒ほどだった。

「っは! 私は……生きてるっ!」

 もし今のが普通の人間なら、遠心力で身体の末端に血が集まり過ぎて、おそらく脳内出血ぐらいはするだろう無茶な受け止め方だっが、バースは自分が生きていることを確認するや否や急に元気に尻尾を振り始めたな。

 さすがは魔族、バースは見事その衝撃に耐えたようだ。

 地面に伏せるようにして、自身の生命と大地に感謝しているバースには悪いが、こっちはさっさと間抜けなモスなんちゃらを改心させたくて仕方ない。

 バースの鼻っ面を掴み、強制的にこちらを向かせた。目の前に地図を押し付ける。

「無事で何よりだ。で、約束だったな。居場所はどこだ?」

「う……うぅ……」

 心の中で葛藤でもあったのか、バースは少しためらった後、諦めたように力を抜いた。

「場所はここだ。……お許しください、伯爵」

 地図のスタンプの位置、そのなかに爪の先で小さく痕をつけるバース。その位置は、やはりここから見える位置だった。

 だが、その方角には何もない。

 俺はバースの鼻っ面を掴み、今度は俺と強制的に視線を合わせた。

「おいコラ犬。嘘を言ってるんじゃないだろうな」

「う、嘘は言ってない! このバース、生まれてこの方一度も嘘はついたことがない!」

「なにをアホな中学生のようなことを……」

 俺のセリフに、バースは首をかしげる。まぁいい。

 嘘だとしても、本当のことが言いたくなるまで遊んでやればいいのだ。

 俺がニヤッと笑うと、何を察したのかバースの全身が総毛立った。

「ひ。ひぃ……」

「よし。では行ってみるか。この場所まで」

 こうして、足腰の立っていないバースを再度脇に抱え、俺は印に向かって歩を進めた。



 が、一分歩いて飽きる。

 木々の中を走るのは神経を使うし、この非凡なる魔王兼勇者たる俺が地をはいずり回るなど、美しくないのでは?

 人間の前では仕方ないとしても、ほとんど魔族しかいないこの山中なら自由に飛んでもいいのだ。

 よって俺が次に選択したのは、自前の翼を使った移動だった。

 マントを脱ぎ、手に持つのも面倒なのでバースに着せる。

「え、貰っていいんですか?」

 などと少しばかり嬉しそうに言っているバカ犬は放っておいて、俺は背中から翼を大きく伸ばした。服の背部には穴があり、うまい具合にそこから翼が出るようになっている。

「よし、いくぞ」

 翼をぶんぶんと上下させる。

 実は、まともに飛んだ経験がまだないため、軽やかに飛び立つこともできない。

 だが僅かにコツを掴み、うまく翼で空気を掴むことに成功する。少しずつ身体が持ち上がり、地面が離れていく。コツは、上げる時は垂直、下げる時は水平。もちろん翼の向きの話だ。

 ぐにぐにと翼を動かす感触に慣れる、あとはもう思い通りに跳べる。もともと無かった器官でも、ここまで自在に操れると、もはや翼があるのが普通だったように感じるから驚きだ。こっちは驚異的な速度で吹き飛んでいく、ということもなく、ふつうに、呆気ないほどの飛行だから気分もいい。

「と、飛んでる……」

「当たり前だ。非凡なる魔王でもあるこの俺だぞ」

 勇者、の部分を何気なく伏せる。

 ついニヤっと笑ってしまった顔をみて、再度バースは毛を泡立たせた。

「な、なにか不気味な気配を感じた……伯爵、どうかご無事で……!」

 ふむ。

 間抜けなだけの犬かと思ったが、このライウルフとかいう種族、義理堅い性格でもしているのか? 初回魔王転生時の時など、俺が魔王が記憶喪失だと解った瞬間に逃げ出していたぞ、配下共は。

「……ふむ。敵ながら天晴なその忠義、気に入った。この粛清が終わり、お前がまだ生きていたなら、バース、お前を連れて帰るぞ」

「ふぇ?」

 バースは鼻水でもたらしそうなほど間抜けな顔で俺を見返していた。

 ……やっぱ、やめておくか?

 少し気が早かったかもしれん。こいつ、連れ帰っても忠義以外に無意味な気がする。

 悩みつつ、俺は一路、モスクルト伯爵の城へ向けて飛んでいた。

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