第十六話 飢餓
更新遅くなってしまってすいません。
今後も本当に遅くなりそうです。
善処したいと思いますが、二月と三月はいろいろと忙しいので
やっぱり遅くなってしまうと思います。
すいません。
霧がかかったような、という表現をするほど思考が鈍いわけではない。
だが、何か大切なものを履き違えてしまっている気がする。それが何だったのか、よくわからない。
だがまぁ、この非凡なる俺という偉人がこう言っている。忘れることなど些細な事だ、と。
そして今わかったことがある。どうやらこの身体、燃費が悪い上に操縦性が悪い。
胃が捩じ切れそうなほどの空腹を自覚して以来、思考回路がところどころ飛躍したり欠如したり、最悪変更されたりしている。人間だった頃と同様で、空腹感は波のように強まる周期があるようだ。いや、これは腹痛の話だったか? まぁ、些細な事だ。
今は比較的冷静な思考を保てている自覚があるが、ついさっきまでは何が何だかわからなかった。
本能で動く生物は常時あんな気分なのだろうか。悲惨だな。
今、俺は城壁が比較的近く見える場所にいる。城壁は昼間の喧騒を忘れ、夜の闇の中にひっそりと静まりかえっていた。人の気配も希薄で、ちらほら見える明かりも城門と城壁の一部の松明だけだ。
……この時間になると城門の外に誰もいないのか。昼間には賑わっていた露店も、今は店の骨組みすら撤去されて何もない。
完全な無人だ。
無人――人が皆無ならば、
「こンばんハ、王さま」
そんな風に気軽に声をかけてくるこの存在は、人ではないのだろう。
何より、この俺のことを魔王だと理解している時点で魔族確定だ。
城門を背にするように立つ、極彩色の服を着た、人の形をしたナニカ。隠しようもないほどに魔力が滲み出ている。そして隠すつもりもない殺気。あちらはやる気満々のようだ。
こちらは、といえば空腹かつ何かを間違えているという引っかかりを感じているため、そっちに集中したいのだが。何か、俺の仕事が残っていた気がする。
しかし何の仕事をしていたか思い出せない。とにかく腹が減って、それ以外のことが考えられないのだ。
「無視ヲするなんテ、ひどいでスね」
「……いや、別にそういうつもりはないのだがな」
出来の悪いからくり人形のように音程の外れた声が、俺の思考を断ち切る。反射的に返した台詞は我ながら嘘くさい。俺としては無視ではなく、さっさと●●てしまいたいのだが。
……ん? いま、思考に欠如があった。何を考えていたのか、思い出せない。
「実はわたくし、さる高貴な方ニお仕えしてイる身でシて――」
目の前の魔族が語り始めた。……何がしたいんだ? アレか、そういうお年頃か?
俺は語り出した魔族を放っておき、話を聞いているふりをしつつ相手をよく観察する。
趣味の悪い極彩色の服から覗く肌には張りがある。若く見えるが、むしろ老人の皮膚を無理やり引き延ばしたかのような不気味な肌だ。全体的にひょろくて弱そうだが、こと魔族に関して見た目ほど当てにならないものはない。俺もフェルレノも、外見を多少ならば弄れるからだ。
目の前の魔族が何者かわからない以上、迂闊な行動もできない。
完全な人型の魔族というのは、そう多くはないと思うのだが。
いや、もしかしたらベースがそもそも人間なのかもしれない。誰かに仕えているというのなら、ゾンビやグールの可能性も高いな。
しかし……仕えている身というなら、もっと強い魔族が使役しているのだろう。いくら覚醒途中の魔王相手とはいえ、その黒幕さんはもっとまともな者を選ぼうとは思わないだろうか。
何の目的でこいつを俺にぶつけたのかが分からない以上、これ以上は考えようがない。
「……ワタクしのお話ハ退屈でスかナ」
「その通りだ。いきなり自分語りし出す奴は、業界ではかませ犬と相場は決まっている」
元の世界ではとある有名少年雑誌の編集長の片腕として名を馳せた俺だ。流れなんて大体分かる。
どうせ貴様はこの後この魔王兼……なんだったか。
魔王の後が、思い出せない。
思考がまたも欠如している。些細なことではない、大事な部分だった気がする。
とにかく、この俺にボコボコにされて泣きっ面をさらしながら帰ることになるのだ。
くっくっく。
おっと。帰ると言えば。
「そういえば、さっき二人ほど、ここを通らなかったか?」
「いマしタよ。興味ナカったノで無視しマしたガ」
「そうか」
では、あの二人は無事というわけか。それは良かった。
……ところで、あの二人って誰だ?
「でハお話ハこのくらいにして、そろそロお仕事ヲさせて頂きマショう」
「……うむ。来い」
宣言されたならば、この非凡なる魔王兼なんとかの俺が受けないわけにはいかない。
これは俺の美学でもある。が、俺はこの考えを即座に後悔することになった。
ぐぱ。
そんな気味の悪い音とともに、目の前の魔族の口が裂けた。縦に。
彼我の距離は十メートルほど。加えて暗くてもよく見えるこの透視能力のおかげで、肉の裂け目まではっきり見えてかなりグロい。発禁モノだ。
「……うぇ」
まるで昭和に撮影されたエイリアン。生理的嫌悪感だけで言うなら近代ホラーも顔負けだが新鮮味がない。百点満点中、十点だな。予想通りというかお約束というか、裂けた口の中から数え切れないほどの触手がわらっと湧いて出る。人の唇部分が微妙にニヤついているのがいやらしい。
こんな奴に来て欲しくない。
だが、俺の希望もむなしくその変態魔族はこちらへ駆けてくる。
……遅い。老人か、お前は。
たっぷり三秒もかけて俺との距離を詰めると、変態は頭突きをかますように上体を反らせる。俺はつい、その隙しかない棒立ちの足元に気を取られて足払いをしてしまう。
いかん、変態の見せ場が作れないじゃないか。
走ってきた勢いと首を振った溜め、それから足払いによる円運動で綺麗に縦回転した男は、頭部から地面に突っ込む。
……ふむ。
目前の犬神家状態の両足を掴み、気味の悪い頭部を近づけないように砲丸投げの要領で真上に放り投げた。全力で。
「ああアアアあああアアあっ?!」
「いや、面白過ぎだろう、変態」
ドップラー効果を伴った奇声とともに空高く――およそ五十メートルほど――放り投げられた変態は、今度は重力に囚われて落下を始める。俺はその場から三歩ほど後退して、落下してくる変態の観察を続けた。
頭部から一直線に地面に激突する変態。落下の衝撃で触手が何本も千切れ、周囲に飛び散る。そのうちの一つが俺の服にもへばりつき、少しだけうねってから停止した。
気持ち悪い。
指先でつまんで地面に投げ捨てるのと、変態が再び起き上がるのは同時だった。
人間なら軽く死んでいるが、変態とはいえさすが魔族。生命力が違う。
「ぐ……ふゥぅ」
しかし、かなりのダメージだったようだ。
外見通りの弱い魔族だったらしい。かわいそうな事をした。
しばらくふらついていた変態は、半壊した頭を振る。中身は触手でいっぱいだったが、あそこに脳も詰まっているのだろうか。だとしたらかなり脳のサイズも小さいのだろう。
俺は少しだけ憐みを感じて、足取りもおぼつかない変態に声をかけようとする。
が、その瞬間、視界に異常が生じる。焦点が合わない。
「む?」
ぐるるるるるる。
そんな音が聞こえる。かなり近くからだ。
というか、身体の中から。
これは、いわゆるアレだろう。飢餓感というか、つまりはそう。波が来た。
ああ、腹減った。
ブツン、と視界がブラックアウトする。
不思議な気分だった。全てが脈動しているようにも、全てが停滞しているようにも感じる。
矛盾。それを抱えたまま、俺の身体はこの俺の制御を離れて活動を始める。
直後、満たされていく。何もなかった腹に、何かが詰め込まれている気がする。
全身に力が漲っていく。栄養価の高いモノを食べたようだ。全身に循環する力の流れが違う。
ブツッと、視界が切り替わる。
一呼吸の間をおいて、思考がクリアになった。
「……まぁ、そうかな、とは思ったさ」
俺の独白に答える声はない。
俺は変態をかじっていた。
「――――――っおぇ!!」
吐く。嫌悪感と罪悪感に苛まれながら、残った理性が胃の中に存在してしまうモノを許さない。
えずいても出ない。指を喉に突っ込み、無理矢理吐き気を誘発させる。
「――――っ」
吐き出す。胃が痙攣し、内容物を全て絞り出す。
だが、口から出てくるのは赤黒い胃液のみだった。胃液は地面に落ち、即座に土を溶かし始める。猛烈な勢いで土は溶け、そして深い穴を作って消えた。
その光景を見て理解する。
おそらく、一瞬も原形をとどめることなく、俺の胃袋は変態を消化してしまったのだろう。
この俺が。魔王兼勇者の、この俺が。
いくら敵対していたとはいえ、いくら襲われたとはいえ。
本来俺の配下であるはずの、仲間の腕を喰ったということか。
認めたくはない。認めたくはないが、認めざるを得ない。
俺は仲間を喰ったのだ。
喰った。その事実が、全てを守ると誓う俺自身に牙を剥く。
殺される覚悟はあった。
転生初日に殺された俺だ。今回も殺されることはあるとは思っている。
だが、俺は殺す覚悟をしていなかった。殺さずに、殺されずにうまく対処することだけを考えていた。その結果がこれだ。
どうすればいいのか、分からない。
誰かに教えてほしいと心の底から思ったのは、いつ振りか。
もし一時間、時間を巻き戻せれば。俺は任務も何もかも放り出して飯を食いに行っただろう。
前金の200ガルドがある。何か食うことができたのは間違いない。
そしたら、あの魔族も五体満足で帰ることができただろう。
くそ。
くそ。くそ、くそ、くそッ!
俺はどうすればいい。
教えてくれ……フェルレノ。
俺はこれから、どんな顔でお前に会えばいいのだ?
いや、このままではお前に会うこともできない。
俺は――
「ラッセル!」
いつの間に近寄ってきていたのか、ウェルザと馬に乗ったニュクスが走り寄ってくる。
俺は無様にも慌て、そしてウェルザ達に背を向けて口元をぬぐう。魔族の血がこびりついていた。何度か拭き、完全に取れたのを確認してから向き直る。
罪悪感のみが全身を支配していた。
魔族を殺した。ならば俺はきっと、人も、殺す。
「ラッセルくん? こんなところでどうしたのだ? 馬車は? 野盗は?」
「落ち着けニュクス。ラッセルの様子がおかしい」
妙なところで鋭い男ウェルザが、今だけはありがたくない察しの良さを発揮したようだ。
俺の周囲に飛び散っている血と、近くに落ちていた極彩色の衣服の残骸を見比べる。
「ラッセル……、何があった」
その問いは、今一番答えたくない問いだ。
俺は、この異世界で唯一にして最初の友達を前にして、口を開いた。
誰も何もしゃべらない、奇妙な沈黙が荷馬車を支配していた。野盗も荷車も、俺が離れる前と全く同じ状況を保っている。ただし、野盗は俺を見た瞬間に目に見えて怯えだした。
それを見て、ウェルザが眉をひそめる。結局、彼は何も聞かなかった。あの時俺が話そうとした瞬間、ウェルザは手で制したのだ。
鋭すぎる男ウェルザの、それは救いなのか罪の延長なのか。
少なくとも俺には、仮初であってもラッセル・クラインという人間で居続けることができ、誰にも言えない業を抱え続けることとなった。
魔族を喰った感触。それを反芻し、いつまでも後悔を繰り返している俺。
あの瞬間から、思考は一歩も前に進んでいない。
「ラッセル」
「……何だ?」
そんな俺に、再びウェルザから声が駆けられる。視線を上げた先には、飄々としたウェルザの笑顔があった。男くさい、目を魅かれる笑顔だ。
「じゃんけんだ」
「また……、それか」
今はそういう気分じゃない。俺は首を振って断るも、ウェルザはニヤニヤ笑ったまま腕を突き出した。
「そういうわけにはいかない。約束したからな。王国に帰るまでに負けた回数が多い方が、勝った奴の言うことを一つ聞くってな。そして俺は負けてる。やらん話はないだろう」
「……なるほどな。お前らしい」
呆れつつも、そう言えばそんな話をしたな、ということを思い出す。俺は少しだけ笑ってから、腕を持ち上げた。
「ラッセル。心理戦だ」
ニヤニヤ笑顔を収め、少しだけ真面目な顔になってからウェルザはそう前置きした。
「俺に話を聞いてほしかったら、パーを出せ。聞いてほしくなかったら、グーを出せ。俺は全てチョキを出す」
「……!」
「どんな内容でも、お前は変わらず俺の仲間だ。それだけは、どちらが勝っても変わらない。違うか?」
器の違い。
それを見せつけられた瞬間だった。
悪くない。本当に、悪くない。
「ふん、分が悪い条件だ」
声が震えるのを全力で押し殺し。
俺は勝負の決まっているジャンケンを始めた。
作中、少々残酷で気分を害する内容の描写があったことを謝罪します。