第十四話 空腹の魔王兼勇者
だいぶ遅くなりました……
一日も経たずに綺麗になるなど夢にも思わなかったが、日の光のもとで改めて見るとやはりとんでもなくボロい。
たどり着いた宿屋を見上げ、俺はそんなことを考えていた。
隣のフェルレノも同意見だったのだろう、眉をひそめ微妙な表情で看板を見上げる姿は俺とどこか似ている。
一日でもあそこに泊まったという事実が今、俺たちの精神を蝕んでいた。
もう屋敷という拠点を手にした俺にとっては、この宿には用はない。当然のことだが、用があるのはこの中にいる人物だ。
建てつけの悪い扉を開き、俺たちは中に入る。
宿は日陰の中にあり、さらに今日はカーテンまで閉められている。そんな日光対策の成果か、宿の中は驚くほど暗い。
埃が積もったロビーもひっそりと静まり返っており無人。その暗さと静けさはまるで、その奥に居る人物の眠りを妨げぬようにしている、と。そんな錯覚を覚えた。
誰もいない宿屋のカウンターに、昨日と寸分違わぬ姿勢で突っ伏して眠っている金髪の女性。リーゼだ。
俺たちが近づいてもやはり起きない。このまま放っておいたらいつまでも目を覚まさないのではと思うほど、完成された睡眠だった。
たった一つ、弱々しい光を放つ蝋燭に照らされ、その長い金髪が金糸のようにすら見える。
俺はそれを見下ろし、そういえば昨日は妙な形で別れたことを思い出した。
まぁ、別にいいか。
「客じゃないが、起きろ。頼みがある」
「……アンタか」
リーゼは起きていたようだった。
声で俺と判断したのか、顔をあげる前にリーゼは返事する。というか、返事をしたはずなのにうつむいたままだった。
金の髪で顔を隠しつつ、リーゼは呻くような声を上げる。
「ちょっとあっち向いてろ」
「……何故に?」
「いいから」
強引な調子に戸惑いつつも、とりあえず俺はその場で後ろを振り向いた。
フェルレノはいいのかと思ったが、構わないようだ。特に何を言われるでもなく、背後でごそごそ動く気配がする。
十秒にも満たない時間の後、声が掛った。
「よし、もういいよ」
「……なんだったんだ?」
「気にしない」
俺は疑問を残したままリーゼに向き直る。リーゼには、特に変わった様子はない。あえていうのなら、額が少し赤くなっているだけだ。
学生時代、授業中に爆睡した同級生には証明のように同じものがあったことをふと思い出す。懐かしい。
「リーゼさんも女の子ですね。袖、いいのですか?」
「あ、コラ!」
フェルレノがそうコメントし、リーゼは焦る。一体何が起きたのだ?
袖? 俺はリーゼの袖に目を向けるも、すぐに隠されてしまう。
一瞬見えた袖には特に変化はなかったように見えたが……強いて言えば、一部が濡れたように色が変わっていたことぐらいか?
俺はなんだったのかと隣に視線を向ける。すると、いたずらっぽい笑みを浮かべてフェルレノは口を指さす。
「わ、わ! ダメだ! フェルレノ!」
リーゼが顔を赤くしつつ、カウンターから身を乗り出してまでフェルレノを止めようとする。フェルレノはさっと身をひるがえし、リーゼの腕が届かないところでニコニコと笑った。
袖と口。
――――ああ、なるほど。懐かしいな。
そういえば、同じくよく爆睡する学生がたまに騒ぐことがある。教科書が酷いことになったと、嘆いているのだ。
よだれで。
俺は一つ頷き、リーゼの肩にポンと手を置く。
「気にするな。出ちまったもんはしょうがない」
「ぁぁあ……!」
リーゼは羞恥に耐えきれぬように真っ赤になりつつ、ゴンっと鈍い音を響かせてカウンターへ再度突っ伏する。額が痛そうだ。
俺とフェルレノは無言。笑い出したいのを堪えつつ、妙な静寂が訪れる。とはいうものの、男勝りでクールに振舞うリーゼの意外な一面を見た気がして、顔が弛むのを禁じ得なかった。
しばらくすると、リーゼは何事もなかったようにむくりと起き上がる。俺の顔を見て、直視できずに目をそむけてから普段の声音で言った。
「……アンタか」
リーゼは最初からやり直すことに決めたようだった。その姿にどことなく憐れみを覚え、俺は何も言うことができない。ちなみに、額はさっきよりも真っ赤になっていたが、顔がそもそも赤くなっているので目立たなくなっている。かなりどうでもいいことだった。
一瞬目があったリーゼは泣きそうな顔で「忘れてくれ」と小声で言った。やり直しきれなかったようだ。
そんなに恥ずかしいことなのだろうか。いやま、俺なら死にたくなるくらい恥ずかしいが。
この非凡なる魔王兼勇者の俺が、そんな無様を曝すわけにはいかんからなぁ。
「そんなことより、私に頼みがあるんだろ?」
リーゼが急かすように話を進める。よほどさっきの話題に触れて欲しくないようだ。
――そこまでされると、逆に触れたくなるのが人の性。
なのだが、俺の腹の減り具合を鑑みるにそれはまた今度でいいだろう。
まずは金。それと飯。
「実は、昨日持っている金をすべて失くしてしまったのだ。良い働き口がないか探している」
どこかのギルドに直接行くか、王都の事情に詳しいリーゼに話を聞きに行くかで迷った。結局、ギルドならいつ訪れても大して変わらないだろうし、まずはリーゼに話を聞くほうがいいだろうと思い、こちらへ足を伸ばしたのだ。
俺は道で金を落としたという話をでっち上げ、それっぽく伝える。
まさか、訳の分からない怪物に熔かされてしまいました、などと言えない。
「ふーん。そりゃ災難だったね。で、どんな仕事を探してるんだい?」
リーゼが目を光らせて尋ねる。なんだろう、この積極性は。疑問に思うもこちらとしては都合がいいので言及はしない。
「特に希望はないが……、金がすぐ手に入るものがいい。稼ぎは食事ができる程度で構わない」
「なるほど」
リーゼはうんうん、と頷き、ちらっとフェルレノを見やる。いまだにさっきのリーゼの様子を思い返しているのか、ニヤニヤと笑っているフェルレノを見て、リーゼが悪い笑みを浮かべた。
「なんでですか……」
そう呟くフェルレノは普段の地味な服ではなく、不自然なほど露出が高い衣装に身を包んでいた。
メインストリートの一角に突然現れた彼女に、人々の視線が突き刺さる。おもに男性の。
フェルレノは恥ずかしそうに身をよじり、そのたびにギャラリーの一部からは得体の知れないどよめきが上がった。おもに男性の。
どこからかリーゼが取り出してきたその衣装は、偶然にも妖精をイメージして縫製られたそうである。誰にとっての幸か不幸か、フェルレノを採寸したのかと思うほどぴったりだった。少なくとも集まった男性ギャラリーにとっては幸であり、服のサイズを理由に断ることのできなかったフェルレノにとっては不幸であるようだ。
俺はと言えば、その布の面積の少なさを見るに人々の抱く妖精のイメージとはかなりの露出狂である可能性が高いのでは、という推論を立てたのだが、生憎とフェルレノに一蹴されてしまったので、不幸に分類される。
ちなみに、フェルレノが本物の妖精だからかどうかは知らないが、意外にも着てみるとよく似合っていた。ただし本人の嘆きの言葉を聞く限り、フェルレノ自身はそうは思っていないのかもしれない。
肩と背中、胸元が大きく露出している萌黄色のコントラストのかかった衣装。どう考えても下着を隠す機能はないミニスカートと、太ももの半ば、俗に言うハイニーソックス。背中というよりもほぼ腰のあたりに小さな羽のような装飾までご丁寧に用意されている。妖精をイメージした衣装を妖精であるフェルレノが着たのだから、衣装も冥利に尽きるというものだろう。
衣装のサイズが小さいのか、それともそういう仕様なのか、肌にぴったりと張り付く薄手の衣装は、まだ未成熟なフェルレノが着るとどことなく背徳的な色気がある。
全体的に細身で、本人には言えないが胸も腰も幼児体型なフェルレノは肉感的な色気は皆無といっていい。普段は色艶よりも可愛らしさが前面に出ている。しかし露出の高く珍しい色彩の衣装は、着ているものをまるで本物の妖精のように魅せ、ギャラリーの目を惹きつけていた。もう一度言うが、本物の妖精だ。
まぁ、数多くの言葉で着飾ってみたが、ようするにロリである。ロリロリである。
この広場に集まった男の中でもただならぬ熱い視線を向けているやつは、少なくともその素養はある。ちなみに、
「かわいー!」
「こっちむいて~」
比率は男性に比べて若干少ないが、フェルレノの子供的な可愛らしさが女性の可愛いモノ好きを刺激したらしく、女性の観客もいる。
女性陣はフェルレノの恥ずかしがっている仕草や表情を見て悶えている。中には頬を赤く染めて、ちょっと危険な目つきで凝視している人もいた。アッチの趣味の人だろうか。
男性の視線は主にその可憐な容姿と、透き通るような白い肌に集中している。特に、元の世界で絶対領域と呼ばれていた部分には、隣に立っている俺にわかるほどの視線の束を感じる。
この異世界にも絶対領域という概念があるのかどうかは別にして、男性に対してはなかなか人気であるようだ。やはりどの世界でも男は一緒だな。
何もしていない数分の間に、周囲は人ごみで埋め尽くされていた。
何人かはフェルレノの後ろに立っている俺に気づいているが、俺がうつむいて我関せずを続けると、フェルレノに視線が移っていく。
必死に短いスカートを下に引き延ばし、下着を防御するフェルレノ。もう諦めてしまえばいいのではないか、と乾いた感想を言うのは当事者でない俺だからこその意見なのだろう。フェルレノはその仕草がさらに男性陣の視線を熱くすることなど知らず、一人顔を赤く染めている。
――はぁはぁ……可愛いよあの妖精たん可愛いよ……
寒気。いや、悪寒。強烈な妄執に近いそれを察知した俺の身体は、反射的に戦闘態勢に入った。フェルレノはまだ下着を隠すのに必死で気づいていない。鈍感なだけかもしれないが。
強烈な殺気を叩きつけられたのように、体感温度が低下している。何者かが並大抵でない感情をこの公衆の面前で曝しているようだ……。
誰か知らんが、社会的な排他が怖くはないのか?!
悟られないようにゆっくりと顔を上げ、すばやく視線を巡らせる。男性陣からは先ほどの悪寒を何百分の一に薄めたようなものを感じるが、探していた人物はいなかった。
まさか、と思いつつも女性陣のほうを探る。
――いた。
強烈な妄執は物理的な圧力さえ発生させるのか、彼女の周囲には一歩分離れて人垣ができている。
蒼い長髪、長身の槍を携えたそのアブナイ女性は、目をらんらんと輝かせてフェルレノを凝視している。
っく……、あいつ、只者じゃない!
俺はその迫力に押され、一歩後ずさる。それに、驚愕した。この非凡なる俺を無意識に退かせるとは、かなりの使い手だ。
「……? ご主人様?」
俺が一歩下がったことに気付いたのか、フェルレノが俺のほうをちらっと見る。そのまま、俺の視線をたどるように目を動かしていき――
「――ひ」
固まった。息をのむ小さな悲鳴とともに、フェルレノは全機能を停止する。呼吸はおろか瞬きすらしていない。心臓が鼓動しているかも怪しいところだ。
ヤツと目が合ってしまったのだろう。その姿はまさに蛇に睨まれた蛙。覚悟もなくあの妄執と正面からぶつかってしまえば、それは仕方のないことなのかもしれない。
リーゼが遅ればせながら俺たちの異常に気づき、俺たちの視線を追う。
「おおぅ……!」
普段の笑みは引き攣り、一瞬身体が固まりかけるも、リーゼは無事復帰した。おそらく、視線を向けられているのが自分ではないと理解したためだろう。リーゼはまるで過失ゼロの交通事故の被害者を見る目でフェルレノを一瞥し、再度アブナイ女性に目を向けた。眉をひそめたその顔が、一瞬後に驚愕に染まる。
「フィア……?!」
信じられない、というように開いた口から零れ落ちた名前には、聞き覚えがある。
戦士ギルドの蒼い槍使いだ。抜き身の刃のような凛々しい彼女の名が、なぜこの場出てきたのか俺には分からない。
……俺はフィアという女性を思い出しつつ、もう一度さっきのアブナイ女性に目を向ける。
今もまだ俺達――というかフェルレノを見つめ続ける姿には、彼女の面影はなかった。いや、髪の色も、持っている槍も、身に付けた蒼い軽鎧もすべてが合致する。
だがしかし決定的な何かが違っていた。
顔だ。
いや、よく見れば美しい。フィアの美しい容姿なのだが、目が邪悪に染まりきっていて別人にしか見えない。
まさか……いや、しかし……。
俺が苦悩していると、リーゼがいつの間にか近寄ってきており、俺の袖を引っ張っていた。
「ねぇ、ちょっと。フェルレノどうしちゃったの?」
「なに?」
心配そうなリーゼの声に促され、俺はフェルレノを見る。あいつなら可哀そうなことに石化していると思ったが……。
フェルレノは、顔を真っ白にして静かに涙を流していた。
嗚咽はない。そこに感情は何もなく、ただ総てを諦めたような生気のなさを感じる。あれはもしかして、死を覚悟した魔族の表情なのか?
フィア(仮定)に捕獲される自分を思い浮かべてしまったのか、彼女からはなんの力も感じなくなっていた。
まずい。これ以上の負担はフェルレノが崩壊する。
俺はとっさに、フィア(推定)の視線を遮るようにフェルレノの前に立つ。自然、集まった観客の前に飛び出すような形になってしまったが、気にしてはいられない。
フィア(暫定)が俺を邪魔ものでも見るような目で睨む。だがその視線が俺と合った瞬間、彼女の表情は面白いように変化した。
赤から青、白くなってまた赤くなって、最後に泣きそうな表情になった。
くるりとその場で回転し、フィア(確定)はどこかへ走り去った。
……何だったんだ?
危機が去ったことを本能が理解したのか、フェルレノが心の底から安堵した表情でその場に座りこむ。
「森の聖霊様、お守りいただきありがとうございます……」
小声でそう呟き、フェルレノは手を胸の前で組んで祈り始めた。いや、実際に守ったのは俺なのだが――なんでもいいか。
予想だにしないアクシデントに見舞われたが、観客はいい感じで集まっていた。
そもそも、別にリーゼはフェルレノを苛めたくてこんな真似をしたのではない。いや、それが理由に一切介在していないかと言われればそれは首を傾けざるを得ないのだが、表面上はこれも資金調達のための一部である。
パフォーマンスだ。大道芸、と言ってもいい。
リーゼが言うに、このレベラ王都ではこういったパフォーマンスが他の都市に比べて少ないそうだ。普段見られない珍しい催しとして、集客効果は十分に見込まれた。
あとは、フェルレノが踊りでも手品でも何でもして、観客に金をせびればいいのだという。フェルレノの容姿と過激な衣装とで、この作戦に穴はない。
リーゼと俺は人通りの多いメインストリートでも、さらに金を巻いてくれる客層と時間帯を綿密に計画立てて臨んでいた。
フェルレノは一人嫌がっていたが、残念なことに多数決とくじ引き、さらにはコイントスでも敗北したため、このような事態になっているのである。もっとも、多数決は当然として、くじ引きはリーゼのイカサマがあり、コイントスではこの俺が透視能力を使って勝負したのだからフェルレノには万が一にも勝ちはない。俺とリーゼにとっては順当な結果としか言いようがなかった。
ちなみにこの俺が仲間であるフェルレノの猛反対を押し切り、リーゼの「フェルレノ作戦」に同意したのには深い理由がある。
なぜなら、この計画、つまりパフォーマンスが普段レベラにない非凡なものであるから。
非凡たる魔王兼勇者であるこの俺の仲間であるフェルレノにも、非凡であってもらわねば。誰にも文句は言わせん。
「頃合いね」
「だな」
「…………本気、ですよね……」
リーゼが客の集まり具合を確認し、俺も同意した。今更のようにフェルレノがなにか言っていたが、それは無視をする。時間は昼後。俺も腹が減ったのだ。さきほどの一件でフェルレノに耐性がついたのか、男性の視線で恥ずかしがるのは表面上は抑えるようになった。やっぱり下着が見えないようにスカートを引っ張っているが。
まぁフィアの視線の後なら大したことはないと思えるのかもしれない。
客が食後でいい気分でいる時のちょっと財布のひもが緩んだ瞬間を見計らう、とはリーゼの計画である。俺は空腹に耐えかねて早目に行動したかったのだが……仕方がない。この勝負の決めどころとなる衣装を用意したリーゼに譲ったのだ。
俺はフェルレノに突き刺さる視線の前にすっと立ち塞がり、両腕を広げてアピールする。こうして一時的に視線をすべて拝借した。
勇者オリオンだ、という声がそこかしこから聞こえ、ざわめきが落ち着いたところで、俺は大声を上げた。
「さぁ――寄ってらっしゃい見てらっしゃい!」
漫才の本場関西。そこで磨かれたコブシのある声。漫才の才能すら非凡なこの俺の、全力の呼び込みを聞け……!
「こちらにいるは可憐な少女! これより舞った張ったで大立ち回り! さあさあ皆さんよくよくご覧、よければ彼女に応援をッ!」
身振り手振りも加え、壮絶なインパクトを大衆にまき散らす俺。……ふ。相も変わらず俺の演説は最強だな。
感動のあまり口を茫然と開けているリーゼに一つウィンクをし、同じく聞き惚れてしまったのか完全に固まっているフェルレノに片手をあげてみせる。
「自信満々に呼び込みは任せろっていったけど、あり得ないくらいセンスない……」
リーゼが小声で何か言ったようだったが、大衆の反応を見ていた俺はうっかり聞き逃してしまった。まぁ、称賛していることは解りきっている。
「オリオンが……あんなヤツだったか?」
「なんか雰囲気変わったな……」
「見ちゃだめですよ! 真似もだめです!」
そこかしこでこの俺に対する称賛が聞こえる。以前のオリオンとは一味違うことにようやく気付いたか。外面はオリオンでも、この非凡たる魔王兼勇者の俺が中の人なのだから気付くのが遅すぎる、と言わざるを得ないな。
まぁ、その愚鈍さも愛すべき庶民の証だろう。翻ってみるに、俺はやはり非凡な存在なのだと再確認した。
ふっふっふ。
一人肩を揺らしていると、何故かリーゼとフェルレノが奇異なものでも見るような目でこちらを見ていた。
……どうかしたのか?
場を盛り上げに盛り上げた俺が脇に引っ込み、フェルレノが再度前に躍り出る。これは表現ではなく、本当に躍り出た。
両足をそろえて跳躍し、空中でコマのように一回転し、見事に着地して見せる。単純な動作だけに、少しのブレもなく行うのは美しくすらあった。
短すぎるスカートは下着を隠す機能をすべて放棄したが、観客はむしろフェルレノの動作に釘づけであった。
本物の妖精。人々のイメージでは一日中踊っているようだが、さて実際はどうなのか。
少しかがんだ姿勢でタメをつくり、すっと姿勢を正す。羽根のように自分の両腕を広げ――
踊る。
くるくると、中心をブレさせずにフェルレノは回る。完成された独楽のようでいて、回る途中でゆっくり姿勢を変える。フィギュアスケートのようだ。
かと思えば小さく跳躍を繰り返し、両腕を羽ばたかせる。こっちはバレエの動きに似ている。
「きれい……」
観客の誰かがため息混じりに漏らす。確かに、今のフェルレノはきれいだ。容姿や衣装ではない。足運びや腕の振り、どれも淀みなく、まるですべて計算されていたかのように舞い踊る。
一羽の小鳥が遊んでいるようにも、風に乗って空を舞うようにも見える。
そのうち、初めは固かった動きもだんだんとほぐれ、萌黄色の少女はいつしか笑顔で狭い舞台で舞っていた。
くるくる、くるくる。
観客のそばでお辞儀をするように膝を折り、次の瞬間舞台の中央へ跳んで戻る。
身軽にバク転も決めてしまうあたり、新体操の動きにも似ているのか。
「おおっ」
観客の間にどよめきが生まれる。身軽。まるで本当に羽根が生えているかのように舞う少女に、誰もが目を奪われる。
まぁ……単に踊れというだけの大雑把な指示だったのは認める。そのせいでフェルレノに無茶振りさせたというのも、認める。
だがそれを考慮に入れた上で尚、この作戦は成功だったと思わざるを得ない。
リーゼに目配せをしようと思ったが、リーゼもフェルレノの踊りを楽しそうに眺めていた。
ふむ。
まぁ、そういうことなら、俺も楽しませてもらうか。
その後の説明は無粋であろう。
本物の妖精が、より本物らしく踊る。その光景に惜しみない拍手が響く頃には、誰もが笑顔でいた。
「えー、ただ今の踊り子、フェルレノさんのこれからの活動のために、援助をお願いします~」
「します~」
俺とリーゼはそんな裏役で観客の合間を歩き回った。宿にあった風呂桶を拝借し、その中に募金活動よろしく金を入れてもらう。
そのほとんどは銅貨だが、いくつか銀貨も散見された。一般市民に紛れてはいるが、身なりの良い富裕層らしき人も結構いる。やけにプライドの高そうな髭を生やした中年の男は、なんと銀貨を三枚も放り投げた。
うむ。なかなか良い商売になったようだ。
ただ、ちらほらフェルレノを買いたい、というヤツまでいるのだから困ったものだ。中には金貨十枚でフェルレノを貰おうか、などと高圧的な態度の男もいた。
その男には、俺はサービス精神を発揮し笑顔で中指を突き立てた。そいつの鳩尾に。悶絶する男を放って置き、俺はまた桶を持って歩きまわる。
……金貨十枚ってーと、十万ガルドか。
そういや、奴隷もこの世界には存在するんだっけな。公認されていないあたりが、まだレベラの治安の良さを物語っている。
実は元の世界でも奴隷というのは名を変え秘匿され、今でも世界中に存在している。平和な日の当たる道を歩いている者は知らないだろうが、そこから一歩踏み外せばそれは残酷なほど常識だ。
幸いにも俺には関係のない話だったが、この異世界でもそうであるかどうかは分からない。少なくとも、勇者オリオンという知名度は多かれ少なかれ、様々な立場の者を引き寄せることだろう。中には後ろ暗いことをしている者もいるはずだ。先ほどの男のように正々堂々と交渉を持ちかけてくるタイプならまだしも、強硬手段でくる輩も出てくる可能性は十分に考えられる。
気をつけておく必要があるだろう。フェルレノは魔族でも力の弱い劣等。少しなら魔法も使えるようだが、それが鍛錬した人間の剣や魔法に勝てるとは思えない。鍛えた人間の強さは、初回魔王転生時の俺が身をもって味わっている。
ウェルザクラスの人間が相手になれば、フェルレノは抵抗らしい抵抗すらできずに捕まると考えたほうがいい。
今回フェルレノが目立ちに目だった影響、気をつけておく必要は十分にあるな。
俺はそんなことを考えながら、ずいぶん重くなった木桶を持ってフェルレノのもとへ戻る。リーゼはすでに戻ってきていて、フェルレノと話をしていた。
俺に気づくと、やはり重そうな木桶を掲げてみせる。
「764ガルドだ。そっちは?」
「503ガルド。想像以上の結果ね」
成果を確認し合い、少し息を弾ませているフェルレノに近寄る。頭の上に手を置き、優しく撫でる。
「よくやった、フェルレノ」
「はい、ご主人様」
心なしか満足そうな笑顔を浮かべたフェルレノの頭をもう一度撫で、いつかちゃんとした褒美を取らせるか、と俺は思案した。
もっともこの稼ぎはフェルレノにも帰ってくるので、別に必ずというわけではない。だが彼女の功績を鑑みるにそれくらいサービスはあってもよかろう。
「ねぇ、私は?」
「……強力に感謝する、リーゼ」
「どうも~」
どうせこの後は稼ぎで飯を食うつもりだろうに、と思いつつも、作戦提示と衣装に協力してくれたことは事実ありがたい。
リーゼもそのあたりは分かっているのだろう、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべている。今のは、私の報酬忘れるなよ、というように解釈しても良い筈だ。
今回の稼ぎは合計でほぼ1200ガルド。単純に一人400ガルドで分け合えばよかろう。
二人にそう言ったら、リーゼが呆れたような顔をした。
「ちょっと、別に私は良いけどさ、何もしてないアンタがフェルレノと一緒ってどういうことよ」
「なんだと……? この俺の華麗なる呼び込みを忘れたのか?」
「あのバカ丸出しのおしゃべりのことだったら、はっきり覚えているわ。あれのせいで観客が帰るんじゃないかってヒヤヒヤしたわよ」
「わわ、リーゼさん、そんなこと言っちゃ――「なん、だと……!?」」
この金髪……調子に乗りやがって!
あの呼び込みの素晴らしさがわからんとは……、こいつ本当に人間か?
まぁいい。この俺は非凡なる魔王兼勇者。ここは器の大きいところを見せてやろう。
「……ふん。フェルレノ、好きな数字を言え。文句は言わん」
「800で」
「ちょっと、フェルレノ……?!」
即答しやがった。しかも数字にまったくの容赦がない。
リーゼの驚きの声を聞きながら、俺は脱力しそうになる身体を全力で抑えた。
……くっ。何だ、この異世界では文化が違うのか? まさかフェルレノにすらここまでの低評価だったとは。
まぁいい。……いや、良くない。評価はよくても金額がまずい。
だってそうだろう? 飯が食えん。
だが、魔王兼勇者であるこの俺、以前に男に二言はない。俺は桶の中から400ガルドを取り出すと、それを片方の桶に入れてリーゼに渡した。残りをフェルレノに預ける。
「これでお前たちの望み通りだな」
「……ねぇ、私の分から少し上げようか?」
「……あの、ご主人様、さっきのは冗談で……」
よせ。やめろ。この俺をかわいそうな人を見る目で見るな……!
くそ、何が400ガルドだ! 何が800ガルドだ!
俺は二人を睨みつけつつ、この世界で初めての屈辱にまみれながら吠えた。
「俺は憐れみのこもった施しなど受けん! 金くらい自分で稼ぐ! 貴様らはその金で何でも食っているが良い!」
見ておれよ!
俺はふつふつと湧き上がる闘志を抱きながら、空腹のまま駆けだした。