第九話 勇者の資質(1)
朝の眩しい日差しは、しかし俺とフェルレノのいる部屋には注がなかった。
惜しいところまで日光は来ているのだが、ギリギリで隣の大きな建物にさえぎられており、部屋の中は薄暗いままである。
俺は村にあったものよりも上等かつ埃っぽい布団から起き上がった。喉の奥がカラカラに乾いている。これも埃のせいだろうか。リックから木製の筒を取り出し、蓋代わりの木の栓を抜いて中の水を飲む。清涼な水が喉を流れ、うるおいで満たされた。うまい。
隣で寝ていたフェルレノも同じタイミングで起き上がった。寝癖で髪の毛が酷いことになっているが、フェルレノが首を振るとそんなものはなかったかのように髪はまっすぐに戻る。なんじゃそりゃ。
フェルレノはあくびを一つし、小さくせき込んだ。彼女ものどが渇いているのだろう。
「飲むか?」
「あ、いただきます」
俺が水筒を差し出すと、フェルレノは即座に手を伸ばす。彼女もおいしそうに水を飲み、飲み、飲み、飲みほした。
「ありがとうございました」
ニコニコと、何がそんなに楽しいのか朝から満面の笑顔のフェルレノ。こちらとしては見てる分には気分がいいため、日光代わりの清涼剤として重宝しそうだ。
それにしても、こっちの世界に来てからというものやけに水がうまい。
元の世界の天然水と同じような味だとは思うのだが、こちらの味覚が変化しているのだろうか。以前とは別の肉体である以上、そういった可能性もないわけではない。
視覚、聴覚、運動能力、翼に魔力。村を出て半日で、俺はこれらの能力が飛躍的に上昇している。翼と魔力に関しては新規獲得な能力なのだが、まぁ細かいことはいい。とにかく、以前の自分と変わったところ、変わっていくところがなんなのか自分でも把握しておいたほうがいい。肝心な時に頭のイメージと実際の行動がずれているのは、かなり危険だ。初回魔王転生時に勇者にやられたのも、慣れていない翼が避けきれなかったことが直接的な敗因だったともいえる。
逆に戦闘時に翼に慣れていないのも危険だ。今は翼を小さくして見えなくしているが、早いうちに慣れておく必要があるだろう。
俺はそんなことを頭の片隅に記憶し、さて、と顔をあげる。
考えてみれば、昨日の昼からまともな食事をとっていない。
まずは朝食を楽しもう。
「ないね、そんなお洒落なものは」
金髪の女主人はなにを馬鹿なことを言っているのだと言いたげな眼で俺を眺め、吐き捨てるように言った。
意気揚々と食事を楽しみにしていた俺は、このセリフに絶句するしかない。まぁ、食事付きかなどと確認していないから仕方ないが。
非凡たるこの俺が、優雅な朝食すら取れないとは……ここ、本当に宿か?
「むしろ用意してほしいくらいだよ」
「……そうか」
ないのか、朝食。お洒落なのか、朝食。
俺はきっかり一秒ほど固まってから、ではどうするべきかを考えた。どこか国内の食事処へ行くこともできるし、まだ残っている携帯食料で済ませてもいい。
今日の予定は、情報収集と服の入手。できれば追跡者が誰なのかも知っておきたい。早いうちにこの世界の人間社会を知っておかないと、後々魔族として活動するときにいらぬ面倒を引き寄せかねない。まずは人間と魔族の関係について、人間側の考えと対策を知るべきだろう。
だがそれよりも何よりも、まずは食事だ。
村での食事は煮物を中心とした素朴な料理で、味は正直薄かった。ほとんど気にして食べてはいなかったが、それは諦めていたことだ。閉鎖された村の中で細々栽培された野菜を調理したのだ、味など二の次と考えるのは仕方がない。
だが、ここは王都なのだ。郷土料理のような代物ではなく、この異世界ならではの料理があるはずなのだ。いったいどんな仰天料理がでてくるのか、少なからず楽しみでもある。
それを、だ。
わざわざ体験できる機会があるというのに携帯食料で済ませるというのも、つまらない話である。となれば、選択肢は一つしかない。
「フェルレノ、朝食を取りに行くぞ」
「わかりましたー」
「御馳走になろうか」
フェルレノ、女主人が応える。俺は一つ頷きを返し、意気揚々と宿の出口に向かおうとして高速で振り向いた。
「なぜお前がついてくる? しかも奢られる気満々なのはなぜだ?」
宿屋の女主人は鼻を鳴らしつつ、宿代だ、と答えた。またいつもの意地の悪い笑みを浮かべ、別の意味でこの人は明るい。
だが確かに宿代の話はされなかったし、当然まだ払ってもいない。
しかし俺はこう思う。いやむしろ他の誰でも思うと思うが、宿屋なら宿代は金で受け取れ、と。
どうやら本気で同行しようとしている女主人を、半ば諦めつつも受け入れる。まぁ、現地の人間がいる分、良い店に入れることを期待するのも悪くないか。
そんなわけで、俺とフェルレノに金髪の女主人が加わり、俺たちは宿屋を後にした。
宿のある路地は日陰にあり、人影も疎らなため陰気である。しかし王都の華であるメインストリートに近付くにつれて、人の活気と喧騒が戻ってきていた。
露店の立ち並ぶメインストリートは人通りが最も多く、また世界各国で取り扱われる様々なものはここで見つけることが出来るといわれるほど、品数が多い。朝も早い時間だが、気の早い客に合わせて営業を始める店も多く、通りには結構な人が存在している。
今回俺たちが向かうのは、その華やかな通りから一歩引いた通りにある飲食店街だ。飲食店というと近代的な雰囲気だが、その多くはテーブルとイスが並べられて奥に厨房があるだけの簡単なつくりであり、店構えも木の看板が立っている程度である。飲食店街には周知の法則性があり、城門に近いほうは比較的値段も安いが素材も味もそれなりのものであり、中には人間では食べられないような酷い味の店もあるという。逆に王都の中心に向けては、味も値段もぐんぐん引きあがっていくそうだ。これには理由がある。王都の中心から奥が、政治家や富豪、高級軍人などの住む富裕層になっているためだ。基本的に城門側は一般人や貧民が住むため、客層に応じて店が移動を繰り返した結果のようだ。
ここで、女主人が教えてくれた国のおおまかな形を、記憶の整理のためにまとめておく。
そのためには、王都を時計に当て嵌めて考えると解りやすい。王都の中心を時計の中心、一二時を王都の最奥、六時が城門であると見立てる。
一二時の文字が刻まれている場所にはレベラ王城が聳え、ここで政治は回っている。国王もこの中におり、現在はガイアス王が君主となっている。ちなみに王は罷免されない限りずっと続き、空位になると王の指名もしくは国民の投票により王が選ばれる。このところはずっと王が子孫を指名し、世襲制のような状態が続いているのだという。城は国王の住む王区と政治に使用される議事区に分けられており、王区には国王とその家族、および一部の人間しか立ち入りは許されないそうだ。
時計の中心、すなわちこの国の中心には、この国で唯一の教会が建っている。聖堂院と呼ばれるそこには世界中から多くの僧が巡礼に来ているといわれているそうだ。が、それを教えてくれた女主人の言によると、そういった多くの僧はこの国の娼館やら闇市場に来るものが大半で、それをカムフラージュするために聖堂院に通うのが目的であるという。ひどいものになると、僧が闇市で奴隷を買い、孤児と称して堂々と自国へ連れ帰るものもいるという。
メインストリートはその聖堂院のある場所にまで伸びるが、露店の出店が許される行商区間はそこで終わり以降は道だけが存在している。時計の三時と九時をつなぐ線上にかなり大きな人工の川があり、三っつある橋を渡るとあとは富裕層の居住区になる。時計の上下ちょうど半分で区分けがされているという、王都のデザインは世界中でも珍しいらしい。ちなみに、富裕層の居住区を第一居住区、一般人の住む居住区を第二居住区と区別されている。
ちなみに聖堂院はその川の下、つまり一般人の第二居住区側に建設されており、第一居住区の人間がここを訪れる際は橋を通ることが必要になる。ただ、富裕層の人間はあまり聖堂院に来ないことは国中のだれもが知っている。
メインストリートを挟むように飲食店街が並び、それ以外は民家や宿、もしくは娼館といった娯楽施設が雑多に存在している。このあたりはまとめて第二居住区と呼ばれる。
また時計で言うところの縁、城壁により常に薄暗い場所の多くは貧民街やスラムになっており、特にスラムは危険であるためあまり一般人は立ち入らない。悲しいことに非凡たるこの俺が活用した女主人の宿は貧民街に存在している。
……引っ越しを考えたい。
俺たちはうまいものを食べるために、中央に向かって歩いている。
「つまるところレベラの王都は物欲に支配された奴らが集まる掃き溜だってことさ」
歩みに合わせてさらさら流れる金髪を一つにまとめた女主人が、自嘲するような口調でそう笑った。この国では表向きは奴隷の売買・所持は禁止であるが、裏ではかなりの奴隷が取引されているという。王都の政治家の中でもかなり高い身分の者の中に、そういったことを黙認したり、そもそも取引に加担する者がいるそうだ。
どの世界にも立場を利用して甘い蜜を啜ろうとする連中はいる。よくある話だろう。
そのほかにもこの国の政治に関する暗い話や、王都のスラムや貧民街の現状、高級官僚たちの横暴など、華やかな王都の裏側を女主人は俺たちに話して聞かせてくれた。やはりというか何というか、いいところだけの国などあるわけがないのだな、という感想を抱く。
だが一方で、これは魔王である自分が関わるべき話ではないな、とも思った。これは俺が王になる時に、反面教師として覚えていればいい。
この国の人間がどうにかしなければいけない現実だろう。
俺は頭を振って思考を切り替える。女主人の語りが国の裏事情に傾いていたため、少し暗くなった気分を追い払う必要があった。
別の話題にするために女主人に話しかけようとしたが、なんと呼べばいいのか迷った。頭の中ではすでに女主人で定着しているが、そのまま話しかけるのはいかがなものか。
「……そういえば、すっかり忘れていたが名前を言ってなかったな。俺はラッセル・クライン」
「従者のフェルレノです」
俺の言葉に素早く反応して、追いかけるようにフェルレノが自己紹介する。
女主人は唐突な自己紹介に驚くこともなく、そういえばと小声でつぶやいた。もしかしたら彼女も頭の中で俺の名詞が固定されていたのかもしれない。
名前を呼ぶ、という機会がないと、俺はとことんまで相手の名前に興味がないという悪癖を持っている。彼女も同類のにおいがする。
「ラッセルにフェルレノね。よろしく。遅くなったけど私はリーゼ。職業は見た通りさ」
ひらひらと手を振りつつ、いつもの意地の悪い笑みを浮かべるリーゼ。
「よろしくリーゼ。話のついでに、飯のうまい店をいくつか聞いておきたいんだが」
「そうね……、あまり高い店には入らないけれど、知り合いから教えてもらった店をいくつか教えてあげる」
かくして、俺たちはリーゼの教えてくれた店に入った。
村で食べた料理を比較にするのがかわいそうになるくらい、おいしかった。
……村の料理が。
「……だまされたわ……、ロッツの野郎、いつか締める」
「あの非凡なる味……俺に相応しいなど、み、認めんっ」
「痛いです! ご主人様、お腹がすっごく痛いですっ!」
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