第八話 不審な影(1)
列車が止まり、数少ない乗客が立ち上がる。
彼らが全員出ていくのを待ってから、俺たちは最後に出て行った。
魔王が王都に降り立った瞬間である。が、特に感慨はない。
ただ、王都というものを話に聞いていたが、考えていたよりもずっと大きい都市だった。
「ここが、王都……、レベラ王国か」
列車から降りた俺たちの目に広がるのは、広々とした大通りを埋め尽くす人の群れ。通りを挟むようにして整然と並ぶ数々の商店はどこも活気があり、周囲に熱気を振りまいている。
金持ちそうな身なりの者からいかにも貧しそうな者まで、老若男女さまざまな人が商店街を雑多に埋め尽くしていた。その街道は国の奥まで伸びており、その先には、細部は違うが、中世の東欧にありそうな堂々とした城が見える。俺はその光景に少し感動しつつも、こういうデザインって異世界でもあまり変わらないんだな、とか考えてしまった。まぁ異世界でもそこにいるのは人間なのだから、考えつく先は似るものなのだろう。
そしてほぼ真上と左右を向けば軽く三十メートルはあるだろう巨大な城壁がそびえている。円形にこの国を取り囲んでいるそうだ。
そして今俺たちの立っている場所は、城壁にある門。今は開いているが、閉まるときには頭上にある巨大な鉄の柵のようなものが落ちてくるのだろう。地面についた窪みと、見上げると先端が見える城門そのものでなんとなく分かる。
その城壁を見た後だと、先ほどまでの巨躯を誇っていたように思えた列車引きの生物――ゴートというらしい――が小さく思えた。ゴートは列車を切り離され、城壁の外側にそって御者と一緒にどこかへ行ってしまう。
「あー、そこの方……、いいですか?」
俺がその光景を眺めていると、横から声をかけられた。ちなみに接近には気付いていた。
俺たちに声を掛けてきたのは若い男だ。まだ真新しい黒い軍服のような制服を着こなし、愛想笑いを浮かべている。
入国審査官か何かだろうか、声を掛けるときからずっとギクシャクしていた。新人か?
「ようこそ、レベラ王国へ。えっと、国民の方は証明書を、入国希望の方はあちらまでお願いします」
若い男は城壁の近くにある小さな小屋を指さした。ドアは開けたままになっており、そこに入る人でかなりの行列を作っていた。その多くは商人であろう大きな荷物を持っている人であるが、ちらほらと旅人のようなものもいる。その列に並ぶ人に、水や食料をかごに入れて売っている商人もいた。城壁の周囲に露店を開いている者もいる。
にぎわっているなぁ、と感慨深くその光景をざっと眺めた後、俺は入国審査官にうなずいて見せた。
王都まではフェルレノも来たことはないため、彼女も俺の隣で物珍しそうに見ている。森以外にも出歩けるというのなら、なぜ王都まで来なかったのかと思ったが、今聞くことではないだろう。人目もあることだし。
俺たちはその長い行列に並び、売り子の営業スマイルを眺めつつ自分たちの番が来るまで待っていた。
その間も、俺はせっかく時間があるのだから、と遠くで金の受け渡しをしている人達に焦点を当てて、視覚と聴覚を強化する。
当然、この便利能力を使って情報収集だ。
<48ガルドになります>
コインが……たくさんある。コインの種類はほとんど一緒だな。単位はガルドか。
<こっちは16ガルド、こっちは103ガルドね>
16ガルドのほうはコインの数が、さっきよりも少ないが同じ種類のようだ。103ガルドは一回り大きいコインが一枚に、大量に使われるコインが三枚。
<ベトロネア地方の珍しい耳飾り! いまならたったの250ガルドだよっ。いいねーお嬢さん! 買っちゃう?>
商売下手だな、あのおっさん……お。でも売れるんだな。
さっき見た一回り大きいコインを……二枚。あとは、大量にコインを数えて手渡している。
俺は金額と客が払うコインの種類に注意して観察し、おおよその見当をつけた。通貨の単位はガルド。一番小さな銅色のコインがおそらく最低単位の1ガルド。それより大きな銀色のコインが100ガルド。おそらくもっと種類はあるのだろうが、使っている客も高額な店もない。
ひとまず、このあたりだけでも覚えておこう。
並んでいる人数が人数なだけに、かなり待ち時間がかかり、日も傾き始めてきた。だがその間も、俺は適当な人を選んで遠視と聴覚強化で情報を集め続ける。
そうこうしているうちに順番は流れ、俺とフェルレノは小さな小屋の中に入った。
壁から机から椅子から、すべて灰色で統一された奇妙な部屋だった。さきほど声を掛けてきた若い男と同じ服装をした中年の男性が、こちらの顔を見もせず手元の羊皮紙のような紙とにらめっこしている。そういえば、この世界に紙ってないのか?
「どこから来た?」
「ロケルナ村だ」
「ん……そっちのお嬢さんは?」
「一緒、ロケルナ村です」
「仲の良いことで……婚約旅行でいいか?」
「いや、ただの旅行だ」
即答したらフェルレノがつまらなそうに鼻を鳴らした。なにか間違っていたか?
軽口を交えつつも坦々と事務処理をこなした中年男が、カリカリと書いていたペンを止めてちらっとこっちを見る。紙の一部を指さした。
「お二人さん、どちらでもいいけど、文字は書けるかい? ここに名前を書いてほしいんだが」
一瞬書けると答えようとして、わざわざ自分で書く必要がないことに気づく。というか、まだ俺の名前を決めていなかった……。
「いや、書けない。すまないが頼む」
「あいよ」
中年男はそう言ってペンを構えなおす。あまり不審がられないことから察するに、あまりこの世界では識字率は高くないようだ。
「私の名前はフェルレノです」
気を使ってくれたのか、先にフェルレノが答える。さっさと名前をでっち上げないと。
さらさらとローマ字によく似た文字を書いていた中年男がペンを止めた。
「そっちの兄さんは?」
「俺は……ラッセルだ。ラッセル・クライン」
とっさに思いついた名前を口にする。意味はない。
「ラッセルさんね……」
呟きつつ、中年男は紙を足元の木箱に入れる。手元のかごから無造作に薄い金属板を取り出すと、それを俺たちに手渡した。
「はい、これ失くさないでね。帰る時に返してもらうから。じゃ、行っていいよ」
中年男はそう言って、ようやく俺と目を合わせる。瞬間、いぶかしむように眉を寄せた。
「ん……お兄さんちょっと待ってくれ」
踵を返しかけた俺は、引きとめられて中年男に向き直る。なにかまずいことをした覚えはないが、中年男の眉はくっつきそうなほど顰められていた。
不審がられた?
俺が魔王だとばれたのか? 馬鹿な、そんな素振りは何もしていないはずだが……。
隣のフェルレノも困惑した表情を浮かべている。俺はポーカーフェイスを保ちつつ、中年男がかなり近くまで顔を近づけてきたのにも我慢した。
「……何か?」
「どこかで……。いや……、はは、なんでもねぇ。ひきとめて悪かったね……、ラッセルさん」
中年男は最後まで俺から視線を放さずに、俺を見送った。俺たちが小屋から出て、城壁のほうに歩き去ってもまだ、こちらを見ている。
俺は中年男に警戒しつつ、適当な通りを曲がって路地に入る。ようやく、中年の男の視線から外れた。
いったい何なのだ?
不気味な視線に嫌な想像が膨らむ。万が一魔族であることがバレればどうなるのか、フェルレノに訊いたが、具体的にはわからないとの返答だった。だが、大抵そういう場合は軍のお出ましだと相場は決まっている。入国審査官が俺の何に気付いたか知らないが、逃げだすルートの一つか二つは確認しておいた方がよさそうだ。宿を決める時も、その辺を考えなくてはならないだろう。
だがまず、宿を決める前にしなければならないことがある。といっても簡単な話だ。
換金。
装飾品の相場というものは結局わからなかったが、いざとなればカマをかけて、心の声を読んで相場を推測することぐらいはできる。しかし現実問題として、国営の換金所のようなものが無い限り、こちらは向こうの言い値で売るしかない。いくら妥当な相場を訊き出したところで、売れなければ意味はないのだ。そのあたりも考えて、交渉が重要になってくるだろう。
さて。どこに売りに行くべきか。おおよその候補は国営、民間、闇市。個人的には闇市で無茶をしてみたいところだが、人間の知識が全体的に不足している状態でやるべきではないことくらい分かっている。そのため、候補は国営のものを探すか、民間で取引を行っているものを探すかのどちらかになるだろう。
一人で悩むものでもあるまい。俺は隣で路地の奥を眺めていたフェルレノを呼び寄せる。
「換金するなら国営か、民間かどちらがいいかで悩んでいるのだが、どう思う?」
「ご主人様にお任せします」
……相談のし甲斐の無い奴だな。
だが、フェルレノが俺に全部任せてきたということは、フェルレノにもその辺の知識はないと思ってもいいだろう。フェルレノは少々抜けているところがあるが、バカではない。
俺は少し頭をひねらせ、答えを決めた。
「国営でいこう。まずは公的に扱っているかどうかを探すことになるが、あれば装飾品の売却の目安がわかる。幸い、一つしかないわけじゃないんだ」
「わかりました」
フェルレノがそう言って、キョロキョロとあたりを見回す。背伸びをして精いっぱい探す姿に、やはり子供的な愛らしさを感じる。すこし和んでから、俺も遠視を駆使して探し始めた。
まだ慣れていないため、目を閉じたほうがはっきりと見える。俺は付近を見回しそれらしいものがないことを確認すると、さらに奥の方へ視線を動かそうとした。
だが、できない。
ある一定以上の距離になると、見ようとしても映像がぼんやりとしてしまって、ほとんど見えなくなる。どうやら、遠視にもできる距離とできない距離があるらしい。というか、この能力だと遠視よりも透視の方が近いかもしれない。建物の中だろうが範囲内ならば問答無用で見ることができるからだ。
ちなみに、フェルレノに向かって視点を徐々に近づけていくと、フェルレノの服の素材が細かく見える距離になってから、ふっとそれらが消え視界一面に肌色が広がった。……どうやら、元の世界で世界中の男子が欲しがったはずの能力が備わっているらしい。
俺は好奇心に負け、さらに奥を見ていく。すると、今度は一面が真っ赤になった。……どうやら、肉体の内側、臓器の部分も見えてしまうらしい。CTやMRIのような映像がリアルタイムで見ることができるというのは、しかしなかなかに興味深い。時間があったらじっくりと見てみよう。医学的な能力としては素晴らしい性能だ。これがあれば、体内の可視的な異常であればすぐにわかる。さすがに血液の病気や細菌感染などは無理だろうが。
俺は念のために、同時に聴覚強化の性能も試す。透視と組み合わせてどの範囲のしゃべり声なら聞こえるかを試した。すると、透視では視ることができるのに、ぷっつりと聞こえなくなる範囲がある。投資のできる範囲のおよそ三分の二程度だろう。思ったよりも短い。だがまぁ、それでもおよそ二百メートルは余裕で聞こえる。盗み聞きするには十分な距離だろう。
俺はやはり好奇心に負けてフェルレノの内部の方に意識を集中してみた。今度は心音とかが聞こえないかな、と少し期待してみる。
<……ここから見える部分はすべて見たんですけど……まだ移動しないのでしょうか……何かお考えがあるのでしょうけれど……>
ある意味、心音が聞こえた。罪悪感が意識を蝕んだ。フェルレノは律儀にも待っていてくれていたのだ。能力の把握なんかしてる場合じゃなかった。
「……すまないフェルレノ。少し考え事をしていた。では、移動しよう」
「あ、はい」