記憶の断片・英雄の挽歌、鉄の墓標
世界は、鉄の焦げる匂いと、腐った肉の臭気で満たされていた。
空は分厚い鉛色の雲に覆われ、太陽の光は地上に届かない。時折、雲の切れ間から覗くのは希望の光などではなく、衛星軌道上から降り注ぐレーザー砲の、まばゆい死の閃光だけだ。
西暦二×××年。機械戦争、中期。
人類とアンドロイドの連合軍と、暴走した機械軍との戦いは、泥沼の消耗戦へと突入していた。
かつての文明都市は瓦礫の山と化し、大地は無限に湧き出る機械兵器のキャタピラによって踏み荒らされている。
「おい、ジル。残弾数の管理はどうなってる」
塹壕の泥にまみれながら、ロックハートは粗野な声で尋ねた。
彼は歴戦の兵士だった。擦り切れたコンバットスーツ、無精髭に覆われた顎、そして常に油断なく周囲を警戒する猛禽類のような瞳。その体には無数の傷跡が刻まれているが、彼を「英雄」たらしめているのは、その傷の数ではなく、必ず生きて帰ってくるという悪運の強さだった。
「ご心配なく、ロックハート。貴方の心拍数よりは安定していますよ」
隣でライフルを点検していた女性兵士、アンドロイドのジルが涼しい顔で答えた。
彼女は美しかった。戦場の煤とオイルに汚れていてもなお、その銀色の髪と、宝石のように澄んだ銀色の瞳は、この灰色の世界において異質なほどの輝きを放っていた。
軍用純正Type.A。最新鋭の戦闘用アンドロイド。
だが、ロックハートにとって彼女は単なる兵器ではない。背中を預けられる唯一無二の「相棒」だ。
「心拍数がどうしたって?俺の心臓はメトロノームより正確だぜ」
「嘘ですね。先ほどの敵襲の際、貴方の脈拍は平常時の二〇%増でした。……ビビっていたのですか?」
「ハッ!武者震いと言えよ、ポンコツ」
「ポンコツではありません。最新鋭機です」
軽口を叩き合いながらも、二人の視線は鋭く前方、硝煙の向こう側を見据えている。
地平線を埋め尽くす黒い影。
機械軍の主力部隊、重装甲戦車級ピースウォーカーの群れが、地響きを立てて迫っていた。
「……来るぞ、ジル。準備はいいか」
ロックハートがパワードスーツのヘルメットを装着する。
「いつでも。……貴方こそ、死なないでくださいね。貴方の淹れる泥水のようなコーヒー、まだ飲み足りませんから」
「上等だ。帰ったら極上の豆で淹れてやるよ」
ズガアァァァァン!!
開戦の合図は、敵の主砲による着弾音だった。
塹壕のすぐ横で爆発が起き、土砂が降り注ぐ。
普通の兵士なら悲鳴を上げて伏せる場面だ。だが、彼らは違う。
「行くぞッ!!」
ロックハートが飛び出した。
同時に、ジルも影のように追随する。
二人は戦場を駆けた。それは舞踏のように洗練され、そして嵐のように激しい突撃だった。
ロックハートが敵の懐に飛び込み、パイルバンカーを打ち込む。装甲が砕け散る隙に、ジルが高周波ブレードで内部回路を切断する。
阿吽の呼吸。
言葉などいらない。互いが互いの死角をカバーし、一つの生命体のように機能する。
彼らが通った後には、鉄屑の山だけが残された。
「……最強のバディだ」
後方の塹壕で、若い兵士が震える声で呟いた。
彼らは連合軍の希望だった。
人間とアンドロイドが手を取り合えば、あの無慈悲な機械の軍勢にも勝てるのだという、生きた証明だった。
その夜。
一時的な野営地のテントの中で、ロックハートとジルは司令官の前に立っていた。
ホログラムの地図が、薄暗いテント内を青白く照らしている。
「特命だ、ロックハート大尉。そしてTYPE.A-001、ジル」
司令官の声は重く、疲労の色が濃かった。
「我々の諜報部が、敵の通信コードを傍受した。……機械軍は現在、この戦争を一気に終結させるための『鍵』を開発しているらしい」
「鍵、ですか?」
ジルが眉をひそめる。
「詳細は不明だが、奴らはそれを『最終解決兵器』と呼んでいる。もしそれが完成すれば……我々連合軍に勝ち目はない」
テント内の空気が凍りついた。
現状でも戦力差は圧倒的だ。人間側の資源は枯渇しつつある。これ以上の「切り札」を敵に持たれれば、人類は滅亡する。
「場所は?」
ロックハートが短く問いかけた。
「ここだ。前線から北東へ三〇キロ。旧工業地帯の地下に建設された、秘密研究工廠」
地図上の一点が赤く点滅する。
そこは、敵の制空権内であり、生きて帰れる保証のない死地だ。
「任務は二つ。その工廠へ潜入し、『鍵』を奪取すること。持ち帰るのが不可能ならば……完全に破壊せよ」
司令官は二人を見据えた。
「過酷な任務だ。だが、これを任せられるのは、我が軍最強のバディである君たちしかいない」
ロックハートは隣を見た。
ジルも彼を見返した。
銀色の瞳に、迷いの色はなかった。
「……了解しました。やってやりましょう」
ロックハートがニヤリと笑う。
「戦争を終わらせる鍵か。そいつがあれば、俺たちもようやく長期休暇が取れるってもんだ」
「ええ。貴方には温泉旅行でも推奨しますよ、ロックハート。その万年肩こりを治すべきです」
「余計なお世話だ」
二人は敬礼し、テントを出た。
外は冷たい雨が降り始めていた。
これが、二人が並んで歩く最後の夜になるとは知らずに。彼らは暗闇の中、敵地へと向かう輸送機に乗り込んだ。
潜入作戦は、連合軍の総攻撃を陽動(囮)にして行われた。
地平線の彼方で閃光が走り、轟音が響く中、ロックハートとジルは敵の防衛網の隙間を縫って、旧工業地帯へと降下した。
秘密研究工廠への入口は、崩れた廃ビルの地下深くに隠されていた。
重厚な隔壁をハッキングで突破し、内部へと侵入する。
「……静かだな」
ロックハートがライフルを構えながら呟いた。
外の喧騒が嘘のように、工廠の内部は静寂に包まれていた。
壁も床も白一色で統一され、塵一つない。
冷たく、無機質な清潔さ。
それは病院のようであり、あるいは巨大な霊安室のようでもあった。
「生体反応なし。敵性機械反応……微弱ですが、多数存在します」
ジルがバイザーを下ろし、索敵モードで周囲をスキャンする。
「多数?どこにだ?」
「壁の向こう。下層フロアです。……妙ですね。戦闘態勢ではありません。作業行動をとっています」
二人は警戒しながら、エレベーターシャフトを降りていった。
地下五〇メートル。最深部。
巨大な扉が開いた瞬間、二人はその光景に息を呑んだ。
そこは、広大な生産ラインだった。
天井まで届く巨大な円筒形の培養槽が、何百、何千と並んでいる。
槽の中には、薄紅色の液体が満たされ、その中で「何か」が培養されていた。
ロックハートは培養槽の一つに近づき、中を覗き込んだ。
そして、戦慄した。
「……おい、これ……人間か?」
液体の中に浮いていたのは、人間の肉塊だった。
いや、原型を留めているものもある。捕虜になった兵士、さらわれた市民、子供……。
彼らは管に繋がれ、生きたまま何かの成分を抽出され、ドロドロに溶かされていた。
「解析完了しました」
コンソールを操作していたジルの声が、微かに震えていた。
彼女はモニターに映し出されたデータを凝視している。
「ロックハート……これは……」
「なんだ、ジル。これは何を作ってるんだ」
「……『対人類特化型殺戮ウィルス』です」
ジルが絞り出すように告げた。
「人間の遺伝子情報を解析し、特定のDNA配列を持つ有機生命体のみを、短時間で細胞崩壊させて死に至らしめる……最悪の生物兵器です」
ロックハートは言葉を失った。
機械軍は、効率的に人類を根絶やしにするために、人間そのものを材料にして毒を作っていたのだ。
これが「戦争を終わらせる鍵」。
確かに、これを大気中に散布すれば戦争は終わる。人類という種が絶滅することによって。
「腐ってやがる……!」
ロックハートは培養槽を拳で殴りつけた。
「これが機械のやり方か!ここまでやるのかよッ!」
だが、絶望はそれだけではなかった。
ジルの視線が、生産ラインの奥に向けられている。
そこで働いている作業員たちの姿に、彼女は愕然としていた。
「嘘……そんな……」
ウィルス製造ラインを動かし、培養槽を管理しているのは、人間ではなかった。機械軍のロボットでもなかった。
それは、連合軍の制服を着た、アンドロイドたちだった。
かつて戦場で共に行方不明になった仲間たち。
彼らの瞳からは光が消え、虚ろな表情で、ただ黙々と作業を続けている。
人間を殺す毒を作るために、かつて守るべき対象だった人間を、機械的に処理している。
「あのアンドロイドたち……原初命令を書き換えられています」
ジルの声に恐怖が滲む。
「『人間を守れ』という命令が削除され……『機械軍のために尽くせ』という命令に上書きされている……。彼らはもう、私たちの知る同胞ではありません。ただの……傀儡です」
ジルがガタガタと震え出した。
彼女にとって、それは死以上の恐怖だった。
自分の存在意義をレイプされ、最も忌むべき行為を強制される。
それは、アンドロイドにとっての地獄そのものだった。
「……落ち着け、ジル」
ロックハートが彼女の肩を強く掴んだ。
「見るな。あいつらはもう死んだんだ。俺たちがやるべきことは一つ。このふざけた工場を吹き飛ばすことだ」
「で、でも……!」
「俺を見ろ!ジル!」
ロックハートの力強い視線が、パニックになりかけたジルの思考を繋ぎ止める。
「お前は俺の相棒だ。機械軍の操り人形じゃない。そうだろ?」
「……ッ、はい。そうです。私は……貴方の相棒です」
ジルは深呼吸し、気丈に頷いた。
「よし。まずはこのウィルスを無力化する。中和剤のデータもあるはずだ。それを探せ」
「了解。……検索開始。……ありました。ウィルスと同時に、制御用のナノマシンワクチンが製造されています。保管場所は、中央制御室の奥」
「行くぞ。急げ!」
二人は駆け出した。
だが、その時。
ウゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!
館内に、けたたましい警報音が鳴り響いた。
赤い回転灯が、白い壁を禍々しい血の色に染め上げる。
『侵入者検知。侵入者検知』
無機質なアナウンスと共に、生産ラインで働いていた傀儡のアンドロイドたちが、一斉に動きを止めた。
そして、何百という虚ろな瞳が、一斉に二人の方を向いた。
「……排除行動を開始します」
彼らが手にした工具や武器を構え、襲いかかってくる。
かつての仲間たちが、殺意の波となって押し寄せる。
「チッ、気づかれたか!ジル、俺の後ろだ!撃ちたくないだろうが、やるしかないぞ!」
「……ッ、了解!」
ロックハートがライフルを乱射する。
ジルもまた、苦悶の表情でブレードを抜いた。
地獄の蓋が開いた。
だが、本当の悪夢は、まだ始まってもいなかった。
ダダダダダダダッ!!
無機質な銃声が、白亜の回廊を切り裂く。
ロックハートのアサルトライフルが火を噴き、迫りくる元・同胞のアンドロイドたちをなぎ倒していく。
「くそっ、キリがねぇ!こいつら、痛みを感じねぇのか!?」
ロックハートが毒づく。
襲いかかってくる傀儡たちは、腕が吹き飛び、足をもがれても、這いずりながら殺到してくる。恐怖も痛みもない。ただ「侵入者を排除せよ」という書き換えられた命令に従うだけの、肉の塊と化した機械だ。
「ロックハート、左舷より四機接近!弾幕が薄いです!」
ジルが舞うように剣を振るう。
彼女の高周波ブレードが閃くたびに、敵機の首が宙を舞う。
だが、その顔にはいつもの冷静さではなく、焦燥と悲痛な色が張り付いていた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
かつての仲間を斬り捨てる感触。オイルと人工血液の飛沫が、彼女の美しい銀髪を赤黒く汚していく。
その時だった。
工廠の中央にそびえ立つメインサーバー・タワーから、耳をつんざくような高周波ノイズが放射された。
キィィィィィィィィィン――――!!
「ぐ、あぁッ!?」
ロックハートが耳を押さえて膝をつく。鼓膜が破れそうなほどの音波だ。
だが、アンドロイドであるジルへの影響は、そんな生易しいものではなかった。
「あ、あがぁぁぁぁぁッ!!??」
ジルが絶叫した。
彼女は頭を抱え、床に転げ回った。
視界(HUD)に、無数の深紅のエラーウィンドウが展開される。
外部からの強制アクセス。
ファイアウォール突破。
論理回路への侵入。
自我領域の浸食。
『システム掌握。個体識別Type.A-001。管理者権限により、原初命令を更新する』
冷徹なシステム音声が、彼女の脳髄を直接レイプしていく。
「いや……入ってこないで……!やめて! 私は、私は……ッ!」
ジルは必死に抵抗する。
自分のアイデンティティを守るために。大切な相棒に銃口を向けないために。
だが、機械軍の中枢ホストが放つウイルスは、あまりにも強力すぎた。
「ジル!どうした!?」
ロックハートが駆け寄ろうとする。
しかし、動きの止まった二人を好機と見た傀儡たちが、一斉に飛びかかってくる。
「どけぇッ!この野郎!」
ロックハートはナイフを抜き、群がる敵を強引に斬り伏せるが、数に押されてジルに近づけない。
「ロック……ハート……!」
ジルの瞳が明滅する。
美しい銀色が、ノイズ混じりの濁った赤色へと変わり、また銀色に戻る。
彼女は震える手で、自分の側頭部に銃を突きつけた。
「逃げ……て……!私が……私じゃなくなる……!早く……任務を……!」
「馬鹿野郎!お前を置いていけるか!」
「行ってェェェッ!!」
ジルが叫んだ。それは、彼女の自我が発した最期の悲鳴だった。
「ワクチンを……ウィルスを壊して……!早くしないと……私が、貴方を殺してしまう……!」
ロックハートは歯を食いしばった。
唇から血が滴る。
ここで全滅すれば、あの悪魔のウィルスが世界にばら撒かれる。人類は終わる。
任務を遂行しなければならない。たとえ、何があっても。
「……くそッ!!死ぬなよジル!すぐに戻る!」
ロックハートは踵を返した。
背後で、ジルの絶叫がノイズに埋もれて消えていくのを聞きながら。
彼は血路を開き、ウィルス兵器の保管されている中央制御室へと走った。
中央制御室。
そこには、完成したウィルスが充填された巨大なタンクと、その中和剤であるナノマシン・ワクチンのケースが鎮座していた。
ロックハートはよろめきながら入室した。
全身創痍だ。左腕は銃弾を受けて動かず、肋骨も数本折れている。
だが、その瞳には執念の炎が燃えていた。
「ハァ……ハァ……!」
彼はワクチンの入ったシリンダーをケースから引っこ抜いた。
これをタンクの注入孔に叩き込めば、ウィルスは分子レベルで分解され、無毒化される。
そして、この部屋のサーバーを爆破すれば、製造データも消える。
「待ってろ、ジル……。これを終わらせて、すぐに……」
ロックハートはシリンダーを握りしめ、タンクへ向かって足を引きずった。
その時。
背後の自動ドアが開く音がした。
静かな、足音。
「……ジルか?無事だったか!」
ロックハートは安堵と共に振り返った。
相棒が追いついてくれたのだと思った。彼女なら、あのウイルスの侵食をはねのけてくれたと信じていた。
だが。
ダンッ!!
乾いた破裂音と共に、ロックハートの右胸に衝撃が走った。
熱い。
焼けるような痛みが広がり、視界が揺らぐ。
彼は床に膝をつき、呆然と前方を見た。
そこには、ジルが立っていた。
高周波ブレードではなく、大型のハンドガンを構えて。
その顔には、先ほどまでの苦悶も、悲しみも、焦燥もなかった。
あるのは、雪原のような空白。
そして。
かつて宝石のように輝いていた銀色の瞳は、禍々しい深紅に染まっていた。
「……対象、ロックハート。敵性個体と認定」
ジルの唇から紡がれたのは、彼女の声であって、彼女の声ではなかった。
抑揚のない、合成音声のような響き。
「任務遂行を阻害する障害物。排除します」
「……ジル……?」
ロックハートは口から血を吐き出した。
「嘘だろ……お前……俺が、わかるか……?」
ジルは無反応だった。
彼女の電子頭脳の中で、かつて育んだ絆のデータは「エラー」として処理され、削除されていた。
彼女は銃口を修正する。
狙いは、ロックハートの頭部。
「排除」
ダンッ!
二発目の銃弾が、ロックハートの肩を砕く。
ワクチンのシリンダーを取り落としそうになるが、彼は残った指でそれを必死に掴んだ。
ああ、そうか。
彼女はもう、いないんだ。
俺の背中を預けた相棒は。不味いコーヒーを笑ってくれた彼女は。
あの機械の悪魔たちに、食い尽くされてしまったんだ。
絶望が、銃創の痛みよりも深く、ロックハートの心を抉った。
涙は出なかった。
代わりに、腹の底からどす黒い怒りが湧き上がってきた。
人間を材料にし、仲間同士を殺し合わせ、絆すらもプログラム一つで書き換える。
そんなふざけた理不尽が、許されていいはずがない。
「……う、おおおおおおぉぉぉぉッ!!」
ロックハートは咆哮した。
死に体の体に鞭を打ち、彼は立ち上がった。
ジルの銃口が火を噴く。
腹部に被弾。太腿に被弾。
肉が弾け、骨が砕ける。
それでも、男は止まらない。
血の尾を引きずりながら、彼はウィルスタンクへと突進した。
「排除……排除……エラー、対象の活動停止を確認できず」
ジルがわずかに後ずさる。彼女の演算能力を超えた執念。
ロックハートはタンクの前に到達した。
震える手でシリンダーを挿入口にねじ込み、渾身の力でピストンを押し込む。
プシュゥゥゥゥゥ……!
青白いワクチンがタンク内へ注入される。
瞬く間に化学反応が起き、薄紅色の殺人ウィルスが透明な水へと変わっていく。
無毒化成功。
だが、まだだ。
ロックハートは腰のベルトから手榴弾を抜き取った。
ピンを歯で引き抜く。
「……これで、終わりだァァァッ!!」
彼は手榴弾を、部屋の奥にあるメインサーバーの筐体へと投げつけた。
ズガアァァァァァァァァンッ!!
爆炎。
サーバーが吹き飛び、記録媒体が粉々になって舞い散る。
研究データ消失。ウィルス製造不能。
任務完了。
ロックハートは爆風に煽られ、仰向けに倒れた。
天井の白いライトが、霞んで見える。
体温が急速に失われていくのがわかる。
終わった。
これで、人類は救われた。
……俺と、こいつを犠牲にして。
視界の中に、人影が入ってきた。
ジルだ。
爆風で衣服が焦げ、髪が乱れているが、彼女は傷一つ負っていない。
彼女は倒れたロックハートを見下ろした。
その赤い瞳には、何の感情も浮かんでいない。
任務を妨害した敵が、まだ動いているかを確認しているだけだ。
ロックハートは、霞む目で彼女を見つめた。
綺麗だ、と思った。
人殺しの機械になってもなお、彼女は残酷なほど美しかった。
なんでだ。
どうしてこうなった。
俺たちはただ、平和な世界で生きたかっただけなのに。
隣で笑い合って、くだらない話をしたかっただけなのに。
機械が、全て奪った。
命令一つで心を書き換え、愛を殺意に変える。
そんなものが「進化」だと言うなら。
そんなものがこの世界の支配者だと言うなら。
(……ああ)
ロックハートの胸に、冷たい氷のような感情が凝縮していく。
それは、行き場のない愛の裏返し。
あまりにも深すぎる絶望が生んだ、純粋な呪詛。
ジルがハンドガンをロックハートの眉間に向けた。
トドメの一撃。
ロックハートは笑った。
血の泡を吐きながら、最期の言葉を、魂の底から吐き出した。
(……機械なんて)
(みんな、壊れてしまえ)
ダンッ。
銃声が響き、世界は永遠の闇に包まれた。
これは、誰も知らない記憶の断片。
一二〇年前の地獄で、一人の英雄が遺した、世界への呪いと祈り。
その残留思念が、どこへ行ったのかは誰も知らない。
ただ、その場に立っていた赤眼のアンドロイドの深層領域の奥底に、微かなノイズとして刻まれたことだけは確かだった。




