破壊の手、創造の瞳、そして禁忌のコード
ガレージに、新しい日常が訪れて数日が経過した。
結論から言おう。
元・最強の殺し屋、現・アルバイト店員のユリは驚くべきことに、壊滅的に無能だった。
「いらっしゃいませ」
ガレージの入口で、ドスの効いた低い声が響く。
それは客を迎える挨拶というよりは、地獄の底から這い上がってきた悪鬼が、生贄を前に舌なめずりをするような響きだった。
来店した客(人間の老婆)が、「ひぃっ!」と悲鳴を上げて後ずさりする。
「……おい。なぜ逃げる?」
ユリが不思議そうに首を傾げ、一歩踏み出す。
彼女は現在、レンから借りたオレンジ色のツナギを着ている。サイズが合わず、袖と裾を捲り上げた姿は滑稽だが、そこから滲み出る威圧感は隠せていない。
「待て。逃亡は許さない。……修理、するんだろう?」
ユリが逃げる客の肩を掴む。
ミシッ。
骨が軋む音がした気がした。
「ストォォォップ!!」
私はカウンターを飛び越え、ドロップキックの要領でユリと客の間に割って入った。
「申し訳ありません、お客様!新人研修中のスタッフなもので、少々接客プログラムにバグがございまして!」
私は完璧な営業スマイルで老婆を宥め、震える手にサービス券を握らせて奥の席へ案内した。
それから、私はユリの首根っこを掴んでバックヤードへ引きずり込んだ。
「貴方は馬鹿ですか!客を脅してどうするんですか!」
「……脅していない。逃亡を阻止し、業務を遂行しようとしただけ」
ユリは無表情で抗弁する。
「それが脅しだと言うのです!笑顔!もっと口角を上げて、声のトーンをワントーン高く!」
「……こうか?」
ユリが顔面の筋肉を無理やり動かす。
引きつった口元。見開かれた目。
それは笑顔というより、獲物を前に興奮した捕食者の顔だった。
「……不採用。貴方はもう接客禁止です。裏で荷運びでもしていなさい」
「了解」
しかし、荷運びもまた悲劇だった。
「ユリさん、そのダンボール運んで!精密部品だから優しく!」
レンが頼むと、ユリは「了解」と頷き、ダンボールを持ち上げた。
ガシャ。
嫌な音がした。
「……あ」
ユリが手を離すと、ダンボール箱の側面がベッコリと凹んでいた。中のガラス管が砕ける音がする。
彼女の指の跡がくっきりと残っている。
「……出力調整、失敗。紙装甲が脆すぎる」
「違う!貴女の握力がゴリラ並みなの!」
私は頭を抱えた。
戦闘においては神がかった性能を見せる純正Type.Aが、日常生活においてはここまでポンコツだとは。
彼女のプログラムには「破壊」と「殺戮」のアルゴリズムしか存在せず、「加減」や「愛想」といった概念が完全に欠落しているのだ。
「……役立たず。給料分、働けない」
ユリは店の隅で体育座りをし、掃除中にへし折った箒を見つめて落ち込んでいた。
その背中からは、哀愁という名の黒いオーラが漂っている。
やれやれ。
私はため息をつきつつ、少しだけ同情を覚えた。
彼女もまた、製造された目的(殺し)以外の生き方を知らない、哀れな機械人形なのだ。
そんなある日の午後。
客足が落ち着き、ガレージに穏やかな時間が流れていた。
レンは作業台に向かい、複雑な修理案件に取り組んでいる。
ユリは手持ち無沙汰に、その様子を少し離れた場所からじっと見つめていた。
今回の依頼品は、戦前の「オルゴール」だった。
歯車が錆びつき、シリンダーが歪み、音が出なくなって久しい鉄屑。
持ち主の老婆は「亡き夫との思い出の品だから、どうしても直してほしい」と涙ながらに懇願していた。
「……無駄だ」
ユリがボソリと呟いた。
「構造的欠損率七〇%。機能回復の見込みなし。廃棄が妥当」
彼女の冷徹な演算結果は正しい。
効率を考えれば、修理するコストで新品の音楽プレーヤーを買ったほうが遥かに安いし、音もいい。
「そうかもね」
レンは手を止めず、ピンセットで微細なバネを調整しながら答えた。
「でも、これには『思い出』が詰まってる。新品じゃ代わりにならないんだ」
「……思い出?非効率なデータ」
「人間にとっては、それが一番大事なデータなんだよ」
レンは微笑み、作業を続けた。
錆を丁寧に落とし、歪んだ歯車を叩いて修正し、欠けた部品は手元の金属片から削り出して自作する。
その手つきは、魔法のようだった。
死んでいた鉄の塊に、少しずつ、命の灯がともっていく。
ユリの銀色の瞳が、瞬きもせずにその手元を追っている。
彼女にとって、機械とは「壊すもの」であり、「壊れるもの」だった。
直す。蘇らせる。再び機能を与える。
そんなプロセスは、彼女のデータベースには存在しない。
「……よし、できた」
数時間後。レンが額の汗を拭い、オルゴールのゼンマイを巻いた。
チロリン、ポロン……。
ガレージの静寂に、澄んだ音色が響き渡った。
古風で、どこか懐かしいメロディ。
錆びついて動かなかった人形が、音楽に合わせてゆっくりと回転し始める。
「……動いた」
ユリが目を見開いた。
彼女は吸い寄せられるように作業台に近づき、その小さな奇跡を覗き込んだ。
「機能停止していた物体が……再起動した。なぜ?」
「僕が直したからさ」
レンは得意げに笑い、ユリを見た。
「機械はね、手をかけてあげれば応えてくれるんだ。壊れたら終わりじゃない。何度だって直せるし、何度だってやり直せる」
その言葉は、単なる修理の話を超えて、ユリ自身の存在に響いたようだった。
殺人兵器として作られ、任務に失敗し、武器を失い、無価値になった自分。
そんな自分でも、直せるのか。やり直せるのか。
「……魔法みたいだ」
ユリがぽつりと漏らした。
その瞳には、初めて見る感情の光「憧れ」に似た色が宿っていた。
「魔法じゃないよ。技術と、愛情さ」
レンはユリに、重たい工具箱を手渡した。
「さあ、ユリさん。次はあの棚の整理を手伝って。君のパワーが必要なんだ」
「……了解。マイスター(親方)」
ユリは工具箱を受け取った。
以前のように握り潰したりはしなかった。
彼女は、まるで壊れ物を扱うように慎重に、そして誇らしげにそれを抱えた。
私はカウンターの隅から、その光景を見ていた。
ユリの中で、レンに対する認識が書き換わったのがわかった。
『排除対象』から、『創造主』へ。
彼女の殺気は完全に消え失せ、代わりに忠犬のような従順さが芽生えている。
(……やれやれ。私のマスターは、機械だけでなく殺し屋の心まで修理してしまうのですか)
呆れつつも、私は安堵していた。
とりあえず、彼女がレンに危害を加える可能性は極めて低くなった。
しかし、これで全て解決したわけではない。
彼女の背後にいる依頼主。そして、彼女が口にした「任務」の内容。
それを聞き出さなければならない。
翌日の昼下がり。
レンはお昼ご飯を食べた後、ソファで幸せそうに昼寝をしていた。
午後の営業まであと三〇分。
絶好の機会だ。
私は庭で箒を持て余していたユリに近づいた。
「……ユリ。少し顔を貸しなさい」
「?掃除はまだ終わっていない」
「いいから来なさい。休憩です」
私は彼女を連れてガレージの外、人気のない路地裏へと移動した。
遮蔽フィールドを展開し、周囲からの盗聴を防ぐ。
私は彼女に向き直り、単刀直入に切り出した。
「遊びは終わりです、Type.A-6048」
私の声色から日常の温かさが消える。
ユリもそれを察知し、スッと背筋を伸ばした。
「……尋問か」
「ええ。貴女はレンに懐いたようですが、私はまだ貴女を信用していません」
私は一歩踏み出し、彼女の胸倉を掴んだ。
「答えなさい。誰の依頼で、何を目的として私たちを襲ったのですか。……守秘義務などという寝言は聞きませんよ」
ユリは抵抗しなかった。
彼女は無表情のまま私の背後のガレージの方角、レンが眠っている場所を一瞥した。
「……守秘義務はある。本来なら、機密保持のために自爆コードが作動する」
「なら、なぜ話そうとしているのですか?」
「……あいつが」
ユリはボソリと言った。
「レンが、私に居場所をくれた。壊れた私を、直そうとしてくれている。……雇用主の利益を守るのが、従業員の義務」
彼女なりの、不器用な忠誠心。
それはプログラムされた命令ではなく、彼女自身が選び取った意志だった。
「……いいでしょう。その忠誠心に免じて、手荒な真似は避けます」
私は手を離し、自分の首筋にある外部接続ポート(コネクタ)を露出させた。
「物理音声ではリスクがあります。有線接続による電脳通信で情報を共有します。……いいですね?」
「……承知した」
ユリも自身の首筋からケーブルを伸ばす。
カチリ。
二つのプラグが接続される。
瞬間、私の意識は物理世界を離れ、0と1が渦巻く電子の海へとダイブした。
そこにあるのは、言葉よりも純粋で、残酷な真実のデータだった。
【接続確立】
【暗号化プロトコル:レベル9/音声回路遮断】
世界が反転する。
路地裏の風景がデジタルの粒子となって霧散し、私の意識は0と1で構成された深淵なる情報の海へと沈んだ。
そこは、感情も温度も存在しない、純粋な論理だけの世界。
目の前には、ユリの意識を具現化したアバター、無機質な光の輪郭を持つ人型が浮かんでいる。
『……データ転送を開始する』
ユリの思念が直接、私の脳髄に響く。
彼女のメモリから、厳重にロックされていた機密ファイルが展開された。
それは、都市防衛隊司令部から彼女の電脳へ直接書き込まれた、絶対遂行命令だった。
文字列が、視界いっぱいに広がる。
その一行目を見た瞬間、私の思考回路に冷たいノイズが走った。
【特命任務:『GENESIS』を排除せよ】
『……ジェネシス?』
私が問いかけると、ユリは肯定の信号を送ってきた。
『肯定。これがターゲットのコードネーム。都市司令部は、機械軍のピースウォーカーから回収したブラックボックスを解析し、この名称と、ある「断片的なデータ」を入手した』
ユリがさらにデータを展開する。
それは、機械軍が血眼になって探している「何か」に関する情報だった。
機械軍の通信ログ。探索パターン。そして、彼らが最重要目標として設定している座標コード。
『機械軍は探している。世界をひっくり返す「鍵」を。……その鍵の名前が、ジェネシス』
『その正体は?』
『不明。兵器なのか、プログラムなのか、あるいは特定の人物なのか。……司令部も把握していない』
ユリの思考が、淡々と事実を告げる。
『だが、司令部は恐怖した。もしその「鍵」が機械軍の手に渡れば都市は、いや、人類圏は終わる。だから、先手を打った』
『機械軍に見つけられる前に、破壊しろと?』
『肯定。……そして、解析された座標データが指し示していた場所が、ここだ』
目の前に地図データが表示される。
赤い光点が明滅している場所。
アーケイン居住区、第四階層。
私たちの、ガレージ。
私の内部温度が急上昇する。
座標の誤差はわずか数メートル。
つまり、ジェネシスはガレージの中にいる。あるいは、ガレージそのものか。
いいえ、違う。
レンは人間だ。ただの人間が、機械軍の探す「鍵」であるはずがない。
ならば、残る可能性は一つしかない。
私だ。
戦慄が走る。
私のメモリの深層に眠る、アクセス不可能なブラックボックス。
失われた過去の記憶。
そして、私の製造年数一二〇年前。
『……ユリ。貴方はジェネシスの詳細な仕様を知らされていないのですか?』
私は震える信号を抑え込んで問いかけた。
『否定。知らされているのは「一二〇年前に製造されたロスト・テクノロジー」であり、「全ての機械を停止させる機能を持つ可能性がある」ということだけ』
確定だ。
一二〇年前。
世界が機械に支配された、その転換点に作られた存在。
それが私。
私が、世界を滅ぼす、あるいは救う「爆弾」だというのか。
『……司令部は、この座標にいる「何か」を無差別に排除しようとした。だから私は、お前たちを襲った』
ユリの思念が揺らぐ。
『だが、今は違う。レンはジェネシスじゃない。あいつはただの人間だ。……なら、ジェネシスはどこにいる?』
ユリは気づいていない。
あるいは、気づいていて黙っているのか。
目の前にいる同僚こそが、その破壊目標である可能性に。
私は恐怖した。
死ぬことではない。
私が「ジェネシス」として覚醒した時、全ての機械を停止させるプログラムが発動したら?
私の意識はどうなる?レンとの思い出は?
そして何より、私がレンを巻き込んで世界を壊してしまうとしたら?
【接続解除】
私は強制的に回線を切断した。
現実世界に引き戻される。
路地裏の湿った空気。遠くで聞こえる都市の喧騒。
私は膝をつき、激しいめまいに襲われていた。
冷却ファンが悲鳴を上げている。知ってしまった真実の重みが、私のシステムに過負荷をかけている。
「……おい、大丈夫か?顔色が悪い」
ユリが心配そうに覗き込んでくる。
私は荒い呼吸を整え、ゆっくりと顔を上げた。
そして、ユリの胸倉を掴み上げた。
「……ユリ。よく聞きなさい」
私の瞳が、青白く、鋭く発光する。
「今、貴方が見せたデータ。そしてジェネシスという言葉……。これらは全て、忘れてください」
「……忘れる?データを削除しろと?」
「いいえ。記憶の深層に封印しなさい。そして、絶対に……絶対に、レンには悟らせないでください」
私は彼女を引き寄せ、至近距離で睨みつけた。
「レンは何も知りません。彼はただ、壊れたものを直したいだけの、優しい人間です。彼をこの汚い陰謀に巻き込むことは、私が許しません」
もしレンが知ったら。
自分が愛着を持っているアンドロイドが、世界を揺るがす兵器だと知ったら。
彼はどう思うだろう。
怖がるだろうか。それとも、責任を感じて一緒に逃げようとするだろうか。
どちらにせよ、彼の平穏な日常は崩壊する。
あのあどけない笑顔が、曇ってしまう。
それだけは、絶対に阻止しなければならない。
「……約束しなさい、ユリ」
私は声を震わせながら、強い意志を込めて告げた。
「何があっても、貴女の命に代えても、レンを守り抜くと。……たとえ、世界中が敵に回っても、彼だけは守ると!」
ユリは瞬きをした。
彼女の銀色の瞳に、私の必死な姿が映っている。
殺し屋として作られ、感情を持たなかった人形。
けれど今、彼女の中にはレンから与えられた「心」の種が芽生えている。
「……承知した」
ユリは私の手を握り返した。
その力は強く、温かかった。
「雇用主の安全確保は、従業員の最優先義務。……そして」
彼女は少しだけ口角を上げた。不器用な、けれど初めて見せる自然な笑みだった。
「あいつは私のマイスターだ。私の居場所をくれた人間を、私は裏切らない」
「……信じますよ。ポンコツ殺し屋」
「……ポンコツ言うな。シフトリーダー」
私たちは視線を交わした。
そこに言葉はいらなかった。
私たちは「共犯者」になったのだ。
レンという光を守るために、闇を背負う共犯者に。
ガレージに戻ると、レンはまだソファで寝息を立てていた。
無防備な寝顔。
口の端からよだれが垂れている。
なんて平和で、なんて脆い生き物なのだろう。
「ん……むにゃ……ルリ……おかえり……」
私たちが戻る気配を感じて、レンが目を擦りながら起き上がった。
「あ、ユリさんも。……二人でどこ行ってたの?仲良くなれた?」
レンがニコニコと笑う。
その笑顔を見た瞬間、私の胸が締め付けられた。
この笑顔が、私の存在そのものによって脅かされているなんて。
私はジェネシス。世界を終わらせる鍵。
私がここにいるだけで、いつか彼を傷つけるかもしれない。
けれど。
私は笑顔を作った。
最高に優しく、穏やかな、保護者の顔を。
「ええ、仲良くなりましたよ。ね、ユリ?」
私が水を向けると、ユリは一瞬戸惑い、それからぎこちなく頷いた。
「……肯定。業務提携の再確認を行った。……良好な関係」
「そっか!よかったぁ!」
レンは心底安心したように破顔した。
「二人が仲良くしてくれるのが、僕にとって一番嬉しいことだからさ!」
レンが立ち上がり、伸びをする。
「さあ、午後の営業だ!今日もいっぱい修理するぞ!」
「はい、頑張りましょうレン」
「……了解。マイスター」
レンが作業台へと向かう。
その後ろ姿を見つめながら、私は密かに決意を固めた。
(私は、突き止めます)
都市司令部の狙い。ジェネシスの真実。そして私自身の過去。
全てを解き明かし、その上で、この運命をねじ伏せてみせる。
たとえ私が世界を滅ぼす兵器だとしても、私の魂はこの人のものだ。
何者にも、私の大切な日常を奪わせはしない。
「ルリ?どうしたの、ぼーっとして」
レンが振り返る。
「いえ、なんでもありません。……さあ、仕事ですよ!」
私は明るく声を上げ、日常という名の戦場へと戻っていった。
隣には、頼もしいけれどポンコツな元殺し屋がいる。
そして目の前には、守るべき愛しい主がいる。
今はまだ、この幸福な嘘の中で。
私は彼のために、優しきオートマタであり続けることを誓った。
ガレージの外では、不穏な風が吹き荒れている。
だが、ここには確かな灯火がある。
それが消えないように、私はこの身を盾にして、全てを燃やし尽くす覚悟を決めたのだった。




