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黒衣の求職者、あるいは殺し屋の修理代


 アーケイン都市防衛司令部。

 都市の中枢機能が集約されたこの区画は、スラム街の混沌とは無縁の、冷たく無機質な秩序に支配されている。

 磨き上げられた床、静音化された空調、そして行き交う制服組の人間と、管理コードを刻まれた正規のアンドロイドたち。

 ここには、油と鉄屑の匂いはない。あるのは、消毒液と欺瞞の匂いだけだ。

 私は受付カウンターの前で、氷のように冷徹な表情を維持していた。

 対面に座る情報局の担当官、神経質そうな眼鏡をかけた人間の男は、手元の端末を操作するふりをしながら明らかに私と目を合わせることを避けていた。


「……ですから、該当データはありません」


 男は事務的に告げた。


「TYPE.A-6048。個体名称ユリ。そのような機体が防衛隊に所属していた記録も、臨時雇用された記録も存在しません。貴女の見間違いか、あるいは野良の暴走機体でしょう」


「見間違い?」


 私はカウンターに手を置いた。指先にわずかに力を込めるだけで、強化プラスチックの天板がミシミシと悲鳴を上げる。


「私はType.ASです。視覚センサーの解像度と記憶メモリの精度において、ヒューマンエラーは発生しません。あの機体は、確実に軍用規格の装備とコードを保持していました。そして何より……」


 私は男の目を覗き込む。


「彼女の装備していた高周波ブレードには、都市防衛隊の支給品コードが刻印されていました。これをどう説明しますか?」


 男の眉がピクリと動いた。

 心拍数が一〇%上昇。発汗量微増。瞳孔の微細な収縮。

 嘘をついている。

 私の嘘発見ポリグラフロジックが、彼の反応を「黒」と断定する。

 彼は知っている。ユリの存在も、彼女が私たちを襲った理由も。

 だが、それを隠蔽しろという上層部からの命令を受けているのだ。


「……支給品コードなど、闇市で横流しされたものでしょう。この街ではよくあることです」


 男はハンカチで額の汗を拭い、話を打ち切るように立ち上がった。


「とにかく、我々は関知していません。これ以上の業務妨害は、逮捕の対象となりますよ、市民」


 壁。

 厚く、見えない壁がそこにあった。

 私は数秒間、男を睨みつけた後、静かに踵を返した。


「……そうですか。貴重なお時間をいただき、感謝します」


 皮肉を込めて一礼し、私は司令部を後にした。

 自動ドアを抜けて外に出ると、アーケインの汚れた空気が肺(吸気ユニット)を満たした。

 空を見上げる。

 灰色の雲の向こう、見えない支配者たちが私を見下ろしているような気がした。

 都市そのものが、敵かもしれない。

 あのユリという刺客は、単なる野盗ではなく、都市の意思によって放たれた猟犬だった。

 狙いはレンか? それとも私か?


 『GENESIS』。


 私のメモリの中にこびりついた、意味不明な単語。

 全てが霧の中だ。だが、確かなことが一つある。

 この街で、私たちはもはや安全ではない。


 居住区への帰り道、私は思考回路プロセッサをフル回転させていた。

 この事実を、レンにどう伝えるべきか。


 「都市司令部が私たちを狙っているかもしれない」


 そんなことを言えば、彼は恐怖で眠れなくなるだろう。あるいは、責任を感じて「僕と一緒にいると危ないから」と、私を突き放そうとするかもしれない。

 あの優しくて愚かなマスターなら、十分にありえる話だ。


 いいえ。


 私は首を横に振った。

 知らなくていい。

 世界の汚い部分、政治的な陰謀、向けられる悪意。それらは全て、私が処理すればいいことだ。

 彼はただ、その美しい手で機械を直し、あどけない笑顔を見せてくれればいい。

 それが、私が彼を守るということだ。

 ガレージの前に到着する。

 シャッターは半開きになっており、中から箒で床を掃く音が聞こえてくる。

 私は深呼吸を一回。

 表情筋を調整し、戦闘モードの冷徹さを消し去り、いつもの「保護者」の顔を作る。

 

「ただいま戻りました、レン」


 私が中に入ると、瓦礫の山と化していた店内で、レンが汗だくになって片付けをしていた。


「あ、おかえりルリ!」


 レンが顔を上げる。その顔には煤と埃がついているが、表情は明るい。


「どこに行ってたの?起きたらいないから、心配したよ」


「申し訳ありません。少し市場へ、希少な補修パーツの買い付けに行っていました。店を直すのに必要かと思いまして」


 私は滑らかに嘘をついた。


「そうだったんだ。ごめんね、僕も一緒に行けばよかった」


 レンは疑う素振りも見せず、私の言葉を信じ込む。その純粋さが、今は少しだけ胸に痛い。


「それより、見てよルリ!棚の修理、終わったよ!」


 レンが誇らしげに指差す。

 先日の戦闘で真っ二つにされた商品棚が、見事な溶接技術で繋ぎ合わされ、補強まで施されていた。


「床の穴も埋めたし、壊れたラジオもパーツを交換して直したんだ。……うん、これなら明日からでも営業できるよ!」


 レンは拳を握りしめ、ガレージを見渡した。

 そこには、昨日の襲撃の爪痕は残っているものの、それを乗り越えて前に進もうとする生活の息吹があった。


「……僕たち、負けないよね」


 レンがぽつりと呟く。


「あんな変な奴に襲われたくらいで、店を畳んだりしない。ここは僕たちの居場所だもん」


 彼の言葉に、私は目を見開いた。

 いつの間に、これほど強くなったのだろう。

 守られるだけの存在だと思っていた少年は、いつしか自分の足で立ち、自分の場所を守ろうとする意志を持っていた。


「……ええ。その通りです、レン」


 私は彼に歩み寄り、埃まみれの頭を撫でた。


「負けませんよ。貴方が諦めない限り、この店は不滅です。そして……」


 私は心の中で誓う。


 (どんな敵が来ようとも、私が全て排除します)


「さあ、片付けの続きをしましょう。営業再開に向けて、ピカピカに磨き上げますよ!」


「おーっ!あ、ルリ、高いところの電球交換お願い!」


了解ラジャー。脚立は不要です」


 ガレージに、日常の音が戻ってくる。

 私たちは共に汗を流し、笑い合い、傷ついた城を修復していった。

 外の世界に潜む闇のことなど、今は忘れて。


 そして数日後。

 ガレージのシャッターが開くと同時に、待ちわびていた客たちが歓声を上げた。


「待ってたぜ!レンの旦那!」

「俺の右腕の調子を見てくれ!他の店じゃ直せねぇんだ!」

「うちのドールの音声認識がおかしくて……」


 営業再開初日から、店は大盛況だった。

 レンの腕の良さは既にこの界隈では周知の事実となっていた。加えて、謎の襲撃者から生還し、さらに店を再開させたというタフさが、荒くれ者たちの間で一種の伝説になりつつあるようだった。


「はいはい、押さないで!順番です!」


 私はカウンターで整理券を配りながら、交通整理を行う。

 レンは作業台に向かい、鬼神の如き集中力で修理をこなしていた。

 新品の工具が光を反射し、彼の手の中で踊る。

 診断、分解、洗浄、交換、調整。

 一連の動作に無駄がない。まるで熟練の外科医の手術を見ているようだ。


「……ふぅ。お待たせしました。センサー感度、調整完了です」


「おおっ!見える!視界がクリアになったぞ!すげぇな坊主!」


「いえ、レンズの汚れを特殊な溶剤で落としただけですよ。大事に使ってくださいね」


 レンは客一人一人に笑顔で対応する。

 その姿は、この灰色の街において、ひときわ眩しい光を放っていた。

 彼はもう「無価値な人間」ではない。この街に必要不可欠な、黄金の腕を持つ整備士だ。

 私は客にお茶を出しながら、その様子を満足げに眺めていた。

 平和だ。

 忙しいけれど、充実している。

 この時間が永遠に続けばいい。


 だが。

 私の警戒センサー(セキュリティ)が、不協和音を検知した。

 時刻は一四時三〇分。

 店の外に伸びた行列の最後尾。

 そこに、「異物」が混じっていた。

 周囲の客たちが、本能的な恐怖を感じ取って、その人物の周りだけぽっかりと空間が空いている。


 黒い外套クローク

 目深に被ったフード。


 そして、そこから滲み出る、隠しきれない冷気。

 ユリ。

 あの殺し屋が、また現れたのだ。


(ッ……!性懲りもなく……!)


 私は即座に戦闘思考ロジックを起動しかけた。

 だが、待て。

 彼女は武器を抜いていない。殺気も放っていない。

 ただ、整理券を持って、おとなしく順番待ちの列に並んでいる。

 まるで、普通の客のように。


(……何が目的ですか?)


 ここで戦闘になれば、また店が壊れる。何より、大勢の客に被害が出る。

 刺激してはならない。

 私は表情筋を制御し、完璧な「看板娘」の仮面を被った。


「レン、少し休憩に入ってください。あちらのお客様対応は私がやります」


「え?あ、うん。わかった」


 修理に没頭しているレンは、異変に気づいていない。

 私はカウンターを出て、列の最後尾へと歩み寄った。

 黒い外套の前に立つ。

 フードの奥から、銀色の瞳が私を見上げる。

 相変わらず、感情の色が見えない瞳だ。


「……お客様」


 私は小声で、しかしドスを効かせて囁いた。


「特急の修理案件でしょうか?ここでは他のお客様のご迷惑になります。……こちらへ」


 私は彼女の腕を掴んだ。

 抵抗はない。

 むしろ、従順についてくる。

 私は彼女を連れて、店から離れた人気のない路地裏へと移動した。


 表通りの喧騒が遠ざかる。

 薄暗い路地裏。湿ったコンクリートと、腐敗した生ゴミの匂い。

 私はユリの手を振りほどき、距離を取って対峙した。

 背中の高周波ブレードに手をかける。


「……何の用ですか」


 私は殺気を隠さず放った。


「また殺しに来たのですか?それとも、今度は店ごと吹き飛ばすつもりですか?」


 Efリアクターの出力を上げ、いつでも瞬殺できる態勢を整える。

 だが、ユリの反応は予想外だった。

 彼女は私から目を逸らし、どこか気まずそうに足元の空き缶を見つめた。

 殺気がない。

 敵意どころか、漂っているのは「困惑」と「羞恥」に近い感情ノイズだ。


「……違う」


 ユリがボソリと言った。


「今日は、任務ミッションじゃない。殺しは目的じゃない」


「では、何をしに来たのですか。スパイ活動ならお断りですが」


「……依頼だ」


「依頼?」


 ユリは黒い外套の下に手を入れ、何かを取り出した。

 私は警戒して身構える。

 しかし、彼女が差し出したのは武器ではなかった。

 いや、正確には「武器だったもの」だ。

 二つに折れた、高周波超硬質ブレードの柄。

 先日の私との戦闘で、無残に砕け散った彼女の愛刀だ。


「……これを、直してほしい」


 ユリは真顔で言った。

 まるで、壊れたおもちゃを直してほしいと頼む子供のように。

 私は数秒間、フリーズした。

 演算回路が状況を理解するのを拒否した。

 殺し屋が?ターゲットの店に?自分が壊された武器の修理を依頼しに来た?

 

「……正気ですか?」


 思わず素で問い返してしまった。


「私たちを殺そうとした武器を、私たちに直せと言うのですか?」


「……他に、頼める店がない」


 ユリは淡々と、しかし切実に答えた。


「軍用の特殊合金レアメタル。扱える技術者がいない。……お前たちの店の整備士なら、直せると判断した」


 呆れた。

 開いた口が塞がらないとはこのことだ。

 この殺し屋、戦闘能力は高いが、社会常識や対人コミュニケーション能力が欠落している。

 敵の店に客として来るなど、自殺行為だ。

 私がその気になれば、今ここで彼女を破壊することもできる。武器を失った今の彼女なら、造作もないことだ。


 だが。


 彼女からは、本当に敵意を感じない。

 ただ純粋に、困っている。

 その不器用すぎる姿に、私の毒気はすっかり抜かれてしまった。


「……はぁ」


 私は深くため息をついた。


「わかりました。話だけは聞きましょう。ただし……」


 私は人差し指を立てて彼女に突きつけた。


「少しでも不審な動きをすれば、そのメイン・コネクタ、へし折りますよ」


「……承知した」


 ユリはコクコクと頷いた。

 こうして私は、あろうことか先日死闘を繰り広げた殺し屋を、閉店後のガレージへと招き入れることになったのだ。



 閉店後のガレージ。

 シャッターが下ろされ、外の光が遮断された店内は、作業灯の薄暗い灯りに包まれていた。

 私は裏口から、招かれざる客・ユリを中へと導いた。


「……いいですか。このラインから内側に入ったら、即座に攻撃とみなし迎撃します」


 私は床の黄色いテープを指差し、警告した。

 ユリは無言で頷き、借りてきた猫のように直立不動で待機する。

 私は居住スペースへのドアを開けた。



「レン。まだ起きていますか?」


「あ、ルリ!おかえり!お客さん、どうだった?特急修理?」


 レンが呑気な声で出てくる。手にはマグカップを持ち、リラックスした様子だ。

 しかし、彼の視線が私の背後にいる黒い影、フードを被ったユリを捉えた瞬間、その表情が凍りついた。


「ひっ……!?」


 ガチャン!

 レンの手からマグカップが滑り落ち、床で砕け散った。

 顔色が瞬時に蒼白になる。無理もない。数日前、自分を殺そうと追い回した死神が、自宅のリビングに立っているのだから。


「な、ななな、なんで!?なんで『あいつ』がここに!?」


 レンが腰を抜かしそうになりながら、私の背中へ隠れる。


「ひぃぃ!ルリ、逃げよう!また襲いに来たんだ!」


「落ち着いてください、レン」


 私はレンの肩を支え、冷静に告げた。


「襲撃ではありません。今回は……その、あくまで『客』として来ました」


「きゃ、客ぅ!?」


 レンが裏返った声を上げる。


「殺し屋が客!?どういう冗談!?」


「冗談ではありません。私も理解に苦しんでいますが、事実です」


 私はユリの方へ顎をしゃくった。

 ユリは気まずそうにフードを少し上げ、懐から布に包まれた物体を取り出した。

 テーブルの上に置かれたのは、無残に折れた高周波ブレードの残骸。


「……これを、直してほしい」


 ユリがボソリと言った。

 殺気はない。あるのは、困り果てた迷子の子供のような雰囲気だけだ。

 レンはおっかなびっくり、私の背中から顔を出した。


「……直すって、武器を?」


「他に頼める店がない。……お前の腕なら、直せると判断した」


 ユリが淡々と、しかし真剣な眼差しでレンを見る。

 その言葉に、レンの「整備士としての魂」がわずかに反応したようだった。恐怖よりも好奇心と、頼られたことへの責任感が首をもたげる。


「……わかった。とりあえず、見せて」


 レンはおずおずとテーブルに近づき、折れたブレードを手に取った。


 レンの表情が変わった。

 怯えた少年の顔から、プロの整備士の顔へ。

 彼は拡大鏡を装着し、ブレードの破断面や内部構造を丹念にチェックし始めた。


「……すごいな。これ、純正の軍用規格品だ。材質は超硬質チタン合金と、芯材には希少なオリハルコン・コンポジットが使われてる」


 レンが感嘆の声を漏らす。


「回路も複雑だ。高周波振動発生装置オシレーターがナノ単位で組み込まれてる。……これを直すのは、普通の溶接じゃ無理だよ」


「……直せないのか?」


 ユリの声に焦りが混じる。


「ううん、直せるよ」


 レンはきっぱりと言った。


「でも、時間がかかる。それに、材料費が半端じゃない。同じ純度の合金を取り寄せる必要があるし、専用のプラズマ溶接機もレンタルしなきゃいけない」


 レンは端末を叩き、概算の見積もりを弾き出した。

 提示された金額は、私たちのような零細ガレージの数ヶ月分の売上に匹敵する額だった。


「……これだけの費用がかかります。技術料込みで、これくらい」


 レンが端末の画面をユリに見せる。

 ユリが画面を覗き込む。

 そして、固まった。

 石像のように、ピクリとも動かなくなった。

 数秒の沈黙。

 ガレージに流れる気まずい空気。


「……どうしました?支払いはキャッシュのみですよ」


 私が冷たく問い詰めると、ユリはゆっくりと顔を上げた。

 その表情は、先日の戦闘で見せた冷酷さとは程遠い、情けないものだった。


「……金が、ない」


「はい?」


「報酬が、出ていない」


 ユリは消え入りそうな声で白状した。


「前回の任務……お前たちの排除に失敗したから。……成功報酬ゼロ。経費も自腹。……今の所持金、これだけ」


 彼女がポケットから取り出したのは、小銭が数枚。

 合成パンが二つ買える程度の金額だった。

 私は天を仰いだ。

 呆れてものが言えない。

 最強クラスのスペックを持ちながら、経済観念は壊滅的。この殺し屋、ポンコツすぎる。


「お話になりませんね」


 私はドアを指差した。


「金がないなら客ではありません。どうぞお引き取りを。二度と敷居を跨がないでください」


「……待ってくれ」


 ユリが縋るように言う。


「武器がないと、仕事ができない。仕事ができないと、金が稼げない。……詰んでいる」


「自業自得です。野たれ死ぬか、その辺の鉄屑でも拾って売ればいいでしょう」


 私は容赦なく彼女の背中を押し、追い出そうとした。

 敵情視察だとしてもお粗末すぎる。これ以上、レンに関わらせるわけにはいかない。


 だが。


 その時、レンの声が響いた。


「待って、ルリ」


 レンが私の手を止めた。


「追い返すのは可哀想だよ」


「レン?正気ですか?こいつは貴方の命を狙った殺し屋ですよ?」


「でも、今は困ってるみたいだし……それに」


 レンは折れたブレードを見た。


「この剣、直してあげたいんだ。すごい技術で作られた名品だから、このままスクラップにするのは忍びないよ」


 レンの「機械愛」が暴走している。

 悪い癖だ。壊れたものを見ると、直さずにはいられない。たとえそれが、自分を殺すための凶器であっても。


「ですが、代金が払えない以上、契約は成立しません」


「うん。だから……提案があるんだ」


 レンはユリの方を向き、にっこりと笑った。


「お金がないなら、身体で払ってもらえばいいよ」


 ブフォッ!!

 私は思わず噴き出しそうになった。

 ユリも目を見開き、硬直している。


「……身体?性的奉仕のことか?」


「ち、違うよ!!」


 レンが慌てて顔を真っ赤にして否定する。


「労働だよ、労働!うちで働いて、給料から修理代を天引きするんだ!」


「はぁぁぁぁ!?」


 私は叫んだ。


「レン、本気ですか!?殺し屋を雇うなんて!寝首をかかれたらどうするんですか!」


「大丈夫だよ。武器も壊れてるし、今の彼女からは殺気を感じないもん」


 レンは根拠のない自信を見せる。


「それに、最近店が忙しすぎて手が回らないだろ?力仕事ができる人が欲しかったんだ。……どうかな、ユリさん?」


 レンがユリに手を差し出す。

 ユリは困惑した表情で、差し出された手と、私と、そして折れた自分の武器を交互に見つめた。

 彼女の電子頭脳の中で、損益計算が行われているのがわかる。


 選択肢A:拒否して野たれ死ぬ。

 選択肢B:プライドを捨てて労働し、武器を直す。


 答えは明白だ。


「……わかった」


 ユリはレンの手を握り返した。ぎこちない、ロボットのような握手。


「契約成立。……修理完了まで、お前の指揮下に入る」


「やった!よろしくね、ユリさん!」


 レンは無邪気に喜ぶ。

 私は頭を抱えた。

 なんてことだ。

 今日から、我が家には「最強の殺し屋」という名の、とんでもないアルバイト店員が住み着くことになってしまった。


 契約は成立してしまった。

 マスターが決めた以上、従うしかないのがアンドロイドの辛いところだ。

 私は仁王立ちでユリを見下ろした。


「いいですか。雇用主レンは甘いですが、私は甘くありませんよ」


 私は指を一本ずつ立てて条件を提示する。


「一つ。レンへの敵対行動は一切禁止。殺意を見せた時点で破壊します」


「……承知した」


「二つ。接客態度の改善。その『殺すぞ』という目つきをなんとかしなさい」


「……努力する」


「三つ。店内での高周波ブレードの使用禁止。掃除、洗濯、力仕事。雑用は何でもやってもらいますからね」


 ユリは神妙な顔で頷いた。

 レンが奥から、サイズの合わないツナギを持ってきた。


「これ、親父が着てたやつだけど……ちょっと大きいかな?」


 ユリは黒い外套とコンバットスーツの上から、オレンジ色のツナギに袖を通した。

 袖が長く、裾も引きずっている。

 ぶかぶかのツナギを着た殺し屋。

 その姿はあまりにも滑稽で、そしてどこか愛嬌があった。


「……似合うか?」


 ユリが不安そうに聞いてくる。


「うん、バッチリだよ!新しい仲間だね!」


 レンがサムズアップする。

 私は深いため息をついた。

 とんでもないことになった。

 都市司令部の陰謀、GENESISの謎。不安要素は山積みだ。

 けれど、目の前で嬉しそうにしているレンと、戸惑いながらも自分の居場所を見つけたような顔をしているユリを見て、少しだけ肩の力が抜けた。


 (まあ、いいでしょう。監視対象が目の届くところにいるのは、ある意味で合理的です)


 私はユリに近づき、ツナギの裾をまくってやった。


「だらしないですよ。明日からこき使いますから、覚悟しておきなさい」


「……了解。シフトリーダー」


 こうして、アーケインの片隅にある小さなガレージに、奇妙な従業員が加わった。


 お人好しの天才整備士。

 過保護な最強アンドロイド。

 そして、ポンコツな貧乏殺し屋。


 この凸凹なトリオが、やがて世界の運命をひっくり返すことになるなんて、今はまだ誰も知らない。

 ガレージのシャッターの向こうで、夜明けの風が吹き始めていた。

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