行商人の荷車と、輝ける工具箱
アーケインの朝は、常に騒々しさと共に始まる。
都市の動力炉が重低音を響かせ、露店のシャッターが開く音がそこかしこで反響する。
私はレンの半歩後ろを歩きながら、周囲三六〇度の警戒スキャンを怠らない。
レン・ロックス。一六歳。人間。
私のマスターであり、この都市で最も「不運」に愛された存在。
彼のトラブル誘引確率は、通常の人間と比較して約一二〇〇%という異常値を叩き出している。それはもはや確率論の偏りではなく、一種の呪い、あるいは才能と呼ぶべき領域だ。
「今日は防衛隊の司令部へ呼び出しかぁ。なんだろう、また機械軍の偵察かな?」
レンは吞気に欠伸をしながら歩いている。
オレンジ色のつなぎのポケットには、愛用のスパナが顔を出している。
「予測不能です。ですが、前回の防衛戦での実績を鑑みれば、重要な任務である可能性は高いでしょう」
私が答えると、レンは「えへへ」と照れくさそうに鼻をこすった。
「重要任務かぁ。僕も少しは認められてきたのかな?」
彼が気を良くして、一歩大きく足を踏み出した、その時だ。
路面の石畳が、わずかに隆起していた。
通常なら跨げる程度の段差。しかし、レンの爪先は吸い寄せられるようにその一点を直撃した。
「あっ」
レンの体が前傾する。
彼がバランスを崩した先には、開店準備中の露店のテントがあった。
テントの支柱には、極彩色の布地をピンと張るためのロープが結ばれている。
レンの手が、空を掴むように伸び、見事なまでにそのロープを鷲掴みにした。
ガラガラガラガラガッシャァァァァン!!
物理法則がドミノ倒しのように作用した。
レンがロープを引いたことで支柱が外れ、テントが崩壊した。陳列されていた旧時代の食器やガラス細工が、雪崩のように崩れ落ちた。
土煙が舞う中、レンが「い、痛たた……」と瓦礫の中から顔を出す。
「おいコラァァァァァッ!!」
即座に、店主である大柄なType.B(戦闘型・引退機)が怒鳴り込んできた。
「テメェ!俺の店を何だと思ってやがる!開店前に全壊させやがって!弁償だ!今すぐ修理費と慰謝料と営業補償を払え!」
店主はレンの胸倉を掴み上げ、その巨大な拳を振り上げた。
「ひぃッ!す、すみません!わざとじゃなくて、石につまずいて……!」
「言い訳すんじゃねぇ!」
私は額に手を当て、演算回路の熱を逃がすために深いため息をついた。
自宅を出てから、わずか一五分。
目を離した時間は、〇・五秒。
それでこの惨状だ。
「……はぁ。レン。貴方の不運パラメータは、デバッグ不可能なバグレベルですね」
私は瞬時に間合いを詰めた。
店主が拳を振り下ろすよりも速く、その手首を掴む。
ガシッ。
「あ?なんだ姉ちゃん、痛い目見たいのか?」
「失礼。当方のマスターの不注意により、多大なるご迷惑をおかけしました」
私は掴んだ手首に、Type.ASとしての握力を込める。
ミシミシ、と店主のサーボモーターが悲鳴を上げる。
「ぐ、お……ッ!?」
「ですが、暴力による解決は非推奨です。まずは損害の確認と、現状復帰が先決でしょう?」
私は店主を睨みつけた。青い瞳の奥で、戦闘用照準を赤く明滅させながら。
「……それとも、貴方のボディもこのテントと同じ状態になることを希望しますか?」
店主の顔色が青ざめる。
「わ、わかった!直せばいいんだろ、直せば!」
店主はレンを解放した。レンは地面にへたり込み、涙目で私を見上げる。
「ご、ごめん、ルリ……」
「謝罪は後です。さあ、直しますよ。目標時間、五分」
そこからは早かった。
私の超高速作業と、レンの持ち前の器用さで、崩れたテントと商品は瞬く間に元通りに修復された。割れたガラス細工も、レンが即席の接着剤で見事に繋ぎ合わせた。
「……ふん。まあ、これなら文句はねぇ」
店主はバツが悪そうに鼻を鳴らし、私たちを解放してくれた。
再び歩き出した私たちの間に、疲労感が漂う。
「……気をつけてくださいね、レン。次は私がロープで貴方を縛って歩きますよ」
「うぅ……気をつけるよ。絶対」
レンは小さくなって歩く。
だが、このトラブル体質が、これから始まる任務の「前菜」に過ぎないことを、私はまだ知らなかった。
都市防衛隊司令部。
コンクリート打ちっぱなしの無骨な執務室で、担当官の男が私たちに一枚の電子書類を提示した。
「今回の依頼はこれだ。『都市間交易キャラバン隊』の護衛任務」
担当官の説明によると、昨夜、砂漠を越えて大規模なキャラバン隊がアーケインに到着したらしい。
彼らは都市外の貴重な資源や、他の居住区の特産品を運んでくる。閉鎖的なこの街にとって、彼らは生命線とも言える重要な存在だ。
しかし、積荷が高価であればあるほどハイエナたちの標的になる。
野盗、コソ泥、強請りたかり。治安の悪いアーケインにおいて、商売をするのも命懸けだ。
「そこでお前たちを指名した。前回の防衛戦での働き、見事だったからな」
担当官は私を見て頷き、次にレンを見て苦笑した。
「まあ、整備士の方は……オマケみたいなもんだが。とにかく、キャラバンの商人の一人についてもらう。期間は彼らが街を出るまでだ」
私たちは司令部を出て、キャラバンが駐屯している中央広場へと向かった。
そこには、装甲板でガチガチに固められた巨大なトラックやトレーラーが数台並び、即席の市場が形成されていた。
活気がある。
珍しい品物を求めて、多くの人間やアンドロイドが集まっている。
「よう!あんたたちが防衛隊の寄越した用心棒かい?」
声をかけてきたのは、一台の大型トラックの荷台で商品棚を整理していた男だった。
ルガー。三〇歳前後。人間。
日焼けした肌に、無精髭。着古したカーゴパンツとベストを纏い、腰には護身用の古いリボルバーを吊るしている。
その瞳は人懐っこく笑っているが、奥底には商売人特有の鋭い観察眼が光っている。
「初めまして。アンドロイド、個体名ルリです。こちらは私のマスター、レン」
私が紹介すると、ルガーは目を見開いてレンを見た。
「へぇ、人間か!この街じゃ珍しいな、てっきりアンドロイドの傭兵コンビかと思ってたよ」
ルガーはトラックから飛び降り、レンの肩をバンと叩いた。
「肩身が狭いだろう?俺もあちこちの街を行商してるが、人間がデカい顔できる場所なんざ、もう地球上に残っちゃいねぇからな」
「あ、はは……まあ、慣れてますから」
レンは苦笑いする。
ルガーの態度は、この街の住人のような蔑みを含んでいなかった。同じ「人間」という弱者同士の、ある種の連帯感のようなものを感じる。
「よろしく頼むぜ。俺の商品はちっとばかしデリケートでね。変な客に絡まれると厄介なんだ」
「了解。警護はお任せください」
私は頷きつつ、視線で周囲をスキャンした。
人混み。高価な商品。そして、お人好しでトラブル体質のレン。
……危険度判定、Aクラス。
私は気合を入れ直した。
ルガーの店が開くと同時に、客が押し寄せた。
彼が扱う商品は、都市外の遺跡から発掘された旧時代の電子部品や、砂漠の向こうのオアシスで採れた希少な鉱石など、マニア垂涎の品々だ。
「いらっしゃい!見るだけならタダだぜ!」
ルガーが声を張り上げる。
レンは用心棒というよりは、店員見習いのように甲斐甲斐しく働いていた。
商品を並べ、汚れを拭き取り、客の質問に答える。
「ねえ、このモーター、動くの?錆びてるけど」
疑り深いType.E(工兵型)の客が、古ぼけたモーターを指差す。
レンはすぐにそれを手に取り、ポケットからテスターを取り出した。
「あ、これは表面の酸化皮膜だけです!通電チェック……よし、コイルは生きてます。これ、戦前の高トルク型ですよ。今の汎用品より三割は出力が高いはずです」
レンの目はキラキラと輝いている。
彼にとって、機械はただの道具ではない。一つ一つが歴史と物語を持った宝物なのだ。
「へぇ、坊主詳しいな。よし、買った!」
客は嬉しそうに代金を支払い、モーターを持って行った。
「やるじゃねぇか、レン!今の解説でイチコロだったな!」
ルガーが親指を立てる。
「えへへ……機械のことなら、なんとなくわかるんです」
レンは嬉しそうだ。
「価値がない」と言われ続けてきた彼が、自分の知識と技術で誰かの役に立ち、感謝されている。
その光景を見て、私の胸の奥が温かくなる。
……そう、この笑顔を守るのが私の仕事だ。
だが、光があれば影もある。
商売が繁盛すれば、それを狙う害虫も湧いてくる。
【トラブル事例1:スリ】
人混みに紛れ、小型のドール(子供型)がルガーのトラックの荷台へ忍び寄っていた。
視覚的迷彩コートを羽織り、センサーの死角を突く動き。プロだ。
ドールの手が、高価なレアメタルが入った木箱に伸びる。
ガシッ。
私はその腕を掴んだ。
「……おイタが過ぎますよ、お嬢ちゃん」
「ッ!?」
ドールが驚愕の表情で振り向く。
「私のセンサー網は死角ゼロです。悪いことをすると、お尻をペンペン(物理的破壊)しますよ?」
私はドールの首根っこを掴み、中空へ持ち上げた。
「す、すみませんでしたぁッ!」
ドールは足をバタつかせ、解放されると同時に人混みへ消えていった。
【トラブル事例2:クレーマー】
「おいコラ!このバッテリー、充電できねぇぞ 不良品売りつけやがって!」
数分後。
柄の悪い傭兵風のアンドロイドが、怒鳴り込んできた。手にはバッテリーを持っている
。
「お客様、それは……」
レンが対応しようとするが、男は聞く耳を持たない。
「うるせぇ!金返せ!あと迷惑料もよこせ!」
男がレンの胸を小突いた。
レンがよろめく。
瞬間、私は移動した。
音もなく男の背後に立ち、大口径ハンドガンの銃口を、男の後頭部のメインセンサー・ユニットに押し付ける。
カチャリ。
安全装置を外す金属音が、男の聴覚センサーに鮮明に響いたはずだ。
「……当店のバッテリーは出荷前に全数検査済みです。貴方の機体の接続端子が劣化しているのが原因と推測されますが、いかがでしょうか?」
耳元で囁く。
男が凍りつく。背後に立つ「死」の気配を察知したのだ。
「あ、いや……そ、そうかも……しれねぇな……」
「ご納得いただけて幸いです。端子の清掃を推奨します。……お引き取りを」
「へ、へい……!」
男は逃げるように去っていった。
【トラブル事例3:誘惑】
夕方。
派手な装飾を施した女性型アンドロイド(Type.Sの改造機)が、レンに近づいてきた。
「あらぁ、可愛い整備士さんねぇ〜」
彼女はレンの腕に自分の豊満な胸を押し付け、甘い声を出す。
「ねぇ、お姉さんのメンテナンスもしてくれない? ベッドの上で、じっくりと……ウフフ」
レンは顔を真っ赤にして固まっている。
「え、あ、あの、僕は……」
鼻の下が伸びている。だらしない。非常にだらしない。
私は無言で二人の間に割って入った。
完璧な営業スマイルを貼り付けて。
「申し訳ありません、お客様。こちらの整備士は現在、私の『専有予約済み』となっております」
私はレンの腕を引っ張り、自分の背中へと隠す。
「それに、貴女の型式では彼の技術レベルには対応できません。もっと大雑把な整備工場へ行かれることをお勧めします」
「な、何よ!偉そうに!」
女は憤慨したが、私の放つ冷気(殺気)に気圧され、舌打ちをして去っていった。
「……レン」
私は振り返り、ジト目で彼を見る。
「鼻の下が伸びていましたよ。三センチほど」
「の、伸びてないよ!びっくりしただけだってば!」
レンが慌てて否定する。
そんなこんなで、トラブルと対処の連続だった一日が終わろうとしていた。
商品は飛ぶように売れ、ルガーのトラックの荷台はだいぶ軽くなっていた。
空が茜色に染まり、一番星が光り始める。
「ふぅ……。よく働いたな、二人とも!」
ルガーが汗を拭いながら笑った。
「今日は大助かりだったよ。特にレン、お前さんの目利きと、ルリの護衛のおかげだ。さあ、飯にしようぜ!今日は俺の奢りだ!」
夜の帳が下りる市場に、屋台の灯りがともる。
私たちはルガーと共に、束の間の休息を取ることになった。
しかし、トラブルの神様はまだ完全に眠ってはいないかもしれない。私は気を緩めず、けれどレンの楽しそうな横顔を見ながら、静かに目を細めた。
市場の喧騒が夜の静寂へと溶けていく頃。
私たちはルガーのトラックの傍らに設営された簡易テーブルで、遅い夕食を囲んでいた。
メニューは、キャラバン隊が持ち込んだ「本物の」野菜が入ったシチューと、保存用の堅焼きパン。そしてルガーの手には、琥珀色の液体が入ったグラスが握られている。
「ぷはぁっ!やっぱ仕事の後の酒は格別だな!」
ルガーが豪快にグラスを空ける。
レンはスプーンでシチューを掬いながら、目を輝かせていた。
「すごい……これ、本物のジャガイモだよね?アーケインの配給食とは全然味が違うや」
「おうよ。西の農耕プラントから仕入れた一級品だ。食え食え、今日は大商いだったからな!」
ルガーは気前のいい男だ。
彼はグラスに酒を継ぎ足しながら、私のほうを見た。
「しっかし、驚いたぜ。レンの目利きは大したもんだ。あのガラクタの山から、価値あるパーツを次々と見つけ出すんだからな。……おいレン、お前さんのフルネームは?」
「え? あ、僕はレン……レン・ロックスです」
レンが答えると、ルガーは「ロックスか、いい響きだ」と笑った。
「まるで頑固な石ころみたいだが、磨けば光る宝石の原石って感じだな」
ルガーは遠い目をして、夜空を見上げた。
「俺たちキャラバンはな、この荒れ果てた世界中を旅して回るんだ。レン、お前さんはこの街の外を見たことがあるか?」
「ううん、ないよ。生まれてからずっと、このアーケインの中だけ」
レンが首を横に振る。
この世界において、都市の外へ出ることは死を意味する。野盗、汚染された大気、そして機械軍の支配領域。人間が単独で生きていける環境ではない。
「そうか。なら教えてやるよ」
ルガーは語り始めた。
砂漠の向こうにある、蜃気楼のように揺らぐ巨大なオアシス都市の話。
地下深くに広がる、発光する苔に照らされた地底湖の集落の話。
そして、機械軍の目を逃れて、人間とアンドロイドが対等に暮らしているという「隠れ里」の噂話。
レンはパンを齧るのも忘れて、その話に聞き入っていた。
「すごい……世界って、そんなに広いんだ……」
彼の黒い瞳の中に、見たことのない景色への憧憬が映り込んでいる。
それは、狭いガレージの中でくすぶっていた少年の魂が、初めて「外」への扉を叩いた瞬間のように見えた。
「いつか、僕も行けるかな。そんな場所に」
レンがぽつりと呟く。
ルガーはニヤリと笑い、レンの頭をガシガシと撫でた。
「行けるさ。お前さんには才能がある」
「才能?」
「ああ。『機械への愛』だ。壊れたものを直し、価値のないものに価値を見出す目。その技術があれば、世界のどこへ行ったって食いっぱぐれねぇよ。俺が保証してやる」
その言葉は、レンにとって何よりの勲章だったに違いない。
今まで「人間だから価値がない」「弱者だ」と虐げられてきた彼が、初めて「個」としての価値を認められたのだから。
レンは顔を赤くして、でも嬉しそうに俯いた。
「……ありがとう、ルガーさん」
私はそんな二人を静かに見守っていた。
Efリアクターの鼓動が、心地よいリズムを刻んでいる。
私の役目はレンを守ること。
けれど、守るべきは彼の肉体だけではない。彼の心に芽生えた、小さな夢や自尊心もまた、私が守り育むべきものなのかもしれない。
ルガーの話は夜遅くまで続いた。
レンは何度もあくびを噛み殺しながらも、最後まで目を輝かせて聞いていた。
数日が経過した。
ルガーの読み通り、商品はほぼ完売した。
細々としたトラブル、酔っ払いの絡みや、値下げ交渉を装った脅迫などは私が全て「丁重に」処理したため、大きな被害もなく取引は終了した。
そして、キャラバン隊が出発する朝。
広場には、荷台が軽くなったトラックたちがエンジンを暖気させて並んでいた。
ディーゼルエンジンの排気ガスと、砂埃の匂い。旅立ちの匂いだ。
「世話になったな、二人とも!」
ルガーがトラックの運転席から降りてきた。
彼は満足そうな顔で、私たちに手を差し出した。
「お前たちのおかげで、ここ数年で一番の売り上げだったよ。アーケインも捨てたもんじゃねぇな」
「それは良かったです。道中、お気をつけて」
私が握手を返すと、ルガーはレンの方を向いた。
「レン・ロックス。これを受け取ってくれ」
ルガーは足元から、一つの大きなアタッシュケースを持ち上げた。
ずっしりと重そうだ。金属製の、頑丈なケース。
「え? これって……?」
レンが戸惑いながら受け取る。
「開けてみな」
レンがおっかなびっくり、ケースの留め具を外して蓋を開けた。
その瞬間、朝の光がケースの中身に反射して、眩い輝きを放った。
「う、わぁ……ッ!!」
レンの口から、感嘆の声が漏れる。
そこに収められていたのは、真新しい工具セットだった。
クロームバナジウム鋼で作られたスパナ、レンチ、ドライバー。
精密作業用のピンセットや、最新型の電子回路診断機。
どれも油紙に包まれた新品で、この廃材だらけの街ではお目にかかれない一級品ばかりだ。
「こ、こんなすごいもの……いいんですか!?」
レンの手が震えている。
工具に触れようとして、自分の汚れた手を服で拭ってから、そっと指先で撫でる。まるで宝石に触れるかのように。
「ああ、報酬の上乗せだ。お前さんが俺の商品を整備してくれたおかげで、高く売れたからな。その礼だよ」
ルガーはウィンクした。
「いい腕を持ってる奴には、いい道具が必要だ。その道具で、お前さんの大事な相棒を、もっとピカピカにしてやんな」
レンは涙目でルガーを見上げ、それから深々と頭を下げた。
「あ、ありがとうございます!大切にします!一生、大切にします!」
「ははっ、大袈裟だな。……じゃあな、レン、ルリ。またこの街に来た時は、指名させてもらうぜ!」
ルガーはトラックに乗り込んだ。
クラクションが短く鳴らされる。
プァッ!
それを合図に、巨大な車列が動き出した。
重いタイヤが砂利を踏みしめ、キャラバン隊は朝霧の中へ、次の街へと向かって去っていく。
私たちはその姿が見えなくなるまで、手を振り続けた。
レンの腕には、ずっしりと重いケースが抱えられていた。
けれど、その重さは彼にとって、希望の重さそのものだった。
帰り道。
レンの足取りは、スキップしそうなほど軽かった。
物理的には十キロ近い工具箱を持っているはずなのに重力を感じていないようだ。
「すごいよ、ルリ!見てよこれ!」
レンは数歩歩くたびに立ち止まり、ケースを少し開けて中身を確認しては、ニヤニヤと笑っている。
「このラチェットレンチ、ギアの噛み合わせが最高なんだ!これがあれば、ルリの関節メンテが今の半分の時間でできるよ!」
「そうですか。それは効率的ですね」
私が答えると、レンはさらに興奮して続ける。
「こっちの診断機もすごいんだ!Efリアクターの微細な波形までモニタリングできるみたいだ。これでルリの調子をもっと細かく管理できるぞ!」
彼の言葉の端々に、「ルリのために」という言葉が含まれている。
新しい道具を手に入れて、彼が最初に考えるのは自分のことではなく、私のことなのだ。
私は彼の一歩後ろを歩きながら、その背中を見つめた。
小さな背中。
人間という、脆くて弱い生き物。
けれど、その背中には今、確かな自信と、未来への希望が乗っている。
世界は過酷だ。
機械軍の脅威は去っていないし、明日の食料が保証されているわけでもない。
「GENESIS」という謎の言葉や、機械軍が探しているものも気にかかる。
けれど、今は。
「あー、早く帰って使いたいなぁ!ルリ、帰ったらすぐメンテさせてくれる?」
「……はいはい。まずは貴方の泥だらけの服を洗濯してからですよ、レン」
「えー、ケチだなぁ」
レンが振り返り、悪戯っぽく笑った。
その笑顔を見ていると、私の回路に蓄積された戦闘データや殺伐とした記憶が、上書き保存されていくような気がした。
私は歩調を早め、レンの隣に並んだ。
そして、彼が抱える重そうなケースに、そっと手を添えた。
「重そうですね。半分、持ちましょうか?」
「ううん、大丈夫!これは僕の宝物だから、自分で持つよ!」
レンは頑なにケースを離さなかった。
その頑固さが、彼の名前「ロックス(石)」らしくて、私は思わず吹き出した。
「ふふっ。そうですか。では、転ばないように気をつけてくださいね。……レン・ロックス」
夕暮れのアーケイン。
鉄と錆の匂いがする風の中で、二つの影が長く伸びていく。
一つは鋼鉄のアンドロイド。
一つは人間の整備士。
私たちは寄り添いながら、愛しい我が家への帰路を歩んでいった。
新しい工具箱が奏でる金属音が、まるで幸せな未来を告げる鈴の音のように聞こえた。




