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トラブルメーカーの日常、そして鋼鉄の防衛線


 平和とは、なんと退屈で、そして騒がしいものなのだろう。

 アーケインの空は今日も鉛色だが、私の視界(HUD)には、今日も今日とて数々の警告アラートが表示され続けている。

 あの一線を超えかけた夜、レンが私の腹部に欲望をぶちまけ、泣いて逃げ出したあの夜から、数日が経過した。

 私たちの関係に劇的な変化があったかと言えば、答えは「NO」であり、同時に「YES」でもある。

 レンは相変わらずヘタレで、私と目が合うと顔を赤くし挙動不審になる。けれど、その視線には以前よりも熱の籠もった信頼と、そして隠しきれない「男」としての意識が見え隠れするようになった。

 ……まあ、それはいい。問題は彼の「トラブル誘引体質」が、全く改善されていないことだ。

 現在時刻、午前一〇時。

 私たちは都市の商業区画へ、修理依頼のあった配管設備の点検に来ていた。

 人通りは多い。様々な型のアンドロイドと、肩身の狭そうな人間たちが行き交っている。


「痛ってぇな!どこ見て歩いてんだ、クソガキ!」


 私の背後で、聞き慣れた怒号が響いた。

 ため息、排熱ファンを強めに回し、私はゆっくりと振り返る。

 そこには、地面に尻餅をついたレンと、彼を見下ろす巨漢の男がいた。

 男は人間だが、右腕と両脚を安物のサイバネティクス義肢に置換した「半サイボーグ」のチンピラだ。


「す、すみません!資材が重くて、前がよく見えなくて……」


 レンは必死に謝る。彼の足元には運んでいたパイプや工具が散乱している。

 どうやら、すれ違いざまに男の足を踏んでしまったらしい。


「謝って済むかよ!俺の脚は最新の油圧式なんだぞ!傷がついたらどうすんだ!」


 男はレンの胸倉を掴み上げた。


「おい、慰謝料払えよ。持ってるんだろ?その工具箱の中身、全部置いていけ」


「そ、それは困ります!これは仕事道具で……」


「知るかよ!」


 男が拳を振り上げた瞬間、私は介入した。

 物理的に。

 ガシッ。

 振り下ろされた鋼鉄の義手を、私の左手が空中で受け止めた。


「あ……?」


 男がギョッとして私を見る。

 私は、冷徹なスマイル(営業用)を浮かべていた。


「失礼。私の連れに何か用でしょうか?」


「な、なんだテメェは!このS型サービス・ドール風情が、俺の邪魔をする……ぐ、ぎぃッ!?」


 男の言葉が悲鳴に変わる。

 私が握力を強めたからだ。

 ミシミシと、男の義手の手首パーツが歪む音がする。安物の合金など、Type.Aの出力を持つ私の前では粘土細工も同然だ。


「訂正を求めます。S型風情ではありません。私はレンの『所有物』であり、彼の盾です」


 私は男の手首を、関節の可動域ギリギリまで捻じり上げた。


「貴方の義手の強度はランクF以下。対して、私のボディ強度は軍用規格。……喧嘩を売る相手を間違えているのでは?」


「い、痛い痛い!折れる!サーボが焼き切れるぅッ!」


「では、レンに謝罪を。三秒以内に」


「す、すいませんでしたぁッ!」


 私は手を離した。

 男は涙目で自身の義手をさすりながら、這うようにして逃げ去っていった。


「……はぁ」


 私は本日二度目のため息をつき、レンに手を差し伸べた。


「大丈夫ですか、レン」


「あ、ありがとう、ルリ……。ごめん、また助けられちゃった」


 レンが私の手を取って立ち上がる。その手は少し震えていて、情けないけれど温かい。


「貴方の不注意です。前方不注意確率は八〇%を超えていますよ」


「うぅ……面目ない」


 これで一件落着かと思いきや、トラブルの神様はレンを愛しすぎているらしい。

 三〇分後。

 今度は広場にある旧式飲料水サーバーの修理中だ。


「よし、バルブの緩みは直したし、あとは圧力を調整して……」


 レンが自信満々にスパナを回した、その時だった。

 ブシュゥゥゥゥゥッ!!

 サーバーの給水タンクが暴発した。

 勢いよく噴き出した泥水のような錆びた水が、レンを直撃する。


「うわぁぁぁっ!?」


 レンは頭から泥水を浴び、びしょ濡れになった。

 それだけならまだいい。問題は、噴き出した水が周囲にいた通行人のドールやアンドロイドたちにも降り掛かったことだ。


「きゃっ!何よこれ!」


「おい、俺の装甲が汚れたぞ!」


 あっという間に野次馬による包囲網が完成する。

 レンは顔の泥を拭うこともできず、パニック状態で頭を下げ続けている。


「す、すみません!あわわ、弁償します、拭きます……!」


 私は額に手を当て、演算回路の冷却ファンを最大出力にした。

 やれやれ。

 私は無言で群衆の中へ入り、ポケットから高圧洗浄スプレー(携帯用)を取り出すと、汚れたアンドロイドたちを片っ端から洗浄して回った。


「騒がないでください。ただの水です。酸性雨よりマシでしょう」


 手際よく汚れを落とし、ついでに彼らのボディの簡単な不具合を一瞬で直してやる。


「あれ?肩の異音が消えた?」


「こっちも、関節の動きが良くなったわ」


 怒っていた群衆が、一転して感心した声を上げ始める。

 私はレンの首根っこを掴み、ぺこりと頭を下げさせた。


「当方の整備士の不手際です。お詫びに簡易メンテナンスを実施しました。これにて手打ちということで」


 なんとか場を収め、私たちは逃げるようにその場を離れた。

 路地裏のベンチで、濡れ鼠になったレンが小さくなっている。


「……ごめん、ルリ。僕って、本当にダメだなぁ」


 彼はしょげ返っている。水滴が帽子のツバからポタポタと落ちている。

 その姿は、雨に濡れた捨て犬そのものだ。

 私はハンカチを取り出し彼の方へ近づいた。


「全くです。貴方のトラブル誘引率は異常値エラーですよ。一度、神社でお祓い(デフラグ)することを推奨します」


 憎まれ口を叩きながら、私は彼の方を丁寧に拭いてやる。


「でも……貴方が一生懸命なのは知っています」


 私の言葉に、レンが顔を上げる。


「ルリ……」


「貴方が困っている人を見捨てられないことも、機械に対して誠実なことも、私のログには記録されています。……非効率的で、危なっかしいですが」


 私は彼の頬についた泥を拭い取った。


「だから、仕方ありません。私が面倒を見ます。貴方が一人前になるまで……いえ、多分、一生」


 レンの顔が泥汚れとは別の色、赤色に染まる。


「い、一生って……それって、プロポーズみたいだぞ」


「アンドロイドにそのような機能はありません」


 嘘だ。本当はあるけれど、今は教えてあげない。

 私たちは視線を交わし少しだけ笑った。

 呆れるような、でも心地よい日常。

 この穏やかな時間が、ずっと続くと思っていた。


 その警報サイレンが、鳴り響くまでは。


 ウゥゥゥゥゥゥゥ――――――ン!!


 空気を震わせる、重く不快な低周波音。

 都市全域に設置されたスピーカーが一斉に唸りを上げた。

 街の空気が一変する。

 笑っていた人々が表情を凍らせ、歩いていたアンドロイドたちが足を止める。

 これは、火災や事故の警報ではない。

 もっと根源的な、死の予告。


『緊急警報。緊急警報』


 都市管理AIの無機質な音声が、空から降り注ぐ。


『都市アーケイン北西部、セクター4からセクター6にかけて、機械軍の大規模部隊の接近を確認。

 規模、中隊レベル。ピースウォーカー多数、および航空戦力を含む。

 推定到達時間、四〇分』


 ザワッ、と群衆がどよめいた。


「機械軍だ!こっちに来るぞ!」

「逃げろ!地下シェルターへ急げ!」

「中隊規模だって!?この街を地図から消す気かよ!」


 パニックが伝染する。人々は我先に逃げ惑い、アンドロイドたちも右往左往する。

 レンもまた、顔色を青ざめさせて立ち上がった。


「き、機械軍……! なんで、こんな急に……!」


 彼の脳裏に、かつて両親を殺された記憶が蘇っているのだろう。指先が小刻みに震えている。


『都市防衛隊より通達。

 防衛隊、および武装可能な市民、傭兵、自律兵器所有者は、直ちに北西防衛ラインへ集結せよ。

 繰り返す。戦える者は全て、防衛ラインへ集結せよ。

 これは要請ではない。生存のための義務である』


 放送が繰り返される中、私は冷静に状況を分析シミュレートしていた。

 中隊規模。

 数にして五十機以上のパワードスーツと、数百のドローン。

 対する都市の防衛戦力は、旧式の戦車数台と、寄せ集めの傭兵たち。

 勝率は……三〇%以下。

 論理的最適解は「逃走」だ。今すぐレンを連れて、反対側のゲートから脱出すれば、生存確率は九〇%まで跳ね上がる。


「レン」


 私は彼の肩を掴んだ。


「逃げましょう。今ならまだ間に合います。南ゲートから砂漠へ抜ければ、追跡を振り切れます」


 私は彼を守るために作られた。彼を生かすことが最優先事項プライオリティ・ワンだ。この都市がどうなろうと、知ったことではない。

 だが。

 レンは動かなかった。

 震える手で、自身の膝を叩き、顔を上げた。

 その瞳には、恐怖よりも強い、決意の光が宿っていた。


「……ううん。逃げない」


「レン?自殺行為です。戦力差は歴然としています」


「わかってる。でも……ここは僕たちの家だ」


 レンは、私たちが住むガレージの方角を見た。


「あそこには、親父が遺してくれた工具がある。僕が直してきた機械たちがいる。……そして何より」


 彼は私を見た。


「ルリと出会って、ルリを直して、一緒に暮らしてきた思い出が詰まってる。……それを、あんな鉄屑どもに壊されたくないんだ!」


 彼の言葉に私の胸の奥、Efリアクターの温度が、急激に上昇した。

 思い出。

 データではない、彼と共有した時間という概念。

 それを守るために、彼は死ぬかもしれない戦場に立つと言うのか。

 あのヘタレで、泣き虫で、さっきまで濡れ鼠になっていた彼が。

 ……ああ、やはり。

 この人間は、どうしようもなく愛おしい。

 私はフッと笑った。

 論理ロジックは敗北した。感情の勝利だ。


「……了解ラジャー。マスターがそう言うのなら、私は従うのみです」


 私はコートのボタンを外し、いつでも武装を展開できるように構えた。


「貴方が守りたいものを守るために。私は貴方の剣となり、盾となりましょう」


「ルリ……ありがとう!」


「礼は勝利の後に。……行きますよ、レン!遅れないでください!」


 私たちは走り出した。

 逃げる人々とは逆方向。

 黒い煙が立ち上り始めた都市の北西、最前線へと向かって。


 都市の外縁部、防衛ライン。

 そこは既に地獄の入口と化していた。

 高さ十メートルの防壁の上には、防衛隊の兵士や傭兵たちが慌ただしく動き回っている。

 固定砲台が旋回し、旧式の自走砲が轟音と共に配置についている。

 空気は硝煙とオイルの臭いで満ちていた。


「おっ、レンじゃねぇか!お前も来たのか!」


 声をかけてきたのは、以前トラブルになった酒場のマスターや、市場の買取屋たちだった。

 彼らもまた、武装してこの場所に立っていた。

 普段はいがみ合い、騙し合う関係でも、共通の敵「機械軍」の前では、彼らは同じ都市の住人だ。


「はい!僕も手伝います!弾薬運びでも、修理でも何でもやるんで!」


「助かるぜ!整備士が足りなくて困ってたんだ!Cブロックの発電機を見てくれ!」


 レンはすぐに工具箱を広げ、後方支援の作業に取り掛かった。

 その背中は、いつもの頼りなさとは別人のように逞しく見えた。

 私はその背中を一瞥し、防壁の最前列へと進み出る。


「状況は?」


 隣にいたスナイパー型の傭兵に尋ねる。


「最悪だ。見ろよ、あの数を」


 彼が指差した先。

 荒野の地平線が、黒く染まっていた。

 土煙を上げて迫りくる、無数の影。

 規則正しい足音マーチが、地響きとなって伝わってくる。

 ズシン、ズシン、ズシン……。

 先頭を行くのは、量産型ピースウォーカーの重装甲タイプ。

 その後ろには、四脚歩行の自律兵器群。

 そして空を覆うのは、無数の攻撃ドローン。

 まるで鋼鉄の津波だ。個々の意思を持たず、ただ「人類抹殺」という命令のみに従って進軍する死の軍勢。


「……ふん。数だけは立派ですね」


 私は両手のハンドガンを抜き、スライドを引いた。

 恐怖はない。

 あるのは、静かな殺意と、背後にいるレンを守り抜くという絶対的な使命感だけ。


「総員、戦闘用意ッ!!」


 防衛隊長の叫び声が響く。


「撃てぇぇぇぇッ!!」


 ドオォォォォン!!

 防衛ラインの火砲が一斉に火を噴いた。

 着弾した砲弾が、機械軍の先頭集団を吹き飛ばす。

 だが、彼らは止まらない。

 破壊された仲間の残骸を踏み越え、無感情に前進を続ける。

 反撃のビームやミサイルが、防壁へと降り注ぐ。

 爆風。悲鳴。飛び散る鉄屑。

 戦争が始まった。


「レン、そこから動かないで!」


 私は通信機越しに叫ぶと、防壁から飛び降りた。

 私の戦場は、あの壁の上ではない。

 敵の只中だ。


 【戦闘モード、全開フル・バースト


 私は荒野へと着地し、単騎で機械軍の奔流へと突っ込んだ。

 今、私はルリではない。

 Type.AS、殺戮と奉仕のために作られた、美しき死神だ。



 戦場は、鉄と火薬のオーケストラだ。

 爆音が鼓膜オーディオセンサーを叩き、硝煙が嗅覚センサーを麻痺させる。


「邪魔です、スクラップ共」


 私は踊るように駆け抜けた。

 真正面から迫る量産型ピースウォーカー。その八メートルの巨体が振り下ろすヒートホークを、私は紙一重で回避する。

 通りすがりに、高周波ブレードで膝関節のシリンダーを一閃。

 自重を支えきれなくなった巨体が崩れ落ちる隙に、私はその肩へ跳躍し、コクピットハッチへゼロ距離射撃を叩き込む。

 ドォォォンッ!

 内部誘爆。

 私は既に次の獲物へと跳んでいた。


「ターゲット確認。殲滅します」


 Type.Aの戦闘ロジックが、世界をスローモーションに見せる。

 飛来するミサイル群。私はハンドガンで弾頭を正確に撃ち抜き、空中で起爆させる。爆炎のカーテンを突き破り、ドローンの群れをブレードで切り裂く。

 圧倒的。

 周囲の傭兵たちが、呆然と私を見ているのがわかる。


「おい、あのアンドロイド……化け物かよ」

「機械軍の一個小隊を単騎で壊滅させてやがる……!」


 だが、状況は楽観できない。

 敵の数が多すぎるのだ。倒しても倒しても、地平線の彼方から次なる鉄の波が押し寄せてくる。

 個のクオリティでは勝っていても、物量クオンティティで押し切られれば、防衛ラインはいずれ決壊する。

 その時だった。

 ビビビビッ!

 不吉な警告音が響いた。


『警告!Cブロック、第三自動砲台オート・タレット、機能停止!回路過負荷によりダウン!』


 防衛隊員の悲鳴のような報告。

 見れば、防壁の中央に位置する主砲が沈黙し、黒煙を上げている。

 そこは、敵の主力部隊が集中している激戦区だ。制圧射撃が止まった瞬間、機械軍の群れがその「穴」に殺到する。


「マズい!突破されるぞ!」

「予備電源はどうした!?動かせ!」

「ダメだ、制御基板が焼き切れてる!修理には時間が……」


 このままでは、あそこから雪崩れ込まれ、都市内部への侵入を許してしまう。

 私がカバーに向かうには距離がありすぎる。

 万事休すか。そう判断しかけた瞬間。


『僕が行く!』


 通信機から、聞き慣れた、けれど今まで聞いたこともないほど力強い声が響いた。

 レンだ。


「レン!?何を言って……!」


『構造はわかるんだ!バイパスを繋げば再起動できる!』


「自殺行為です!あそこは集中砲火を浴びています!」


『でも、やらなきゃみんな死ぬ!ルリとの思い出の場所もなくなっちゃう!』


 制止する間もなかった。

 防壁の影から、小さな影が飛び出した。

 オレンジ色のつなぎ。手には工具箱。

 レンは弾雨の中を、全速力で沈黙した砲台へと走る。


「あ、あの馬鹿……ッ!」


 私の思考回路が一瞬で沸騰した。

 論理的判断などかなぐり捨て、私は踵を返した。

 ブースト全開。

 人工筋肉が悲鳴を上げるほどの過負荷オーバーロード機動。

 待っていなさい、レン。死なせはしない。絶対に!

 レンが砲台の制御盤に取り付く。

 敵のセンサーが、無防備な彼を捉える。

 ピースウォーカーのマシンガンが、彼に向けて火を噴く。

 レンは逃げない。パネルを開け、配線を掴む。

 ガガガガガガガッ!!

 銃弾の雨が、彼を肉塊に変えるその寸前。

 滑り込んだ「鋼鉄の盾」が、全ての凶弾を受け止めた。


「作業に集中しなさい、レンッ!!」


 私はレンの背後に仁王立ちになり、コートを広げた。

 着弾の衝撃が私のボディを揺らす。

 装甲が削れ、火花が散る。痛覚センサーが赤色の警告を視界いっぱいに表示する。


「ル、ルリ!?」


 レンが振り返ろうとする。


「余所見をするな!手を動かせ!」


 私は怒鳴った。


「貴方には指一本触れさせません!だから……直して見せなさい!私のマスターなら!」


 レンの背中が震えた。恐怖ではない。覚悟の震えだ。


「……わかった!三十秒……いや、十秒でやる!」


 レンは再び制御盤に向き直った。

 その手さばきは神懸かっていた。

 震えていた指先が嘘のように、正確無比に焼き切れた回路を切断し、予備回線へと繋ぎ変えていく。

 背後で私が銃弾を受け止める音。

 キンッ、ガンッ、バキッ。

 私の綺麗な人工皮膚が裂け、中のフレームが露出しようとも、私は一歩も引かない。

 敵のピースウォーカーが迫る。距離十メートル。

 彼らは理解できないだろう。

 なぜ、このアンドロイドは避けないのか。なぜ、非効率に人間を守り続けるのか。

 教えてあげる必要はない。これは「愛」という名の、最強のエラーコードだ。


「……できた!再起動リブートッ!!」


 レンが叫び、メインスイッチを叩き込んだ。

 ブゥゥゥン……!

 沈黙していた砲台に、命の灯がともる。

 巨大な砲身が唸りを上げ、目の前に迫っていた敵の群れへと向いた。


「ルリ、伏せて!」


 私はレンを抱え込み、その場に伏せた。

 ズガアァァァァァァンッ!!

 至近距離での砲撃。

 轟音と衝撃波が世界を白く染めた。

 突破口を開こうとしていた機械軍の先鋒部隊が、一瞬にして鉄屑へと変わる。

 形勢逆転。

 その一撃が、戦場の流れを変えた。


 夕闇が訪れる頃には、戦場の喧騒は遠ざかっていた。

 主力部隊を叩かれた機械軍は、損害率が規定値を超えたと判断し撤退していったのだ。

 都市側の大勝利だった。

 防壁の上では、傭兵たちが帽子を投げて歓声を上げている。

 その片隅で、レンはその場にへたり込んでいた。


「はぁ……はぁ……死ぬかと思った……」


 全身煤だらけで、オイルまみれ。顔は真っ黒で、白い歯だけが目立っている。

 私は彼に歩み寄った。

 私のモッズコートはボロボロで、左腕の装甲は剥がれかけ、頬には銃弾の擦過痕がある。Type.Sとしての美貌は台無しだ。

 けれど、システムは不思議なほど安定していた。


「……無茶な行動でした。生存確率一五%。私の計算リソースを無駄に浪費させましたね」


 私が上から見下ろすと、レンはバツが悪そうに頭をかいた。


「ご、ごめん……。でも、なんとかなっただろ?」


「結果論です。もし私が間に合わなかったら、貴方は今頃ミンチになっていましたよ」


 厳しい口調で叱責する。

 けれど、私はそのまましゃがみ込み、ハンカチを取り出した。

 そして、レンの汚れた頬を優しく拭う。


「……ですが」


 私の指先が、彼の温かい肌に触れる。


「貴方の修理のおかげでこの防衛線は守られました。貴方がこの街を救ったのです」


 私は精一杯の微笑みを向けた。


「よくやりましたね、私のマスター。……誇りに思います」


 レンがポカンと口を開け、それからゆっくりと顔を赤らめた。

 夕焼けのせいだけではないだろう。


「えへへ……そ、そうかな。ルリに褒められると、なんか照れるな……」


 彼は鼻の下をこすり、へらっと笑った。

 その笑顔。

 戦場には似つかわしくない、間の抜けた、けれど平和そのもののような笑顔。

 ああ、守りたかったのはこれだ。

 この笑顔がある限り、私は何度ボロボロになっても構わない。


「さて、帰りましょうか。シチューの肉が傷んでしまいます」


「あ、そうだった!早く帰ろう!」


 レンが元気よく立ち上がった、その瞬間。

 バキッ。

 頭上の監視塔から、先ほどの戦闘で緩んでいた鉄製の看板が外れた。

 数キログラムの鉄塊が、レンの脳天を直撃する軌道で落下してくる。


「あっ」


 レンが間抜けな声を上げる。

 パシッ。

 私は音速で手を伸ばし、レンの頭上数センチのところで看板を受け止めた。

 乾いた音が響く。

 レンは目を白黒させている。


「……あ、危なかった……」


 私は看板を持ったまま、深く、深くため息をついた。

 先ほどの感動的な空気はどこへやら。

 やはり、私のマスターはこうなのだ。


「……前言撤回します」


 私は看板を放り捨て、レンの手をぎゅっと握りしめた。


「やはり貴方には、一生私がついていないとダメなようです。一秒たりとも目が離せません」


「えぇ〜!? ひどいよルリ! さっきは誇りに思うって言ったのに!」


「それはそれ、これはこれです。さあ、手、繋いでいてください。転びますよ」


「もう子供じゃないってば……」


 文句を言いながらも、レンは私の手を握り返してくる。

 その力強さは、出会った頃よりも少しだけ増している気がした。

 私たちは並んで歩き出す。

 傷ついた街。煙の匂い。

 けれど、私たちの足取りは軽い。

 鋼鉄の守護者と、トラブルメーカーの主。

 凸凹な二人の影が、夕陽に長く伸びて、一つに重なっていた。

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