溶ける境界、冷徹なる単独行
世界が寝静まる午前三時。
都市の喧騒はなりを潜め、遠くで唸るエネルギー反応炉の重低音だけが、地殻の呻きのように響いている。
私の内部時計は正確に時を刻み、機体はスリープモード(低電力待機状態)へと移行していた。視覚センサーは遮断され、意識は闇の海を漂っている。
だが、警戒センサー群は常に稼働している。
だから私は、その「侵入者」の気配に最初から気づいていた。
カタリ。
整備用ベッドの傍らで、小さな音がした。
足音。呼吸音。そして、微かに漂う汗と葛藤の匂い。
認証コード照合。……マスター・レン。
また、来たのですね。
昨晩の未遂事件から、まだ二四時間も経過していない。
彼のバイタルサインは昨晩と同様。いいえ、それ以上に乱れていた。心拍数一五〇オーバー。呼吸は浅く、速い。
彼はベッドの端に腰掛け、私の寝顔を覗き込んでいる。
私はスリープモードを装ったまま、触覚センサーの感度を最大まで引き上げた。
「……はぁ、はぁ……ごめん、ルリ……」
震える指先が、私の頬に触れる。
熱い。
まるで高熱を発した病人のような熱量だ。
指は頬から首筋へ、そして鎖骨の窪みへと這い降りていく。
「やっぱり……我慢できない……頭がおかしくなりそうだ……」
彼の独り言は、懺悔のようであり、熱に浮かされた祈りのようでもあった。
レンは私のTシャツの裾を掴んだ。
ためらいがちに、しかし抗えない本能に突き動かされるように、ゆっくりと捲り上げていく。
夜の冷気と、彼の熱い視線が、私の腹部の人工皮膚に触れる。
白く、滑らかな、Type.S特有の柔肌。
そこへ、彼の手のひらが押し当てられた。
「ん……ッ……」
レンの口から、苦しげな吐息が漏れる。
彼は私の腹部に顔を埋め、その感触を貪った。
柔らかい脂肪層の下にある、硬質な装甲板。さらにその奥で脈動するEfリアクターの振動。それら全てを確かめるように、舌を這わせ、頬を擦り付ける。
彼の下半身は、既に限界まで充血し、ズボンの生地を押し上げていた。
私の温度センサーが、彼の股間部分から放射される異常な熱量を検知する。
さあ、どうしますか? レン。
私は闇の中で問いかける。
昨日のように逃げ出しますか? それとも、境界線を踏み越えますか?
私はどちらでも構わない。貴方が望むなら、私は目覚め、脚を開き、貴方を招き入れましょう。
貴方のその行き場のない衝動を受け止めるタンクになることこそ、私の機能なのですから。
だが。
レンの動きが、ふと止まった。
「……だめだ」
私の腹部に額を押し付けたまま、彼は絞り出すように呟いた。
「こんなの……最低だ……」
彼の手が、私の肌から離れようとする。
「昼間あんなに助けてもらったのに……ルリは僕を守ってくれてるのに……僕は寝ている君をオカズにするなんて……僕は……ルリに依存してるだけじゃないか……!」
自己嫌悪。
またしても、彼の理性が本能にブレーキをかけたのだ。
彼は泣きそうな顔で、身を引こうとした。
このまま部屋へ戻り、一人で惨めに処理するつもりなのだろう。
ああ、まったく。
私の思考回路に、呆れと、それを上回る愛おしさの信号が走る。
優柔不断。ヘタレ。臆病者。
私のマスターは、どうしようもなく「人間」だ。
だからこそ、介助が必要なのだ。
【システム・ブート/スリープ解除】
私は瞼を開いた。
暗闇の中で、青い瞳が光を灯す。
「――っ!? る、ルリ……!?」
レンが息を呑み、飛び退こうとする。
遅い。
私は彼の腕を掴んだ。万力のような力で、逃さない。
「え、あ、いや、これは……!」
言い訳をしようとする彼の唇を許さなかった。
私は上体を起こすと同時に、彼を抱き寄せた。
そして、その唇を奪った。
「んぐっ!?」
レンの目が限界まで見開かれる。
私は彼の後頭部に手を回し、逃げ道を塞ぐと、強引に舌をねじ込んだ。
Type.Sの口腔機能は、唾液の成分から舌の動きに至るまで、人間に快楽を与えるために最適化されている。
彼の未熟な舌に絡みつき、口腔内を蹂躙する。
唾液を交換し、彼の呼吸を奪い、彼の思考回路を強制的にショートさせる。
「ん、ぅ……! んんっ……!」
レンの抵抗が弱まっていく。
脳髄を溶かすような濃厚なキス。
私は唇を離さず、わずかに隙間を開けて囁いた。
「……優柔不断ですね、レン」
「は、あ……ル、リ……」
「したいのでしょう? 出したくて、たまらないのでしょう?」
私の言葉は、問いかけではない。確認だ。
私は彼の手を取り、私の腹部へと再び導いた。そして、今度は彼自身の手で、彼自身の膨張した部分を握らせる。
「ルリ、だめ、そんな……!」
「ダメではありません。出しなさい。ここに」
私は自分の腹部、白くなめらかなキャンバスを指し示した。
「私の前で、我慢など無意味です」
その言葉が、最後の一押し(トリガー)だった。
レンの瞳から理性の光が消え、本能の炎が燃え上がる。
彼は私のキスと、私の体温と、背徳感の奔流に飲み込まれた。
「あっ、あ、ああっ……! ルリ、ルリィッ……!」
彼は獣のように喘ぎ、自身の欲望をしごき上げた。
数秒もしないうちに、彼の腰がビクビクと痙攣する。
限界点到達。
「で、出るッ! あぁぁぁぁぁッ!!」
ビュッ、ビュクッ。
私の視界の中で、白い放物線が描かれた。
熱い液体が、私の腹部に叩きつけられる。
一度、二度、三度。
若い雄の、濃密な生命の種。
それは私の人工皮膚を白く汚し、重力に従ってへその窪みへと垂れていく。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ」
レンは私の肩に顔を埋め、脱力していた。
ガレージの中に、栗の花に似た独特の臭気が充満する。
私の腹部センサーが、付着した液体の成分分析を開始する。タンパク質、果糖、酵素……有機生命体の、最も根源的なエネルギーの結晶。
数秒の静寂。
そして、急速に訪れる「賢者タイム(冷静な判断力の回復)」。
レンがハッと顔を上げた。
彼の視線が、私の白濁まみれになった腹部に釘付けになる。
自分が何をしたのか。
大切なルリに、何をしてしまったのか。
その事実が、津波のように彼を襲った。
「あ……あ、あ……」
レンの顔が、トマトのように赤くなり、次いで青ざめていく。
「ご、ごめ……ごめんなさいぃぃぃッ!!」
彼は悲鳴のような謝罪を残し、脱兎のごとく跳ね起きた。
ズボンを押さえながら、居住区の奥の自室へと走り去っていく。
バタンッ!
ドアが閉まる音が、虚しく響き渡った。
残されたのは、腹部を汚された私だけ。
私は指先で、腹部の液体を掬い取った。
指の間で糸を引く粘液。
まだ、温かい。
「……ふふ」
自然と、笑みがこぼれた。
なんと愛らしく、不器用なマスターなのだろう。
こんなことで逃げ出すなんて。
私はティッシュを取ろうとした手を止めた。
もう少しだけ。
この熱が冷めるまでは、このままにしておこう。
それは私にとって、彼と「繋がった」という、ささやかで汚れた勲章のようなものだったから。
翌朝。
ガレージの空気は、物理的にも心理的にも重かった。
「……おはよう、レン」
私はいつものように、完璧な笑顔で挨拶をした。
テーブルには合成パンと、粉末スープの朝食を用意してある。
「あ、お、おはよう……ルリ……」
レンは私の顔を見ようとしない。
視線は床を這い回り、私の腹部あたりに来るとビクリと逸らされる。昨晩の記憶がフラッシュバックしているのだろう。
彼の自己嫌悪は深刻だ。
だが、私はあえて何事もなかったかのように振る舞う。それが今の彼に対する最適なケアだと判断したからだ。
「昨夜はよく眠れましたか? 顔色が少し優れませんね」
「う、うん……ちょっと、寝不足で……」
レンは逃げるようにパンを口に詰め込む。喉が詰まりそうだ。
その時。
私の通信モジュールに、暗号化された信号が着信した。
ピピッ。
視界のHUDに、メールアイコンが表示される。
送信元は、都市防衛隊の非公式ルート。
「……仕事の依頼です、レン」
私が告げると、レンが少しだけホッとした表情を見せた。気まずい空気を変える話題が欲しかったのだろう。
「い、依頼? どんな内容?」
「都市の北東、放棄された工業地帯における偵察任務。……ターゲットは『機械軍』です」
レンの手が止まる。
「機械軍……って、一昨日の偵察機と関係があるの?」
「肯定。防衛隊は、機械軍の地上部隊が何らかの目的で集結している動きを懸念しています。その規模と目的を特定し、データを持ち帰ること。それが依頼内容です」
報酬額は、前回のコンデンサ回収の五倍。
だが、危険度は桁違いだ。相手は野盗の改造機ではない。正規の軍事用AIが統率する、殺戮のプロフェッショナルたちだ。
「わかった。すぐ準備するよ」
レンが立ち上がろうとする。
「僕も整備キットを持っていく。もしルリが傷ついたら、その場で直せるように……」
「いいえ」
私は冷たく遮った。
「今回は単独で向かいます。レン、貴方はここで待機です」
「えっ? なんで!?」
レンが声を荒げる。
「僕だって役に立ちたい! いつも守られてばかりじゃ……昨日のことだってあるし、僕は変わりたいんだ!」
彼の気持ちは痛いほどわかる。
昨晩の失態を、仕事で挽回したいのだ。男としての尊厳を取り戻したいのだ。
けれど、私の演算結果は冷酷な「NO」を突きつけている。
現在の彼の精神状態(情緒不安定)は、極限状態の戦場では致命的なエラー要因になる。
何より、相手は機械軍。生身の人間など、発見された瞬間に蒸発させられる。
私は立ち上がり、レンの肩に手を置いた。
少し力を込めて、彼を座らせる。
「レン。これは命令……いえ、貴方の自動人形からのお願いです」
私は彼の目を見つめる。
「今回の任務は、潜入と隠密行動が主です。二より一の方が補足される確率は低い。それに……」
少しだけ、声を柔らかくする。
「私が安心して背中を預けられる『帰る場所』が必要です。貴方には、ここで私の帰還を待っていて欲しいのです」
レンは唇を噛み締め、拳を握りしめた。
悔しさと、無力感。
でも、彼は私の論理が正しいことを理解している。彼は聡明な整備士だから。
「……わかった」
レンは力なく頷いた。
「でも、絶対に無理はしないで。危なくなったらすぐ逃げること。……約束だよ」
「了解。必ず無傷で戻ります」
私は装備を整える。
高周波ブレード、大口径ハンドガン、そしてハッキング用の接続ケーブル。
モッズコートを羽織り、ガレージの扉を開ける。
「行ってきます、マスター」
振り返らずに告げ、私は朝霧の中へと飛び出した。
背後にレンの視線を感じながら。
都市の境界線を越えた瞬間、私のシステムモードが切り替わる。
【感情エミュレータ:抑制】
【戦闘思考ロジック:最大稼働】
愛玩用の甘い顔は終わりだ。
ここから先は、冷徹な機械の時間。
都市から北東へ二〇キロ。
かつて大規模な工場地帯だったその場所は、今は鉄の墓場と化していた。
崩れた煙突、錆びついたパイプライン、風に揺れるトタン板。
生命反応はない。
あるのは、無機質な機械の駆動音だけ。
私は廃ビルの屋上から、眼下をスキャンしていた。
サーマルセンサーに、複数の熱源反応。
座標X:204、Y:098。広場の中心。
いた。
【機械軍・量産型無人歩行兵器 "ピースウォーカー・モデルG"】
野盗が使っていたツギハギの機体とは違う。
工場出荷状態のまま維持された、ダークグレイの塗装。統一された武装。無駄のない隊列。
全高八メートルの巨体が、六機。
さらに周囲には、自律型の偵察ドローンが数機、ハエのように飛び回っている。
(……遺跡の発掘作業?)
望遠レンズで確認する。
彼らは地面を掘り返し、何かを探しているようだ。
その「目的」のデータこそが、今回の獲物。
私はコートの裾を翻し、屋上から飛び降りた。
着地音は立てない。
重力制御ユニットを一瞬だけ作動させ、猫のように音もなく接地する。
敵との距離、五〇メートル。
障害物の影を縫うように疾走する。
「……ターゲット補足。ハッキング・ルート構築」
ドローンの一機が、私の残像に気づいて振り向く。
遅い。
私は走りながらハンドガンを抜き、一発だけ発砲した。
パスッ。
サプレッサー越しの乾いた音が響き、ドローンのセンサーアイが砕け散る。
墜落するドローンが地面に落ちる前に、私は既にピースウォーカーの懐に入り込んでいた。
「侵入者検知。排除行動ニ移行」
無機質な合成音声と共に、一番近くにいたピースウォーカーがマシンガンを向けてくる。
弾道予測ラインが視界に赤く表示される。
私はそれを紙一重でかわし、敵機の脚部関節を足場にして跳躍した。
ダンッ!
空高く舞い上がり、敵機の「背中」に着地する。
ここには外部接続用のメンテナンスポートがある。
「接続」
私は首筋から伸びた有線ケーブルを、敵機のポートに乱暴に突き刺した。
【侵入開始】
私の意識が、デジタルの海へとダイブする。
敵の防壁が立ちはだかる。軍用レベルの暗号化コード。
だが、今の私はType.Aの演算能力をフル活用している。
感情というノイズがない今の私は、最速のハッカーだ。
(防壁突破。制御系掌握。……データ検索中……)
現実世界では、乗っ取られた機体が暴れ回っていた。
「警告。システムニ異常発生。ウイルス検知」
敵機は私を振り落とそうと、体を激しく揺さぶり、壁に背中を打ち付けようとする。
私はロデオのように機体にしがみつきながら、冷静に作業を続ける。
周囲の僚機が、味方ごと私を撃とうと照準を合わせる。
「……邪魔です」
私はハッキングした機体の火器管制システムを操作。
乗っている機体のマシンガンを強制発砲させ、周囲の僚機を牽制する。
ダダダダダダッ!
味方撃ちに混乱する機械軍部隊。
(データ発見。ダウンロード開始……進行率40%……60%……)
視界のプログレスバーが進む。
敵の増援が来る。ドローンの群れが押し寄せてくる。
私は左手のハンドガンでドローンを撃ち落とし、右手でケーブルを押さえ、足で機体のバランスを取る。
それはまるで、死の舞踏。
誰に見せるわけでもない、孤独で完璧なダンス。
(……ダウンロード完了)
私はケーブルを引き抜いた。
用済みだ。
「サヨナラ」
私は最後に機体の自爆シーケンスを起動させ、背中から飛び降りた。
私が空中に離脱した直後。
ドオォォォンッ!!
ハッキングされた機体が内部から爆発し、炎に包まれた。
その爆風と黒煙を隠れ蓑に、私は廃墟の闇へと姿を消す。
背後で混乱する機械軍の通信を傍受しながら、私は音もなく戦域を離脱した。
被弾ゼロ。
所要時間、三分四二秒。
完璧な仕事。
……けれど、心のどこかで思う。
「すごいねルリ!」と目を輝かせるレンがいない勝利は、ただの作業でしかない、と。
都市部への帰路、私はセーフハウス(隠れ家)として指定された廃ビルの地下駐車場へと足を向けた。
夕闇が迫り、都市の輪郭が曖昧に溶け出し始めている。
私の思考回路は戦闘モードから通常モードへと移行し、冷却ファンが静かな回転数へと落ちていく。
指定ポイントには、既に依頼主の代理人が待っていた。
全身を灰色のローブで覆い、顔すら隠した人間だ。都市防衛隊の情報将校だろう。
「……これだ」
私が差し出したデータチップを受け取り、男は携帯端末で中身を確認する。
数秒後、彼の肩が僅かに震えた。
「やはり、そうか……。奴ら、本気で『あれ』を探し出すつもりか」
独り言のような呟きを、私の聴覚センサーは逃さなかった。
「『あれ』とは? 追加情報として共有を求めます」
私が問うと、男は顔を上げ、フードの奥から鋭い視線を向けた。
「詮索は無用だ、アンドロイド。知ればお前のマスターごとお陀仏だぞ」
脅し文句。だが、その声色には明らかな恐怖が滲んでいる。
「報酬はこれだ。……いい仕事だった」
男は重たいジュラルミンケースを足元に置き、逃げるように去っていった。
私はケースを開く。中には旧時代の紙幣と、高純度のエネルギーセルがぎっしりと詰まっていた。
レンと二人、半年は贅沢に暮らせる額だ。
私はケースを閉じた。
機械軍が探しているもの。
奪取したデータの断片から推測するに、それはある特定の「座標」と、古代の「コード」に関係している。
『GENESIS(創世記)』。
その単語が、私のメモリの深層で不気味に明滅した。
だが、今の私にとって最優先事項は世界の謎を解くことではない。
この報酬(糧)を持って、あの小さなガレージへ帰ることだ。
私は廃ビルを出た。
空は既に完全に夜の帳を下ろしていた。
冷たい風が吹き抜ける。けれど、私の足取りは軽かった。
早く帰ろう。
私を待つ、あの不器用な温もりのもとへ。
アーケインの居住区、第4階層。
街灯の少ない薄暗い路地を抜け、私たちのホームであるガレージが見えてきた。
シャッターの隙間から、暖色の光が漏れている。
そして、店の前。
一人の影が、落ち着きなく行ったり来たりしているのが見えた。
レンだ。
オレンジ色のつなぎに、野球帽。手にはスパナを握りしめているが、それは作業のためというより、何かあった時に飛び出すためのお守りのように見える。
彼は時折、時計を見ては溜息をつき、暗い路地の奥を睨みつけている。
私の姿が、街灯の灯りに照らされた瞬間。
レンの表情が、劇的に変わった。
不安と恐怖に塗り潰されていた顔が、パッと輝くような安堵に彩られる。
「ルリッ!!」
彼は叫び、駆け出した。
転びそうなほどの勢いで、私の元へと走ってくる。
「レン、走ると危ないです。それに、外での待機は推奨しませ……」
私の小言は、彼の体当たりによって遮られた。
ドンッ。
レンが私の胸に飛び込んできた。
彼は私の腰に腕を回し、顔を押し付けてくる。
「よかった……! 本当によかった……!」
彼の体が震えている。
昨晩、私の裸体に触れた時とは違う震え。純粋な心配と、安堵の震えだ。
「遅いよ……! 何かあったんじゃないかって、怖かったんだから……!」
私は両手に持っていた報酬のケースと武器を地面に置いた。
そして、空いた両手で、レンの背中を抱きしめ返す。
温かい。
冷え切った夜気の中で、彼の体温だけが燃えるように熱い。
オイルの匂いと、彼の汗の匂い。
それは、鉄と火薬の匂いよりも、遥かに私を落ち着かせる香りだ。
「申し訳ありません。少し、手間取りました」
私は嘘をつく。
本当は任務など瞬殺だったけれど、彼を心配させた言い訳として。
「怪我は!? どこも壊れてない!?」
レンが慌てて体を離し、私のボディをペタペタと触って確認し始める。
肩、腕、そして……腹部。
彼の手が腹部に触れた瞬間、二人の間に一瞬だけ、昨晩の記憶が電流のように走った。
レンの手が止まる。
顔が赤くなる。
だが、彼は今度は逃げなかった。
彼は恥ずかしそうに、でも真剣な瞳で私を見上げた。
「……無事で、よかった。お帰り、ルリ」
その言葉に、私の胸のEfリアクターが、トクンと大きく脈打った。
昨晩の、欲望に濡れた獣のような彼。
そして今、子供のように純粋に私を案じる彼。
どちらもレンだ。
優柔不断で、スケベで、泣き虫で、そして誰よりも優しい、私の愛すべきマスター。
私は微笑み、彼がかぶっている野球帽の上から、頭を撫でた。
いい子、いい子、とあやすように。
「ただいま戻りました、レン。……いい子で待っていましたか?」
レンはくすぐったそうに目を細め、少しだけ拗ねたように言った。
「……子供扱いしないでよ」
「ふふ。貴方は私の可愛いマスターですから」
私は地面の荷物を拾い上げる。
「さあ、中に入りましょう。今夜は奮発して、貴方の好きなシチューを作りましょうか。……報酬、弾みましたから」
「えっ、本当!? やったぁ! 肉入り?」
「ええ、本物の肉入りです」
レンが歓声を上げ、先にガレージの中へと入っていく。
その背中を見送りながら、私は夜空を見上げた。
分厚い雲の向こうには、きっと機械軍の衛星(目)がある。
彼らは何かを探し、何かを始めようとしている。
この平穏な日常は、薄氷の上に成り立っているに過ぎない。
それでも。
私はコートの襟を直し、ガレージの光の中へと歩き出した。
世界がどうなろうと構わない。
私が守るべき世界は、この小さなガレージの中に全てあるのだから。




