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黒塗りの求婚者、あるいは略奪愛の女帝


 アーケインの空は、今日も曇天だった。

 けれど、あの絶望的な機械軍の侵攻を退けた後の空気は、どこか晴れやかに感じられた。

 ロックス・ガレージ。

 私の大切な場所であり、レンとユリとの生活の拠点。

 祝勝会から数日が過ぎ、店にはいつもの平和な日常が戻ってきていた。


「はい、修理完了です。トースターの電熱線、交換しておきましたよ」


「ありがとうレンちゃん!これでまた美味しいパンが焼けるわ」


 カウンターで近所のおばあちゃんにトースターを渡すレン。

 その笑顔は、つい先日まで戦場でオイルにまみれていたとは信じられないほど、あどけなく優しい。


「……マイスター。次の依頼だ。ラジオのチューナー調整が三件、掃除機の吸引力強化が一件」


「了解。ユリさん、ラジオの方をお願いしていい?」


「……肯定。周波数同調はお手の物だ」


 作業スペースでは、エプロン姿のユリが精密ドライバーを器用に回している。

 殺しアサシンとしての超人的な指先の感覚を、家電修理に活かす。なんとも贅沢な使い方だが、彼女自身も満更ではなさそうだ。

 私は、淹れたての紅茶の香りを楽しみながら、その光景を眺めていた。

 平和だ。

 マリーからのデータ請求攻撃も一段落し、私たちは久しぶりに穏やかな昼下がりを迎えていた。

 そう、思っていたのだが。


 ブオォォォォォン……。


 突然、店の前の通りに、不穏な重低音が響いてきた。

 それは、スラム街には似つかわしくない、大排気量の高級エンジンの音だった。


「ん?なんだろう?」


 レンが不思議そうに顔を上げる。

 キキィッ。

 タイヤが砂利を踏みしめる音と共に、ガレージの前に車が止まった。

 一台ではない。二台、三台……五台。

 全て、漆黒に塗装された超高級リムジンだ。窓ガラスはスモークで覆われ、中の様子は窺えないが、その威圧感だけで通りを歩く人々が蜘蛛の子を散らすように逃げていく。


「……警戒レベルを引き上げます」


 私は紅茶のカップを置き、瞬時に腰のホルスターに手を添えた。

 ユリもまた、ドライバーを逆手に持ち替え、銀色の瞳を細める。


「……カタギじゃないな。タイヤの沈み込みから見て、全車防弾仕様だ」


 ユリが低く呟く。

 バタン、バタン。

 ドアが一斉に開き、中から男たちが降りてきた。

 全員が同じ黒いスーツにサングラス、耳にはインカム。その懐が不自然に膨らんでいるのは、あからさまに銃器を携帯している証拠だ。


「……レン、私の後ろへ」


 私はレンを背後に庇い、一歩前に出た。

 どう見ても一般客ではない。裏社会の人間だ。

 みかじめ料の徴収か、あるいは先日の戦闘での活躍を聞きつけたスカウトか。いずれにせよ、関わってロクなことにならない手合いだ。

 男たちが整列し、ガレージへの道を作る。

 その中央を、一人の人物がゆっくりと歩いてきた。


「……ごめんあそばせ」


 鈴を転がすような、しかし絶対的な響きを持つ少女の声。

 現れたのは、この薄汚れた下町にはあまりに場違いな、豪奢な真紅のドレスを纏った少女だった。

 艶やかな黒髪を縦ロールにし、手には優雅なレースの扇子。

 年齢はレンと同じくらいだろうか。しかし、その身に纏うオーラは、百戦錬磨の将軍のように鋭く、重い。

 私はデータベースを検索し、即座に彼女の正体を特定した。

 そして、戦慄した。


 【対象識別:花園ラクシーヌ(一六歳)】

 【所属:花園工業・代表取締役会長】

 【備考:アーケイン都市・裏社会最大組織『花園会』総帥】


 この都市の心臓部である「エネルギー反応炉」の管理をホープライト社と共に任されている大財閥のトップにして、泣く子も黙る闇の女帝。

 表の顔は美少女会長、裏の顔は冷酷なマフィアのボス。

 マリーが「光の変人」なら、この少女は「闇の支配者」だ。


「……ようこそ、ロックス・ガレージへ」


 私は努めて冷静に声をかけた。声帯の震えを抑制する。


「花園工業の会長様が、このようなむさ苦しい場所に何のご用でしょうか?」


「あら、私の顔を知っているのね。優秀なメイドさんだこと」


 ラクシーヌは扇子で口元を隠し、クスクスと笑った。

 その瞳は、獲物を値踏みする蛇のように冷たい。


「単刀直入に言いますわ。……ここが、噂の『神の手』を持つ整備士がいる店かしら?」


「お引き取りください」


 私は即答した。


「当店は一般向けの修理屋です。貴女様のような方のご依頼を受ける余裕はありませんし、裏社会の抗争に関わるつもりもございません」


 一歩間違えれば、ガレージごと消されかねない相手だ。

 丁重に、しかし断固として拒絶する。

 すると、ラクシーヌの背後に控えていた黒服の男たちが、一斉に殺気立った。


「おいコラァ!会長に向かってなんだその口の利き方は!」

「鉄屑風情が!スクラップにされたいのか!」


 男たちが懐に手を伸ばす。

 ユリが音もなく私の横に並び、殺気を解き放つ。

 一触即発。


「おやめなさい」


 ラクシーヌの一言で、男たちは石のように静止した。

 絶対的な統率力。


「わたくしは、喧嘩をしに来たわけではありませんの。……純粋に、修理の依頼に来ただけですわ」


 彼女は黒服の一人から、ベルベットの布に包まれた「何か」を受け取った。

 そして、それを大事そうに抱きかかえ、私。いいえ、私の背後にいるレンを真っ直ぐに見つめた。


「……他では、もう直せないと言われましたの。部品もない、寿命だと。……でも、ここなら直せると聞きました」


 彼女が布をめくる。

 そこにいたのは、塗装が剥げ落ち、関節が錆びついた、旧式の犬型ペットロボットだった。


「……見せていただけますか?」


 私の背後から、レンが出てきた。


「レン!危険です!」


「大丈夫だよ、ルリ」


 レンは私の制止を振り切り、ラクシーヌの前に歩み寄った。

 黒服たちが威圧的な視線を向けるが、レンの目は彼らを見ていない。

 彼が見ているのは、ラクシーヌの腕の中にいる、動かなくなった小さなロボットだけだ。


「……古い型だね。大戦前のモデルかな」


 レンは屈託なくラクシーヌに話しかけた。

 相手が裏社会の女帝だろうが関係ない。彼にとっては「困っている依頼人」でしかないのだ

「え、ええ……」


 ラクシーヌは少し毒気を抜かれたような瞬きをした。


「『バロン』という名前ですわ。……先日、急に動かなくなってしまって。ホープライト社の正規サービスセンターにも持ち込みましたけれど、古すぎて対応できないと……」


「見せてもらってもいい?」


 レンが手を差し出す。

 ラクシーヌは一瞬ためらったが、レンの真っ直ぐな瞳に気圧されるように、そっとバロンを渡した。

 レンはバロンを受け取ると、愛おしそうにそのボディを撫でた。

 金属の冷たさではなく、そこに宿る温かさを確かめるように。


「……ガレージへどうぞ。ここじゃ埃が入っちゃうから」


 レンは踵を返し、店の中へと入っていく。


「あ、おい! 勝手な真似を!」


 黒服が叫ぶが、ラクシーヌはそれを手で制した。


「……行きますわよ」


 彼女はドレスの裾を翻し、レンの後を追ってガレージへと足を踏み入れた。


 店内。

 レンは作業台にバロンを寝かせ、工具を並べ始めた。

 私もユリも、警戒を解かずに配置につく。ユリはレンの助手に、私はラクシーヌの監視役だ。


「……始めます」


 レンがドライバーを握る。

 その瞬間、彼の纏う空気が変わった。

 少年のあどけなさが消え、熟練のマイスターの顔になる。


 カチャ、カチャ。


 静かな作業音が響く。

 外装が外され、内部機構が露わになる。

 一〇〇年以上前の、骨董品レベルの回路。配線は劣化し、ギアは摩耗しきっている。

 常識的に考えれば、これはもう「死んでいる」機械だ。

 修理するコストで、最新型のペットロボットが十台は買えるだろう。


「……ひどい状態でしょう?」


 ラクシーヌが自嘲気味に呟いた。


「わかっていますの。もう寿命だと。……新しいものを買えばいいと、部下たちも言いますわ」


 彼女は扇子を強く握りしめた。


「でも……嫌なのです。バロンじゃなきゃ、意味がないのです」


 その声は震えていた。

 冷酷な女帝の仮面の下にある、一六歳の少女の素顔。


「……わかりますよ」


 作業の手を止めずに、レンが言った。

 彼の手は、複雑に絡まった配線を、まるで外科手術のように慎重に解きほぐしていく。


「このロボット……すごく、大切にされてたんですね」


 レンの声は優しかった。

「え……?」


「わかります。ギアの摩耗の仕方が、無理な使い方のそれじゃないんです。何度も何度も撫でられて、抱きしめられて、それで擦り減った跡だ」


 レンは内部の小さな部品をピンセットで摘み上げた。


「それに、ここ。……昔、誰かが修理した跡がある。不器用だけど、一生懸命直そうとした跡だ」


 ラクシーヌは息を呑んだ。


「……父ですわ」


 彼女はポツリと語り始めた。


「私が小さい頃、父が直してくれたのです。……父も母も、もういませんけれど。このバロンだけが、家族の思い出を知っている最後の存在なのです」


 裏社会のトップとして君臨するために、彼女は甘えや弱さを切り捨ててきたのだろう。

 だが、この小さなロボットの前でだけは、彼女は「花園家の娘」に戻れるのだ。


「……直りますか?」


 ラクシーヌが縋るように尋ねる。

 レンは顔を上げ、汗を拭った。

 そして、ニカッと笑った。


「任せてよ。……壊れたんじゃない。寿命が来るまで、たくさん愛されただけだ。そんな幸せなロボット、僕が絶対に直して見せるよ!」


「ユリさん、〇・二ミリのワイヤーと、接点復活剤!」


「……了解。供給する」


 レンの瞳に火が点いた。

 それは技術者としての意地であり、何より「想い」を守ろうとする優しさだった。

 その横顔を、ラクシーヌが呆然と、しかし熱っぽい視線で見つめていることに、私はまだ気づいていなかった。


 チッ、チッ、チッ、チッ……。


 ガレージに、時計の針の音だけが響く。

 レンの作業は、既に三時間を超えていた。

 額に玉のような汗を浮かべ、それでも彼の手は止まらない。

 傍らでは、ユリが無言で必要な工具を、レンが手を伸ばすコンマ一秒前に手渡している。阿吽の呼吸だ。

 後ろで見守るラクシーヌは、最初は椅子に座って優雅に構えていたが、今はもう立ち上がり、作業台のすぐそばで、祈るように手を組んで見つめていた。


「……できた」


 レンが小さく息を吐き、ドライバーを置いた。

 作業台の上には、組み上がったバロンが横たわっている。

 外装の錆びは落とされ、レンの手によって丁寧に磨き上げられていた。

 内部の断線していた回路は全てバイパス手術で繋ぎ直され、摩耗したギアには特殊なコーティングが施されている。


「……直ったのですか?」


 ラクシーヌが恐る恐る尋ねる。


「うん。……あとは、彼が起きるのを待つだけだよ」


 レンはバロンの背中にあるメインスイッチを、カチリと押した。

 沈黙。


 一秒、二秒、三秒。


 ヴィ……ヴィィン……。


 微かな駆動音が鳴った。

 バロンの瞳(LEDランプ)が、チカチカと点滅し、そして、温かいアンバー色に灯った。


「ワフッ!」


 電子音が響く。

 バロンが首を振り、ゆっくりと、しかし力強く四本の脚で立ち上がった。

 その人工知能が周囲をスキャンし、一人の少女を認識する。


「ワンッ!ワンッ!クゥ~ン……」


 バロンは尻尾を激しく振りながら、作業台から飛び降り、ラクシーヌの足元に駆け寄った。

 彼女のドレスの裾に顔を擦り付け、甘えるように鳴く。

 それは、ただのプログラムされた動作ではない。

 「大好きな主人に再会できた喜び」そのものだった。


「……バロン」


 ラクシーヌが膝をつく。

 彼女の大きな瞳から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。


「ああ……バロン、バロンっ……!ごめんね、寂しかったわよね……!」


 彼女は汚れも気にせず、オイルの匂いがするロボットを抱きしめた。

 バロンもまた、彼女の頬を金属の舌で舐める。

 そこにはもう、裏社会の女帝の姿はなかった。

 亡き両親の思い出を取り戻し、泣きじゃくる一人の少女がいるだけだった。


「……よかったね」


 レンがタオルで手を拭きながら、優しく微笑んだ。


「彼、ずっと待ってたんだよ。もう一度、君に抱きしめてもらうのを」



 しばらくして。

 泣き止んだラクシーヌは、バロンを従者に預け、レンに向き直った。

 化粧は少し崩れてしまっているが、その表情は晴れやかで、先ほどまでの冷徹さとは違う、熱っぽい輝きを帯びていた。


「……ありがとう、レン様」


 彼女はレンの手を取った。


「貴方は魔法使いですわ。……お金や権力ではどうにもならなかった時間を、貴方は直してくださった」


「え、あ、いや……僕はただの修理屋だから……」


 レンが照れて頭をかく。

 その無防備な笑顔を、ラクシーヌはじっと見つめ、そして。


 チュッ。


 軽い、けれど明確な音がした。

 ラクシーヌが背伸びをし、レンの唇に自分の唇を重ねたのだ。


「――――へ?」


 レンが石化した。

 顔が瞬時に茹でダコのように真っ赤になる。


「なっ……!?」


 私の思考回路がショートした。

 ユリが持っていたドライバーを床に落とした。

 ガレージ内の時間が止まる。

 ラクシーヌは悪戯っぽく微笑み、レンから離れた。


「お礼ですわ。……ファーストキスではなかったかしら?」


「あ、あわ、あわわわ……」


 レンは言葉にならない音を発しながら、助けを求めるように私の方を見た。


「あの、ラクシーヌ様!?」


 私が抗議しようと一歩踏み出すと、ラクシーヌが手でそれを制した。


「貴方のこと、気に入りましたわ」


 彼女はレンの胸板に指を這わせる。


「腕は超一流。性格は純朴で優しく、そして何より……私の心を動かしました」


 彼女の瞳が、狩人のそれに変わる。


「どなたか、恋人はいらっしゃるのかしら?」


 レンはパニックになりながら、チラリと私を見た。

 私は深呼吸をし、レンの横に立って、彼の肩をしっかりと抱いた。


「……はい。私が、マスターのパートナーです」


 毅然と言い放つ。

 たとえ相手が誰であろうと、これだけは譲れない。

 ラクシーヌは私を見上げ、そして鼻で笑った。


「あら、そう。……アンドロイド風情が」


 彼女は扇子を開き、口元を隠した。

 その隙間から見える目は、笑っていない。本気だ。


「でも、関係ありませんわ」


 彼女はレンの顎を、扇子の先でクイと持ち上げた。


「わたくし、花園ラクシーヌは、欲しいものは何でも、どんな手を使っても、必ず手に入れますの」


 ゾクリ、と背筋が凍るような宣言。

 それは恋の告白というより、略奪の予告だった。


「レン様も、いただいていきますわね? ……覚悟しておいてくださいませ」


「えええええええ!?」


 レンの絶叫が響く中、ラクシーヌは優雅に踵を返した。


「代金は、これだけあれば足りるかしら?」


 黒服の男が、分厚い札束の束(修理代の百倍)を作業台に置く。


「それでは、ごきげんよう。……私の未来の旦那様」


 彼女は投げキッスを残し、バロンと共にリムジンへと乗り込んだ。

 黒塗りの車列は、再び重低音を響かせ、嵐のように去っていった。


 後に残されたのは、呆然とするレンと、札束の山。

 そして、静かに、しかし激しく燃え上がる嫉妬の炎を纏った二人。


「……キス、された」


 レンが唇を押さえて呟く。


「レン」


 私は低い声で呼ぶ。


「はいっ!?」


「……消毒が必要です」


 私はレンに詰め寄った。

 笑顔だが、目は笑っていない自信がある。

 まさか、こんな強敵が現れるとは。

 権力、財力、美貌。そして何より、レンと同じ「人間」であるという絶対的なアドバンテージ。

 マリーのような変人ならまだしも、あんな直球で来られたら、レンが流されない保証はない。


「……マイスター。緊急事態だ」


 ユリが反対側からレンの腕を掴んだ。

 その力は万力のように強い。


「対象:花園ラクシーヌ。脅威レベル最大マックス。……貞操の危機だ」


「え、ちょ、二人とも?顔が怖いよ……?」


 レンが後ずさりするが、逃げ場はない。壁際まで追い詰められる。


「渡しません」


 私はレンを正面からギュッと抱きしめた。


「あんな泥棒猫に、私の大切なマスターは渡しません。……貴方は、私のものです」


「そ、そうだけど、苦しい……!」


「……確保する」


 ユリが背後からレンを抱き込み、拘束する。


「身柄を保護観察下に置く。……他の女の匂いなど、上書きして消去する」


 ユリがレンの首筋に顔を埋め、深呼吸をする。


「わ、わわっ!くすぐったいよユリさん!ルリも力が強いよぅ!」


 ガレージのリビングで、私たちはレンをサンドイッチにして、その温もりと所有権を確かめ合った。

 新たなライバルの出現は、私たちの家族愛(と独占欲)を、より一層強固なものにしたのだった。

 窓の外では、夕日が沈んでいく。

 アーケインの街に、また一つ、厄介で騒がしい火種が生まれた瞬間だった。



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