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20/21

勝利の美酒、暴君の着信


 アーケイン都市の中央区画、普段は富裕層しか立ち入らない一角にある、都市最高級レストラン『エトワール』。

 クリスタルガラスのシャンデリアが煌めき、磨き上げられた大理石の床が光を反射するその店は今夜、これまでにない熱気と喧騒に包まれていた。


「かんぱぁぁぁぁぁいッ!!」


 無数のグラスがぶつかり合う音が、オーケストラの演奏のように響き渡る。

 店内にいるのは、ドレスアップした紳士淑女ではない。

 煤とオイルの匂いが染み付いた軍服姿の防衛隊員たち、そして、私たちロックス・ガレージの一行だ。


「好きなだけ食え!今日は俺の奢りだ!遠慮する奴は営倉にぶち込むぞ!」


 テーブルの中央で、バリアント隊長が豪快にワイングラスを掲げている。

 今日の戦闘でボロボロになったコンバットスーツから、少しサイズの合わない貸衣装のタキシードに着替えているが、その野性味あふれる存在感は隠しようがない。


「いただきますッ!」


「……感謝する。タンパク質の宝庫だ」


 レンとユリは、目の前に並べられた料理。霜降りのバイオ牛ステーキ、巨

大なロブスターのテルミドール、トリュフを散らしたリゾットに目を輝かせ、猛然と食らいついた。


 ガツガツ、ムシャムシャ。


 高級レストランのマナーなどどこ吹く風。

 生きていることの実感を噛み締めるように、二人は一心不乱に食べている。


「おいしい!これすごくおいしいよルリ!」


「……肯定。舌の受容体が歓喜している。脂質の暴力だ」


 レンの口元はデミグラスソースで汚れ、ユリの頬にはパン屑がついている。

 私は苦笑しながら、ナプキンを手に取った。


「もう……レンもユリも、もう少し落ち着いて食べてください」


 私はレンの口元を優しく拭い、次にユリの頬の汚れを取った。


「あ、ありがとうルリ……へへへ」


「……恩に着る。食べることにリソースを全振りしていた」


 二人の世話を焼いていると、向かいの席でバリアント隊長が、頬杖をつきながらニヤニヤとこちらを見ていた。


「……なんだ。恋人っていうより、完全にオカンだな」


「あら、心外です」


 私はすまして紅茶を啜った。


「私は『完璧なメイド』として振る舞っているだけですよ」


「はいはい、そういうことにしておいてやるよ」


 バリアント隊長は愉快そうに笑い、赤ワインを煽った。

 彼の視線が、店内の他のテーブルへと向く。

 そこには、生き残った隊員たちが、肩を組み、歌い、笑い合っている姿があった。

 窓の外を見れば、広場に集まった市民たちが、都市防衛の成功を祝って焚き火を囲んでいるのが見える。

 誰もが、笑っていた。

 数時間前まで、絶望的な死の淵にいたとは思えないほどに。


「……いい景色だろ?」


 バリアントがポツリと言った。

 その声色からは、先ほどまでの豪快さが消え、どこか父親のような温かさが滲んでいた。


「俺はな、この笑顔を見るためなら、何だってできるんだ」


 彼はグラスの中で揺れる赤い液体を見つめた。


「高尚な理念とか、国家への忠誠とか、そんなもんはどうでもいい。俺はただ、俺の街の連中が、明日もこうやって馬鹿スカ食って、笑って暮らせればそれでいい。……そのために、俺はあの鉄のガンダルヴに乗って、チェーンソーを振り回してるのさ」


 単純明快。

 けれど、何よりも強固な信念。

 彼がなぜ、あんな無茶苦茶な戦い方で、部下を鼓舞し続けられるのか。その理由がわかった気がした。

 彼はヒーローになりたいわけじゃない。

 ただの、この街の「頼れる兄貴」でありたいだけなのだ。


「……僕も、同じです」


 口の中の肉を飲み込んで、レンが真剣な表情で言った。

 一六歳の少年とは思えない、芯の通った瞳。


「僕はパイロットじゃありません。バリアントさんみたいに、最前線で敵をなぎ倒すことはできません。……でも」


 レンは隣に座る私とユリの手を、テーブルの下でそっと握った。


「僕には、守りたい家族がいます。ルリと、ユリさんと……この街のみんな。……彼らが傷ついた時、すぐに治してあげられるように。二度と壊れないように強くしてあげられるように。……そのために、僕は毎日工具を握ってます」


 戦う者と、直す者。

 役割は違えど、その根底にある「守りたい」という想いは同じ。

 バリアント隊長は目を細め、そして嬉しそうに口角を上げた。


「……へぇ。いい面構えになったな、少年」


 彼は身を乗り出した。


「ほう、直す側か。……なら聞きたいんだが、整備士としての意見を聞かせてくれ。俺のガンダルヴの『ギガントチェーンソー』だがな、全開で回すと右肩のサスペンションが悲鳴を上げやがるんだ。トルク配分がおかしいのか?」


 そこからは、男たちのディープな時間の始まりだった。

 レンの目の色が変わり、技術者マイスターモードに切り替わる。


「あー、それは多分、回転モーメントに対するカウンターウェイトの不足ですね。一八連装なんて重量物を回せば、ジャイロ効果で機体が右に持っていかれます。肩のサスペンションを強化するより、腰部のバランサープログラムを書き換えて、遠心力を逃がす挙動をオートで組み込んだ方がいいです」


「なるほど!力技で抑え込むんじゃなくて、受け流すってことか!目から鱗だぜ!」


「あと、プラズマ動力炉の直結パイプですが、あれだと排熱がチェーンソーの基部に干渉して、長時間稼働すると焼き付きますよ。バイパス管を一本通して、冷却液を循環させれば……」


「マジか!整備班の奴ら、そこまで気づかなかったぞ!お前、天才か!?」


 テーブルの上には、ステーキ皿の代わりにナプキンが広げられ、そこにレンが持参したペンで複雑な回路図や数式が書き殴られていく。


「ここのアクチュエーターの応答速度を〇・〇二秒上げれば、隊長の反射神経にも追いつけます」


「おおっ!そこだ!そこがいつもワンテンポ遅れるんだよ!」


 飛び交う専門用語。

 流体パルス、降伏応力、ニューラルリンケージの最適化。

 二人の周りには、私とユリには入り込めない「鋼鉄の結界」が張られていた。


「……マイスターが、遠い世界へ行ってしまった」


 ユリが遠い目をして、四皿目のデザート(パフェ)をスプーンで突き崩している。


「あの会話の理解度は五%未満だ。……ルリ、通訳を求む」


「ふふ、無理に理解しなくていいんですよ」


 私は微笑ましくその光景を眺めていた。

 レンが、こんなにも楽しそうに、対等な立場で大人と話している。

 いつもガレージに籠もりがちだった彼が、外の世界の、しかもあんな豪快な英雄と心を通わせている。

 それが、母親……いいえ、恋人として、誇らしくてたまらなかった。

 男の子というのは、幾つになっても、鉄と油の匂いがする玩具の前では少年なのだ。


 宴は深夜まで続いた。

 賑やかで、騒がしくて、最高に美味しい時間は、瞬く間に過ぎ去っていった。


「……じゃあな、少年!今度ガレージに遊びに行くぜ!ガンダルヴの調整、頼んだぞ!」


「はい!いつでも待ってます!バリアントさん!」


 店の前で、レンとバリアント隊長は固い握手を交わした。

 それは単なる依頼人と整備士の関係を超えた、戦友としての握手だった。

 私たちは千鳥足のバリアントに見送られ、ガレージへの帰路についた。

 夜風が、火照った頬に心地よい。

 レンは興奮冷めやらぬ様子で、私の手を握りながら、バリアントの機体の素晴らしさを語り続けている。

 平和だ。

 昨日の地獄が嘘のような、穏やかな夜。


 一方。

 私たちが去った後のレストランの前。

 一人になったバリアントの前に、闇から染み出すように一人の男が現れた。


「……おや、隊長。ご機嫌ですね」


 仕立ての良いスーツ。冷ややかな美貌。

 都市司令部・特別監察官、アンドリューだ。


「……おう、アンドリューか。悪いな、奢る金はもう残ってねぇぞ」


 バリアントは酔いを一瞬で醒まし、ニヤリと笑った。


「いえ、食事は結構。……どうでしたか? 例の少年は」


 アンドリューは表情を変えずに問う。

 その瞳は、値踏みをするような冷徹な光を帯びていた。

 バリアントは夜空を見上げた。

 今日の戦いで、レンが後方支援で見せた手腕。

 そして先ほどの会話で見せた、底知れない知識と情熱。


「……まだまだガキンチョだ。礼儀もなってねぇし、飯の食い方も汚ねぇ」


 バリアントは肩をすくめた。

 そして、アンドリューの方を向き、断言した。


「だが、俺が知る限り最高の整備士マイスターだよ。……あいつがいれば、この街の防衛隊はもっと強くなる」


 それは、現場の叩き上げからの、最大級の賛辞だった。


「……そうですか」


 アンドリューは満足げに頷いた。


「貴方がそこまで言うのなら、間違いありませんね。……やはり彼は、計画プランに組み込む価値がある」


「あん? 何か言ったか?」


「いえ、独り言です。……さあ、司令部へ戻りましょう。報告書作成という名の『戦い』が待っていますよ」


「うげぇ……思い出したくねぇ……」


 二人の男は、夜の闇へと消えていった。

 その背中で何が動き出しているのか、私たちはまだ知る由もなかった。



 日付が変わる頃。

 私たちはようやく、住み慣れたロックス・ガレージへと帰還した。


「たっだいまー……」


 レンが靴も脱がずに、リビングのソファへダイブする。

 お腹はいっぱい、胸もいっぱい。そして何より、今日の激戦と興奮による心地よい疲労感が、彼を襲っていた。


「……ふぅ。平和だ」


 ユリもまた、いつもの定位置(部屋の隅のパイプ椅子)ではなく、ソファの端に座り込んで大きく息を吐いた。

 私もジャケットを脱ぎ、ハンガーに掛けながら、この静寂を噛み締めていた。

 明日からはまた、いつもの日常が始まる。

 壊れた機械を直し、お茶を飲み、笑い合う日々。

 そう思っていた。


 ブゥンッ!!


 突然、リビングの壁一面にあるメインモニターが、操作もしていないのに強制起動した。

 ホワイトノイズが一瞬走り、次の瞬間、画面いっぱいに「彼女」の顔がドアップで映し出された。


『データァァァァァァァッ!!データをよこしなさいッ!!今すぐッ!!』


 スピーカーが音割れするほどの絶叫。

 ホープライト社社長、マリー・ホープライト様である。

 背景は薄暗い研究室。彼女の髪はボサボサで、目の下にはクマができているが、その瞳は狂気じみた情熱で爛々と輝いていた。


「うわぁっ!?マ、マリー!?」


 飛び起きたレンが悲鳴を上げる。


「びっくりした!な、なになに!?」


『何じゃないわよ!今日の戦闘よ、戦闘!』


 マリーが画面越しに詰め寄ってくる。


『衛星映像で見てたわよ!私の可愛いホープライト改(2号機)の活躍!南部大剣を囮作戦で撃破!?最高よ!素晴らしいわ!……で、その時の詳細データは!?』


「え、えーと……」


 私が口を開こうとすると、マリーが被せてくる。


『推進剤の消費率グラフ!各関節のアクチュエーター負荷係数!南部大剣に捕まれた時の装甲歪曲率!全部よ!一秒も惜しいの!今すぐ解析して次の改修プランに組み込むんだから、さっさと送りなさい!』


「ま、待ってよマリー!」


 レンが慌てて割って入る。


「今日はみんな疲れてるんだよ。大規模戦闘の後だし、もう遅いから……明日の朝一番じゃダメかな?」


『ダメッ!!』


 即答。慈悲はない。


『鉄は熱いうちに打て!データは鮮度が命!明日になったら私のインスピレーションが冷めちゃうでしょ!今!すぐ!なう!』


 マリーがバンバンと机を叩く。

 完全に「マッドサイエンティスト・モード」に入っている。こうなると、誰も彼女を止められない。


『それと、そっちの銀色!ユリ!』


「……私か?」


 ユリが嫌そうな顔をする。


『貴女の生身戦闘データもよこしなさい!南部大剣の腕を斬り落とした時の筋肉出力と、ブレードの振動周波数!人間の限界を超えた動き、今後のパワードスーツ制御の参考にするから!』


「……拒否権は?」


『ないわよ! 給料(メンテナンス費)分は働きなさい!』


 はぁ、と私とユリは同時にため息をついた。

 これでは、どちらが機械軍かわからない。こちらの平和を容赦なく侵略してくる。


「……仕方ありませんね。送りましょう、ユリ」


「……了解。あのチビ社長、一度黙らせないと安眠できない」


 私たちはソファに座り直し、首筋にある外部接続コネクター(インターフェース)を開いた。

 ガレージの通信ケーブルを引き出し、直結する。


 ピロリロリ……。


 電子音が鳴り、脳内のブラックボックスに記録された膨大な戦闘ログが、暗号化されてホープライト社のサーバーへと吸い上げられていく。

 少し頭が重くなる感覚。

 プライベートな記憶まで覗かれないように、フィルタリングをかけるのも忘れない。


『ん~~~ッ!キタキタキタァ!素晴らしいデータ量!あぁん、このグラフの曲線美、たまらないわぁ!』


 送られてきたデータをリアルタイムで確認し、マリーが恍惚の表情を浮かべる。


『よし!いい子ね!これさえあれば、ホープライトはもっと完璧になれるわ!』


 マリーは満面の笑みでサムズアップした。


『じゃ、おやすみ!いい夢見なさいよ!』


 ブツンッ。

 嵐のように現れ、嵐のように去っていった。

 リビングに、再び静寂が戻る。


「……疲れた」


 レンがげっそりとした顔で呟く。


「戦闘より疲れたかも……」


「……同感だ。エネルギーを無駄に消費した」


 私たちは顔を見合わせ、そして小さく笑い出した。

 まあ、これも日常だ。

 あの騒がしい社長がいる限り、私たちは退屈することはないだろう。


「……ねえ、ルリ、ユリさん」


 レンが眠そうな目をこすりながら言った。


「今日は……一緒に寝てもいい?」


 その言葉に、邪な響きはない。

 ただ、家族の温もりを感じながら眠りたいという、純粋な甘え。

 昨日の恐怖を乗り越え、今日の勝利を分かち合った私たちには、言葉以上の繋がりが必要だった。


「ええ、もちろんですよ」


「……許可する。川の字フォーメーションだな」


 私たちはレンの寝室へ移動した。

 普段はレン一人が使うシングルベッドだが、今日は床に予備のマットレスを敷き、毛布を広げて即席の「巨大ベッド」を作った。

 真ん中にレン。

 右側に私。

 左側にユリ。

 電気を消すと、窓から差し込む月明かりだけが部屋を照らした。


「……おやすみ、ルリ。おやすみ、ユリさん」


 レンが私たちの手を握る。

 温かい。

 右と左から伝わってくる、大切な人たちの体温。


「おやすみなさい、レン」


「……安らかに眠れ、マイスター」


 レンはすぐに寝息を立て始めた。

 その寝顔は、世界中のどんな宝石よりも美しく、安らかだった。

 私たちもまた、システムの警戒レベルを最低まで落とし、深いスリープモードへと落ちていった。

 今夜だけは、夢も見ないほど深く。

 幸せな闇の中で。



 一方その頃。

 ホープライト社本社ビルの最上階、社長室兼研究ラボ。


 カタカタカタカタカタカタッ……!


 深夜だというのに、キーボードを叩く高速の打鍵音が響き渡っていた。

 マリー・ホープライトは、大量のカフェイン錠剤とチョコレートを交互に口に放り込みながら、モニターの光に照らされていた。


「なるほどね……推進剤不足の原因は、急激なG変動による燃料ポンプのキャビテーション(空洞現象)か。……タンクを増やすより、燃焼プログラムの圧縮比を変えれば……」


 彼女の脳内では、数式と図面が目まぐるしく回転していた。

 天才的なひらめきが、次々と問題を解決していく。

 ルリとユリから送られてきたデータは宝の山だった。これを解析すれば、ホープライトは完成形へと近づく。


「……ん?」


 不意に、マリーの手が止まった。

 モニターの隅に表示されていた、ルリの「深層システムログ」のグラフに、奇妙なノイズが混じっていたのだ。


「何これ……?戦闘中じゃないわね。……数日前?」


 それは、ちょうど、プロジェクトが一時凍結され、レンたちがガレージでルリのメンテナンスを行っていた日時のログだった。


「バイタルが一時的に不安定になって……エラー発生。でも、すぐにシステムによって隠蔽されてる」


 マリーの目が細められた。

 技術者としての勘が告げている。

 これはただのバグじゃない。

 誰かが意図的に隠した、あるいは「見なかったことにした」痕跡だ。


「場所は……ロックス・ガレージの地下倉庫」


 マリーはキーボードを叩いた。

 ルリが送信時にかけたフィルタリング。普通のハッカーなら突破不可能だが、マリーは世界最高の天才だ。

 彼女は裏口バックドアから、その隠されたエラーコードの深層へと潜っていった。


「見つけた。……何かのデバイスを摘出して、隠蔽したログね」


 画面に、復元された文字列が浮かび上がる。

 それは、ルリの体内にあった「ブラックボックス」の識別IDだった。

 古代の言語。

 あるいは、神の言葉。


 【Target ID: GENESIS - Key Code 001】


「……は?」


 マリーの手が止まった。


 口からチョコレートがこぼれ落ちる。

GENESISジェネシス……?『創世記』……?」


 その単語は、ただのプロジェクト名ではない。

 旧時代の文献、あるいは裏社会の噂でしか聞いたことのない、都市伝説級のタブー。

 世界をひっくり返す、禁断の鍵。


「嘘でしょ……。ルリ、貴女の体の中に何が入ってたの?」


 マリーは震える手で、ログの続きを読み解こうとした。

 ロックス・ガレージの地下。

 あそこの床下に、今もそれが眠っているとしたら。


「……レンは知ってるの?それとも……」


 モニターの青白い光が、マリーの驚愕の表情を不気味に照らし出していた。

 平和な祝勝会の夜。

 誰も知らない場所で、パンドラの箱の蓋は、再び少しだけ開いてしまったのだった。

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