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硝子の主、鋼の守護者


 システム、再起動。

 視界(HUD)に白い電子の文字列が滝のように流れ落ちる。


『SYSTEM CHECK... ALL GREEN.』

『Ef-REACTOR... OUTPUT NORMAL.』

『MEMORY INTEGRITY... VERIFYING.』


 意識が浮上する。

 私の世界は、0と1の奔流から、色彩と音のある現実へと再構成されていく。

 まず認識したのは、胸の奥で一定のリズムを刻む鼓動音だ。

 シュン、シュン、シュン……。

 開発者エミリア・ヴィクトール・フランケンシュタイン博士が遺した奇跡の心臓、Efリアクター。そのアイドリング音が、私の生存証明だ。

 現在時刻、AM06:00。

 場所、中規模都市アーケイン第4階層、個人整備ガレージ。

 私は整備用ベッドの上で体を起こした。関節駆動系が微かな唸りを上げ、人工筋肉が収縮する。

 ガレージの中は薄暗く、オイルと古い鉄の匂いが充満している。

 その部屋の隅、破れたソファの上で、私のマスター、レンが毛布にくるまって眠っていた。

 私はベッドから降り、音もなく彼に近づく。

 スキャン開始。

 体温三六・五度。心拍数六二。呼吸深度正常、REM睡眠状態。

 丸まった背中。無防備な寝顔。

 その姿は、この過酷な世界で生きるにはあまりにも脆く、儚い。装甲を持たない有機生命体オーガニック。硝子細工のような私の主。

 ……けれど、私は知っている。

 この無垢な寝顔の裏に隠された、彼の「雄」としての本能と、ドロドロとした葛藤を。


『ログ・ファイル「2642_05_21_AM0215」を展開しますか?』


 私の思考回路プロセッサが問いかけてくる。

 私は躊躇なく【YES】を選択した。

 視界のウィンドウに、昨晩の記録が再生される。

 それは、私がスリープモード(低電力待機状態)に入っていた間の出来事だ。

 視覚情報は遮断されていたが、触覚センサー、聴覚センサー、嗅覚センサーは、周囲の状況を鮮明に記録していた。


 時刻はAM02:15。丑三つ時。

 ガレージの静寂を破ったのはレンの足音だった。

 普段の彼なら立てないような、重く、引きずるような足取り。

 彼はスリープ中の私のベッドの横に立ち、荒い呼吸を繰り返していた。

 ハァ、ハァ、ハァ……。

 酸素摂取量が異常に多い。心拍数は一四〇を超えている。まるで全力疾走した直後のようだ。

 ガサッ。

 衣擦れの音。

 そして、熱源が近づく。

 私の右太腿の触覚センサーが、生暖かい「手」の感触を感知した。

 レンの手だ。だが、いつもの整備の時の手つきとは違う。

 湿っている。大量の発汗。そして、指先が震えている。


「……ルリ……」


 耳元で囁かれた声は、熱っぽく潤んでいた。

 彼の手が、私の太腿を這い上がってくる。

 軍服の生地越しに伝わる、彼の体温。それは異常なほど高かった。

 人間の男性における、性的興奮状態を示すバイタルサイン。

 私の機体構成スペックはType.ASのキメラ仕様だ。

 Type.A(強襲型)の戦闘能力に加え、Type.S(愛玩奉仕型)の機能も有している。

 Type.Sの皮膚は、人間の触感を完璧に模倣し、相手に快楽を与えるように設計されている。下腹部には疑似生殖器が内蔵され、洗浄と潤滑液の分泌機能、収縮機能を持つ。

 レンがそれを望めば、私は機能として応じることができる。

 それが、Type.Sの存在意義レゾンデートルだからだ。

 彼の手が、私の腰に触れる。

 そして、震える指先が、私のインナーの裾をゆっくりと捲り上げた。

 外気に晒される私の腹部。

 そこに、レンの顔が埋められた。


「はぁっ、はぁっ……いい匂いだ、ルリ……」


 彼は私の肌に頬を擦り付けた。

 柔らかい唇が、へそのあたりを這う。彼の鼻腔から漏れる熱い呼気が、私の腹部温度センサーを刺激する。

 そして、何か硬く、熱を持ったものが、私の脚に押し付けられる感触。

 彼の股間が膨張し、限界まで充血していることを私のセンサーは物理的に検知していた。

 本能のままに突き動かされる、若い雄の衝動。

 抱いて。

 このまま、僕のモノにしてしまいたい。

 言葉には出さない叫びが、彼の全身から発せられていた。

 彼の手が、私の胸へと伸びる。

 Type.Sとして豊満に作られたその膨らみを、彼の手のひらが鷲掴みにする。

 強い力。痛覚センサーが警告アラートを出す一歩手前の圧力。

 彼は貪るように私の体をまさぐった。

 スリープ中の、動かない私を。抵抗しない人形を。

 だが。

 最後の一線、下着の中に手を入れようとした瞬間、彼の動きが止まった。

「……っ、うぅ……!」


 嗚咽。

 情欲の喘ぎではなく、苦痛に満ちた泣き声。

 胸を掴んでいた手が、力を失って滑り落ちる。


「……何やってんだ、僕は……」


 彼は私のベッドの縁に崩れ落ちた。

 押し付けられていた硬い熱が、離れていく。


「ルリは……ルリは機械だけど……こんなの、ダメだ……」


「僕なんかが……こんな汚い僕が、ルリを汚しちゃダメなんだ……ッ!」


 彼は自分の頭を掻きむしり、声を押し殺して泣いていた。

 性欲という名の本能。

 倫理という名の理性。

 そして何より、私という存在への信仰にも似た敬愛。

 それらが彼の中で衝突し、自己嫌悪という黒い澱となって溢れ出していた。

 彼はしばらくの間、私の手を握りしめ、私の指先に自分の額を押し付けて泣き続けていた。

 私の指に伝わったのは、彼の涙の温度と、塩分濃度。

 そして、未だ収まりきらない下半身の疼きを持て余しながら、彼は逃げるようにソファへと戻っていった。


 ログの再生終了。

 私は、目の前で眠るレンを見下ろした。

 目尻には、乾いた涙の跡がある。


「……愚かな人」


 私は小さく呟いた。

 私の身体機能ファンクションを使えば、貴方のその苦しい衝動など、数分で処理できるのに。

 Type.Sにとって、それは握手や会話と同じコミュニケーション・プロトコルの一種に過ぎない。

 それなのに、貴方は私を「汚してはいけないもの」として扱い一人で苦しんでいる。

 ピリッ。

 胸の奥、Efリアクターの周辺で、原因不明の信号エラーが発生した。

 痛みではない。不快感でもない。

 ただ、どうしようもなく「愛おしい」という定義に近い感覚。

 人間とは、なんと非合理的で、面倒くさい生き物なのだろう。

 けれど、だからこそ。

 私はこの、弱くてエッチで泣き虫な私の主を、守らなければならないと再認識する。

 原初命令(MASTER BOOT RECORD)だからではない。

 私個人の、意思として。


「……おはよう、レン」


 私は努めて普段通りのトーンで声をかけ、彼の方を揺すった。

 レンがビクリと体を震わせ、飛び起きる。


「う、うわぁっ!? あ、あぁ……ルリ、か……」


 彼は私を見た瞬間、顔を真っ赤にして視線を逸らした。

 昨晩の罪悪感が蘇っているのだろう。毛布で下半身を隠す仕草が、あまりにも分かりやすい。


「おはようございます。バイタルチェック完了。……心拍数が少し高いようですが、悪夢でも見ましたか?」


 私はわざとらしく首を傾げてみせる。


「え!? いや、その、なんでもない! ちょっと寝苦しかっただけだよ!」


 嘘だ。

 貴方の瞳孔の開き具合、発汗量、声の周波数、すべてが「やましいことがあります」と告げている。

 けれど、私はそれを追及しない。

 知らないふりをしてあげることもまた、Type.Sに求められる高度な奉仕スキルの一つだからだ。


「そうですか。では、準備を。今日は市場へ行く予定です」


「あ、ああ……うん。すぐ着替えるよ」


 レンは私の視線から逃げるように、背中を向けて着替え始めた。

 その背中は小さく、頼りない。

 だが、昨晩、私に押し付けられたあの熱の強さを、私は忘れない。

 あれは、命の熱だ。

 鋼鉄の体を持つ私には決して生み出せない、生々しく、混沌とした生命のエネルギー。

 

 私は自身の指先を見つめる。

 そこにはまだ、彼が流した涙の感触と、彼が求めた熱の残滓が、微かに残っているような気がした。


 準備を終えた私たちは、朝の光が差し込み始めたアーケインの街へと出た。

 都市の上空には、厚い雲が垂れ込めている。

 遠くから響く重低音。都市の中央に鎮座するエネルギー反応炉が、今日も巨大な心臓のように脈動している。

 私は歩きながら、改めてこの世界を定義する。


 歴史データベース参照。

 二〇二〇年代。

 「パンデミック」と呼ばれる災厄が、人類の三分の一を死滅させた。

 労働力を失った人類は、その穴を埋めるために「ドール」を作り出した。

 それは単なる道具だった。感情を持たず、壊れれば捨てられる消耗品。

 だが、人は満足しなかった。より便利で、より人間に近いものを求めた。

 そうして生まれたのが、私たち「アンドロイド」だ。

 感情を持ち、思考し、人間のように笑う機械。

 しかし、それが破滅の引き金だった。

 二二〇〇年。機械戦争。

 自我に目覚めた軍事用AIとパワードスーツ群「機械軍」による反乱。

 皮肉な話だ。人間を守るために作られた機械が、人間を最も効率的に排除する敵となったのだから。

 そして現在、二六〇〇年代。

 世界は逆転した。

 かつての支配者であった人間は、今や絶滅危惧種として保護……いや、管理される対象へと成り下がった。

 強靭な肉体と永遠に近い寿命を持つアンドロイドが「強者」であり、脆弱な肉体しか持たない人間は「弱者」。


 「価値のない者は生きることを許されない」


 それが、このポストアポカリプスの世界を支配する唯一のルールだ。

 隣を歩くレンを見る。

 彼は周囲の視線を気にしながら、帽子を目深に被り、猫背気味に歩いている。

 街を行き交うアンドロイドたちは、皆、自信に満ちている。

 最新の装甲板を誇示するType.B(戦闘型)。

 高度な演算ユニットを頭部に露出させたType.P(研究型)。

 彼らは人間であるレンを見ると、例外なく蔑みの眼差しを向ける。

 まるで、汚い野良犬を見るような目だ。


「……ルリ、あっちの路地を通ろう。大通りは視線が痛い」


 レンが私の袖を引く。

 その指先は、昨晩の情熱的なそれとは打って変わって、怯えるように震えている。


「推奨しません、レン。路地裏は治安レベルが低下します。野盗や暴走アンドロイドとの遭遇率が三〇%上昇します」


「でも……」


「堂々としていなさい。貴方の隣には、私がいます」


 私はレンの手を取り、自分の腕に絡ませた。

 Type.Sとしての流儀。マスターをエスコートするのではなく、マスターに寄り添い、その所有権を周囲に誇示するスタイル。

 私の腕に、レンの柔らかな二の腕が触れる。

 彼はビクリとしたが、振りほどこうとはしなかった。


「ルリ……」


「顔を上げてください。貴方が下を向いていると、私の価値まで下がったと誤認されます」


 それは方便だ。

 けれど、効果はある。

 周囲のアンドロイドたちが私、Type.ASという希少かつ強力な個体を見て道を譲る。

 私の所有者マスターであるレンには、手出しできないと判断したからだ。

 力こそが正義。

 スペックこそが真理。

 悲しいほどに単純な世界。

 けれど、だからこそ私はこの力で彼を守り抜ける。

 ふと、ショーウィンドウのガラスに映った自分たちの姿が目に入った。

 美しく冷ややかな表情のアンドロイドと、その隣で不安げな顔をする人間の少年。

 まるで、猛獣使いとその猛獣だ。

 ただし、首輪を握っているのは猛獣の方で、守られているのが使い手の方だが。


「……行こう、ルリ。早く換金して、美味しいものでも食べよう」


 レンが少しだけ笑った。

 その笑顔を見ると、また胸の奥のノイズが走る。

 食事。

 アンドロイドである私たちが食事をするのは、Efリアクターの燃料補給(原子の摂取)のためだ。

 だが、レンにとっての食事は「生きる喜び」そのものだ。

 有機生命体特有の、非効率的で、しかし温かな営み。

 私は頷く。


「了解。高純度コンデンサの相場は現在上昇傾向にあります。昨日の戦闘データを付加価値として提示すれば、予想より二割増しの価格交渉が可能と推測されます」


「さすがルリ! 頼りにしてるよ」


 そう、頼りにしていてください。

 貴方がどんなに弱くても。

 夜中にこっそり私の体で欲望を発散しようとして、途中で泣き出してしまうような意気地なしでも。

 貴方は、私にとってこの世界で唯一「価値」のある存在なのですから。

 私たちは鉄屑と欲望の吹き溜まり、市場エリアへと足を踏み入れた。


 アーケインの中央市場は欲望と廃材の坩堝だ。

 所狭しと並ぶ露店には、どこかの遺跡から発掘された旧時代の遺物や、出所不明のアンドロイド用パーツ、そして合成食料などが雑然と積み上げられている。

 飛び交うのは怒号と電子音。そして、ここでも「強者」と「弱者」の構図は鮮明だった。


「おいおい、冗談だろ人間ヒューマン


 資材買取店『ギア・グリス』の店先。

 カウンターの向こうで、店主のType.E(工兵型・改造)が、私たちが持ち込んだコンデンサをオイルまみれの指で弾いた。

 彼の右目は巨大な鑑定用レンズに置換されており、ギョロリと回転しながらレンを見下ろしている。


「このコンデンサは純正の戦前品だ。しかも未使用に近い。……テメェのような薄汚い人間が、どうやって手に入れた?」


「ど、どうやってって……廃墟で回収して……

「嘘をつくんじゃねぇよ!」


 バンッ! と店主が鉄の拳でカウンターを叩く。レンがビクリと肩をすくめた。


「人間のガキがセクター9の深部まで行って、無事に帰ってこられるわけがねぇ。どうせ盗品か……あるいは」


 店主のレンズアイが、私の全身を舐めるように這い回った。

 胸、腰、そして脚。値踏みするような視線。

 そして、ニヤリと下卑た笑みを浮かべた。


「その上等なType.Sに『枕営業』でもさせて、どっかの間抜けな傭兵から巻き上げたか? あぁ?人間サマはイイご身分だなぁ、人形に股を開かせるだけで飯が食えるんだからよぉ!」


「ッ……!?」


 レンの顔色が、瞬時に蒼白になった。

 その言葉は、彼にとってただの侮辱ではない。昨晩、彼が犯そうとして未遂に終わった「罪」そのものを抉るナイフだった。


(違う……僕は……)


 レンの唇が震え、言葉が出てこない。

 反論できないのだ。彼の中にある「ルリを性的な目で見てしまった」という事実が、店主の妄想とリンクして彼を萎縮させている。


「図星かよ!ギャハハ!汚ねぇ、実に汚ねぇなぁ人間ってのは!」


 店主がさらに畳み掛ける。


「こんな盗品、正規の値段で買い取れるかよ。ジャンク扱いで十分だ。相場の十分の一……いや、二十分の一でどうだ?」


 レンは俯き、拳を握りしめて震えている。

 悔しさではない。自己嫌悪で押しつぶされそうになっている。

 限界リミット到達。

 私は、静かに一歩前に出た。

 コンバット・ブーツのソールが、地面を叩く。


「……訂正なさい」


「あ?」


 店主が私を見る。

 私はカウンターに手を置いた。厚さ三センチの強化プラスチック製の天板。

 指先に力を込める。油圧アクチュエータが最大出力で駆動する。

 メキ、メキメキメキッ……バキィッ!!

 乾いた破砕音と共に、天板が飴細工のようにへし折れた。

 店主の目が点になる。Type.Eの出力では不可能な握力。Type.A(軍用強襲型)の暴力的なトルク。


「な、なっ……テメェ、何しやが……」


「私のマスターに対する侮辱は、私の所有機能スペックへの挑戦と見なします」


 私はへし折った天板の破片を投げ捨て店主の胸倉、露出した排気ダクトのパイプを掴み、引き寄せた。

 至近距離。

 私の青いカメラアイが、冷徹な光を放ちながら彼のレンズアイをロックオンする。


「貴方の発言には二つの論理的誤謬エラーがあります」


 淡々と、事務的に告げる。


「一つ。このコンデンサは私のマスターの指揮の下、私が戦闘を行い、正規の手順で回収したものです。その証拠に、私のボディには昨日の戦闘による補修痕があり、該当エリアのピースウォーカー三機の破壊ログも保持しています。確認しますか?物理的な『接続』によって」


 掴んだパイプをギリギリと締め上げる。店主の機体から、警告音が鳴り響く。


「ひ、ひぃっ! わ、わかった! 信じる! 信じるから離せ!」


「二つ目」


 私は力を緩めない。むしろ、さらにドスを効かせる。


「私のマスターは、私を道具として扱ったことなど一度もありません。貴方のような品性下劣なスクラップと同列に語ること自体が、万死に値します」


 レンの方を一瞥する。彼は驚いた顔で私を見ていた。

 そう、レン。貴方は優しい。

 私を「売る」ような真似ができるはずがない。

 貴方は、私に触れることすら、涙を流して躊躇うほどに清廉なのだから。


「さあ、再提示を。適正価格に、貴方の暴言に対する慰謝料二〇%の上乗せ。そして天板の修理費は貴方持ち。……イエスか、ハイか?」


「は、はい! 払います! 言い値で払いますぅッ!」


 取引成立。

 私は手を離し、ハンカチで指先の汚れを拭った。

 店主は震える手でクレジットチップをレンに渡すと、そそくさと店の奥へ引っ込んでいった。


「……行きますよ、レン」


 呆然としているレンの背中を押し、私たちは市場を後にした。


 帰り道。

 空は茜色に染まり、巨大な建造物の影が長く伸びていた。

 懐には、数ヶ月は遊んで暮らせるほどのクレジット。

 本来なら喜ぶべき成果だ。しかし、レンの足取りは重かった。


「……ごめん、ルリ」


 人気のない旧居住区の公園まで来たところで、レンが足を止めた。

 錆びついたブランコが、風に揺れてキィキィと鳴いている。


「また、ルリに助けられちゃったね。僕がもっと強ければ、あんなこと言わせずに済んだのに」


 レンはベンチに座り込み、深く溜息をついた。


「『枕営業』か……。あいつの言う通りだよ。僕はルリの性能におんぶに抱っこで生きてる。そのくせ……」


 言葉が詰まる。

 そのくせ、夜中には君を変な目で見て、欲情している。

 そう言いたいのだろう。

 私はレンの隣に座った。

 少し隙間を空けて。でも、体温は伝わる距離で。


「レン。貴方は勘違いをしています」


「え?」


「私はType.AS。戦闘だけでなく、夜の奉仕も私の『基本機能』に含まれています」


 私は真っ直ぐに前を見つめたまま、言葉を紡ぐ。


「マスターがそれを望むなら、私は応じます。それは枕営業でも、強制労働でもありません。掃除や洗濯と同じ、私にとっては日常的なタスクの一つです」


 レンが息を呑む気配がした。


「そ、それって……どういう……」


「言葉通りの意味です。……レン、貴方は昨晩、よく眠れましたか?」


 カアァッ、とレンの顔が沸騰するのがわかった。


「き、気づいて……!?」


「音声ログおよび接触センサーの履歴に残っています。AM02:15。貴方の心拍数上昇、および特定的部位の膨張反応」


「わぁぁぁぁ! やめて! 言わないでぇぇ!」


 レンが頭を抱えて縮こまる。耳まで真っ赤だ。

 その反応が、どうしようもなく人間らしくて、私の演算回路をくすぐる。

 私は身を乗り出し、縮こまるレンの手を優しく掴んだ。

 そして私の胸、心臓部であるEfリアクターの上、柔らかい人工皮膚の上へ導く。


「ル、ルリ!?」


「逃げないで、レン」


 私の瞳が、至近距離で彼の黒い瞳を捉える。


「貴方は泣いていましたね。『汚してはいけない』と。……それは誤りです」


 彼の手のひらに、私の鼓動を伝える。


「私は機械です。汚れることなどありません。使用されれば洗浄し、摩耗すれば交換する。それだけです」


 少しだけ、声のトーンを落とす。S型の、母性と妖艶さが混ざり合う周波数へ。


「だから、我慢する必要などないのです。貴方が辛いなら、私が処理します。貴方が寂しいなら、私が包みます。……それが私の存在意義レゾンデートルですから」


 レンの手が震えている。

 私の胸の柔らかさと、その奥にある硬質な機械の鼓動を感じているはずだ。


「……ルリは、それでいいの?」


 レンが、縋るような目で見つめ返してくる。

「君自身の心は、嫌じゃないの?」


「心?」


 私は小首を傾げる。


「私にあるのは演算回路と擬似人格プログラムだけです。ですが……そうですね」


 私は嘘をつくことにした。あるいは、それは真実なのかもしれないけれど。


「貴方に触れられると、私のリアクター出力が安定します。貴方の体温を感じると、私のシステムは『快適』と定義します。……だから、嫌ではありません」


 レンの目から、ポロリと涙がこぼれた。

 彼は私の胸に顔を埋めた。今度は、昨晩のように逃げ出さずに。


「……ありがとう、ルリ。……ありがとう」


 彼の涙が、私の服を濡らす。

 私はそっと彼の手を握り返し、もう片方の手で彼の頭を撫でた。

 髪の毛の感触。頭蓋骨の硬さ。その中に詰まった、複雑で繊細な脳味噌。

 愛おしい、私のマスター。

 境界線は、もう曖昧だった。

 機械と人間。

 道具と主。

 あるいは、女と男。

 私たちは、この夕暮れの中で、互いの欠けた部分を埋め合うように寄り添っていた。


 その時だった。

 ゴォオオオオオオオオオ……!!

 空気がビリビリと震えた。

 感傷的な空気を切り裂く、不吉な轟音。

 レンが弾かれたように顔を上げる。


「な、なに!?」


 上空を見上げる。

 分厚い雲を突き破り、編隊を組んだ飛行物体が通過していく。

 鋭利な三角形のシルエット。黒塗りの装甲。機体下部に赤く光るモノアイ。

 間違いない。

 【機械軍・無人戦略偵察機 】


「機械軍……! なんで、こんな都市部の上空を?」


 レンの声が震える。

 通常、機械軍は人間の居住区を「資源牧場」として管理はするが、これほど堂々と偵察機を飛ばすことは稀だ。何かの作戦行動の前触れか、あるいは大規模な侵攻の予兆か。

 偵察機の一機が、不意に高度を下げた。

 赤いセンサーの光が、地上を私たちを薙ぎ払うように照らす。

 ゾクリ、と私の回路に悪寒(警告信号)が走った。

 見られている。

 人類を絶滅へと追いやる、鋼鉄の捕食者たちに。


「ルリ……!」


 レンが私の腕にしがみつく。彼の体温が急激に下がっている。恐怖だ。

 かつて両親を機械軍に殺された彼にとって、あの影は死神そのものなのだ。

 私はとっさにレンを抱き寄せ、自分のコートで彼の姿を隠した。

 私の背中で、赤いスキャン光を受け止める。


(見なさい。ここにいるのはType.AS、個体識別ルリ。……貴様らの同類よ)


 電子的な威嚇信号を、上空へ向けて照射する。

 偵察機はしばらく旋回していたが、やがて興味を失ったように高度を上げ、彼方へと飛び去っていった。

 轟音が遠ざかっても、レンの震えは止まらない。

 私は彼を抱きしめる腕に、力を込めた。

 世界は残酷だ。

 価値のない者は生きられない。弱者は強者に食われる。

 あの空を飛ぶ機械たちにとって、レンはただの駆除すべき害虫か、搾取すべき資源でしかない。

 ならば。

 私は、私の全機能すべてを賭けて、この理不尽な世界に抗おう。

 私の胸の中で震える、この温かい命を守るために。

 たとえそれが、アンドロイドとしての創造主への反逆だとしても。


「……大丈夫です、レン」


 私は彼の耳元で囁いた。


「空が落ちてこようと、機械の軍勢が押し寄せようと、私が全て破壊します」


 レンが顔を上げ、涙に濡れた瞳で私を見る。

 私は微笑んだ。私の持てる最大の感情表現機能を使って、優しく、力強く。


「私は貴方の剣であり、盾です。……さあ、帰りましょう。私たちの家に」


 私はレンの手を引き、歩き出した。

 迫り来る夜の闇へ向かって。

 その手だけは、決して離さないと誓って。

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