鋼鉄の夢想曲(デイドリーム)
アーケインの夜は早い。
都市の動力源であるエネルギー反応炉の出力が低下する深夜帯、街灯の多くは消え、スラム街や外縁部は深い闇に包まれる。
ロックス・ガレージもまた、一日の喧騒を終えて静寂の中にあった。
ただ、今夜はいつもと少し状況が違っていた。
普段なら三人で賑やかに過ごすリビング兼居住スペースに、今は二人しかいない。
「……ユリさん、遅いね」
ソファの端に座ったレンが、手持ち無沙汰に脚をぶらつかせながら呟いた。
「ええ。今夜は都市自警団と合同の治安維持パトロールの日ですから。野盗の残党狩りで少し手間取っているのかもしれません」
私は対面の椅子に座り、読みかけの電子書籍に目を落としながら答えた。
「ですが、心配はいりませんよ。今のユリに後れを取るような敵はこの辺りにはいません」
「うん、それはわかってるんだけど……」
レンの言葉尻が濁る。
彼はチラチラと私の方を見ては、すぐに視線を逸らすという不審な挙動を繰り返していた。
顔が少し赤い。体温も平熱より〇・五度ほど高い。
風邪のぶり返しだろうか?
いいえ、バイタルサインは正常。これは生理的な反応ではなく心理的な、もっと言えば情緒的な動揺だ。
(……原因は、わかっています)
私は心の中で小さくため息をついた。
数日前。ユリが正式に家族として加わったあの日。
彼女が放った爆弾発言『性的奉仕』云々という、TPOを弁えないあの言葉が、多感な一六歳の少年の心に火をつけてしまったのだ。
レンは純朴で、機械のこと以外には奥手な少年だ。
だが、彼もまた成長期の人間男性。
一つ屋根の下に、人間の女性と見紛う外見のアンドロイドが二人もいれば、意識するなという方が無理な話なのかもしれない。
「……ルリ」
不意に、レンがソファから立ち上がり、私の隣へと移動してきた。
私の座る二人掛けソファの、空いているスペースにちょこんと座る。
距離、一五センチ。
彼の体温と、微かな機械油の匂いが漂ってくる。
「どうしました、マスター?眠れませんか?」
私が端末を閉じて微笑みかけると、レンはもじもじと指を絡ませた。
「う、ううん。……ただ、ちょっとだけ。……ルリの近くにいたいなって」
甘えるような上目遣い。
風邪をひいた時の看病で味を占めたのか、最近の彼は以前よりも距離感が近くなっている。
本来なら「自立心を養うため」に突き放すべきかもしれない。
けれど、私の中にあるType.S(奉仕型)としてのプログラムと、それ以上に私自身の「心」が、それを拒めなかった。
「……甘えん坊ですね、レンは」
私は彼の頭を優しく撫でた。
「いいですよ。ユリが戻るまで、ここでお喋りでもしましょうか」
私が許容すると、レンは安堵したように息を吐き、さらに距離を詰めてきた。
ぺたり。
彼の肩が、私の肩に触れる。
そして、まるで吸い寄せられるように、彼が私に抱きついてきた。
「……ルリ」
「はい」
「……いい匂いがする」
レンが私の首筋に顔を埋める。
くすぐったい吐息。
私は身じろぎもせず、彼の背中に腕を回した。
いい匂いと言われても、私からするのは人工皮膚の素材臭と、わずかな香料、そして排熱の匂いだけだ。
けれど、彼にとってはそれが「安心する匂い」なのだろう。
……いいえ。
今日の彼の抱擁は、いつもの「母親に甘える子供」のものとは、少し質が違っていた。
心拍数が速い。
腕に込められた力が強い。
そして、身体の震え。
レンが顔を上げた。
至近距離。
彼の黒い瞳が、私の青い瞳を真っ直ぐに見つめている。
そこにあるのは、慕情と、好奇心と、そしてオスとしての本能の揺らぎ。
「……ルリは、綺麗だね」
レンが夢遊病のように呟く。
「僕のアンドロイドだから……とかじゃなくて。ルリ自身のことが、すごく……」
彼の視線が、私の瞳から唇へと落ちる。
ガレージの静寂が、鼓動の音で埋め尽くされていくようだった。
私の冷却ファンが、微かに回転数を上げる。
これは、いけない。
原初命令。『アンドロイドは人間に成り代わってはいけない』。
人と機械の一線。
それを踏み越える行為だ。
けれど。
私は彼を拒絶できなかった。
彼の熱っぽい瞳に見つめられると、論理回路が霧散し、ただの「ルリ」という個としての感情が溢れ出してくる。
愛おしい。
この幼いマスターが、私を一人の異性として見てくれていることが、どうしようもなく嬉しい。
「……レン」
私は目を細め、慈愛と、微かな期待を込めて彼を見つめ返した。
私の顔が、自然と近づいていく。
レンも目を閉じ、顔を寄せてくる。
唇までの距離、あと五センチ。
三センチ。
一センチ――。
ガラガラガッシャァァァァンッ!!!
爆音と共に、ガレージのシャッター横にある通用口が開け放たれた。
いや、蹴破られたと言った方が正しいかもしれない。
「ただいま戻った!……異常なし、と言いたいところだが!!」
入り口に仁王立ちしていたのは、黒い外套をなびかせたユリだった。
彼女の銀色の瞳が、部屋の中央で密着している私たちを捉え、センサーライトのように激しく明滅する。
【ターゲットロック】という赤い文字が、彼女の視界に見えた気がした。
「う、わぁぁぁぁっ!?」
レンが悲鳴を上げ、バネ仕掛けの人形のように私から飛び退いた。
「ゆ、ユリさん! お、おかえり!早いね!?」
顔を真っ赤にして、両手をぶんぶんと振るレン。動揺しすぎて挙動不審どころではない。
私は……ええ、私はType.ASです。
〇・一秒で表情筋をリセットし、何事もなかったかのように優雅に足を組み直しました。
内心では冷却ファンがフル回転していますが。
「おかえりなさい、ユリ。……ドアは静かに開けなさいと教えたはずですが?」
私が冷静に咎めると、ユリはドカドカとリビングに踏み込んできた。
そして、レンの目の前まで詰め寄り、ジッと顔を覗き込んだ。
「……レン。心拍数、一八〇オーバー。顔面紅潮。発汗多量」
ユリが淡々とバイタルデータを読み上げる。
「そして、室内に充満するフェロモン濃度……。状況証拠は揃っている」
ユリが私の方を向き、口を尖らせた。
「……ルリ。抜け駆けはずるい」
「ぬ、抜け駆けとは人聞きの悪い。これはマスターの精神安定のためのスキンシップであり……」
「否定。今の距離感は、明らかに『接吻』のプレ動作だった」
ぐうの音も出ないほど正確な分析。さすが元殺し屋、状況判断能力が高い。
ユリは再びレンに向き直った。その瞳には、嫉妬の炎がメラメラと燃えている。
「……私にも、権利があるはずだ」
ユリがレンの肩を掴む。
「レン。公平性は組織維持の基本だ。ルリとしたなら、私ともするべきだ」
「えっ!?ちょ、ちがうんだユリさん!してない!なにもしてないよ!?」
「問答無用。……さあ、ズボンを」
ユリの手が、レンのベルトに伸びる。
またか。このポンコツは学習機能が壊れているのか。
「わぁぁぁぁ!!たすけてルリィィィ!!」
レンが助けを求めて叫ぶ。
私は静かに立ち上がり、音もなくユリの背後に忍び寄った。
右手を高く掲げる。
角度、四五度。手首のスナップを効かせて。
スコォォォォォォンッ!!!
乾いた音がリビングに響き渡った。
私の手刀が、ユリの頭頂部にある感覚センサー集中エリアにクリティカルヒットする。
「……あ、ぅ……システム……エラ……」
ユリが白目を剥き、崩れ落ちるように床にへたり込んだ。
本日二度目のシステム・スタン。
「お座りなさい!! この発情期ポンコツ!!」
私は腰に手を当てて怒鳴りつけた。
「何度言ったらわかるのですか!レンはまだ子供なんですよ!刺激が強すぎます!」
私が説教を垂れている間に、レンは脱兎のごとく走り出した。
「ぼ、僕、お風呂入ってくるーーーーッ!!」
バタンッ!
脱衣所のドアが閉まる音が響く。
彼はそのまま浴室へと逃亡したようだ。
リビングには、気絶したユリと、乱れた服の私が残された。
静寂が戻ってくる。
「……はぁ」
私は深く、長くため息をついた。
自分の胸に手を当てる。
そこにある動力炉の鼓動は、まだ少し早かった。
もしユリが帰ってこなかったら。
私は、どうしていたのだろう。
レンを受け入れていたのだろうか。それとも、寸前で思い止まっていただろうか。
「……やれやれ。男の子の成長を見守るのも、楽ではありませんね」
私は床に転がっているユリを引きずりながら、苦笑した。
とりあえず、明日の朝食は気まずいことになりそうだ。
翌朝。
予想通り、食卓には重苦しい空気が漂っていた。
「……」
レンは顔を真っ赤にして、俯いたまま無言でトーストを齧っている。昨夜のことを思い出して恥ずかしさで爆発寸前のようだ。
「……」
ユリは頭に氷嚢を乗せ、スプーンを持ったままフリーズしている。「……理解不能。なぜ私は殴られた?」とブツブツ呟いている。
「……」
私は何事もなかったかのように、優雅に紅茶を飲んでいる(ふりをしている)。
カチャ、カチャ。
食器の触れ合う音だけが響く。
誰か何か喋ってください。この沈黙は、高性能な私の会話モジュールでも打開策が見つかりません。
その時。
ピロリロリン♪
ピロリロリン♪
ピロリロリン♪
救いの神のような着信音が、三人の端末から同時に鳴り響いた。
一斉送信メールだ。
「えっ? 誰から?」
レンが慌てて端末を取り出す。
「……差出人、マリー・ホープライト」
私はメールを開封し、その文面を読み上げた。
【緊急招集】
【ロックス・ガレージの諸君。今すぐホープライト社・第3工廠へ来られたし】
【新プロジェクト『HOPE LIGHT』始動につき、貴殿らの協力を求む】
【追伸:遅刻したら給料減額】
「……新プロジェクト?」
レンが瞬きをする。
そして次の瞬間、彼の瞳から恥じらいの色が消え、いつもの「整備士の光」が宿った。
「工廠へ来いって……まさか、何か新しい機械を作るのかな!?」
「そのようですね。……パワードスーツ関連でしょうか」
私が推測を述べると、レンはガタッと椅子を蹴って立ち上がった。
「行こう!すぐ行こう!マリーが呼んでるんだ、きっと凄いことだよ!」
昨夜の気まずさなど、秒速で彼方へと吹き飛んでしまったようだ。
現金なものだが、それでこそ私のマスターだ。
「……了解。護衛任務に移行する」
ユリも氷嚢を放り投げ、キリッとした顔に戻る。
「はいはい。準備しますから、慌てないでください」
私は心の中でマリーに感謝しつつ、出発の準備を始めた。
ホープライト社・第3工廠。
そこは、アーケインの地下深くに建造された、一般人立ち入り禁止の極秘開発エリアだった。
巨大なエレベーターで地下へ降りると、そこにはレンにとっての「楽園」が広がっていた。
広大なハンガー。
天井を走る巨大なクレーン。
火花を散らす溶接ロボットのアーム。
そして、所狭しと並べられた、鋼鉄の巨人たち。
「う、わぁぁぁぁぁ……ッ!!」
レンが感嘆の声を上げて走り出した。
彼の視線の先には、整備ドックに収められた数機のパワードスーツがあった。
それらは、現在流通しているカスタム機やコピー品ではない。
装甲の質感、フレームの形状、漂う風格。
すべてが「本物」だった。
「すごい……! これSAA-1873『ピースウォーカー』の初期生産型だ! 保存状態が完璧だよ!」
レンが一つの機体に張り付く。
「こっちは……嘘だろ!?M-1876『センティニアル』!?大戦時のオリジナルフレームを見るのは初めてだ!」
レンが指差したのは、全高一〇メートルを超える長身の機体だった。
センティニアル。
大戦期に製造された、遠距離狙撃型の傑作機。
現存数は極めて少なく、そのほとんどが博物館級の代物だ。それがここでは、装甲を剥がされ、内部構造を惜しげもなく晒している。
「レストア中なのかな?すごい、駆動系が当時のままだ……この複雑なリンク機構、今の技術じゃ再現できないロストテクノロジーだよ……!」
レンは恍惚の表情で、鉄の巨人の足元を撫で回している。
オイルの匂いを胸いっぱいに吸い込み、駆動音に耳を澄ませるその姿は、完全に自分の世界に入っていた。
「……理解不能。ただの旧式兵器だ」
ユリが耳を塞ぎながら呟く。彼女にとって、ここはただ騒がしいだけの工場のようだ。
「まあまあ。彼にとっては遊園地みたいなものですよ」
私は微笑ましくレンを見守った。
「気に入ってくれたかしら? 私のコレクションは」
工廠の奥から、凛とした声が響いた。
作業用リフトに乗って降りてきたのは、油汚れのついた作業着姿の少女。
マリー・ホープライトだった。
「マリー!」
レンが振り返る。
「これ、全部君が集めたの?すごいよ! 宝の山だ!」
「ふん、当たり前よ。ホープライト社の財力とコネを総動員して、世界中からスクラップを回収してレストアしたの」
マリーはリフトから飛び降り、レンの前に立った。
彼女はいつもの尊大な態度はなく、どこか緊張した、真剣な眼差しをしていた。
「……レン。貴方を呼んだのは、ただの見学会のためじゃないわ」
マリーが言った。
「お願いがあるの」
「お願い?」
レンが首を傾げる。
マリーは深呼吸し、周囲に並ぶ歴史的な傑作機たちを見渡した。
そして、レンに向き直り、深々と頭を下げた。
「私の設計を……机上の空論を、貴方の技術で現実に変えてほしい」
彼女の声が、静かな工廠に響く。
「ここにある旧時代の遺物たちを超える、最強のパワードスーツを作るために」
レンが目を見開いた。
最強のパワードスーツ。
それは、全ての整備士が夢見る、到達点。
「……僕に、できるかな?」
「貴方にしかできないわ」
マリーが顔を上げる。
「私の理論と、貴方の感性があれば……きっと作れる。新しい『希望の光』を」
レンはマリーの瞳を見た。
そこには、友人としての信頼と、技術者としての熱意が燃えていた。
断る理由など、どこにもなかった。
「……わかった」
レンがニカっと笑った。
「やろう、マリー!僕たちの手で、すごい機体を作ろう!」
二人の天才の手が、固く握られた。
それは、世界を変える新たな翼が産声を上げた瞬間だった。
工廠の奥にある管制室。
無数のモニターが並ぶ薄暗い部屋で、新たなプロジェクト『HOPE LIGHT』が始動した。
「まずは現状分析よ。これを見て」
マリーがコンソールを操作すると、メインモニターに複雑なグラフと映像が表示された。
それは、先日私が搭乗したSAA-1873『ピースウォーカー』の戦闘ログだった。
瓦礫の山を疾走し、敵機を粉砕する私の動きが再生される。
「一見すると圧倒的な戦果に見えるわ。でも、データを細分化すると致命的な欠陥が見えてくる」
マリーが指を鳴らすと、画面上に赤い警告表示が無数にポップアップした。
「反応遅延、〇・五秒」
マリーが冷徹に告げる。
「ルリの神経伝達速度に対して、機体の油圧アクチュエーターの追従が遅れているわ。彼女が『動け』と念じてから、実際に機体が動くまでに〇・五秒のズレがある。高速戦闘において、この時間は致命的よ」
「……うん。僕もログを見て気になってた」
レンが真剣な表情で頷く。
「ルリはType.ASだ。その思考速度と反射神経は、人間や旧式のアンドロイドとは桁が違う。普通のパイロットなら気にならないラグでも、ルリにとっては永遠のような待ち時間に感じるはずだ」
レンの指摘は正鵠を射ていた。
あの時、私は確かに感じていた。泥水の中を泳いでいるような、もどかしい感覚。
私の思考に、鋼鉄の巨人が追いついてこない焦燥感。
「さらに、ここ」
レンが画面の一点を指差した。
「関節部の負荷係数がレッドゾーンを振り切ってる。ルリの運動エネルギーを、フレームが支えきれてないんだ。このまま使い続けたら、あと数回の戦闘で機体が空中分解するよ」
「その通りよ、レン」
マリーが満足そうに微笑む。
「現状のピースウォーカーは、あくまで『人間が乗る』ことを前提とした兵器。超高性能なAIが乗る器としては、あまりに脆弱で鈍重なの」
二人の天才の分析は続く。
モニターには、比較対象として工廠にあったM-1876『センティニアル』のスペックが表示された。
「センティニアルは、火力と索敵能力においては今でも一級品だわ。特にあの大口径ライフルの射程と、複合センサーの精度は魅力的」
「でも、機動性が低いよね。接近戦に持ち込まれたら脆い」
「そう。ピースウォーカーは汎用性が高いけど、器用貧乏。センティニアルは特化型だけど、穴が多い」
レンとマリーは顔を見合わせた。
二人の瞳の中で、同じ火花が散っているのが私にも見えた。
それは、既存の枠組みを破壊し、新しい理を創造しようとする狂気にも似た情熱。
「なら、答えは一つだ」
レンが言った。
「『Type.ASの反応速度に完全追従する運動性』」
「『センティニアル級の索敵能力と一撃必殺の火力』」
「そして、『ピースウォーカーの汎用性と拡張性』」
「「そのすべてを兼ね備えた、最強の機体を作る」」
二人の声が重なった。
あまりに無茶な要求スペック。
既存の技術体系では「不可能」と断じられるであろう夢物語。
けれど、この二人になら。
「……面白くなってきましたね」
私は腕組みをしながら、その背中を見つめた。
私のために。私たちが生き残るために。
彼らは今、神の領域に手をかけようとしている。
そこからの時間は、密度の濃い嵐のようだった。
開発がスタートすると、レンとマリーは完全に「ゾーン」に入った。
「フレーム素材は従来の超硬スチールじゃ重すぎる!ルリの速度を出すなら、もっと軽量で強靭な素材が必要だ!」
「じゃあ、この新素材『特殊チタニウム合金』はどう?コストは馬鹿高いけど、強度は三倍、重量は半分よ!」
「採用!加工が難しいけど、僕のプラズマカッターならいける!」
二人は巨大なホログラムスクリーンの前で、猛烈な勢いで図面を引き、修正し、また書き直していく。
専門用語が飛び交い、数式が空中に描かれては消えていく。
「動力炉はどうする?通常のエンジンじゃ出力不足だわ」
「並列ドライブにしよう!メインとサブ、二つの炉心を直結させて臨界ギリギリまで出力を上げるんだ!」
「馬鹿ね!そんなことしたら排熱が追いつかなくて自爆するわよ!」
「だから、ここ!背中のユニット全体を放熱フィンにするんだ!冷却剤を循環させて……」
「……なるほど。あえて装甲の隙間から熱を逃がすのね。狂ってるけど、合理的だわ!」
二人の会話は、もはや常人には理解不能な領域に達していた。
まるで即興演奏のように、互いのアイデアをぶつけ合い、高め合っていく。
レンの実践的な「現場の勘」と、マリーの圧倒的な「理論と知識」。
二つの才能が化学反応を起こし、設計図は驚くべき速度で完成に近づいていった。
「……理解不能」
部屋の隅で、ユリが目を回してダウンしていた。
彼女のメモ帳には、『素材:硬い』『エンジン:熱い』『結論:凄い』という、極めてIQの低い言葉だけが残されていた。
「無理に理解しなくていいですよ、ユリ。貴方は体力温存が仕事です」
私は二人にコーヒーと栄養補給食を差し入れながら、その様子を記録し続けた。
レンの横顔。
昨夜、私に抱きついて赤くなっていた少年とは別人のようだ。
真剣で、精悍で、そして何より楽しそう。
彼はずっと一人だった。
ガラクタの山の中で、誰にも理解されず、孤独に技術を磨いてきた。
けれど今、彼は対等に話せる「同志」を見つけた。
そのことが、私にとっても嬉しかった。
数時間後。
あるいは、数日が経過したような疲労感と共に、レンとマリーが手を止めた。
「……できた」
「……ええ、理論値はクリアしたわ」
二人が同時に息を吐き、椅子に背中を預けた。
メインモニターに、一機のパワードスーツの設計図が浮かび上がっている。
それは、異形だった。
人型ではあるが、既存のピースウォーカーのような武骨なシルエットではない。
極限まで無駄を削ぎ落とした、細身で鋭角的なフレーム。
背中には、天使の翼か、あるいは悪魔のマントのように広がる、巨大な可動式スラスター兼放熱ユニット。
手足は長く、獣のようなしなやかさを感じさせる。
美しい。
兵器としての機能美を超えた、一つの芸術作品のような風格。
「まだ基本設計の段階だけどね」
レンが汗を拭いながら、満足そうに画面を見上げる。
「名前はまだない。でも、こいつはきっと……世界で一番速くて、強い機体になる」
「ふん、当たり前でしょ」
マリーが得意げにメガネを押し上げる。
「私の『HOPE LIGHT』プロジェクトの第一号機だもの。……それに、乗るのは『彼女』なんでしょ?」
マリーが私を見た。
レンも私を見る。
「ルリ。……これは、君のための翼だ」
レンが真っ直ぐな瞳で言った。
「君がもう、傷つかないように。君が誰よりも自由に空を駆けられるように。……僕たちが作る」
その言葉に、胸の奥が熱くなった。
動力炉の熱ではない。もっと人間的な、愛おしさの熱。
昨夜の抱擁の熱が、形を変えて蘇る。
「……期待していますよ、マスター。そしてマリー様」
私は恭しく一礼した。
「私の命を預けるに足る、最高の機体を」
「……任せろ」
復活したユリが、なぜか一番ドヤ顔で言った。
「テストパイロット兼サンドバッグ役は、私が引き受ける」
「貴女はまず座学からですよ、ユリ」
笑い声が管制室に響く。
モニターの中で、まだ見ぬ鋼鉄の巨人が、産声を上げる時を静かに待っていた。
この機体が完成した時。
私たちの運命は、大きく動き出すことになるだろう。
それは希望の光か、それとも破滅への引導か。
今はまだ、誰も知らない。
ただ、確かなことが一つだけある。
私はもう、ただのアンドロイドではない。
愛するマスターと、頼もしい仲間と、そして天才的な友人と共に歩む。
その未来を切り拓くための「剣」が、今ここで打たれようとしているのだ。




