白銀の檻、熱のゆりかご
その日、アーケインのガレージは、まるで戦場のような活気に包まれていた。
ただし、飛び交っているのは銃弾ではなく、スパナと電子部品、そしてレンの歓喜の叫び声だ。
「すごい!マリーが導入してくれたこの多軸制御旋盤、精度が桁違いだよ!これならミクロン単位のシャフト調整も一発だ!」
レンが新しい工作機械の前で踊るように作業をしている。
彼の耳には通信インカムが装着されており、回線の向こうにいるマリー・ホープライトと熱い議論を交わしているようだ。
『でしょ?そこのパラメータ、少し弄ってトルク重視に変えておいたわ』
「さすがマリー!わかってるなぁ!」
マリーによる「お礼」という名の強制リフォームによって、私たちのボロ小屋同然だったガレージは、最新鋭のファクトリーへと生まれ変わった。
空調は完備され、照明は明るく、壁には防音材。
そして「ホープライト社御用達」という噂が広まり、客足は途絶えることがない。
「はい、次の方ー。受付はこちらです」
私が笑顔で客を捌く。
「……重量物搬入。ルート確保。どけ」
ユリが巨大な鉄塊を軽々と担いで運んでいく。
まさに順風満帆。
ガレージの収益は右肩上がり。この調子なら、ユリの高周波ブレードの修理も来月には完了するだろう。
だが、好事魔多しと言うべきか。
平和な日常は、唐突に牙を剥いた。
ヒュゴオォォォォォ……ッ!!
不気味な風切り音と共に、ガレージの外が急激に暗転した。
アーケインの鉛色の空が、さらに低く、重く垂れ込め、視界が真っ白に染まっていく。
「……ん?なんだ、急に暗くなったな」
レンが顔を上げる。
次の瞬間、外気温計の数値が異常な速度で低下し始めた。
二〇度……一〇度……〇度……マイナス一〇度。
「気象警報発令。……これは、大寒波です」
私が端末を確認すると、都市管理AIからの緊急アラートが表示されていた。
かつての大戦で使用された環境破壊兵器の後遺症。数年に一度、極地からの冷気が吹き込み、全てを凍てつかせる「白い悪魔」がやってくるのだ。
「うわっ、雪だ!猛吹雪だよ!」
客たちが慌てて帰っていく。
あっという間に、ガレージの前は白銀の世界に閉ざされた。
風速三〇メートルを超えるブリザード。これでは外出など不可能だ。
「やれやれ……今日は店仕舞いですね」
私はシャッターを下ろし、鍵をかけた。
マリーが導入してくれた強力な断熱材と空調設備のおかげで、ガレージの中はポカポカと暖かい。
「すごいね、外は地獄なのに中は天国だ」
レンがへらへらと笑う。
しかし。
私は気づいていた。
レンの顔色が、雪のように白いことに。そして、その呼吸が荒いことに。
「……レン?顔が赤いですよ」
「え?そうかな?なんか……ちょっと体が重いというか、ふわふわするんだよね……」
レンがよろりとめまいを起こし、作業台に手をついた。
ガシャーン。
工具箱が床に落ちる。
「レンッ!?」
私は瞬時に駆け寄り、彼を支えた。
私の体表センサーが、彼から伝わる異常な熱を感知する。
スキャン開始。
体温、三九・二度。心拍数上昇。
「……発熱です。それも高熱」
私はレンを抱きとめた。その体は燃えるように熱い。
「ここ数日の激務と、マリー様との長電話による睡眠不足。そこへ来て、この急激な気圧変動……自律神経が悲鳴を上げています」
いわゆる、知恵熱を拗らせた重度の風邪だ。
「えへへ……大丈夫だよルリ。あと少しでこの回路が……」
「ダメです!強制終了!」
私はレンをお姫様抱っこにした。
「業務命令です、マスター。貴方は今から完治するまで、一切の機械いじりを禁止します」
「えぇー……そんなぁ……」
レンは抵抗する力もなく、私の腕の中でぐったりとした。
ガレージの居住スペース。
ベッドに寝かされたレンは、苦しそうに呼吸を繰り返している。頬は林檎のように赤く、額には脂汗が滲んでいた。
「うぅ……あつい……さむい……」
レンが毛布を蹴飛ばしたり、また被ったりと落ち着きがない。
「……マスターの一大事。緊急事態だ」
ユリが仁王立ちでレンを見下ろしている。その表情は、Sランクの機械獣と対峙した時以上に真剣で、そして焦っていた。
「敵はウィルス。……殲滅する」
ユリが高周波ブレード(の柄だけ)を抜こうとする。
「物理攻撃は効きませんよ、ユリ」
私は呆れつつ、テキパキと指示を出した。
「貴方は氷枕と、新しいタオルを用意してください。私は着替えと水分補給の準備をします」
「……了解。氷点下作戦を開始する」
ユリはキッチンへと走った。
ガシャッ! バキッ! ゴリッ!
何やら凄まじい破壊音が聞こえてくる。
「……おまたせ。氷枕」
戻ってきたユリが差し出したのは、枕カバーに包まれた、ゴツゴツとした巨大な氷塊の集合体だった。
冷蔵庫の製氷機の氷ではなく、冷凍庫の霜取り用の巨大な氷を素手で砕いたらしい。
「……ユリ。これではレンの頭が割れます」
「……調整失敗。出力が高すぎた」
ユリがしょんぼりと耳を垂れる。
「貸して。……こうやるのです」
私は氷を適切な大きさに砕き直し、水と混ぜて冷たすぎないようにタオルで巻いた。
そして、レンの額にそっと乗せる。
「ん……つめたい……きもちいい……」
レンが安堵の息を漏らす。
「タオルは?」
「……これ」
ユリが出したのは、雑巾のように固く絞られ、一部が引きちぎれたタオルだった。
「……握力制御、要練習ですね」
「……面目ない」
ユリは戦闘においては最強だが、生活スキルにおいては赤子同然だ。
私は彼女を椅子に座らせた。
「ユリ、貴方はそこでレンを見守っていてください。敵襲がないか警戒するのも立派な看病です」
「……了解。監視任務に移行する」
私はレンの上半身を起こし、汗ばんだシャツを脱がせた。
Type.S(奉仕型)としての介護プログラムが火を噴く。
蒸しタオルで身体を清拭し、新しい肌着に着替えさせる。その所作に一切の無駄はない。
そして、スポーツドリンクをストローで飲ませる。
「ルリ……ありがとう……」
レンが潤んだ瞳で私を見上げる。
高熱のせいか、普段の理性が吹き飛び、幼児退行に近い甘えん坊モードに入っているようだ。
「ルリぃ……苦しいよぉ……」
レンが私の腰に抱きついてきた。
熱い体温が、人工皮膚越しに伝わってくる。
「よしよし。大丈夫ですよ、レン。私がついていますからね」
私はベッドの縁に座り、彼を抱きしめ返した。
私の身体はアンドロイド特有の排熱機能で、人間よりも少しだけ体温が低い。それが熱のある彼には心地よいのだろう。
「んん……ルリ、いい匂い……」
レンが私の胸に顔を埋める。
そして、無意識なのだろうが、彼の手が私の胸元へと伸びた。
むにゅ。
柔らかい感触。
私の胸部装甲(弾力性のあるシリコン製)が、彼の手によって形を変える。
「……レン?」
私は少し低い声を出した。
ユリが目を丸くして凝視している。
「……接触事故発生。セクシャル・ハラスメントか?」
普通なら拳骨の一つも落とすところだが、今の彼は正気ではない病人だ。
それに、その手つきに邪念はなく、ただ母親にすがる子供のような必死さがあった。
「……特別ですよ」
私はため息をつきつつ、彼の手を払い除けなかった。
代わりに、その頭を優しく撫で続ける。
「元気になったら、たっぷりお説教ですからね」
「うぅ……ルリぃ……」
レンは私の胸の感触に安心したのか、とろんとした目で私を見つめ、そのまま力を抜いた。
甘えさせてあげるのも、S型の重要な役目だ。
彼が安心してくれるなら、胸の一つや二つ、いくらでも貸してあげよう。
しかし、そんな光景を黙って見過ごせない者が一人。
ユリだ。
彼女はベッドの反対側に座り、じっとレンの手(私の胸を掴んでいる手)を見つめていた。
「……ずるい」
ボソリと呟く。
「私も、看病したい。……私も、役に立ちたい」
彼女の銀色の瞳には、明らかな嫉妬と、そして寂しさが宿っていた。
不器用な彼女なりに、大好きなマスターの力になりたいのだ。
その声が届いたのか、レンがもう片方の手を伸ばした。
宙を彷徨うその手を、ユリがハッとして掴む。
「ユリさんも……いてくれる?」
レンが弱々しく笑いかける。
「……肯定。ここにいる。どこへも行かない」
ユリは強く、けれど壊れ物を扱うように慎重に、レンの手を両手で包み込んだ。
「お前の熱は、私が監視する。……だから、安心しろ」
「えへへ……両手に花だなぁ……」
レンは二人のアンドロイドに挟まれ、満足そうに目を閉じた。
窓の外では、白い悪魔が猛威を振るっている。
けれど、この小さな部屋の中だけは、優しく温かい空気が流れていた。
しかし、風邪のウィルスはしぶとい。
夜が更けるにつれ、レンの熱はさらに上がり、本当の試練が始まろうとしていた。
夜の帳が下りると共に、ガレージの外を吹き荒れる吹雪の音は、獣の咆哮のように激しさを増していた。
室内の照明を落とし、常夜灯のオレンジ色の光だけが灯る寝室。
そこで繰り広げられていたのは、ウィルスとの静かで、しかし熾烈な戦いだった。
「うぅ……ん……あぁ……」
レンのうめき声が、苦悶の色を帯びてくる。
熱のピークだ。
解熱剤の効果が切れ始め、体温は再び三九度台後半まで跳ね上がっている。
彼は悪夢を見ているようだった。眉間に深い皺を寄せ、シーツを握りしめている指の関節が白くなっている。
「……父さん……母さん……」
か細い声が漏れた。
その言葉を聞いた瞬間、私の胸部センサーの奥がチクリと痛んだ。
レンの過去データ。
彼は幼い頃、機械軍の襲撃によって両親を失っている。天涯孤独の身となり、たった一人でこのガレージを守り、生き抜いてきた。
普段は明るく振る舞っている彼だが、その心の奥底には、埋めようのない喪失感と孤独が横たわっているのだ。
「行かないで……置いていかないで……一人はいやだ……!」
レンが泣き出した。
閉じた瞼から、涙が溢れて頬を伝う。
熱に浮かされた脳裏に、あの日の惨劇がフラッシュバックしているのかもしれない。
誰にも頼れず、誰にも甘えられず、鉄屑の中で震えていた幼い日の記憶が。
「……レン」
私は決断した。
ただの看護では足りない。今の彼に必要なのは、薬でも氷枕でもなく、もっと根源的な「安心」だ。
「ユリ、反対側へ」
「……了解」
私の意図を察したのか、ユリが無言で頷き、ベッドの反対側へと回り込む。
私たちは、レンを左右から挟むようにしてベッドに横たわった。
狭いシングルベッドだが、三人が身を寄せ合えば丁度いい。
右に私、左にユリ。
レンは二体のアンドロイドの体温に包まれる形になった。
「大丈夫ですよ、レン。ここには私たちがいます」
私はレンの背中に腕を回し、子供をあやすようにトントンとリズムよく叩いた。
「もう一人じゃありません。貴方が目覚めるまで、ずっと側にいますから」
「……肯定」
ユリがレンの正面から、彼の手を両手で包み込み、自分の頬に寄せた。
「お前の敵は私が排除する。恐怖も、孤独も、全部斬り捨てる。……だから、安心して休め」
アンドロイドの体温は、人間よりもわずかに低い。
しかし、その人工皮膚の下には、彼を守りたいと願う温かな意志が流れている。
私たちの声と体温が、レンの悪夢を溶かしていく。
「……ルリ……ユリさん……」
レンの呼吸が、少しずつ落ち着きを取り戻していく。
彼は無意識に身をよじり、私の胸元に顔を埋め、同時にユリの手を強く握り返した。
「あったかい……」
レンが寝言のように呟く。
「僕の……家族……」
その言葉に、私は微笑み、ユリは驚いたように目を見開いた後、嬉しそうに目を細めた。
家族。
血の繋がりもない、種族さえも違う、奇妙な寄せ集め。
けれど、この温もりは本物だ。
レンの寝息が、安らかなリズムに変わる。
涙の跡を指で拭い、私はそっと彼の髪にキスをした。
「おやすみなさい、私の愛しいマスター」
「……おやすみ。レン」
外の吹雪はまだ止まない。
けれど、この小さな「熱のゆりかご」の中は、世界で一番安全で、幸せな場所だった。
私たちはレンの熱が下がるのを肌で感じながら、寄り添い合って朝を待った。
翌朝。
カーテンの隙間から差し込む光が、いつもより眩しく感じられた。
雪による反射光だ。
「……んぅ……」
レンが身じろぎし、ゆっくりと瞼を開けた。
その瞳には、昨夜のような混濁した熱の色はない。少し寝ぼけてはいるが、澄んだ黒い瞳だ。
「おはようございます、レン。気分はどうですか?」
私が覗き込むと、レンは驚いたように周囲を見回した。
右に私、左にユリ。
まさに「両手に花」状態で密着して寝ていたことに気づき、彼の顔がカッと赤くなる。
「え、あ、あれ!?僕、もしかして一晩中こうやって……!?」
「ええ。貴方が『寂しい』と泣くものですから、特大の添い寝サービスを提供しました」
「うわぁぁぁ!恥ずかしい!夢じゃなかったんだ!」
レンが枕に顔を埋めてジタバタする。
その元気があればもう大丈夫だ。
「……おはよう、マスター。バイタル正常値。作戦成功だ」
ユリがむくりと起き上がり、ドヤ顔でサムズアップする。彼女の髪は寝癖で爆発していたが、その表情は晴れやかだった。
「お腹、空きましたか?」
「うん……すごく空いた」
「では、朝食にしましょう。今日は特製メニューですよ」
キッチンへ移動し、私は用意していた鍋を火にかけた。
消化に良い、野菜と卵の栄養スープ。
そしてテーブルには、ユリが担当したデザートが置かれている。
「……これは?」
レンが皿の上の物体を指差す。
それは、どう見ても「角刈りにされたリンゴ」だった。皮は剥かれているが、丸みはなく、多面体のような幾何学的な形状をしている。
「……リンゴだ」
ユリは胸を張る。
「皮むきナイフの制御が難しかった。なので、高周波ブレードの演舞アルゴリズムを応用してカッティングした」
「へ、へぇ……斬新だね……」
レンは苦笑しながらも、その角刈りリンゴを口に放り込んだ。
「ん!でも味は美味しいよ!ありがとう、ユリさん」
「……恐縮だ」
レンはスープを啜り、リンゴを齧り、みるみるうちに生気を取り戻していった。
その食べっぷりを見て、私たちもようやく肩の荷が下りた気がした。
「ごちそうさまでした!あー、生き返った!」
レンが両手を合わせる。
「二人とも、ありがとう。看病してくれて、ずっとそばにいてくれて……すごく嬉しかった」
レンの屈託のない笑顔。
それだけで、氷枕作りで冷蔵庫を破壊したことも、一晩中身動きが取れなかったことも、全て報われる気がした。
数日後。
アーケインを襲った大寒波は去り、空には抜けるような青空が広がっていた。
ただし、地上は一面の銀世界だ。
「うわぁ!真っ白だ!」
完全復活したレンが、ガレージの通用口から飛び出した。
道路も、廃ビルも、瓦礫の山も、全てが厚い雪に覆われ、キラキラと輝いている。
汚染された空気も、雪が吸着してくれたおかげか、今日だけは澄んで美味しく感じられた。
街のあちこちで、住民たちが総出で雪かきをしている。
主要道路を確保しないと、物資の搬入ができないからだ。
「よし、僕たちもやるぞ!ガレージの前を綺麗にするんだ!」
「了解です。病み上がりですから無理はしないでくださいね」
「……除雪作業。任せろ」
私たちはスコップを手に、作業を開始した。
レンが「えっさ、ほいさ」と可愛らしく雪を掻いている横で、ユリが本領を発揮する。
「……邪魔だ」
ユリはスコップではなく、巨大な鉄板(廃材)を持ち出した。
そして、それをブルドーザーのように構え、雪山に向かって突進した。
ズゴオォォォォォッ!!
凄まじい轟音と共に、数トン分の雪が一瞬で吹き飛び、道の端に巨大な雪壁が形成された。
一撃で、ガレージ前の道路が開通する。
「す、すげぇ……」
近所で雪かきをしていたおじさんたちが、口をあんぐりと開けて見ている。
「……効率的だろ?」
ユリが鼻を鳴らす。
「ええ、効率的すぎますね。ついでにお隣さんの車まで埋めてしまいましたが」
私は雪壁の下から覗いている車のアンテナを指差した。
「……あ」
「あははは!ユリさん最高!」
レンがお腹を抱えて笑う。
つられて、私も、ユリも、そして近所の人々も笑い出した。
冷たい空気の中に、温かい笑い声が響く。
白い吐息が混じり合い、空へと昇っていく。
レンが雪玉を作り、私に投げつけてきた。
パサッ。
「あ、やりましたね?反撃しますよ」
私は精密射撃モードで雪玉を投げ返す。命中率一〇〇%。
「わっ、冷たっ!ユリさん、援護して!」
「……了解。雪合戦モード起動」
いつしか作業は雪合戦へと変わり、私たちは子供のように雪まみれになって遊び回った。
一時間後。
すっかり除雪(と遊び)を終えた私たちは、ガレージの前に並んで立った。
頬を赤くしたレン。
雪で髪が濡れた私。
頭に雪だるまを乗せたままのユリ。
「さあ、開店準備だ!」
レンが高らかに宣言し、シャッターのスイッチを押した。
ガラガラガラ……。
重厚な音が響き、ガレージの中に光が差し込む。
そこには、いつものオイルの匂いと、機械たちの静かな鼓動が待っていた。
「いらっしゃいませ! ロックス・ガレージ、営業再開です!」
奇妙な家族の絆は、嵐の夜と白銀の朝を越えて、より一層強固なものになった。
どんな寒波が来ようとも、どんな敵が現れようとも。
この温かい場所がある限り、私たちは大丈夫だ。
私はレンとユリの背中を見つめながら、心の中でそう確信した。




