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03『手遅れなんだよ。――元パーティの土下座と、俺の新しい家族』



「よし、モフ。その辺りでいいぞ。……ああ、動くなよ、今一番いいところなんだ」


 俺の声に、漆黒の巨躯を持つ伝説の魔獣――『終焉を喰らう牙』改め『モフ』が、喉を「グルル……」と鳴らして地面に突っ伏した。かつては森の支配者として恐れられたその存在が、今は俺の足元で、まるでおねだりをする子犬のように尻尾を左右に振っている。俺はスタイラスを握り直し、モフの背中の中心線に、ゆっくりと光の線を刻み込んでいく。


 【概念:剛毛】から【概念:至高の極細毛】への書き換え。ただ柔らかくするのではない。空気を含み、冬は暖かく夏は涼しい、魔法の絨毯をも凌駕する手触りへと再定義する作業だ。


「アルス様……。その、モフさんの毛並みが、さっきから光り輝いて見えます。これ、本当に魔獣の毛なんですか?」


 傍らで泉の水を汲んでいたルナが、感嘆の吐息を漏らしながら近づいてきた。彼女の抱える水瓶には、俺が先ほど書き換えた『聖域の泉』から溢れる、銀色の粒子を孕んだ水が満ちている。一口飲めばあらゆる疲労を拭い去り、魔力の根源ソースを癒やす、伝説の霊薬エリクサーに等しい水だ。


「ああ。こいつ自身の魔力と同期させたからな。……よし、終わったぞ」


 俺がスタイラスを収めた瞬間、モフの全身から目も眩むような光が溢れ出した。光が収まった後、そこにあったのは――。夜の闇よりも深く、しかし星々を散りばめたような光沢を放つ、究極のモフモフを纏った神獣の姿だった。


「ガ、ウォォォォォン!!」


 モフが歓喜の遠吠えを上げる。その声は森の奥深くまで響き渡り、逃げ遅れた低級モンスターたちがその威圧感だけで失神していくのが分かった。だが、当の本人は俺の顔を大きな舌で「ペロリ」と舐め上げ、愛嬌を振りまいている。


「ははは、よせ、くすぐったいって! ……さて、ルナ。次は君の番だ」


「私、ですか……?」


「この拠点を、君が『お姫様』として過ごせる場所に作り変える。昨日は廃屋を修復しただけだったが……今日は『中身』をやる」


 俺はルナを連れて、白亜の壁へと変貌した建物の内部に入った。中はまだ、修復されただけの無機質な石造りの空間だ。だが、俺がスタイラスを一度振るうたびに、現実が魔法の色に塗り替えられていく。


 床の石材には【概念:自動洗浄】と【概念:常温維持】を。


 窓ガラスには【概念:風景投影】を付与し、常に美しい夕焼けが見えるように。そして、何もない空間に魔力の粒子を集め、物質そのものを再構成して家具を作り上げる。


「『物質生成マテリアライズ』……。書き換えろ。これはただの木材ではない。『王侯貴族を虜にする安息の寝台』だ」


 バキバキと音を立てて空間が歪み、ルナの目の前に、最高級の天蓋付きベッドが出現した。シーツの一枚一枚までが、俺の魔力によって「最高の手触り」を約束された概念の結晶だ。


「……っ! こんな、こんな豪華な部屋、見たこともありません。私、本当にここで寝てもいいのですか……?」


「ああ。ここはもう君の家だ。誰に遠慮する必要もない」


 ルナが震える手でベッドに触れる。その瞬間、彼女の目からまた一筋の涙がこぼれた。奴隷として冷たい石畳の上で眠らされていた彼女にとって、この温かな空間は何よりも救いだったに違いない。


 一方、その頃。王都のギルド『黄金の獅子』の執務室は、通夜のような重苦しい空気に包まれていた。


「……嘘だ。何かの間違いだ。こんなことがあってたまるか!!」


 ケヴィンが狂ったように机を叩き、書類をぶち撒ける。彼の目の前にあるのは、今日の『簡単な』依頼の報告書。そこには、Sランクパーティであるはずの彼らが、格下のDランク魔物相手に敗走し、装備の過半数を喪失したという屈辱的な事実が刻まれていた。


「ケヴィン、もうやめて……。身体が、痛いのよ……。治癒魔法をかけても、かけても、芯からの痛みが消えないの……」


 クラリスは椅子に深く沈み込み、青白い顔で自分自身の腕をさすっていた。アルスがいなくなったことで、彼女がこの数年間「なかったこと」にしていた魔法の反動、そして精神的な摩耗が一気に噴出していた。聖女の美貌は見る影もなく、そこにあるのは疲れ果てた一人の女の姿だ。


「ルカス、お前はどうなんだ! お前の爆炎魔法なら、あんな群れ、一瞬で焼き払えたはずだろう!」


「……できないんだ。もう、何もできない……」


 ルカスは自身の両手を見つめながら、ガタガタと震えていた。「魔力が……練れないんだ。以前は、頭の中で思うだけで術式が完成していた。だが今は、一文字ずつ丁寧に紡いでも、途中で霧散してしまう。……まるで、世界のルールが俺を拒絶しているみたいだ」


 彼らは気づいていなかった。自分たちが「天才」だったのではなく、アルスが世界の理を彼らに都合よく書き換えていただけだったということに。補助バフとは、一時的な強化ではない。アルスが行っていたのは、彼らという存在そのものの『底上げ』であり、世界の法則との『仲介』だった。


「……まさか、アルスが……あいつが全部やっていたのか?」


 ケヴィンの声が、裏返る。その脳裏に、かつて自分がアルスに投げつけた言葉が蘇る。『お前の地味な術式を待つ時間が、どれだけ攻略の足を引っ張っているか理解していないのか?』


 違う。逆だったのだ。アルスが術式を練るあの数秒こそが、自分たちが人間として活動できるための唯一の猶予だった。その猶予を自ら捨てた今、彼らは自分たちの「真の実力」という残酷な現実に直面していた。


「……探し出せ。何としてもだ!」


 ケヴィンが、血走った目で叫ぶ。


「アルスさえ戻れば……あいつにまた『付与』をさせれば、俺たちは無敵に戻れる! あいつは優しいからな、土下座でもして、金を積めば……いや、無理やりにでも連れ戻して働かせてやる!」


 その言葉に、ルカスとクラリスが力なく頷く。だが、その瞳に宿っているのは、同志への信頼ではなく、己の保身のための卑屈な欲望だけだった。


「ふぅ……。だいぶ形になってきたな」


 俺は拠点のベランダから、夕陽に染まる辺境の森を見渡した。俺の周囲には、すでに通常の自然界ではあり得ないほどの高濃度な魔力が漂っている。俺が書き換えた『聖域』の概念は、周囲の植物や大地にも影響を与え始めていた。枯れかけていた大樹は黄金の葉を茂らせ、地面からは魔力を帯びた珍しい薬草が次々と芽吹いている。


「アルス様、お茶が入りました。……それと、モフさんが、またお腹を撫でろって」


 ルナが、俺が作った最高級の茶器を手に、穏やかな笑みを浮かべてやってきた。彼女の身に纏う魔法衣は、夕陽を受けて七色に輝いている。かつての奴隷としての影は、もうどこにもない。俺が書き換えたのは彼女の肉体だけではない。彼女の『未来』そのものを、最高のものへと上書きしたのだ。


「ああ、ありがとう。……モフ、お前は本当に甘えん坊だな」


 俺はモフの巨大な腹を撫で回す。かつて王都で、血を吐くような思いで戦い、理不尽な罵倒を耐え忍んでいた日々が、まるで遠い前世のことのように感じられた。


(あいつら、今頃どうしているんだろうな)


 ふと、そんな考えがよぎったが、すぐにどうでも良くなった。俺がいなくなったことで、彼らに施していた全バフは完全に解除された。俺という『核』を失ったその瞬間から、彼らの世界は、本当の意味での『現実』へと変わったはずだ。


 俺が維持していた【概念:死の肩代わり】。


 それが消えた彼らに訪れるのは、これまでの三年間で積み上げてきた、膨大な『死の清算』だ。


「……手遅れなんだよ、ケヴィン。お前たちが何を望もうと」


 俺は、ルナが淹れてくれた香りの高いお茶を一口啜った。遠く、森の境界線から、微かに「俺を呼ぶ声」が聞こえたような気がしたが。俺はそれを、夜風のいたずらだと断じて、温かな家の中へと戻った。


 俺とルナ、そしてモフ。新しい家族との、本当の物語は、まだ始まったばかりなのだから。



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